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文体に特徴があって、慣れるのに時間がかかる。まだ慣れていない。でも、慣れるとかそういうことか。
いつかもう一度読もう。他の作品も読んでみよう。
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芥川賞受賞で、題名「この世の喜びよ」にも惹かれて、期待して楽しみに読んだけれど、他の2作も含め良く理解出来なかった。
ショッピングセンターの喪服売場のパート、少女、ゲームセンター従業員などで、読解力がないのか、どこに賞を取るほど良いのかわからなかった。
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芥川賞受賞作ということで読んでみたのだけど、文体が独特過ぎた。芥川賞はたまに前衛的な作品が選ばれるけど、これもなかなかのクセが強い。
文章はずっと「あなた」の二人称で描かれる。なぜ、二人称なのか? これは、最後に何かに着地するのか?と思ったけれど、結局、読み終えても何もなかった。いや、深く読み込めば、分かるものなのか。
著者は詩で文壇デビューしているので、前衛的で抽象的過ぎて、読むのにエネルギーがいる。
3遍からなる中短編小説集だったが、表題の作品を読んでお腹いっぱいになった。
他の作品は普通の小説なのか、と思って『マイホーム』を読み始めたけど、やっぱりこちらも同じく独特。なぜ、詩出身の作家は、一文をやたらと長く、そして複雑に描くのだろうか。最果タヒもそうだったけど…
合う合わないが分かれる作品。私は申し訳ないけど、ちょっと合わなかった。
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喪服売り場で働く女性が主人公とあったが、斜め読みではよくわからなかった。芥川賞としての本であるが、これも少し厚い本であり、他の小説とのカップリングであった。
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初めて読む二人称は、最後まで読みにくかった。でも、子育ての後悔や懐かしさは共感することばかり。子育てが終わり、次の世代へと引き継がれていくんだなぁとしみじみ思った。この作品の何がすごいかって、作者はまだ30代だってこと
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読了。タイトルを味わいたく手に取ったが自分には合わず。一文のなかでの転換が多く、あなたという視点がわかりにくく読みづらい。表現として興味深いのみ。マイホームは割と好き。キャンプは所々が生々しく気持ち悪く感じてしまい生理的に無理。時間をおいて再読すれば感想は変わるだろうが再読したくない程苦手だった。
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たまたま見ていた夜のニュースで芥川賞受賞について取り上げていて、『この世の喜びよ』というタイトルと喪服売り場で働く女性と女子高生の物語という情報だけを得て、でもそれでものすごく読みたくなったから手に取った。
物語が「あなた」で進んでいくというから、もし感情移入できなかったらどうしようと思ったけどそれは大きな問題ではなかった。
表現はあまり見たことない感じだったけど、私の好きな語感だったので良かった。
劇的な何かがあるというわけではない、殺人があったり死別したりするわけではない。
日常の小さなこと、それを捉えようとしなければ忘れてしまうようなことを、すごく穏やかな春の陽射しみたいな表現で書き続けていく。
自分には妹がいるけど、母がこれを読んだらどう思うんだろうとか、自分が母になったときこれを読んだらどう感じるだろうとか、そういうことも読みながら考えた。というか、母という生き方が人生の選択肢に存在しうる人間なら誰しも同じこと考えてしまうんじゃないのか?
私はまだ母ではないし特に母になる予定もないのに、感動的なシーンでもないのに、突然大粒の涙が溢れて止まらなくなって、まだ出会ったことのない気持ちになった。あれは何だったんだろう……。
直感で惹かれた本でこんな感情になれるなんて、読書は最高だなと思えた1冊だった。
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主となる登場人物を「あなた」と二人称で表現された文章を読んでいくうちに、まるで自分の事を書かれているような錯覚に陥る作品でした。
句読点と接続詞の使い方が独特な為、スラスラと読めず、じっくり噛み締めるように読み進めました。分かりにくい箇所を何度も読み返しながら、「じっくり読ませるために、この文章の形を取っているのなら、すごいな。」と、思いました。
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丁寧な描写、詩のような文章の並びはすっきりと美しいのだが、やや読む進めるのがつらかった。描写が隙間なく飛び込んでくるさまは村上龍を思い出させた。イオンモールの隣に住んでいる私にはその情景が過剰なリアリティを伴って浮かんできた。
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一読しただけではスッと入ってこない小説だと思う。それでも、日常をこういうふうに生きたことがあれば、突然、明瞭になる。
続く日々のなかで、わたしはいまのわたししかいなくなってしまう。過去のわたしは、もはやわたしではないのかも知れない。自分のことを二人称にした意味をそういうふうに感じた。わたしの生活をともに歩むたくさんのあなたとの思い出を、いまのわたしがつくっていく。過去のわたし=あなたの後悔を更新できるのは、いまのわたししかいないのだ。それが、この世の喜びだと。
「あなた」と呼びかけることで、自然に読んでいる「わたし」も物語の一部かのように没入させられる、ないまぜになる感覚が文章にも表れている。何年後かにもあらためて読み返してみたい作品。
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自分のことを「あなた」という視点で話す、書くことが自分にはできるだろうか。
母親という立場で、自分の意思だけではない行動の連続をした主人公だからこその視点が新鮮だった。
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読んでいる間中、こんなはずでは?と思いながら焦っていた。
描写が頭に入らす、何度も読み返す。次第に気分が落ち込み、イライラしてしまった。まさか私はこの小説を読みこなせない?
いやいや、芥川賞に選ばれた小説だから、すばらしいはず。と集中しよう読んでも、眠くなる。
ところどころで登場人物への突き放したような鋭い描写もあるにはあるのだが、それもなんだかこれ見よがしに思えてくる。詩的でしょと言われてるようで軽くイラっとさえしてくる。
もうこうなったら被害妄想?
誰が何を話しているのかも一読しただけではよくわからないところもある。少女がなぜ「あなた」にこんな私的なことを言うのか、その必然性がよくわからないのでなかなか言葉が飲み込めない。少女の家族と学校のエピソードも自分への落とし所がよくわからない。なるほど、とならない。「あなた」がなぜ少女に拘るのかもよくわからない。そもそも登場人物に魅力を感じない。
私の好みではなかったということにしときます。
自分が読みこなせなかったと思うのはかなしいので。
わかりやすい小説が良いと思っているわけではもちろんない。でも芥川賞受賞作ということでこの本を読む人たちが、私と同じような気持ちになるとしたら、なんだかなあと思う。
他の方はさぞかし褒めているのだろうと読んでみたら、同じような感想を持たれている方が多くて、ホッとしました。
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感想
週末に車で行くショッピングモール。何を期待する訳でもないが行ってしまう。そこに変化は要らないはず。でも何かを期待しているのだろう。
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書き方に、かなり個性が出ている作品。
途中でリタイアした。
だけど、本の帯が紡いでいる言葉に心惹かれた。
文体は受け入れられなかったけれど、この本に筆者が込めた想いには心打たれる。
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久しぶりの二人称小説、芥川賞での二人称小説は藤野可織さんの『爪と目』(2013年)以来かと思うので10年ぶり位にこのスタイルの小説を読んだ。
「あなた」という語りは、読者が主人公と自身を同一視するような効果を狙ったものだろうかと思うが、主人公同様に子育てを経験した人には狙い通りなのかもしれない。そうでない自分にとっては違和感でしかなくなかなか話に入れない要因にもなっていたか、皆さんの感想とかを見てると一定の効果はあるのかな?とも。
一人の女の子との関わりを通じて、自身の子育て経験を思い起こし、今となっては当たり前になり過ぎていた日常が自分自身の働きかけで生き生きとしてくる、そういう働きかける対象が存在する事こそが「この世の喜び」というのが作者の主張なのかな、とぼんやりと思う。文体として会話部分も明確に会話文ではなく地の文の中で語られたりもするので、それが意識の中での出来事が中心である事を表現しているのか。この雰囲気と二人称により何か催眠にかけられたような感じになるのかも知れない。
他の短編2作も同じような空気感、特に『マイホーム』はそう思う。心の中の動きを中心に世界を描写するスタイルは作者の特徴なのかも知れない。最初は少し読みづらいとも思ったが、表現に色々と工夫が凝らされている事を思い読んでみるとまた違った見え方がするかもしれないと思う。