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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
人生の終わり方について、興味深く読むことができました。特に、阿川佐和子さんとの対談は、気づかされることが多かったです。
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対談の中で、随所に養老先生の深い言葉、考え方が伺え、幸せな読書時間でした。先生ありがとうございます!長生きしてください!
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第一葉自己を広げる練習 南直哉✕養老孟司
第二章ヒトはなぜ老いるのか 小林武彦✕養老孟司
第三章高齢化社会の生き方は地方に学べ 藻谷浩介✕
第四章介護社会を明るく生きる 阿川佐和子✕養老孟司
寿命を延ばすカギとなる遺伝子とは? 老後は都会よりも田舎のほうが豊かに過ごせるのはなぜ? 介護生活を明るく過ごすコツとは? 禅僧が語る「死を迎える練習」とは?
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歳をとって死んでいくことについて、ふだん漠然と感じ始めたことを、話しているくだりに出会った。
養老氏と南直哉師というお坊さんの対談のところ。
「
南 「死ぬ」ということを考えるとき、いま、一番ボピュラーで人気があるのあ、こちらの世界からあちらの世界に行くという考え方でしょうね。しかしそれは、ただの「移動」ですから、基本的には、誰も死なないことだとも言えます。天国だろうが地獄だろうが、ともかく「同じ自分」が行くことになっている。 (中略) つまり、みんな「自己」というものがずっと続くと思っている。
(中略)
―養老先生はどう思われますか
(中略)
養老 はい。一つ防護策がありますね。自我というか、自分の中に限定するものを、できるだけ広げてしまうという手がありますね。
」
今、実家に帰るとそろそろ80になる父は、いつもソファに座ってテレビをみている。もともとブルドーザーみたいにパワフルな人だったが、すっかりおじいちゃんになって、話しかけると基本的に上機嫌だ。なんというか、自分から働きかけるよりも、まわりを自分の中に映し出して観察しているだけという感じを受けるんだよね。
幸田露伴や鶴見俊輔といった文学者、哲学者は晩年、自分の言葉を発するのをやめ、ただひたすら本を読んでいたという。
それって同じことで、外に対して自分を開いていっているのかもしれないな、とも思うのだ。
自我、という視点に立つと、生まれる前、俺の自我は存在しなかった。生まれ、成長し、いろいろ経験する中で自我が固まっていき、歳をとりながら、その自我がまた開いていく。
生まれて、生きて、死んでいくとは、そういうことなのかもしれない。
そのうち、またどこかにとけこんでいくのだ。
それは、とけてなくなるということではない。
いつまで自分の命が続くかはわからないけれど、そろそろ折り返しは超えているだろう。
師について、50そこそこの俺がまだ語る次元でもないんだけど、そんなことを考えた。
本書は南直哉(お坊さん)、小林武彦(生命科学の先生)、藻谷浩介(里山資本主義の人)、阿川佐和子(聞く力が有名なタレントさん)と言った方々との話。
どのかたの話も、面白かった。南直哉さんとの対談で感銘を受けたところは、先日書いたところ。
老いる、という現象について、人口減の今の時代だからこそこれまでの見方をかえるべきだ、というやりとりも面白かった。
藻谷氏の資本主義とは本来、里山資本主義というのもなかなか刺激的な話でさ。本来、投資して利子を得るという活動は再生可能であってこそ成立する。
現在、多く観られる弱肉強食的な資本主義は、本来の資本主義ではない。なぜなら、強者が総どりしていたら、持続はしていけないから。
投資と利子の関係とは、本来さまざまな里の木や環境を手入れして、そこから得られる収穫を受けてとるものなのだという考え方は感心した。
それって、最近いわれるコモンを再生しようという考え方に通��るねぇ。
最後の阿川佐和子氏との対談も、お父上やお母上の晩年の介護の実体験から、さまざまな話が聞けて興味深かった。
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4人の方との対談。かなり養老先生は聞き役に回られている。これも、ちょっと歳をとったせいもあるのかもしれない。前半の話の印象はもうなくなってしまった。藻谷さんの話は少し残っている。恩送りの話が出てきたと思う。ツイッター(X)でペイフォワードという名前で、取り組みされているのを見つけた。他でもそうなのだが、署名するのはまあいいとして、寄付というのがどうもしっくりいかない。要はそのお金がちゃんと必要なところに届いているのかどうかがはっきりしないからだ。そういう意味では、目の前にいる人に、恩送りとして何かを差し上げるということができればいいと思う。さてそれはともかく、とにかく阿川さんの話の印象が強すぎた。ちょうどうちでも認知症が問題になっているからだ。「看る力」も読んだ方がいいだろうか。まあやっぱり、受け入れるというのが良いのだろうな。もう治らない。というか治す必要もない。あと少しの期間、本人がつらい思いをすることのないように、同時に周りがストレスを抱え込むことのないように、受け入れるしかない。ボケた会話に付き合ってあげればいい。ユーモアで返せばいい。否定したり、子ども扱いしたりするのではなく。それと、阿川弘之の死に様というか、最期の過ごし方がまたいい。病院で酒を飲んだり、すき焼をしたり。まあ、そういうことを許してくれる病院だったから良かったわけだけどな。僕の父母にももっと最期は自由にさせてあげることができれば良かった。管をいっぱいさしたりせずに。もっとも、父の場合は、何の欲もなくなっていたようだけれど。ただ、母が先に逝ったことを報告したときは涙ぐんでいたから、感情はちゃんと残っていたのだろうなあ。妻にも阿川さんの章だけは読ませよう。
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バカの壁の頃の勢いは無い、当然だな。
藻谷氏と里の高齢者は裕福、より足掻いても老いる小林氏がしっくりくる。何より親の介護を語ってくれた阿川氏の話が、自分には一番ささった。
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対談 中になっている
オーディオブックにすればいいんじゃないかと思うのだ
タイトルから予想できるのとちょっと違う感じの内容だった
深刻な内容だと 予想したが ⇒面白かった
誰も皆 伊達に生きてるっていうことじゃなかった
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久々の途中ギブアップ作品(笑)
有名な養老氏の著作だが、おそらく4人の対談者を準備、養老さんと自由に話してもらって、それを出版社・編集者が上手に纏めた風の作り。
自分には、脈絡が無く、響く言葉が少ない印象で断念に至ったもの。
1点だけ。住職との対談でのその住職の言葉。
夢や希望を持たない方が良いとの考えもある。夢や希望は、今この瞬間を犠牲として、将来に賭ける、とも捉えられるから。→要は今を大切に生きませんか?との示唆。
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大事なこと、知っておきたいことがたくさん書かれている。
特に第3章の藻谷さんとの対談は目から鱗の内容だった。