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和漢三才図会
2023/08/18 16:40
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
熊楠ってだあれ?何をした人なの?書いて記憶する、神童、記憶力、そして未完といった特徴、身近なものを守るためのエコロジーの先駆者といった面など熊楠が特異な人物であることを楽しめた。
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著者のこれまでの著作では、熊楠の行っていた学問に対し著者が抱く不満や、自らが日々取り組んでいる学問との差異が強調されることが多かった。このたびの著書でもその差異が扱われているが、しかしそれが熊楠への不満としてではなく、なぜそのような姿勢で熊楠が学問し続けたのかを解き明かす方向へと向いている。同時代の牧野富太郎や柳田國男と熊楠のすれ違いにも触れつつ、熊楠が扱った数々のテーマはどれも方法論が当時未確立であったことや、網羅・コンプリートしづらいものであったこと、それゆえ、いつまでも結論が出せず、答えが出ない研究であったこと、熊楠にとって学問とは結論を出すためのものではなく、書き(描き)写すことによって自身の中に巨大なデータベースを作り上げることであり、それ自体を楽しんでいたのではないか、と、熊楠の胸の内を押し量っている。
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学問それ自体が楽しいから学問する。
これはいつの時代でもあるべき本来の姿だ。
しかしこれを徹底するには別途、生活の糧がなくてはならない。
実家が太いとか、財産や田畑があるとか。
ダーウィンもそれゆえ在野の研究者でいられたし、Gマルセルも文筆で稼ぎつつ在野の研究者を貫いた。メディチ家に干されたあとのマキャベリも、キャンティを産出するブドウ畑付きの山荘を受け継いでいたから、質素ではあるが安定した暮らしの中で不朽の論評を書きえたといえる。
「生活のため」がないからこそ時間をかけて、本当に好きなテーマに取り組める。
(政治家にもそういう側面があって、だから二世、三世が必ずしも悪いこととは思わない)
いいなあ。うらやましいな。
でも、そこまで自分を律するのもハードルが高いにちがいない。
常人にとって義務は重荷だが、全くないのも自由の海に溺れてしまう。
現実には、アカデミックポストの獲得、生活、名誉、公的利益のための仕事と、自分の好きなことを織り混ぜながら、うまいことやっていくしかない。
凡人にすぎない私はそう思うのであった。
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日本の天才の代名詞とも呼ぶべき南方熊楠が、実際のところどのような功績を残したと考えるべきなのか。
その生い立ちから遡り、当時の時代性の制限の下、何をどのように研究し続けたのかは今持ってなお研究が進められていることに関心を抱く。天才と称される諸人物の中でも熊楠独自の特性が垣間見られ、彼への「未完」という形容に納得しながらも、伝記として描き下ろされた際の興趣に心惹かれる。
「縛られた巨人」という平成初期の伝記らしきものは、章立てからすると本著との差異がありそうにも思うが、時代間の南方熊楠像の変遷を辿る試みに繋がりそうではある。