投稿元:
レビューを見る
記録によれば今までにレビューを3500冊程度書いていることになっていますが、その中でも「古典」に関するものは1%もありません。かつて母親にはビジネス書も良いけれど、人間の深みを成長させるには古典を読むのが大事よ、と言われたのを覚えていますが、そろそろ社会人生活もひと段落がつく頃になってきたので、古典にも取り組んでみようと思っています。そのような気持ちになっている私が、先日品川駅構内に入っている本屋さんに立ち寄ったところ、この本を見つけました。
時間ができたら日本国内を鉄道を使って旅をしてみるのも良いかなと思っていますが、何かのテーマにそって旅をするとしたら「おくのほそ道」をそれにするのも良いなと思いました。私にとって東北エリアは、スキーで何度か行ったことはあるにせよ、殆ど知らない世界なので、この本を読んで行きたくなりました。
以下は気になったポイントです。
・おくのほそ道が描かれた時、門人たちが当然のように持っていたが、現代人の多くが失ってしまっているものがいくつかある。その一つが「見えないものを見る力」「聞こえないものを聞く力」である。特に彼らは詩人である、その力は、普通の人よりも優れていたと思われる(p11)
・能は、不可視の心霊を主人公とするという、世界でも稀有な芸術である。セリフ、歌、ダンス、音楽もある総合芸術である(p12)
・あまりに平板な日常が続くと、自分の中の「気(生命力)」が枯れる、すなわち「ケガレ」になる。枯れてしまった気(生命力)をもう一度取り戻し元気を取り戻すには、旅しかない。既存の価値観をバラバラにすることによって気を取り戻し、この灰色の日常に再び色彩を与え、そして未知の世界たる異界に導いてくれる旅は、私たち人類にとって必要不可欠である(p27)
・聖なる枕がない時に「神霊」をここに呼び出し、そしてそれを人に移すもう一つの方法があります、それが「歌」や「物語」を使うことである(p34)
・芭蕉の旅が、東北の歌枕(枕とは、神霊の宿るところ)を探訪するということは、すはわち、奥州に伝わる古代の物語を巡る旅であり、そして古代の人々と、その霊魂に出会う旅であったということを意味する。そして何より「詩魂」エネルギーが弱まってしまった芭蕉に、そのエネルギーを注入してくれる聖地でもあった(p41)
・菅原道真・平将門など、歴史上には怨霊化した人物がたくさんいるが、日本最大の怨霊は「崇徳院」である。孝明天皇は幕末の混乱を鎮めるために、崇徳院の神霊を京都に奉還し、白峰社を創建することを決めて、明治天皇が讃岐に勅使を遣わして崇徳院の御霊を京都へお招きして、白峯神宮を創建した(p45)
・おくのほそ道という作品は「行春(深川)」と「行秋(大垣)」の二点を結ぶ線を底辺として、平泉を頂点とする三角形の構図を通して、逆転の相に身を委ねることによって永遠なるものにつながろうとする、俳人芭蕉の人生観・芸術館を総合する不易流行の理念を大きく語りかけていると見ることができる(p62)
・革命において最も���績のあった者は排除される、これは一つの法則である。明治維新における西郷隆盛、ロシア革命におけるトロツキー、中国革命における林彪・劉少奇、その例は挙げればキリがない。義経は最大の功績があったからこそ、最も非業の死を遂げた(p65)
・おくのほそ道を読むときに心得ておくべきこと、1)術語(コード)を解読しながら読む、2)俳諧的ユーモアやジョークでは一緒に笑う、3)能(謡曲)がベースになっていることを常に念頭におく(p68)
・芭蕉は当時は有名であり、連句集などは印刷されていたが、おくのほそ道は印刷ではなく写本であった。その理由は、1)誰もがわかる本ではなかった、2)未完成な本であるということにある(p71)
・旅の僧である西行に扮した芭蕉が、能という虚構の世界に入って「ワキ僧」として旅をする、そしてそれを読者が追体験しながら全く新しい個々人の旅を作っていく、それが「おくのほそ道」である(p85)
・4つのフェイズに分けられる、1)死出の旅:深川〜日光、2)中有(人が死んでから生まれ変わる=成仏するまでの49日の期間(p162)の旅:日光〜白河、3)再生の旅:白河〜飯塚(福島近く)、4)鎮魂の旅:飯塚〜平泉(p113)
・お通夜には2つのルールがある、1)徹夜で行う、2)死者のことをできるだけ大きな声で詳しく語り合う(p125)
・音を聞いて色や形が見えたりする(共感覚=聴覚と視覚が繋がっている)や、他の感覚器官とつながる(直感像)人もいる、今ここにないものを現存せしめる能力は、子供の頃には多くの人に備わっているが、大人になるにつれて、その能力を失っていく(p205)
・能舞台では、大道具も照明も使わない、何も置かない「素」の舞台による演技が可能なのは、観客のこの「見えないものを見る」能力を信頼しているからだと思われる(p206)
・通過儀礼の後で人は変容する、卒業式の前は「子供」なのに、式が終わった瞬間に「大人」に変容している。この変容のためには古い自分を脱ぎ捨てる必要がある、その象徴が衣服である。衣服を改めることによって自分自身も改まる(p222)通過の際には衣服を改め「心」を改めることが必要である、改めるのは「新たに」することである(p223)
・前九年の役、後三年の役という悲惨な戦争を経て、藤原三代の祖となる藤原清衡が奥州を治めることになったのが、寛治元年(1087)。都との関係を軍事ではなく、外交によって築こうとした、その結果欧州は独立国のような存在として独自の繁栄を謳歌するようになった、それに使われたのが黄金である(p265)
・個人でにおいて革命を経験する最も顕著なのが、小学生から中学生になるとき、この過程で私たちは「小学生」性をしっかりと切り捨てる必要がある。(p288)
2023年5月27日読了
2023年5月28日作成