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とても面白かったです。「できるようになる」とはどういうことか?そこにテクノロジーはどのように介在し得るか?ということを5人の科学者との対話の中で考察していきます。科学を通して人の体を知り、人の体を通して科学のあり方を問う、非常に刺激的かつ希望のある内容でした。
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本書では、5人の研究者が開発した技術をもとに、人間の「できる」ということを科学しようとしている。けん玉だったり、ピアノを弾くことだったり、ふつうに練習していてはなかなか習得できない技術を、テクノロジーを使うことですっとできるようになる。あっ、「できる」とはこういうことなのかという感覚がつかめるようになる。ディスプレイに映っているしっぽを脳波だけで動かせるようになる。僕はちょっとこれには自信があるのだけれど(根拠はない)、一度試してみたい。なんだか、できそうな気がする。テレビとかを見ていて、だれかが痛い目にあうと(こけるとかぶつかるとか)自分もうっと痛くなる。なんか、つながりがありそうな気がする。新たな技術を使ってできることがどんどん増える。おもしろいと思う。でもそれって本当に必要?と思うこともある。が、その技術がいずれ身体に障害を持つ人の役に立つことがあったりする。そういう点では意味があるのかもしれない。それと、本書を読みながらずっと僕は、算数の問題が「できる」ということにつながらないかと考えていた。身体の動きとは違う。しかし、何らかのテクニックを身につけるという意味では似ているかもしれない。できなかったことがふっとできるようになる。根性論とかではなく、なんとかうまく導いてあげることはできないものか。VRでスローにしてけん玉ができると、現実にもできるようになるという。そういうことが算数や数学でもできないか。しかし、そのけん玉の技術は定着するのだろうか。簡単に身についたことは長続きしないのではないか。やはり自分の力で、なるほどこういうことかと気づいて初めて身につくのではないか。どうなんだろう。もうちょっと詳しく研究の続きを知りたい。2色刷りで、イラストもおもしろく、なかなかおしゃれな本に仕上がっている。ただ気になる誤植が1ヶ所。P198終わりから2行目、「右側の脳を使って左手を動かす」それならあたりまえですよね。右手を動かすんですよね。自分は読解力がないので、妻にも読んでもらったのですが、一応同意してくれました。
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「できる」を取り戻せ!
できる人が優れていて、できない人は劣っている。テクノロジーによって、今まで出来なかったことが、いとも簡単に出来てしまう時代に、できるとは何か?を考えさせる。
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<目次>
プロローグ 「できるようになる」の不思議
第1章 「こうすればうまくいく」の外に連れ出すテクノロジー
第2章 あとは体が解いてくれる
第3章 リルタイムのコーチング
第4章 意識をオーバーライドするBMI
第5章 セルフとあざーのグレーゾーン
エピローグ 能力主義から「できる」を取り戻す
<内容>
著者が、エピローグで書いているように、「できる」とは、誰かと比べた結果ではなく、自分の中での進歩なのだ。この本では、5人の研究者に「できる」をいろいろな側面から説明してくれる。第1章のピアノ。第2章は、野球で、桑田真澄が出てくる。第3章は、自分では見えないところを画像を通して見てみたら…という話。第4章は、脳波と「できる」で、BMIは、「ブレイン・マシン・インタフェース」のこと。第5章は、音声認識を文章とパソコン操作をどう区別するかの話。考えていくと、それぞれ「できる」の一側面なのだと気づく。それは、自分の成長であり、「気づき」であることだ。
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「人工知能はどのようにして〜」に似た読後感
技術が人間の学習を俯瞰してみせてくれるところが似ているのだろう
豊富な研究や事例が面白い
けん玉できたVR スピンポンのVR ピアノのエクソスケルトン これらは「あ こういうことか」をいち早く体験させ できるようにするツール
学習の可能性を感じる
声に出さないでしゃべる研究も面白い
それを「頭のなかにコンピューターがいるようなもの」と捉えるのも面白い
いずれも現在進行の研究だと思うので、何かがわかった、ビジネスにすぐ使えるというものでもない
純粋に読んでいて面白い
行動経済学的なビジネス書でない
それもとても好感
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最高に面白い本。5人の研究者を紹介してますがどの研究内容もとても興味深い。
中でも野球選手の桑田のピッチングフォーム解析は腑に落ちた感覚が凄かった。
「できる」を科学することの可能性がとても広がる内容でよくぞこの本を書いてくれたと著者にお礼を言いたい。
超おすすめで個人的には絶対読んでおいた方が良い一冊です。
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頭で思った通りに身体をコントロールしているつもりが、練習や経験を通して身につけた暗黙知が体を先に動かすことが起きたり。同じように身体を操作しているつもりでも無意識に調整することが起きている。そういったことが研究や実験から見えてきたことを知り、頭(脳)と体との関係がかっちりした主従関係ではなく、もっとゆるく出来ていることが面白く感じた。出来ないことが出来るようになる際の報酬系と罰系でメカニズムが異なり、学習のスピードと定着率が異なるという事実も興味深い。
イヤホン型のデバイスと音声(ウィスパーボイス)インターフェースの暦本教授のお話は現在の技術と近いところであり、音声入力で操作できるモノが間違いなく増えるだろうと思った。
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【背景】
①なぜ読むか
『手の倫理』がおもしろかったため、伊藤亜紗さんの本を読みたかった。
②何を得たいか
テクノロジーと「できる」の関係について知りたい。
③読後の目標
②での知識を、スポーツや学習の指導に生かす。
【著者】伊藤亜紗
【出版社】文藝春秋
【重要語句】
できる、テクノロジー、学習、トレーニング、身体拡張、再現性、リアルタイム、脳科学
【感想】
スポーツ(水泳、バスケ、陸上)の指導をしてきた。そして、現在は自分自身がパワーリフティングも行っている。
ある意味で、身体操作については自論をもって、自分を実験台にしてきた。その中で、「動きをイメージする」ということを大切にしてきた。
私は、子供へのスポーツ指導を行う身である。しかし、いつも「何かが足りない」と感じていた。その答えの一端をこの本から学んだ。
1つは即時性だ。水泳は、その特性上、リアルタイムで声が届かない。それゆえ、動作とフィードバックに時差が生じる。それを、克服するのはテクノロジーだ。
また、ピアニストや桑田の事例から、動作の幅について学んだ。機械のような正確さだけでは、良い動作にはならない。
うまいプレイヤーと強いプレイヤーの差も、そのような所だと感じた。
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5名の研究者との対談から、「できるようになること」の不思議さと面白さに迫る。筆者が裏テーマと言っている「能力主義から「できる」を取り戻すこと」と記しているが、まさに、ピュアに「できる」ことにフォーカスを当てて味わえる。
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著者は、意識で体はコントロールしていない、体は先にゆく、と言っているけれど、ちょっと違うんじゃないかな。それは要するに、脳の仕組みのせいだ。予測で判断して司令を出す、ミラーニューロンで見たものを経験したように取り込む、可塑性汎用性が高い、簡単に言うと騙されやすい、錯覚しやすい、だからそのようなことが起きるってことだ。
「体」「身体性」を前面に押し出そうとして、本来の事象とずれているように思える。
意識の支配下から逃れた体が、テクノロジーによって身体性を得る、体が意識をこえてゆくとあるが、それは違う。体はあくまでも脳の司令に基づいて動くのであり、体が奔放であるように見えるのは、体ではなくて脳が奔放だからだ。脳の汎用性の高さが理由だ。
体にゆるさがあるから、意識の裏をかいて思いがけずできちゃう、意識を超える、のではなくて、それは脳の機能によるもので、体そのものの可能性の話ではない。著者も、幻肢痛について書いた『記憶する体』で、そんなことに触れていたんではなかったか?のっけから何だかがっかり。
著者の本はとても好きだけれど、本作はちょっと感情優先で書かれていて事実を見つめていない感じがして、違和感を覚える。
と、ここまで3章までを読みながら感じたことをメモしてきたが、4、5章に入って俄然トーンが変わった。それまではあくまでも身体そのもののコントロールについて、意識との関係を中心に、コントロールすること、できるようになることについて考察されていた。ところが、4章になるとテクノロジーと脳のメカニズム、意識から離れたところで起きている脳のメカニズムを捉え、そこから「できる」ことを考察している。あれ?今までの体と意識の話はどうなった?ここまで脳のメカニズムを説いているなら、1章や2章の話はああはならなかったのでは?と思い若干戸惑ってしまった。ただ、4章のリハビリへの応用の話や、5章の「自分と自分でないもののあいだのグレーゾーン」に関する記述は非常に興味深かった。特にグレーゾーンについては、危険でもあり同時に可能性でもあるな、と。この部分が、今後、どんな風に社会で受け入れられていくのか、発展していくのか、行く末が気になる。
4章5章がすこぶる面白く、この2章がなかったら星3つだったけど、ひとつ上げて4つにしよ。
それにしても、スマートスキンの開発が日本人によるものだったとは思わなかったな。
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ピアノのエクソスケルトン、ピッチャーの動作における心身解析、画像処理による運動技能獲得、BMI(ブレイン•マシン•インターフェイス)によるバーチャルしっぽ、声のテクノロジー利用による自己の揺らぎ。
最新テクノロジーを使って体の不思議やその体の展開を紹介する技術者の話は、どれも興味深い。
元ジャイアンツ投手の桑田さんの、ピッチングにおけるご自身の認識と実際の体の動きのあまりの違いっぷりには、失礼ながらかなり笑ってしまった。
身体拡張的なテクノロジーを発展させるためには、人間にはまだ見ぬ秘めた能力が埋まっていると信じる力と、その力を引き出すには外部の力が必要だろうという自分の能力を信じすぎない気持ち、その両方の絶妙なバランスが必要なのかもしれない。
そのテクノロジーを利用する人は人間の不思議とテクノロジーの発展に驚き、すげー!と思わされる。
体や意識って不思議だなぁと楽しく思えるような本であった。
(*テクノロジーの発達はもちろん、人とテクノロジーの融合には、その発展に伴い生命倫理的な問題など大きな課題が生まれるだろう。この種類の本を読む時にはそのことも頭のすみにいれておく必要がある。自分へのメモ)
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「できるようになる」過程における訓練のあり方や桑田さんのピッチング、音や視覚との関連性について触れられているのがとても興味深い話が多くてとても面白かった。
最近は「できるようになる」ような運動をあまりしていないのでやりたくなってきた。
昔テコンドーやってたときに飛び後ろ回し蹴りがある日突然できるようになった感覚を思い出した(今はとてもじゃないができない)
『「できるようになる」過程は、人を小さな科学者にします』
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本書のプロローグは「できるようになる」の不思議。自転車に乗れるようになるのも一例なのかな。「できるの不思議さ」を深堀りしてみたい
#体はゆく
#できるを科学する〈テクノロジー×身体〉
#伊藤亜紗
22/11/28出版
#読書好きな人と繋がりたい
#読書
#本好き
#読みたい本
https://amzn.to/3WfeVGw
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感覚よりも体が先にいってしまう
意識よりも体がゆく
これは何も努力しなくていいというわけではなくて、努力したり、すごく考えたり、内省したり、悩んだり、グルグルと模索したり、そういう先に体が覚えていくというか、身体値が練られていくというか。
そういう前提のもとの話だと認識した。
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テクノロジーもピラティスだね。
お猿の尻尾の話。
ピアノが上手くなる話。
テクノロジーに頼る任せるのではなく。
脳神経と体を繋ぐ架け橋に。
本当にピラティスだ。