紙の本
古典と現在
2024/01/07 14:21
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
フィクション、特に古典作品は倫理観が現在とかけ離れているので、現代の法律や道徳に違反しているから悪いモノ、と軽々しく切って捨ててはいけない。
それでも疑問や不快感は出てくるのだろう。その不愉快さや疑問を呈することこそ文学の役割の一つでもある。
不自由な暮らしをせざるを得ない貴族の女性の生活を現在の感覚で見てみると、また新たな古典の読み取り方が出てくるかも知れない。
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特に目新し着眼点はなく源氏を題材にしたエッセイという感じ。各章に載った現代語訳が、角田源氏より更にラフで興味を引いた。全訳して欲しい作家さんが増えました☺️
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源氏物語に関しての知識が全然なくて、光源氏がプレイボーイだってことぐらいしか知らなくても、相関図があったり内容や登場人物がどんな人かが簡潔に書かれていて、分かりやすくておもしろかった
現代で書かれている、今自分が読んでいる物語も、1000年後にはまた今とは違う考え方や常識で違った捉え方をされるようになるのかな〜と思った
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平安時代の社会規範に合うよう書かれた源氏物語を「読みにくい」と感じる人が楽しめるよう、現代の社会規範に合わせて様々なシーンを紹介。
以前、好きだった作家の小説の中でものすごい男女差別表現があり、「登場人物にそんなことを思わせる発想を持つ著者の書くものなんて読んでたまるか!」と若かりし頃荒ぶっていた私ですが、この本のおかげで「色々な想いは感じても良くて、それでも読書を楽しむことはできる」と思えました。
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源氏物語読んだことないけど全体の話がなんとなくわかって楽しかった。登場人物の呼称は原典にはほとんど出てこなくて前の時代の読者がつけたものが現代に引き継がれているというのが面白かった。
この本を踏まえて源氏物語を読めばモヤモヤがいくらか緩和されて古い価値観の中で書かれたお話だと割り切って楽しめそう。
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「源氏物語」を今更どう読む?もう出尽くしてるのでは?と思ったのだが、なかなか潔い解釈で面白かった!
映画の「TAR」を最近見たのだが、バッハやショーペンハウアーの人格(かなり家父長的)に作品はどう影響するか、またその作品をどう扱うかについての話題が出ていた。
考えてみると、前近代の作品群はほとんど全てが、その時代の価値観に基づいて作られているわけだ。「源氏物語」もまた然り。時代の差別的な価値観はなかったことことにはできないし、ましてや、それを善きものとするわけにもいかない。それはそれとして、認めた上で、さあ、どうだ、というしかない。
「無理に進歩的な作品だと捉える必要なんてありません」「昔に差別があったのは事実です。」
そういうスタンスで読むと、著者の言うとおり、確かに、「貧乏は面白い」なんていう思いが紫式部にはあったのかもしれない。こんな視点は目から鱗だ。
そして、光源氏を裏切ったとされる女三の宮はむしろ性被害者だという視点。
女三の宮や浮舟の不当な評価はいかがなものか、という著者になるほどなと思った。そういえばそうじゃん!なんで今までそんなことに蓋をしてきたんだろ?
女三の宮が脇が甘いからと言って、レイプされていいわけはない。女三の宮は、光源氏を裏切ったわけではない。悪いのは柏木だ。女三の宮は柏木に心を許しているわけではない。
「子どもっぽいのは罪でしょうか?字が下手だったら、夫から愛されなくても仕方ないんでしょうか?異性に姿を見られたら、性暴力を受け入れないといけないんでしょうか?」
山崎ナオコーラはやさしく、公平だ。そして、その視点で、なんとなく鵜呑みにしてきた登場人物たちの評価を見直させてくれる。
LGBTQ+の人たちが先進的に見えるかもしれないが、先史時代からきっといたはず。という指摘もその通り!だと思う。むしろ自由に暮らしていたかもしれない。
十分知ってる、と思った「源氏物語」を新しく公平な視点で照らし直してくれた良書だと思う。
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感想
現代人が当時の考えや慣習を理解するには二重の隔たりがある。言葉にされ失われる鮮度。言葉も十全には理解できない。ありきたりな議論。
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いわゆる″須磨がえり″経験者の私にとって、この本を読み、著者〈ナオコーラ訳〉に早く出会っていれば、『源氏物語』を深く読めたのだ!と知ることができた。
『源氏物語』ほどではない、明治から昭和初期の作品、いや平成でも、これは今の感覚とズレているな、と思うものがある。
しかし、それが駄目なのかと言うと、その時点ではそれは普通だったのだと知ることが出来、今を考えることが出来る。
そんなことを改めて感じながら、面白く読んだ。
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実は読み終わっていない(図書館の返却期限が来た)のだが、感想を書かせて頂いても少しは良いのでは…という気がしている。日本人なら誰もが(名前だけは)知っていると思う、源氏物語、を詳しく現代的なテーマに沿って、丁寧に且つわかりやすく、また興味を引くように、読む者が想像力を働かせ易いように、解説された書籍であると思う。
私が読み終わっていない、のに「感想を…少しは良いのでは…」などと書いたのは、この書籍が勿論、長編小説などでは無く、種々のテーマに沿って解説する、というスキームの繰り返しである、と感じたからである。
現代的なテーマ(同性愛とか、ロリコンとか、普遍的ではなく人の興味を惹く愛のかたち)に沿って、源氏物語、の当時の原文を引用しながら、詳しく分かりやすく、作者の手によって解説されている、要はそのスキームに沿って読む者はそれぞれのテーマを追体験する事が出来る。かく言う私も、源氏物語などこれまで興味本意の興味すら無く、高校生時代の古典の授業など退屈を通り越して気持ち悪ささえ感じていたのだが…、流石に歳を重ねたからだろうか?、今となっては興味本意かもしれないが受け入れる事ができるようになったと思う。
先に書いたようにまだ読了してはいないが、10を超える普遍的ではないテーマに沿った源氏物語の解説、改めて全て制覇したいとは思う。屈折しているかもしれないが、ひとつひとつのテーマにある原文とその解説を読みながら、私の頭の中にあったのは、平安の時代?、或いはそれ以降?、にそれを読み、胸を熱くした、読み手のはにかんだ表情やその時代の空気、情景、であった。これを成してくれたのは、作者によるガチの源氏物語研究の成果、によるものだと思う。
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ナオコーラさん自身が好きで、トークイベントに参加するために拝読。社会規範によって読み方は変わる。だから、古典も現代文学もミライまで読み続けられる。
文学の面白さを再度感じられた本だった。
マウンティグ、エイジズムなどのパートでは、深く頷く部分が多かった。日頃考えていることに対して、アンサーしてくれたような気がする。
源氏物語自体の魅力も思い出されて、改めて読みたくなった。
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「あさきゆめみし」でではありますが、学生時代に「宇治十帖」を読んだときは、主人公(薫)と浮舟が、いわゆる現世利益的な幸せを享受しない結末に、不完全燃焼というか、もやもやした感想を抱きました。
この度、著者による浮舟についての解釈は大変興味深かったです。
私の中で浮舟は、2人の男性の間でどっちつかずになり、身動き取れずに、出家という選択をせざるを得なかったな薄幸な女性という評価でしたが、男に振り回されずに、自分を生きるという覚悟を持った自立的な女性との見方もできることは、新鮮でした。
源氏物語の奥深さを改めて感じた次第です。
源氏物語のストーリーを一通り知っている人なら、現代的な視点からはこんな読み方も可能なのだと、新たな発見ができると思います。
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私は郷に行っては郷に従え派なので、自分が源氏物語を読んでいるときは、その当時の社会規範や当たり前を知れることが面白いと思って、そこまで引っかかることはなかったなあと。
合理性とか現代的正しさはないけれど(なんなら考えられないことばかり)、なんだかそれも儚くて風流で好きだと感じてるタイプだった。
むしろ、現代のルールを当てはめて、この人はかわいそうだのひどいだの言うのは、登場人物たちも望んでないのではないかとも思ってしまう面はあった。
それでも確かに思い返すと、紫の上が源氏の奥さんにされるシーンは中学生の時に衝撃を受けた覚えがあるし、その違和感を言語化してくださってること、
また、時代が変わっているからこそ、平安時代の人とは違った感じ方で読む事ができるというのは一理あるなと思った。
キャッチーな目次とは裏腹に、淡々と論文のように、源氏物語を題材に、現代の社会問題を見ていっているような印象を受けた。
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小学生の時に源氏物語ときがたりを読んでから、源氏物語が大好きで、卒論も源氏物語の女君たちの出家に焦点を当てたものを書き、現代語訳もいくつも読んで、その都度色んなことを考えさせられてきたのだけれど、今回また新たな見方が出来てとてもよかった。
特に、女三宮と浮舟。
そして、子を授かることもなく出家もさせてもらえず、初めて登場した時から死ぬまで光源氏の性的対象の女君として描かれた紫の上を、紫式部はどういうつもりで生み出したのか、改めてとても気になった。
山崎ナオコーラさんの現代語訳が楽しみ。
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これは、学級文庫に置いておくべき本。
(ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルーと共に)
ラジオが好きで、人の話を聞くのも好きなので、高校時代の古典の授業は楽しかった。だけどその一方で、古典文学そのものに面白さを感じたことは皆無だった。
それどころか、学校で開設されている授業の中で一番不要な科目は古典、とさえ思っていた。
だけど大好きな作家のひとりであり、大学で源氏物語を専攻していたナオコーラさんが社会的な観点でいち現代人として解釈した本冊は、読まないわけにはいかなかった。
帯にびっしりと書かれた、「ルッキズム」「ロリコン」「マザコン」「ホモソーシャル」「貧困」「マウンティング」「トロフィーワイフ」「性暴力」「エイジズム」「産んだ子どもを育てられない」「不倫」「ジェンダーの多様性」という文字列に読む前からワクワクが止まらない。
結果として、2時間くらいで読み切ってしまった。
特に印象に残った項は、「ホモソーシャル」。
聞いたことがあるようでよく知らない言葉だったが、仕事仲間、趣味のグループなどで、同性だけで集まり、結びつきを強固にしようとすることを指すよう。
相手と自分の性別が同じときに、「同じような恋愛してるよね?」「似たような結婚観だよね?」「こういういう異性は嫌いだよね?」といって会話で仲良くなろうとするひとをよくよく見かける。
この言葉は主に男性同士の結びつきを表すようだけれど、これはミソジニーや異性差別へも繋がっているような気がする。
よくネットでも「女さん〇〇してしまうww」といった掲示板を見かけるし、男性だけでなく女性もメディアなどで夫の悪口を言って盛り上がっている場面をよく見かける。
(だからいわゆる恋バナというものに私は嫌悪感を感じるんだな、と腑に落ちた)
そして、こういう角度から源氏物語を読むと面白い。今から千年も前の平安時代にもホモソーシャルがあったんだ、とか考えると面白い。
また、「性暴力」について描かれている項もショッキングだった。
(平安時代の恋愛は「垣間見」から発展することが多かったようだが、)柏木が庭で蹴鞠をしていたところ、猫が走り回ったせいで御簾がめくれ上がり、部屋の中にいた女三宮の姿が見えてしまう。柏木が女三宮に思いを寄せるところから物語は始まる。女三宮は光源氏と結婚しているが、ある日柏木は思いを抑えられず、女三宮に性暴力を振るう。
通常であれば、柏木が責められる立場であり、現代であれば犯罪として取り扱われることだが、むしろ「光源氏を裏切った」女三宮が「不用意に外に姿を見せた」と責められ、子どもっぽい、人間として不出来であるというイメージが物語の中でも作られていく。女三宮は結局一回の柏木との行為で子を身籠ったものの、子を愛せず病に伏し、出家をするという物語の運びのようだ。(また、源氏物語ではこういった描写が他にも多くあるそう)
"通常であれば"と書いたが、残念ながら現在の日本でも「性暴力を振るわれた側」が隙があった、誘惑するような服装をしていた、などと咎められることがある。1000年もの間、人間の考えがこんな���も変わっていないなんて、と驚き失望する。
また、「エイジズム」の項では自分自身の無意識の差別にハッとさせられた。
現代日本は少子高齢化の歯止めがかからず、若い世代の負担がどんどん大きくなっていることから、制度に問題があるにもかかわらず見当違いな差別を高齢者に向け、何かにつけ「老害」などと言った言葉で揶揄する場面に度々出くわす。
源氏物語の登場人物では年配者である源典侍の恋は、「面白いもの」とされ、コミカルに描かれている。恋愛に限らず「その年齢なら、こういう活動をするべきだ」「その年齢なら、こういうファッションをするべきだ」という具合に、社会は年齢によって行動や容姿に圧力をかけている。
若い人が高齢の人に向かって、アップデートを促すのでなく、バッシングしたい気持ちから、「勉強してください」というのは、差別である。
人種や性別による差別には敏感である方だという自負のあった私が、自分も知らず知らずのうちに差別をしているんだという自覚を持つことは本当に大切だと思った。(上野千鶴子さんの言葉で言うなら、常識の関節外しだ)差別をする人の大半は、自分が今、どれだけ邪悪な顔をしてその言葉を吐いているのかわかっていないはずで、悪意に気付いていない場合(またはわかったうえで面白がっているが、それがいかに悪いことが見ないようにしている場合)が多いように思える。
以下、プロローグより印象に残った箇所
P. 19-
自分の性別は曖昧にしており、「なぜ人間はカテゴライズをしてしまうのか?」と考えることをライフワークにしています。そんな私でも、この先どんなに生きても自分がジェンダーから完全に自由になることはないだろう、という自己認識を持っています。私も、差別をしてしまいます。私は、自分が育った時代や場所から影響を受け、固定観念や差別感情を、どうしてもなくせないのです。新しい人に出会ったとき、私はその人の性別をどうしたって推し量ってしまいます。性別に関係なく他人を見ることがなかなかできません。しみついた性別感は消えません。私は差別をしていますし、これからもします。ジェンダーバイアスを自分のセンスから完全に取り除くことは、死ぬまで出来ないでしょう。
まずは、知って自分の中の差別感情を認めること、疑うことから社会は変わると思う。
源氏物語を学校で学ぶ高校生以外にも、国語の教員に従事している人、目指している人も全員読んでほしい本。
読み解き方だけに焦点を当てる授業だけでなく、そこから学び取れることや自分の考えへの気づきにつながる授業が展開されれば、古典を学ぶ意義になると思いました。
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面白かった。
変に先進的と読もうとすることも必要ないし、その当時の社会状況、常識、偏見の中で生まれた作品。
今の時代の読み方だって、今の時代のものでしかない。
ナオコーラ訳も読みやすくてよい。