紙の本
実にわくわくする実話
2024/01/05 14:07
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者はロンドン大学バークベック校でのクリエイティブ・ライティングの修士号、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院での社会人類学の修士号、カイロ・アメリカ大学での英文学・比較文学の修士号の三つをもつ人だから誰もがマネできる事業ではないことは確かだ。しかし出版や流通、 書籍販売が疲弊しきっていたエジプトで書店を開くことなど不可能だと 思われた時代に独立系書店チェーンを創業し、成功に導いた、その実話は読みものとして楽しい
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いい意味で期待を裏切られた本。
女性、中東、経営と、いかにも世間で注目されそうなファクターがありつつ、描かれているのは著者の書店経営者としての日常である。
共同経営者との議論、訪れる客との会話、時折話される家族(元夫や父母、姉)とのやり取りを通じ、読み進めるごとに彼女の人生を追体験しているかのような錯覚になり、更に言ったこともないエジプトの書店が目の前にくっきりと立ち現れる。
訳者の後藤氏は、たまたま紹介された本書に書かれている本屋に、エジプト留学中に何度も通ったとのこと。私も国も違えどイランではお気に入りの本屋に何度も通った経験があり、そのような運命的な出会いに共感するものがあった。
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レビューはブログにて
https://ameblo.jp/w92-3/entry-12819244602.html
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この本は、性別や文化的背景など様々なハードルを乗り越えて、書店を根付かせることに成功した著者の記録である。単なる経済的成功を超えて、読書文化が希薄な地域で、読書の楽しみを浸透させたそのことが彼女達の真の成果ではないだろうか。
第一章の最後にジャネット・ウィンターソンの言葉が引用されている。「自分自身と自分の世界がちょうどよい大きさであること、そして自分も自分の世界もその範囲は決して固まっていないことを知っておくのは、人が生き方を考える時に貴重な手がかりになるだろう。」この言葉は、他者との関わりの中で主張し、妥協し、そして新しい何かを作っていくのに非常に大切なことだと、この本を通して実感することになった。
「失敗したら、もう一度失敗すればいい。ただし今度はうまく失敗するのだ。」と彼女は言う。そうすることで、1歩ずつ前に進むことは、人生における成功ではないだろうか。
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書店を通して「文化」を普及させるというゴールにまっすぐ向かっていく店主のお話だった。それまでまったく人々の習慣になかったことを取り入れることに繋がったことは、本人も「いかに創造的で大胆なものだったのか」と記載しているように、とてもたいへんで偉大なことなんだなと思う。
巻末の翻訳者と著者の対談の締めの言葉だった、「本を読んでください。それから、近所の本屋さんを大切にしてください」という感覚をこれからも大事にしていきたい。
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読書は旅行と似ている。私たちは「違い」を知るために遠い場所を訪れる。そして、カメラのレンズをのぞき込むかのように、経験を通して自分自身を知る。(p.86)
英語の棚には二種類のベストセラーが置かれた。一つは、『ニューヨーク・タイムズ』やロンドンの『サンデー・タイムズ』で紹介された最新の作品で、もう一つは『ナイル川に死す』『スヌーカークラブでビールを』など、エジプトにまつわる古くからの名作である。地元客も自分所維新を見つめ直したいかのように、そうした本を買っていた。
私にはその気持ちがわかる。エジプトが世界的に有名になったことを誇りに思う。けれど、その喜びはほろ苦くもある。英語とフランス語で教育を受けたために、アラビア語がうまく使えないとなると、再生と救済を約束するエジプトの魂について、他人の言葉を通してしか知ることができないのだから。
エジプト・エッシェンシャルズは、小さなセクションだが、いくつもの問いを投げかける。ただし、答えは求めない。何かを探しながら、わたしは自分の故郷の残像を一か所に集めたのだ。
私たちの多彩なコレクションは、植民者と被植民者を、歴史家と小説家を、地元民とそうではない者を同じ場に引き合わせた。そこにはエジプトの矛盾する現実があった。(p.88)
本を読む中で私は「自分がいない世界」と出合った。本は私の文化的な背景など一顧だにしなかったからだ。訳がわからなくなった。どの著者も、エジプトの官僚制井戸に対峙する時に使える戦略を教えてくれなかった。予算に関するアドバイスのような標準化された指針を学んでも、混沌の中で、たとえばISBNや販売数に関するシステムをゼロからつくり出すという、地域固有の悪夢に対応することはできなかった。(中略)さらにジェンダーという側面もあった。男性作家、ビジネスマン、男性起業家は、この世界が自分たちのものだと信じて疑わない。私は自分の店にいても、居場所がないと感じることがあるというのに。(pp.140-141)
商店が立ち並ぶ街路の衰退とショッピングセンターの台頭という同時減少は、ある種の革命のきっかけとなるはずだった。街路や人々が交流する空間に何を期待できるのか、見直しが求められたからだ。それでも結局のところ、エジプト人はおとなしくモールの呼びかけに応じた。(中略)モールのトイレは定期的に清掃され、石鹼やトイレットペーパーが備えつけられた。カイロの他の場所の公衆トイレとは大違いだ。楽で便利なことは重要な条件だ。それがもたらす負の側面について考える者など誰もいなかった。店主と客とのあいだ���親密な交流がないことや住んでいる場所とお金を使う場所の距離が大きくなっていることなどだ。ショッピングモールには、しがみつくべき価値のあるものなど何もない。その完璧ささえも人工的で、その場所を醜悪なものにしている。(pp.302-303)
店を成長させ、増殖させなければならないという狂おしいまでの衝動に、情熱は飲みこまれた。結果として、本来の大切なものが薄まってしまったのだ。それでも、この混乱の渦中にあって、私は気づき始めていた。広い意味での「文化」を普及させることを目指した私たちの姿勢がいかに創造的で大胆なものだったのかを。私たちは、いろいろな場所で、多くの異なる形式を試みた。そして、どうしようもなくなるまで、あきらめなかった。(中略)本屋として、読者の知の領域に挑戦し、それを広げることがわたしの義務だった。経営者として、私はビジネス・パートナーのために、最大の利幅と販売量をもたらす義務があった。そして情熱あふれる読者として、本に対する愛と憎しみの内に身を置いた。(pp.331-333)
「挑戦したことがあるか。失敗したことがあるか。どちらでもいい。もう一度やってみるのだ。もう一度失敗すればいい。ただし今度はうまく失敗するのだ」(サミュエル・ベケット)(p.348)
第三の場所(サードプレイス)としてのディーワーン
(家や職場とは別に)人々があるまり、ともに時を過ごす場所という意味です。ディーワーンは、ちょうどエジプトに古くからある喫茶店のように、人々が訪れて、ゆったりと時間を過ごす場所になることを目指していました。
コミュニティをつくるのに必要なのが時間と多様性です。ディーワーンは毎日15時間、すべての人に開かれた空間でした。それぞれの時間帯に異なる層の人々が集まってきました。朝9時に来る人はお昼の12時に来る人や午後3時に来る人、夜7時に訪れる人とは違っていました。そうして異なる人々が自分自身のことや身の回りの世界のことを学べる場所になったのです。(p.371)
私たちもディーワーンによって社会を変えたいと思っていました。一冊分ずつ、変えていきたいと。実際に、私たちの周りには不寛容な人々もいました。不寛容に打ち勝つ第一の方法は、自分自身が寛容になることです。それから、本が運ぶメッセージを伝えること。私自身、読書程自分の成長につながり、またこの世界について多くの知識を与えてくれたものはないと考えています。(p.375)
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全くノーチェックだったのだけれど、本屋さんの棚で気になって手に取った。そういう出会いを作ってくれるのが、リアル本屋さんのいいところだよね、やっぱり。
エジプト・カイロで、女性が、モダンな本屋さんを作り経営する。もちろん知らないことがたくさんで面白いのだけれど、どこもそうなのねーと思うところもあり。うまくいったことも、失敗して苦悩したことも少なくないだろうけれど、そうだよ、次はもっとうまく失敗しよう、と思えたらいい。