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メモ→ https://twitter.com/nobushiromasaki/status/1673611931478007810?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
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『現代思想』の対談記事+αをまとめたものだが、著者の志向性のようなものは分かる内容になってはいるので、他作を読む前の入門編としてはいいのかもしれない。
著者は「生命の哲学」を強調しているが、出生の肯定/否定という善悪というか価値観的な色彩は色濃く出てはいるので、世間一般的には倫理学的な内容であると言って差し支えないように思える。また、アカデミズムとの距離感についても興味深いものがあるが、個人的なスタンスとしては好きなようにすればいいとは思うものの、実際に大学教員として成績評価するときにはそれなりの客観性というか大げさに言えば学生のみならず、大学さらには文科省への説明責任が発生するわけで、その辺をどう考えているのだろうかという疑問はある。そんな面倒に巻き込まれるぐらいなら、在野の研究者として活動すればよいのではないかと思うが。
とは言え、そもそも「哲学とは何か」という哲学観が立場によって異なり、ある種乱立している現状は再認識させられる内容ではある。
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最初の、戸谷洋志との反出生主義の話が面白かった。
ベネターの土俵に乗ればベネターの論は絶対に論破できず、拮抗しうるとしたらヨナスがヨナスの土俵から綱引きをするしかないらしい。私はベネターの著作は読んだことがないけれど、当事者性に乏しいというか論理ゲームのような形で反出生主義を打ち立てているきらいがある、というので、ちょっと読むのが遠のいた。
原始仏教が、輪廻転生してまた生まれ変わることから解脱すること=再び生まれてこないことを目指しているというのは目から鱗で、確かにその意味で誕生否定が根底にあるのだと思う。ブッダの生への諦めの先の餓死に似た死があって、ショーペンハウアーなどは自殺は認めないが餓死は生への諦めだから例外的に認めているらしい。
反出生主義が自殺につながるというのは私は絶対に違うと思っていて、生まれてこないというのと、もう生まれてしまったものを無くすというのは非対称だというのは本当にもっともだと思う。
森岡さんは反出生主義に乗っかって世界を悲観するのではなくて、反出生主義に則りつつもそれを手がかりに「生まれてきてよかった」と思えるにはどうしたら良いのか、という誕生肯定の方法を探ろうとしているのが希望が持てるなと思う。
反出生主義には出産否定の側面もあるというが、個人的には「人間は子供を産むべきではない」と一般化するのは暴力的で、「私は子供を産まない選択をする」というのが受け入れられ尊重される社会、くらいが理想的ではないかと思う。子どもを産むこと自体は子供の意思を無視せざるをえないので暴力的にならざるをえないが、だからといって産まないことを強制することも暴力である。
他は、加害者と哲学、大森荘蔵のJ哲学など日本語で哲学することについて、連歌のような場で形成されていく哲学対話、といったことがテーマで、それぞれのテーマが刺さる時もあるだろうと思うが、今は反出生主義が一番響いた。