自分を起点に生活する時間間隔
2023/11/18 18:08
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分のようなエッセンシャルワーカーには、うらやましく思える話だった。他人が起点、他人がベンチマークとなる「他人時間」の生き方と、自分起点で過ごす「じぶん時間」という考え方がある。また、外的要因による変化をチェンジ、内的要因による変化をトランジションと呼ぶ。コロナ禍は外部からの変化をもたらした。それにより内的変容、トランジションを強制的に生み出す作用があったのではないか。時間の過ごし方の体感は、「いる場所」に影響を受ける。ナレッジワーカーにとって住む街を選ぶポイントは、住み心地の良い街かどうかと同時に、スイッチの切り替えができる場所が複数あるか。リモートワークがベースになると、自分の知的負荷を減らせる自然環境の良い地方移住が選択肢となる。大事なのは、誰かに言われてやっている他人起点の仕事をできるだけ減らして、自分の「好き」や「やりたい」を起点に自分の仕事時間を設計していくこと。都市から地方への移住は、どこでも働けるデジタルノマド化できる職種と、価値を創造できるクリエイティブクラスになろうとする人には有利だ。そうではない人は、役に立って生きることと、好きで生きることのバランスをとることが大切だ。そしてコロナ禍以後、生産性や、経済的成功そのものはより良い幸せをもたらさないのではないか?という内省が生まれ始めている。
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蔦屋書店で流し読み〜
私がコロナ禍で体験したのはこれだったんだろうなぁと思えた。
他人時間からじぶん時間へ。
自分自身の感覚が変わっていった、それはチェンジじゃなくてトランジション。
今でも、私は何がやりたいんだろう?
世間のこととか、SNSとかいろいろあるけど自分の声を必死に聞こうとしてる、
でもなかなか出てこなかったりする。
今まで、ヒトとの関わりの中で刺激受けながら、流されながら、受動的に時間を過ごすことに慣れすぎて、?
私自身がやりたいこと、をみつけるのすごく難しいよなぁとおもう。
みんなそうなんだろうなぁと、改めておもった。
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仕事はもちろんのこと住まい、趣味、コミュニティ、家族など全部含まれています。
コロナ禍が我々にもたらしたものは何で、
マスクを外すようになったいま、そしてこれから
我々はどう生きるのか。
コロナ禍前のように忙しさの波にのまれ
時間を消費するような時計時間で生きるのか。
それとも時間を自分の手に取り戻し時間を味わいいまここを生きるのか。
つまり「他人時間」で生きるのか
それとも「自分時間」で生きていくのか。
本では著者の軽井沢移住に関することにも触れてあります。
都会を離れることのメリットそしてデメリット。
移住後は時間感覚が変化したそうです。
この感覚、実家の富山に帰省した際に感じることです。
新幹線を降りると少しリセットされた気持ちになります。
そして海を見るとまたリセットが進み、自宅に帰ったら時間の流れ方が変わっていることに気づきます。
身体的な時間の変化を感じる、ということかもしれません。
人それぞれ事情があります。
時と場合によっても違うかもしれません。
どうしても都会に住まなくてはならない事情がある人もいるし
そうでない人もいる。
じぶん時間で生きられるときもあればどうしても他人時間で生きなくてはならない時もある。
ただ自分に決定権があればある程度は納得できるのかもしれません。
「○年はこの状況で仕方ないけど、将来はこうしたい」でもよいかもしれません。
そこに自己決定権があれば少しはよいのかもしれません。
N=1。
ORではなくAND。
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自分の人生や生活に疑問を感じ、変えたいと思ったことはないだろうか。そのような内的変化を大事にしよう。
自分のビジョンを実現する上でのあれこれが書かれていて、拾い読みで色々と参考にさせて頂きました。今まで当たり前だった価値観がコロナ禍で一気に崩れて、新しい価値観が定着していく。ほぼ強制的な時代の変化に追いつけるように考え方だけでなく行動面で脱皮したいなと思いました。
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【よき問いと大きな違和感を与えてくれた】
今まさに自分がトランジションのタイミングにいる自覚がある。そういう意味でも手に取るタイミングは良かったと思う。
何をしている時に「豊かだ」と感じるか
1番最初に問われるこの問いが最後まで残った。
なぜなら幸せだけど、楽しいけど、嬉しいけど、満たされてるけど、豊かじゃないことってたくさんある感じるから。
この違いは大きい。猫を撫でてると満たされるし、幸せだけど、豊かか?と言われるとちょっと違う。
漫画読んだりゲームやったりすると楽しいしワクワクするけど、豊かから程遠い。
だからこそ改めて「豊かさ」を問われると止まってしまう自分に気づいた。
ここは今後も残して探求すべきこと。
逆にどうも納得いかないというか違和感を感じる箇所も多々あった。とくに後半。
多分それは著者が「(一般的に)仕事は辛いもの」という前提で、そこからの脱却、という視点があるように読めるから。
あとは、移住でのよさを推しすぎて逆に冷めるというか。
自分の体験を書いているのだし、そこからの気づきのシェアなのだから仕方がないとはいえ、どうもくすぐったい。
例えば農業と料理。
家庭菜園で土に触る体験や日に日に農作物が手間かけただけ成長していくのは確かに素敵体験だ。
実家が趣味の範囲を少しだけ越えたくらいの農業をやってる(定年退職後の趣味ではあるが、ちょっと引くくらい本格的)のでそこはわかる。
でも「農は循環に入るチケット」というのはどうなんだろう。主と従が逆の発想ならわかるけど。
言い方を選ばずにいうなら夢見すぎ。料理も農業も舐めんな、と思ってしまったガチ勢だから反射的に批判的な思考が出たとも思うけど。
またコミュニティについても「ギブアンドテイクの結果として生まれ発展していく」はすごい違和感ある。
ただ、ここに関してはうまく言葉にするのが難しい。頭出しをしてみると「ギブアンドテイク」な時点で上下関係的な感覚がある。そのような環境で心地よいコミュニティって本当につくれるのかな?というところかもしれない。
少し前にwell-beingを推進している島田由香さんが「これからの時代はギブアンドテイクではなく、シェアレシーブの時代だ」といっていた。この言葉に出会ったときすごいすとんと腹落ちしたのを思い出す。
私にとってコミュニティは「ギブアンドテイク」ではなく「シェアアンドレシーブ」でありたい。だからこその違和感がすごい感じる気がする。
【最後まとめ】
もうちょい書きたいことがあるような気がするけどひとまず推敲せず一気に書くのはここまで。
最初はすごく期待して読み進めていたけど、途中からどうしても違和感が残っていく本であったのは否めない。とはいえ、最後にはまた「豊かさ」の問いに戻ってきていると私には感じられたし、結局はそこを自分なりの身体感覚と言葉を持っていけるかどうかが肝な気がする。
読みやすいDTPもちょうどいいのではないかな。ただ現代版モモを語るのは違うんじゃないかなー(ここもすごい違和感)
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これまでモヤモヤしていたものの正体が分かった気がして、すとんと腑に落ちる本だった。自分が思った以上に疲れていたことに気づいて涙が出た。
読んでいるうちに自然と内省をリードしてくれるような心地よさがある。余韻が残る本。
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日々仕事に追われている人へ
不思議と時間の流れを変えてくれるような本。自分が本当に大切にしたいものは何か考える時間を与えてくれる。ふとした時に手に取りたいと思える本でした。
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コロナ禍で誰もが経験したグレートリセット。著者のように居住地を変えないまでも、なにかしらのトランジションを実行した人は少なくないだろう。
また、筆者が指摘するように、強制的に外界とシャットアウトされる中で自分自身と向き合い「じぶん時間」と触れた人も多いだろう。
前半は「じぶん時間」に端を発し、自分自身に内在するビジョンを探索するという内容で、佐宗さんらしい示唆に富んだものだ。
しかし後半は郊外への移住体験記といった趣が強く、「じぶん時間」をいかにつくりどう活かすかというより、都市部がいかにせわしなく、地方部がいかに豊かか、という話に終始していると感じた。
きっとそれほど移住がインパクトのある体験だったのだろう、ただ「じぶん時間」を生きる、と題するのであれば移住以外の視点も欲しかった。
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本の中では移住について多く触れられているが、私が共感したのは、著者に起きた「今ここに生きる」感覚変化。まずはベースにある幸せに気づくことが大切で、すべてゼロベースで考えたときはじめて自分にとって大事な物事の優先順位がわかる&整えられるのだなと感じる。
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『「生産性が上がれば余白の時間が増えて、豊かな人生が送れるはずだ」という前提がある。生産性を上げることで生まれた時間は、より有効な何かに配分されるはず、ではないのか。 しかし、実際に僕の人生に起こっていったことは、時間を効率的に使おうとすればするほど、結果的に仕事が増えていったことだった。生産性を上げて、時間を貯めようとしているのに、それに注力するほど「時間がなくなっていく」という矛盾。』
『実は、都会で働く人にとって「レジャー」とは、ただの休暇ではない。 「仕事のための余暇」を意味する。 あくまでも仕事を頑張るために、レジャーに出かけて英気を養うという感覚なのだ。 東京に住んでいたときに温泉に行っていたのは、突き詰めていうと仕事のパフォーマンスを上げることが目的だった。趣味も同じだ。筋トレやランニングを趣味としている人も、どこか仕事のパフォーマンスを上げるためにやっている節がある。移住してからは、それまで中心を占めていた仕事の存在が、新しい生活では「ワン・オブ・ゼム」になったのだ。仕事のパフォーマンスを上げるための手段に過ぎなかった、趣味や旅行・余暇が、「そのほかの活動」ではなく、仕事と同じかそれ以上に位置付けられる。生活のポートフォリオが変わった感覚があるのだ。』
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アフターコロナの自分時間との向き合い方について、著者が新しいライフスタイルに変えた後に感じた世界観を語っている。それ自体に何か新しい示唆があるわけではなかったのは、私自身も地方都市に移って感じていたことが多かったからだろうか。フルリモートで問題ない仕事であれば都内住むメリットが相対的に少なくなっているのは間違いない。
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佐宗さんの時間に関する本。
自分時間の一端ではあるが多分に移住関連の話も含んだ本
メモ
・他人時間からじぶん時間へ
・外出自粛期間に行われた普段行わない行動
何かを生み出す
自己を表現する
家族や近所とつながる
自然と親しむ
・人生の転機には三つの段階がある
終わらせる時期 惰性で続けている生活や習慣
ニュートラルな段階
次のステージを始める段階
・方向は決めずに動きまくる
・不安を飼い慣らす三つの方法
自分の感情をジャーナリングする
誰かに聞いてもらう
不安の正体と正面から向き合う 人は不安に対してアクションすると不安をコントロールできるやうになる
・人生を変えるには会う人を変えることがひとつのきっかけに
・東洋思想 陰が極まると陽が生まれてくるという
・doではなくbeの肩書き。どうあると自分らしいか
・食べるはメディア
・地域コミュニティに属する時は、そこから何を得るか以上に、いかに参画するかという意識が大切
・移住がうまくいく二つのパターン
コミュニティのハブとなる人と繋がること
最初からコミュニティに所属すること
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自分の開放の仕方、自分の人生への向き合い方を噛み砕き、実践可能となるよう諭してくださる様な本
自身の棚卸しにモヤモヤしている方にオススメ
通勤時間はスマホで執筆活動や読書タイムなので全く無駄な時間とは現状、感じていない
定年退職後、子育てが落ち着いたら軽井沢への地方移住とか良いかも!と、夫に提案してみました
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他人の時間を過ごすのではなく、
じぶん時間を生きる。
コロナ禍による変化で、
今後も変えるべきではないことは、何か。
コロナ禍で、地方に移ったことで見えたことがまとめられている。
自分自身も、コロナを機に東京から出た。
リモートも継続している。
お酒をやめ、朝早起きするようにした。
結果、家族との時間が増えた。
仕事の質が上がった(ように思う)。
犬の散歩友達ができた(普段接しない人たち)
この変化は、新しいスタイルとして定着した。
もう戻すつもりはない
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じぶん時間を生きる TRANSITION
英語では、2 種類の「変化」があると言われている。
外的要因による変化を「チェンジ」という。それに対して、もうひとつの変化がある。それが、内的要因による変化「トランジション」である。
今・ここに流れている「時間をどう感じたいか」という意思を持つことから、変化は始まるのではないか。大事なのは、時間を「効率的に」使うかではない。自分が過ごしている時間を、「自分を主語に」今を感じて豊かに過ごせるか。「他人に支配された時間で生きる世界」から、「自分の時間を生きる世界」への転換ではないか。
これまで何の疑問も抱かず取り組んでいた仕事が手につかなくなったことも、自分が本当に住みたい場所を探し始めたことも、子どもの未来や家族のライフスタイルについて真剣に悩むのも、「他人と比跋して生きる人生」から、「自分の尺度で生きる人生」へのトランジションが起きている証拠だ。
1章 グレートリセット 生まれた4つの「内省」
グレートリセットが起こった結果、訪れたのは長い内省の時間、つまり自分と向き合う時間だった。日本の社会で(おそらく)初めて、等身大の自分で、やりたいことに正直に生きること、< 自分モード> で過ごすことが、当たり前になった瞬間だったのではないか。
安宅和人さんはこう予測する コロナ前の世界が都市化、すなわち「密閉かける 密」というトレンドだとすれば、ウィズコロナの世界は、地方を含む「開放 」かける「疎」の方向に舵を切るだろうと。彼はこれを「開疎化」と名づけている。
コロナ禍をきっかけに、人々(特にビジネスパーソン)は今までやらなかった様々な行動をとった。それを分類すると以下のようになる。
①何かを生み出す
②自己を表現する
③家族や近听とつながる
④自然と親しむ
社会学の泰斗、見田宗介先生は、社会が成熟化すると、人は特別ではない日常の楽しみを求めるようになると主張した。そこで大事になる営みは、人とつながること、自然と触れ合うこと、文化をつくることだと喝破している。
作家の村上春樹さんは、毎朝4時に起床し、小説を書き始め、4 〜5時間、ひたすらパソコンに向かうという。その後、ジョギングや水泳など必ず1時間程度の運動をして、昼すぎからは本を読んだり、 音楽を聴いたり、レコードを買いに行ったり、料理をしたり、自由に時間を過ごす。
週5 日、1日8 時間以上働くビジネスパーソンの多くは、「仕事イコールアイデンティティ」という「一本足打法」で打席に立っている状態である。だから、本当の意味で生産性が向
上し、労働時間が少なくなったとき、大きな不安に襲われる。社会とのつながりを失うとすら感じるかもしれない。
2章 トランジション 新しい自分に出会う
『変化から意味を見出す唯一の方法は、変化に飛び込み、行動し、(そのダンスに)参加することなのです』
アラン・ワッツ
人生における転機には3 つの段階があるという。第1 段階は「終わらせる時期」だ。第2 段階は「ニュートラルな段階(ニュートラルゾーン)」。最後の第3 段���が「次のステージを始める段階(再生期)」。
トランジションのタイミングだと感じたら、勇気を出して終わらせたり、手放して、やめてみたりすることが大切になる。それが仕事なのか、都会での生活なのかは人それぞれだが、何かを終わらせることで新しい余白は生まれ、人生が変わっていくだろう。
ワーカホリックとは「自分は役に立つ存在でありたい。そうでなければならない」という不安からくるものなのだ。
依存症のもうひとつの特徴は、「私は状況をコントロールできている」と思い込んでしまっていることだ
何かをやめると、「自分は何者でもない」という、ふわふわした時期を過ごすことになる。これを「ニュートラルゾーン」と呼ぶ。何かをやめて生まれた空白の時期。終わらせることで、新しいものが入ってくるのを待つ時期だ。
何者でもない不安や恐れへの対処の仕方はいくつかある。
1 自分の感情をジャーナリングする
2 誰かに聞いてもらう
3 不安の正体と正面から向き合う
まずは方向を決めずに動いてみることが大事だ。自分が持つ無意識の果たさなければいけない役割を手放し、自分のメンタルブロックを取っ払って考えてみると、これまでとは異なる景色が見えるかもしれない。
ニュートラルゾーンにいる時期には、あえて、新しいコミユニティとつながりをもつことが重要だと言えるだろう。今までの慣れ親しんだコミュニティとは違う人の輪へ、あえて飛び込んでみてはどうだろうか。
マインドフルネスというアプローチがあるが、これも課題を課題として見ないという、仏教の考え方を基にしている。「課題があろうがなかろうが、それを感じつつやりすごせばいい」という考えだ。
キリスト教などの一神教は、大まかにいうならば「人間にはもともと罪があり、罪を解消するために頑張る」という考え方だ。人間には課題があるという前提から始めるイシュー・ドリブンで、近代科学の源流にもなった考え方だ。
仏教の考え方はこれとは異なり、ありのままに生きていくものといえる。課題はあってもいい、ただやり過ごしていけばいい、という考え方。そして、不完全な自分を受け入れ、囚われから逃れるといった常に環境に適応し続けていくスタンスだ。
東洋思想では、陰が極まると陽が生まれてくるという。明るい世界にいると、そこで価値のあるものが明確になりすぎる。どうしても相対的に価値の低いものに意識が向かなくなり、優先順位が下がりがちだ。すると、本来ワクワクするかもしれないことも、明るい世界の中では視界に入ってこない。
一方で、ニュートラルゾーンに入ると、それまで見えていなかった「自分にとって価値のあるもの」が、視界に浮かび上がってくる。ニュートラルゾ—ンの時期に現れる、この何かを生み出すリソースとなりうる余白は、「ビジョンのアトリエ」として呼ばれている。
ビジョンづくりは決して楽なプロセスではない。ここでは、多くの人が直面する典型的な壁を5 つ挙げておこう。
ひとつ目の壁は、そもそも考える時間を確保できないという課題。
2つ目は、現実思考の課題。
3つ目が、ビジョンを具体化できない課題。
4つ目は、独自性の課題
最後は、人にわかりやすく伝えられないという課題だ。
キャリアをつくる最初は、強みであるグッドアットを特定して、世の中のニーズとマッチングさせていく。そのことで、経験を増やしたり人脈を増やしていき、リソースを増やしていくことが有効だ。ある程度、生計を立てていくことは必須だろう。
そして、ビジョンを大事にしたキャリアづくりの上では、ラブを起点にスタ—卜する。
キャリア論では、キャリア・トランジションという考え方がある。大きなキャリアチェンジはいきなり変化するのではなく、移行先の新しいキャリアを少しずつ生活の一部に取り入れていき、その割合を広げていくことでスムーズにいくといわれている。
3章 新世界 24時間のポートフォリオを書き換える
『人の目なんか気にしないで、思うとおりに暮らしていればいいのさ』
スナフキン
大前研一さんの言葉に、このような言葉がある。
「人間が変わる方法は三つしかない。ひとつは時間配分を変える、二番目は住む場所を変える、三番目は付き合う人を変える、この三つの要素でしか人間は変わらない。もっとも無意味なのは、『決意を新たにする』ことだ。かつて決意して何か変わっただろうか。行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない」
僕は1 日を3 ブロックくらいに分けて、それぞれで違ったモードで仕事をする。誰かと話したりメールやスラックのメッセージを返す「対面モード」。調べ物をしたり、資料づくりをする「作業モード」。そして、文章を書く「執筆モード」。1 日がひとつの仕事に終始することはほぼないため、3 つのモードをいかに切り替えるかというのが重要になる。そこでやっているのは、自宅書斎、コワーキングスペース、カフェという3 つの場を使い分けるということだ。
仕事の性質上、複数のプロジェクトを同時進行させていることもあり、複数の仕事場を切り替えられる環境があるかどうかが自分にとって仕事が捗るかどうかに大きく影響することがわかった。
都会で働く人にとって「レジャー」とは、ただの休暇ではない。「仕事のための余暇」を意味する。
あくまでも仕事を頑張るために、レジャーに出かけて英気を養うという感覚なのだ。
東京に住んでいたときに温泉に行っていたのは、突き詰めていうと仕事のパフォーマンスを上げることが目的だった。趣味も同じだ。筋トレやラン二ングを趣味としている人も、どこか仕事のパフォーマンスを上げるためにやっている節がある。
トランジション後の「じぶん時間」を生きる暮らしでは、仕事のパフォーマンスを上げるための「休暇」という「仕事一本足打法」の発想ではなく、「休暇」を仕事、趣味、家族、旅などすべてが人生の時間を形成する要素としてフラットに考えるようになる。いわゆるホールネス(全体性) という概念だ。
このような世界では、「やりたいこと格差」が生まれる。やりたいことが明確にある人はどんどん自分で学び、アウトプットを発信する。アウトプットがさらに人を集める好循環につながる。一方でやりたいことがない人は、 日々何も起こらない。
山極器一氏は、人間��社会は「移動する自由、集まる自由、対話する自由」によって成り立ってきたという。そのうちの、「集まり、対話する」とは、「人と関わること」だ人間にとって「人とかかわること」が、 幸福や生きがいを左右する大きなできごとなのは動物的本能のようなものかもしれない。
移住の先輩の不動産屋さんに、こんなアドバイスをされたことがある。
「東京の時間をもちこまないほうがいい。東京と軽井沢では流れる時間の速さが違う。軽井沢では時間をかけて物事が自然に整っていくようなところがあるから、東京の時間感覚を捨てたほうがこっちでは過ごしやすい」
僕の経験からいっても、教育のどこかのタイミングで競争をする経験は必要であり、そこで勝つには自分のやりたいことや強みに基づいた自信を育てたうえで競争に参戦することが必要になる。そして競争を戦い抜き、地力がついたら、今度は自分でやりたいことを見つけて実現する。このように、基本的には2つの世界を往復することが必要不可欠で、どのタイミングでどちらの世界を選ぶかということも重要だ。
4章 「じぶん時間」を取り戻す
『時間とは、生きることそのもの。人のいのちは心を住みかとしている』
モモ
「東京はとにかくスピードが速い街だ。その理由は、便利だからだと思う。ヨーロッパに移住することで、不便になったけど、それだけ多くの予定を入れられない分、時間をゆったりと過ごすことができるようになった」
「他人」という存在が目に入りにくく、競争の感覚が薄くなるということだ。他人からのプレッシャーを受け、時間に追い立てられて過ごしていく感覚も減っていく。一方で、ちょっとした自然の変化に畋感になり、毎日を自分のペースで過ごすようになる。自分の身に起こったトランジション、それは、「時間感覚の変化」だったのだ。
他人のペースに合わせて過ごす「他人時間で生きる時間」よりも、自分の身体が感じるペ—スで今・ここの瞬間を楽しむ、「じぶん時間を生きる時間」に、より渇望が強まっている動きなのではないかと思う。
仕事の場が、職場からオンラインに移行すると価値基準が「外の規範」から「内の価値観」に向いてくる。
自分がやりたいと思えない他人事の案件は、なかなか進まない。一方で、自分がやりたいプロジェクトはどんどん進む。進拔を左右するものが、場の「空気」から、個人の「内発的なモチベーション」に移行してしまっているのだ。これは、テレワークにより、場所のくびきが外れてしまった現在の日本における、不可逆的な変化だといえる。
極端なことをいえば、テレワ—ク時代は「会社にいくかどうか」を自分で決めるのが、当たり前になりつつある。他者から決められた「ルーティン」がない。出社するかどうかの意思決定を自分の軸で行う。「じぶん時間」は、自分の意思で増やすことができる。それが今の時代なのだ。
ギリシャ時代に遡ると、時間とは2種類あるとされていた。時計によって刻々と動いていく定量的で数えられる時間である「クロノス時間」と、身体で感じる主観的な時間「カイロス時間」だ。クロノスとは、現在を中心にして、過去から未来へと直線的に流れていく時の流れのことをいう。それに対して、現在という瞬間、つまり「今・ここ」に意識を向けた時間意識をカイロスという。
暝想に代表されるマインドフルネスは、未来のことを考えずに、「今・ここ」に意識を向ける。世の中には様々なマインドフルネスの方法があるが、その共通点は、呼吸に意識を向けるものであることが多い。この理由は、身体が感じている「今・ここ」に意識を向けるようにするためだ。これは、カイロス時間への切り替えをするためのひとつの方法だろう。
暝想のようなアプロ — チをとらなくても、日常の中でカイロス時間に入ってしまうこともある。フロー状態という言葉があるが、没頭して絵を描いたり、何かをつくっている時間というのはあっという間に過ぎてしまう。これは身体が感じている内的な時間の知覚によるものだ。そして、重要なのは、カイロス時間というのは、幸せを感じる時間の使い方だということだ。
時間感竟の研究で有名な社会心理学者ロバート・レヴィンは、「クロックタイム」と「イベントタイム」という考え方を提唱した。
クロックタイムは、アメリカ、ドイツや日本に多い時間のとらえ方で、「朝8 時に起床しよう」「昼食は12時」など時計の表示にしたがって生活を組み立てていく考え方だ。
それに対して、「イベントタイム」とは、南米や東南アジアに見られる時間の過ごし方で、その時々に起こる出来事に対応する形で時間を過ごすという。「お腹が空いたからご飯を食べる」「目的が終わったので会議を終える」というような時間の過ごし方だ。
日々が繰り返しの中で過ぎていく中で、未来から逆算して今の時間を過ごすのではなくむしろ今この瞬間に生きている感覚に意識を向ける。自分自身の昨日との変化や進拔に意識を向ける。季節のちよつとした変化に目を向ける。未来のことを考えずに、今・ここを味わう時間感覚。派手じゃないかもしれないが、むしろ微細な違いを感じ、愛で楽しむような時間の感覚が、大きく成長しない時代をより豊かに過ごす心持ちなのではないか。そしてこれこそが、持続可能社会へのトランジションに生きる僕ら一人ひとりが、意識して生み出すことのできる「トランジション」なのではないか。
見田宗介氏は、戦争と革命の世紀であった20世紀の反省から、21世紀に持っておくべき考え方として3 つの考え方があると提示している。ひとつ目は「ポジティブ」、2 つ目は「多様性」、そして3 つ目は「コンサーマトリ一」という概念だという。
特に重要なのは3 つ目のコンサーマトリーだ。これは「現在を楽しむ」という意味で、今行っていることを、未来の目的やゴールに対する「手段」とするのではなく「行為」そのものとして楽しむ姿勢のことだ。20世紀においては手段主義という考え方が優勢で、未来にある目的のために現在生きている生を手段化するとされていた。「コンサーマトリー」はこのことと対比されて語られている。
僕らは、無意識に未来の目的のために、「今が効率的な時間の使い方かどうか? 」という思考を持ってしまう。見田先生日く、それは20 世紀に優勢だった価値観の遺物なのだ。コンサ— マトリーという考え方は、未来の目的を考えずに「今・ここ」を楽しむことの蓄積の中で、結果的に未��が生まれるという考え方だ。この考え方と出会ったとき、これは紛れもなく「じぶん時間を生きる」ということではないかと思った
今の時代にじぶん時間を有効に使うためにできることを考えてみよう。
1 スマホ・PCの通知をすべて切る
2 ゆっくり深呼吸をして、周囲の景色を見つめる
3 ボディスキャニング
4 ビジョン瞑想
5 時計から離れる時間を決める
6 ゆっくり歩いて散歩に行く
7 自然の変化に意識を向ける
『モモ』の一節にこんな言葉が出てくる。
「人間には時間を感じとるために心というものがある」
僕たちは常に時計の時間で、 一人ひとり決まった1 日24時間を生きている。しかしその時間をどのように感じとるかは僕たちの心が決められることなのだ。
今「チャットジーピーティ」が大きな話題を集めているAIが圧倒的な量の情報を記録し、整理してしまう時代に、シンプルな思考はAIにとって代わられるであろう。
ホワイトカラーにおいての生産性という目線では、単純な推論では圧倒的すぎて、人間が生産性をちよつと高めることに意味を感じないほどだ。
そんな時代に、ものすごいスピードで変化する社会に無理についていこうとすることが、果たして幸せなのだろうか?
この時代に 人間が鍛えるべき能力は何か。それは、 自分の心身で感じ、 自分の好きに忠実に遊び やりたいことをイメージして、そのワクワクすることをやろう.と自己決定する力ではないかと思う。
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良書!
私は転職考えた時期に読んだ!
いまの働き方について悩んだり、いまの自分に満足してない人が読んだら未来のキャンパスを描くひとつの生き方参考書にできると思う。
ぜひ会社のコーポレの方も読んでいただいて今後の会社が皆健康で働けるようにこういったものを勉強して社内の福利厚生やシステムとして取り入れれる工夫をしていってほしい。
そういう企業が増えていくと日本も変わる。
コロナを通じて働き方も変化あったし、
人の付き合い方も変化あった。
生産性を重要視しすぎるとストレスたまるので
余白が大事。
時間配分、住む場所、付き合う人を変えるは
転職や副業、趣味やコミュニティ所属など自分が遣らされているかんではなく、やりたいという自己決定軸が大切であることなるほどと思った!
- 難易度と自分のスキルのバランスとれた仕事だとフロー状態なりやすい、簡単すぎたらつまらないし、スキルがないのに難易度高いとストレスなる
究極にいい人いわゆるイエスマンだと雪だるま式にタスク増える、本当に自分がやりたい仕事に優先順位つけて、これをやりたいという発信が大事
未来を考えずいまここを味わう時間感覚大事にする
未来の目的のために現在をいきている生を手段化してしまう
現在を楽しむ積み重ねが未来豊かになる
とにかくいまを楽しむ工夫が大事で、生産性ばっかり重視しないで、余白の時間作って創造性も豊かにする
できれば社外のコミュニティにも参加して、コミュニティを広げておくことが大事なんだわかった。
つい仕事に集中すると生産性の鬼になっちゃうので
寝る前のボディスキャンや、セルフリーディング、サウナや瞑想など意識して取り入れていきたいと思う!
AIと友達になる。
そしてなるだけいまを楽しみ味わいます!