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ローマの家具付きアパートで見つけた詩の草稿、というかたちをとった詩集。
イタリア語の不思議と、
人生と生活。
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『さらに、机の引き出しの中には、あるものがきちんと積み重ねられていた。それは色も種類も違う数冊のノートで、なかには表紙に《ネリーナ》という名前がボールペンで手書きされたフクシャピンクのノートがあった。《ネリーナのノート》には未発表の詩がたくさん書かれていて、同じ人物の筆跡のようだった。詩の一人称話者には、既婚女性、母親、娘という三つの人格があるように思えた。ホリーナが作者の名前なのか、詩を捧げた相手なのか、ミューズなのか、それとも単なる詩集の題名なのかはわからなかった。いずれにしても、写真の真ん中で二人の女性に挟まれて、太陽で表情がほとんどかき消されている女性がその人なのではないかと感じた。同じ二〇一二年、ローマ国立図書館のエルサ・モランテ関係の資料のなかに、まったく同じ題名の自筆のノートがあることを知り、わたしの好奇心はますます高まった』―『はじめに』
頁を開いてみると、ジュンパ・ラヒリの初めての詩集(しかもイタリア語による)と聞いて想像していたものとは全く違う世界が広がる。そもそも序章とも言える「はじめに」からしてこの一冊が単なる詩集というよりは、もっと思慮深いものが表出した結果であることを示唆する。と同時に(そしてそこが興味深い点なのだが)ラヒリが為そうとしていることは、読者を普段は気にも留めないような事柄の中にある多面的な意味世界へ誘おうとすることであると気付く。例えば冒頭の引用を読めば、どうしたってウンベルト・エーコの「薔薇の名前」の序章「手記だ、当然のことながら」を思い浮かべてしまう訳で、なるほどそういう作りなのかと身構えた瞬間、すでにジュンパ・ラヒリの仕掛けた罠に嵌まってしまっている、という仕組みな訳である。
『一九六八年八月十六日、修道院長ヴァレという者のペンによる一巻の書物「J・マビヨン師の版に基づきランス語に訳出せるメルクのアドソン師の手記」(一八四二年、パリ、ラ・スルス修道院印刷所刊)を私は手に入れた。この書物は、編纂の事情について審らかにしていないが、元をたどれば、ベネディクト修道会の歴史に貢献したことで知られる一六〇〇年代の碩学がメルクの僧院で発見した十四世紀の手記を忠実に復隠したものであるという』―『薔薇の名前/手記だ、当然のことながら』
イタリア語に魅せられ言葉集めに没頭した挙句にイタリア語で執筆までしてしまったラヒリが、記号論の大家でもあるエーコに影響されただろうことは大いにあり得ることとして想像ができる。それは、特に「語義」と記された章に並ぶ断片的な思考の痕跡を読んだだけでも推し量ることができるけれど、夥しい「注」を一つひとつ読むと尚のことよくラヒリの思考の道筋がエーコのそれを彷彿とさせるものであると感じられる。そして特記しておきたいのだけれど、この注も単なる注ではない。普段から巻末の注は引用の参照先を記したものでなければ本文と合わせて読み進める方ではあるけれど、この巻末の注はいわゆるAppendix的なものではなく本文の一部(あるいは本文の整然とした思考の道筋からはみ出した脇道、連想のようなもの)で、独立した「章」と見て取っても変ではなく、簡単に読み飛ばしたりするこ��が出来ない。あとがきにあるように、この注はラヒリが手に入れた手記を預けたペンシルヴェニアのブリンマー大学(実在の私学の女子大。津田梅子の留学先)でイタリアの詩を研究しているというマッジョ博士(Verne Maggio Ph.D。Verneはラテン語、Maggioはイタリア語で各々「五月」の意味。)によるものとなっているが、それもまたラヒリの創作というのだから。実に手が込んでいる。
『教会のファサード(19)を/一年近く包んでいた覆いは外され/デ・キリコの到着点だった/突き当たりの風景もきれいになる』―『マッツィーニ通りの』
『(19) ファサードが«sfacciate»と書かれているが、それは«facciate»(ファサード)と«sfacciataggine»(無遠慮)の混同と考えられる。とりわけ、早朝にローマのサン・フランチェスコ・ア・リーパ通りの教会の後ろから昇る太陽がどれほど眩しいか知る者にとって、この混同の理由を理解するのは難しくない』―『注』
そして何より、この一冊が「詩」という形式を採りながらも、どこかラヒリのイタリア語で書かれた他の二冊の本のように、エッセイあるいは私小説風に作家自身のことを語っている文章とも読めることは挙げておかなければならないだろう。散文形式のミニマルな言葉を読みながら、ラヒリの来し方がぼんやりと見えてくるようにすら思えるのだが、思い返してみれば、それはこの作家の特徴とも言えるもので特にこの一冊が典型的な訳でもないとも思うけれど、イタリア語で語られる自身の思い出が英語で語られた時のオブラートに包まれたようにぼやけている思い出よりも鮮明に見えるのも確かなこと。「別の言葉で」から続く作家の「現所在地」(それは移民二世としての漂流感と対比された比喩としての住所)もまたここにはに描かれているとも感じる。
因みに「ホリーナ(Holina?:ベンガル語ではit did not happenという意味とも)」というのがラヒリの母親の名前なのかと一瞬考えたが、調べてみると彼女の名前はタパシュ(Tapati:太陽の神の娘)。ただし詩の中で語られるように彼女もまたベンガル語で詩を書いて出版するなどしていたようではある。また詩集を遺したとされるネリーナ(Nerina:海の精)という女性の名前は、ラヒリの本名ニランジャナ(Nilanjana:青い目を持つ人)と繋がるものなのかも知れない。
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絵本作家まつむらまいこさんのthreadsで紹介。
https://www.threads.net/@maykomatsumura/post/Cy4L5dUyOS0
。。。
アマゾンより
創作と自伝のあわいに生まれた一冊の「詩集」。
円熟の域に達したラヒリによるもっとも自伝的な最新作。
ローマの家具付きアパートの書き物机から、「ネリーナ」と署名のある詩の草稿が見つかった。インドとイギリスで幼少期を過ごし、イタリアとアメリカを行き来して暮らしていたらしい、この母・妻・娘の三役を担う女性は、ラヒリ自身にとてもよく似ていた。――イタリア語による詩とその解題からなる、もっとも自伝的な最新作。
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引っ越した先に置いてあった机の引き出しに詩が綴られたノートが残されていた。それを詩集として編纂する中で、描かれた詩を通して自らの来歴を表現していく。
手法としては、森羅万象がそれぞれに語る言葉が少年の姿を浮かび上がらせる、丸山健二さんの『千日の瑠璃』に似たものか。千日の瑠璃は面白く読み終えたが、本書「思い出すこと」は途中で投げ出してしまった。
しばらく放置しておき、何かの拍子に再び手に取り夢中に読み込むこともたびたびだが、本書は図書館で借りた本なので返却すると再び手に取るチャンスはなくなるかな。今のところ、縁がなかったとして図書館に返却しよう。
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出版社(新潮社)のページ
https://www.shinchosha.co.jp/book/590190/
(目次・書評・短評あり)
「イタリア語による詩とその解題からなる、もっとも自伝的な最新作。」
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ラヒリさんがローマの家で見つけた“ネリーナのノート”には、たくさんの詩が書かれていた。イタリアの詩を研究しているヴェルネ・マッジョに依頼して、整理・解説してもらい、出版したのが本書──という設定である。
うーん、詩かあ……と思いながらページを開いた。案の定、さっぱり意味がわからない。そのうえ、やたらと注釈が振られていて、その都度巻末まで進んで参照しなければいけない。だが、そのほとんどが翻訳された場合には無意味となるイタリア語の単語や文法の誤りの解説で……。
途方に暮れながら読了した。
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中古の書き物机の引きだしからでてきたのは詩が書かれた何冊ものノート。ラヒリはさまざまな土地を渡り歩いてきた移民の女性によって書かれたとおぼしいそのイタリア語の詩を知り合いの大学教授に預け、注釈を施してもらう。メタ的な仕掛けの詩集。
詩人はラヒリ自身、大学教授は存在しない。自分の作品に素知らぬふりで自分で注振るの、ぜったい楽しいよなぁ。バックグラウンド不明な詩があって、注釈が詩人の肖像を浮かび上がらせようとする構造自体はナボコフの『青白い炎』と同じだが、読み口はあの怨念のような小説とはもちろん全く違う。
なぜこういう枠物語を用意したのだろう。家族がテーマになっているから? 小説家としての自分のパブリックイメージから距離を置いて読んでほしかった? ただのちょっとしたいたずら心かもしれないし、イタリアの実験小説に対するリスペクトかも。
イタリア語の単語を取り上げて面白がる連作がよかったが、これは翻訳不可能だよなぁとも思った。ラヒリはわざと綴りを間違え、非ネイティブであることと言葉遊びの面白さの両方を表現しているらしい(これも自作自演で指摘するユーモア)が、その綴り間違いは訳に反映されていない。贅沢かもしれないが、試みて欲しかった気もする。