紙の本
多民族国家で暮らすということ
2024/06/02 17:04
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投稿者:kisuke - この投稿者のレビュー一覧を見る
シリア出身、7歳でアメリカ移住した作家の短編集。
多民族国家に移民として暮らすなかで直面する、人種や性別等での差別や困難さが描かれています。
こういう内容の本が多いのは、人は自分と似たものを好み、異質なものや知らないものを恐れる傾向があるからでしょう。
いつか多民族国家ならではの楽しさや希望に溢れた作品が書かれるようになったら良いと思います。
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知らないこともわからないこともあるけれど、ぐいぐい読まされる。1本目『浄め(グスル)の悲しみが鮮烈で強烈だった。『失踪』は何故かマラマッドあたりを連想したり。『アリゲーター』は複雑な構成で最初戸惑ったが、この構成こそが、重さやリアリティを生んでいると気づく。
力のある作品集。
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シリアから子供の頃アメリカへ移住してきた著者による、シリア系移民を書く短編集。アメリカ社会において白人でも黒人でもないアラブ人の寄る辺なさが印象的だが、単純な構造の差別を書くのではない(ので出版社がなかなか見つからなかったらしい)のが面白いと思った。
静かな文章の中に静電気のように漂う怒りを感じるが、それはいったい何に向けての怒りなのかはあいまいだ。シリア系移民たち自身がイスラム文化にも帰属できず不信仰なふるまいをしていたり、シリアのアサド政権下でいい思いをしていた過去があったり、自らも差別をする姿もありと複雑な内容で、彼らの出自は文章中でも隠すように回りくどく示される程度だったりする。自分たちの生を何かの形式に落とし込まれるのを徹底的に拒否しているような、そんな態度だ。
「わたしたちはかつてシリア人だった」では、難民の数や国境線という明快な要素、人間は平等という建前から滑り落ちる個人の人生(かつてのシリアでの不正による贅沢な暮らし、そして没落生活)を姪孫に切々と訴えるおばあちゃんが書かれている。最後に彼女は「だけどお願い、わたしは今、なんて呼ばれるのかしら?」と問いかけるけれど、これが非難ではなく、許しを請うでもなく、まっさらな若い姪孫へ自分の存在まるごとを託そうとする言葉なのだというのが、切なくも希望を感じる。
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社会問題を扱った作品は興味があってよく読むものの、なんとなくリズム感が合わなくて、しっくりくる本ではなかったというのが正直なところではあるが、まざまざと苦悩や不条理を訴える内容ではないけれど、確実に存在するそれらが持つ重いものが詰め込まれている本だと感じた。
「懸命に努力するものだけが成功する」 ー 若い女性が権力を持つ役職のある男性に、能力ではなく恋愛対象の女と見られるか、それに加えてマイノリティではないかが出世が決まる世界を再認識し、やるせない気持ちになった。
「わたしたちはかつてシリア人だった」 ー 「難民が国家にとってどれだけの負担になるか、利益になるかという研究はおかしい。手を差し伸べるのは、安全なところにいる人の義務」という言葉が心に響いた。