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戦場のメリークリスマスをピアノの発表会で演奏したことがあり、坂本龍一さんのことは小学生の頃から知っていた。しかし、坂本さんの本当の素晴らしさや魅力をこの本を読んで更に実感した。
坂本さんはピアニストという枠に収まらず、震災や戦争、環境問題など政治経済的な課題にも積極的に触れ、自ら活動を起こしたり既存の活動を支援していることを初めて知った。ニュースの部分的な切り取りではなく、坂本さんがどのように考え、どんな経緯でこのような活動に参加したのか。そして、その活動や発言の後、何を考えたのか。そこまで深掘りされていたため大変興味深い内容になっていた。
近親の人にも初めは報告をしなかったというガンの発見、そして闘病生活。自身の死が近いことを感じ、坂本さんという偉大な日本人がこのように手記を残してくださったことは大変光栄なことだ。
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坂本龍一という人が晩年何を考え生きてきたのか、その断片に触れられる本。膨大な読書量、世界を股にかける交友関係。何にも囚われずシンプルに自由に生きているようで、繊細さや危うさも垣間見える…好きなものに常に真心で向き合おうとした実直さも感じて、だからこそきっと彼は真のアーティストだったのだなあと思った。
死の足音は怖かっただろうけれども、最期まできっと彼は自由に生きたのだ。
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(20221224)SUGA piece done.(271頁)BTSSUGAはSnoozeの音源をクリスマスプレゼントされたと知りました。うれしかったに違いない。SUGAはラストエンペラーで音楽に関心を持ったと書いてあり、いつかSUGAの映画音楽を聴いてみたいです。音楽を通して世界にメッセージを発信することに集中できた立場だったと思うものの、人を巻き込んで行動することを平行していたパワーに圧倒されました。庭に置いた野ざらしピアノが朽ちて本来の木に戻る様子を観察しつつ、ずっと残るものは、やはり音楽であることは分かっていたので、最期まで音楽を生み出し続けた姿勢に感服しました。
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教授、、、ずっと敬愛しています。
最後まで音楽を人間を探求し続けていたんですね。
もっともっと生きて私の指針になっていて欲しかったです、、、
でも大貫妙子さんとのことは知りたくなかったなぁ。彼女の曲の歌詞が全部教授の事を歌ってるように思える、、、
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「YMO」を初めてテレビで見たときは、衝撃的だった。
CMソングの「君に、胸キュン。」はむすっとした顔の首振りダンス?
「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」などの、
映画音楽でしか、知識があまりなかった。
ニューヨークでの911を体験して、
東日本大震災で、チャリティーコンサートや、
被災地の子供達への音楽活動支援。
吉永小百合さんとの、平和への活動、
森林保全の「more trees」の設立。
「自分に有名性があるなら、むしろそれを積極的に利用したほうがいい。」
海外で活動しているからこそ、日本の閉鎖的な考えから脱して、たくさんの世界的リーダーたちと支援活動が可能になったと思う。
この本を通して、改めて、坂本龍一さんの偉大さを知った。
癌との闘病をつづけながら、最後の最後まで音楽と人と関わったすごい方。
「芸術は永く、人生は短し」
最後の言葉が、ジンと胸に響いた。
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昨年亡くなった坂本龍一、最後のエッセイ集。
死を意識するなかで何を表現するかを思考する姿勢に、また、音楽活動だけでなく、政治、社会への発言や活動する行動に感銘を受ける。 N
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昨年の3月に71歳で亡くなった坂本龍一氏(以下、「教授」とする)が、闘病中の2022年2月から10月にかけて、編集者の鈴木正文氏を相手に2009年以降の歩みを口述した本書。YMOで一世を風靡しながら、奇しくも高橋幸宏氏に続いて教授までもが逝ってしまうとは。教授の人生観や音楽に対する姿勢などが盛りだくさんに記されており、あっという間にページが進んだ。「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」という書題も心惹かれる。それにしても最近ミュージシャンの訃報が続いているのは寂しい限りである。
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前作「音楽は自由にする」に続く、死去までの自伝といえる作品。病に苦しみ、死を目前にしながらも、最後まで音楽、アートに向かう姿に驚かされる。医師に余命を宣告されても、どこかで奇跡を信じていたと感じられる。もっと生きて、坂本龍一として、作品を作り続けていきたいと思っていたことがわかる。
年譜を見ると、特に後半生、その作品数の多さ、また海外での評価等、大きなものであったことがわかる。もっと作品を聴きたかった。
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教授、と高橋幸宏氏に揶揄されるだけの知識人だ。
読書を愛し、知識人との会話を楽しむ。
そして音に対する飽くなき探究心、思うままに音楽活動をし、社会貢献し、日本、世界の未来を危惧する。世界を旅して各地に友人がいる、素晴らしい人だというのは独特な文章からも、話す内容からも熟考される方なのもよくわかった。
ただ、読みにくい…
坂本龍一を知ろう、と思い手に取った、ど素人には知らないことだらけだった。
亡くなった後、家族が人の3倍生きたよね、と。
享年71歳、210年は生きたそうだ…
世界で活躍された方だが、日本人として誇るべき大切な人を亡くしたんだな、と改めて思う…
バベルの監督、ベルナルド・ベルトルッチ、大島渚を師と。
大貫妙子との思い出
NY の和食レストラン、Kajitsu の室内音楽を勝手に変更
オーロラ、太陽から飛んできた粒子の「風」が、地球の大気にぶつかることで生じる現象
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2023年3月に亡くなった音楽家の生涯は本職の活動の枠を超えて様々な活動に携わる。そこには社会問題や次世代への憂慮も内包されていて、日常からの不安を打破したい苦悶が伝わってくる。本書は既に出版された「音楽は自由にする」以降の日々が記されている。転移するガンとの関わり、スタイルにとらわれない音楽表現の推移、そして飽きることなき読書体験、教授の本心に少しでも触れることで私たちは何を考えていくべきか、それぞれが行動に移す機会を与えてくれる。まさか。
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坂本龍一さんが音楽に何を載せようと奮起したのか、そして人生を通して音楽から何を学んだか。
その断片をこの本から読み取れた気がする。
あくまで断片でしかないが。
自分の死を感じた人が世の中に何か残してやろうと奮起することに強く心を打たれた。
歳を取ると自分が成長できる天井みたいなものが見えてきて、、
自分の場合はそこでこう思うんだと思う。
成長することこそが自分の生きがいだったのに、それができなくなった今、命を繋ぐ理由が見当たらない。
歳をとっていく過程で自分の外側に自分を評価してくれる人がいないと、いつかそういった自殺衝動みたいなものに駆られてしまう気がしてならない。
坂本龍一さんからはそんな弱気な感情が一切感じられなかった。最後の最後まで創作活動に励み、そして自分の技術がどこかで人の役に立つのではないかと最後まで模索し、その模索を形にしていた。
自分という存在を自分の中でも、そして他人の中でもここまで上げてあげられる人もそういないと思う。
自分もいつか、病床の上でそう考えたい。
自分の創作物を必要としている人がいる。
自分のできることがまだある。
死を手前にしてもなお、自分に活動をやめる理由は見当たらない。
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YMOは好きで良く聴いたりソロも各々聴いたりしてたんだけど、個人としてどういう人なのかはたまに見るネットニュースみたいなのでしか知らず(あと年末のコントぐらい笑)初めて坂本さんを少し知ったな、という気持ち。本当に賢い人は柔らかい頭を持ってる人なのではないかな、と思った。個人的にイニャリトゥの映画が好きなので、エピソードが面白かった。し、大変だっただろうな笑。ユーモアがあってお洒落で未来を見ている人。芸術は生き続ける。
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2023年3月28日に亡くなられた音楽家・坂本龍一さんが口述筆記によって書かれた自伝です。2009年に発刊された『音楽は自由にする』の続きに位置づけられる、最晩年の活動の様子を知ることができる一冊です。
江戸時代の貴族は月を愛でて酒を嗜んでいたそうなんだ、と本書序盤で坂本さんが述べています。音楽って不愉快な思いを忘れていられる、ともある。本書の題名の『あと何回、満月を見るだろう』とそれらの発言を、僕は重ねてしまいましたね。「ぼくはあと何回、素晴らしい音楽を得ることができるだろう」みたいにだって、ちょっと強引かもしれないけれど、読めてしまうじゃないですか。
坂本さんは2014年に中咽頭ガンが見つかり、それから闘病生活に入られていますが、その放射線治療のつらさが綴られています。7週間に及ぶ放射線治療の5週間目には、あまりのつらさのため坂本さんが涙ながらに「もう止めてくれないか」とドクターに懇願したことが明らかにされていました。ガンは中途半端に叩くと勢いを増し、逆襲してくるので駄目だと言われて、残りの治療も続けたそうですが、口腔内はただれ、治療が終わってからもふつうの食事がしばらくとれなかったようです。しかしながら、その5年後にはガンが寛解とみなされるほどまでに回復します。
そういった苦しい時期でも、『レヴェナント』をはじめ、数多くの映画音楽のオファーを受けられていますし、高谷史郎さんらとのインスタレーションなどやコンサートを多数されている。音楽そして芸術を仕事として、ガン治療と療養期以外は仕事から離れることなく、人生を太く駆け抜けられた印象を持ちます。闘病中も、体調が思わしくない時期でも、旺盛に仕事に向かわれている。また、「人はパンのみに生きるにあらず」などというキリストの言葉が引用されている箇所もあり、物質的な面だけじゃなくて精神的な面も同じくらい大切だ、とする坂本さんの感覚がくっきりと知れるところもありました。
そんななか、本書では坂本さんの昔話もあるのです。若い頃(70年代)、麻雀がしたくなると、いっしょにいる大貫妙子さんに加えて、電話で山下達郎さんに「来ない?」と連絡。すると、達郎さんは実家のパン屋から軽トラを運転してすぐにやってくる。さらに伊藤銀次さんも呼んで、ひたすら雀卓を囲んでいた、と。三徹もザラだったそうです。
芸大の授業はサボっていましたが、、腹が減ると大学に行って学食の前にクモの巣を張り、知った顔をみつけたら「ちょっと食わせてくれない?」とたかってた、ともあります。かつ丼が90円の時代だったそうです。(世の中で否定されがちな、人生のこういうゴロツキみたいなところを、もちろんその苦味込みでですが、僕はもう少し肯定したいほうです)
そういう部分も含めて、坂本さんには、「はぐれガキ大将」という感じがします。そういうふうに見える一面がある。ガキ大将的に傍若無人で腕力でものを言わせるような猪突猛進なところがありますが、大勢を囲って支配的になってのし上がろうとするのにはちょっと不器用に過ぎるようにも見えるのでした。だから、「はぐれガキ大将」なのです。
傍若無人さでいえば、たとえばポルトガルで観光案内してもらっていたとき、坂本さんは観光が嫌いで、あげく渋滞に巻き込まれてしまい「I hate sightseeing!」と言い放って車を降りて歩いて帰ったそうなんです。ガイドを務めていた人が、坂本さんが帰国するときに空港でワインを一瓶、お詫びの品として贈るのですが、坂本さんはそれを、手を滑らせて床に割ってしまう。しょうがないところはあるんですが、こういうふうに他人の気持ちを踏みにじってしまうようなふるまいが他にもあり、坂本さん自身悔いていました。
こういうのもあります↓
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若い頃には、多摩美術大学で東野芳明さんの持っていた授業にゲストとして呼ばれたものの、当日の朝まで飲んでいて八王子まで行くのが面倒くさくなり、ドタキャンしてしまったほどのひどい人間ですからね。(p163)
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ただ、こういうことを隠さず本書では言ってしまっています。老年になって、じぶんそのものを以前よりも公に対してさらけだしているように感じられます。まあ、もともと虚栄的ではないように見受けられる方ですが。
あと書いておくべきは、MRプロジェクト(p234あたりです)。VRより上位の技術で、坂本さんの演奏がデジタルで記録されていて、坂本さんがいなくても、同じ演奏を再現できる技術です。このデータが残されている限り、音楽家・坂本さんのパフォーマンスは永遠に残ります。
巻末、本書の坂本さんの話の聞き役だった鈴木正文さんによる「著者に代わってのあとがき」では、坂本さんの最後の数か月についての様子が綴られています。とくにその後半部分などは、涙無くして読めなかった。
僕は小学校高学年の頃から坂本さんの音楽に傾倒していたので、武道館でのオペラ上演『LIFE』を含め、何度か坂本さんのコンサートには足を伸ばしてきました。CDは100枚以上買いましたし。坂本さんは亡くなられましたが、彼の音楽、思想、価値観、パーソナリティなどに、これからも僕は反抗を感じたり、共感したりしながら、たぶんずっと彼と格闘を続ける、といように影響を受け続けるのだろうと思います。
坂本さん、ありがとうございました。
あらためて、黙祷を捧げます。
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生前は情報量が多過ぎる気がして敬遠していたけど気にはなっていた。なぜ闘病しながら活動家のようなことを続けてやっているのか…この本でほんの少しだけ、彼の言い分のようなものを知れた気がする。去る準備ができることを幸せだと思うこともあるだろうけど、やはりもう少し時間があれば…ファンですらないのに、そんなことを思った。
それにしてもさまざまな知識が語られるので、周りの人も博学なのか?自分の周りにはこんな話す人はいないので、新鮮。多方面に関係団体や人物が出てくるので、ノートに書き出したくなる。読み終えて、そういえばと思ったが、パートナーと大貫妙子さんの話はあるけど、矢野顕子さん方面の話はなく、お孫さんのはなしくらいしかなかった気がする。最後はなんだか突然終わったような感じだったが、あとがきを読むことで、ひとまず納得して本を閉じることができたように思う。
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ほとんど一面しか知らなかった坂本龍一。音楽に関することだろうけれどとても様々なことをしていたということに驚きました。ご自分の命が尽きる直前まで現役であり続けた…尊敬です。