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またいい本と出会ってしまった。。
面白くてあっという間に読み終えました。
純粋で良い子だった湊と依里は、社会や大人たちの影響で正直になれなかったんだね、、。
展開がどんどん想像を超えていって、どんどん面白くなっていきました。
そして、最後は感動した。
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▼配架・貸出状況
https://opac.nittai.ac.jp/carinopaclink.htm?OAL=SB00549279
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人は、想像するチカラを持ってしまったがゆえに、見えない怪物が作り上げられていく。そして、見えないからこそ怪物が生まれる。
真実は、複雑であり、また、単純なのかもしれない。すべては、藪の中。
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母親、先生、湊の3つの視点から描いているストーリーは、それぞれが食い違っていて最後まで読まないと真相が掴めないところが面白かった。最初から順に読むとこんな学校ありえないと思ってしまったけど、いろいろ違った。自分の中に潜む怪物と闘いながら日々を過ごしていく思春期の子供心は親でもわからない事だらけなんだな。はっきりとは書いてないけど、あの火事も校長の孫の死もやっぱそうなのかな。
最後が希望に向かっているような描き方なのはやっとなにか怪物から解放されたような気がしなくもない。悲しいけど、それが生まれ変わりなら明るい未来であってほしい。
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映画の内容を補完するために読んだが、トイレ事件が描かれている時系列が保利先生編(湊暴れる→湊と依里の喧嘩→トイレ)と湊編(湊暴れる→トイレ→湊と依里の喧嘩)で違っており、矛盾していると思う。
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映画を観終わってから、物語の細部やセリフ、感情など確認したくて読んだ。
不気味に思えた人物が、別の視点から見ればまた違うように見える。
同じ物事を辿っているのに、視点が変わると印象がガラリと変わる。特に校長は第三幕で印象が一番変わった。
誰もが、誰かにとっての、怪物になりえるんだなと。
二人の少年の痛みや苦しみまじりの繊細な、心のやりとり。
映画でも特に最後の湊と依里のシーンは、とても美しく印象深かったが、小説で最後のページの3,4行目の文章が、良い、と感じた。
また映画が観たくなった。
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映画感想で。
とても良かった。人の一挙手一投足を、見逃してなるものかという風に観てしまった。
で。
誰が怪物なのかと。
「本音を言い合うことが許されず生まれた誤解が作り上げた虚構」
…と言ってしまえばまぁ、そう言うことなんだろうけど。強いて言うなれば、本音を言えないような空気や環境を作り出した思慮に欠ける同級生たち(…と書いてしまったけど、そうさせたのはホリ先生なのか…?)や学校職員のことを言うのかもしれないが(…と言う観点だと親もそうか。)…あぁ、でもあの楽器音は、怪物の咆哮だよね。わたし自身が怪物だと。こんなはずじゃなかった、自分こそモンスターだという自責の念。誰もが怪物、なのか。
教員やってるので、教員目線だとひたすら先生が気の毒に見えてしまう。唯一気づいて「間違ってなんかないんだよ」と認めてくれる存在だったのに…と。…てか、分かんないって!あんなツンデレ行動されたらさぁ!気づいてあげたいけどハードル高すぎるよ!と(子どもあるあるだけど、自分でもよく分かってないから行動がめちゃめちゃでこちらもどう動いたらいいのかわからんやつ)。ただ、明らかなからかい、いじめ、虐待を看過してしまっていたことは罪深いかもなぁ。…でも正直前の学年の先生もそれを隠蔽していた可能性があるから、そこも踏まえるとほんと不憫。…ただ、お母さんもそうだけど、何気ない言葉が、押しつけや圧迫になってしまうのは、気をつけたいなぁと、思う。今の先生割と気をつけてると思うけどね。
校長先生は…きっとクロなんだと思う。旦那を犠牲にしてまで戻った教職。校長として、学校、子ども守ります。そのためなら代えのきく教員の1人や2人、どうだっていいでしょう?だって学校守らなきゃ、大切な存在を犠牲にしてまで自分がここにいる意味がなくなってしまう。…という心持ちだったのでは?
とは言え確実に間違っていると認識してるから、孫を失った苦しみも相まってもはや形骸化した会話のようなものしかできなくなってる。形だけでも守れれば良い、というように。
そして、校長なのにスーパーで子どもに足引っ掛けて転ばせてました。多分、スーパーにいる自分は、「校長=子ども、学校を守る存在」としての自分じゃないから。校長の立場を離れた時、「自分が校長でさえなかったら…。」という気持ちになるんじゃないか。それが、子供を転ばせるような行動になったんじゃなかろうか、と思う。…つまり、学校を離れてる自分は、子供を守る存在じゃなくていいのだと、確認するためというか。学校の外で起こったことはどうでもいい、という態度は恐らく彼女の中で一貫してる。
「誰もが手に入れられるものを、幸せと言う」
校長の言葉、考えさせられる。
あとラストは、こうあったらいいな、という世界なのかな、と。2人が無事だったとて、アル中の父親が変わってくれるわけでもないし、嘘ついて辞めさせた(でも気づいてくれた)先生が戻ってくるわけでもない。隠蔽体質の学校も、同級生の不理解も変わらないだろうし、母親を裏切ることになるかもしれないことだって本意じゃないだろう。カミングアウトして母親が理解を示したところで、後ろめたさが変わるわけでもない。でも、それぞれが変わろうとすれば、起こりうる未来(秘密基地が横倒しになってたので。)でもあるんだという希望を、救いのない現実に提示したのだろうと、私は勝手に思いました。
最後に1つ。常々子どもに寄り添える教員でありたいとしていますが、そうもいかないのだと思い知らされた経験を。
ご家庭が荒れている影響をモロに受けて荒れてしまった子どもが、むしゃくしゃして何もかもが敵という感じで当たり散らし、その標的になったとき。
寄り添いたくても、他の子に被害が出そうな時は、毅然と突っぱねなくてはならないときがあります。
その状況になり、その子を注意した時に、「どうせお前も大勢側の人間なんだろ?」と、「私=社会=自分の恨むに値する存在」と、後にも先にもあれほど憎しみのこもった目で見られることはないだろうという眼で睨みつけられました。
あの時あの瞬間、わたしの中の何かが死んでしまった、と感じました。分かってあげたかった…申し訳なかった。でもその子以外の子たちも、私は守らなきゃいけなかったと、数年前のことだけれどはっきりまだ覚えています。私もまた、彼にとって怪物だったのでしょう。
「怪物が生まれなくてすむような空気」を大切にできるようにしていきたいです。
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映画を観てからの読了。映画ではわかりにくかった部分が補填出来たから読んでよかった!映像でももう一度見返したい。
今までは原作本→映画って流れで見る作品が多かったけれど、映画→原作本でもありかもしれない。
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独り言
なんとも言えない..
というより、去年読んだ「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」がほわほわと頭に浮かぶ..
先に小説を読んだ身として、ノベライズだからしょうがないものの、これは映画向きかなと思った。のでとりあえず早く映画が見たい。
それよりも、ちょいちょいある誤植?が気になった。
それもネタなのか?私が理解してないだけなのか?編集が忙しかったか..?
私が保利センセイになればいいのかしら?と思いながら読み進めた
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映画がすごくよかったのでその日に買った。やっぱり本だと詳細に描写が描かれているので映画では不鮮明だったところの解像度が上がる感じする。
自分の大切と誰かの大切は必ずしも両立するものではないし、それを守るために自分が誰かにとっての怪物になることも、誰かが自分の大切を脅かす怪物になることも、悲しいけど、あるんだろうなと思った。人にはそれぞれ自分なりの正義があって、その中でいろんな事情が交錯してるんだよね。物事の判断はどうしても自分の正義だけに基づいてしまうけど、一つの事象を自分の目線だけで判断してしまうのは危険だということは覚えておきたい。自分の正義を曲げるつもりは全然ないけど、しなやかさは必要だなと思える。
最後のシーンはやっぱり、現実ではないどこかなんだろうなぁ。矛盾してるもんね、お母さんと保利先生が土砂降りの中電車まで探しにきた時はもうすでに誰もいなかったのに電車を出てすぐの最後のシーンは晴れてるもんね。繋がってないのよ。生まれ変わりの世界なのか天国なのかはわからないけど、どうか、そのままの彼らがそのまま幸せでいられる世界でありますように。
追記↓
友達から、2人ではなく世界が生まれ変わった説を教えてもらった。なるほど、、生まれ変わりの世界であるはずはないよみたいな発言もしてたし、それならその発言の筋も通るな、、晴れてたのもな、、
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読むのが楽しくてすぐ読み終わってしまった。
早織から見た怪物は大事な息子に暴言、暴力を振るう担任の保利や心のこもっていない謝罪をし続ける校長、先生達。
なんでこんな教師達が存在するのかとイライラしながら読んだ。
保利の怪物は全く話を聞いてくれず謝罪することだけを強要してくる校長と同僚、覚えのない暴言暴力を訴えてくる教え子の湊や依里、モンスターペアレントの湊の母親。
何もしていない。むしろいじめがあるならどうにかしたいと思っていた良い先生なのに、生徒いじめをしていた教師というレッテルを貼られ教論人生終了。
彼女にも捨てられ、どうにかならないのか。どうすれば誤解を解けるか。1人でも保里の味方してくれる人はいなかったのか。
依里は父親からの虐待や依里の恋愛対象が同性なことを知っている父親が「豚の脳」と言うことで自分が怪物だと思い込む。依里に対して恋愛感情を持った湊は"男"という道から外れたことから自分も怪物なんだと思うように。
LGBTQ、否定はしないが理解はそこまでできていないのでここは難しかった。
周りの人なんか気にせずに、隠さずに生きていける。こういうのが当たり前な社会だったら誰も怪物にならずに済んだんだろうな。
2023.06.23〜06.24
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こんな言い方しちゃいかんとは思うけど、思ってた以上に真剣にBLやっててびっくりした…。
小学生の子がもう性自任してるか否かはちょい分からんが、こりゃあ凄い…。
人間の悲哀というか、社会の理不尽さとか不毛さとか、感情の制御だとか…難しいね…。
これを是枝監督のあのドライなカメラで撮ったのか…どうなってるんだろうな…。
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映画のノベライズ本。
映画を観た後に、あまり映画では理解しきれなかったところが多く、早速買ってその日に読了。
何故クレーム受けている時に飴を舐めたのか。
ここが一番腑に落ちてなるほどね、と面白かった!
映画を観た方は是非この本も併せて読んで欲しい!
そして、確実に私は映画→本の順番でお勧めします!
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3日間で一気読みするほどハマった
3つの人物の視点から語られる同じ物語。
起きていることは同じなはずなのに、それぞれの感じ方や個性によって全く捉え方が違う
子供視点は新鮮で偏見のない反面、感情によって行動しちゃったり、とてもスピード感があって面白かった
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きっといつか映像作品はみるだろうけど物語、結末・真相は気になるので
本を手に取る
登場人物の心理は演技ではなく明確に文字で示してくれるはずなので
そして風景は映像で示されるより想像の中でということで読む
活字ではいかんともしがたいのが音楽
きっといつか映像作品を観るだろう