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ロシア・ウクライナ戦争をなるべく長期的な見地から多角的に検討し、読者がそれぞれの見方を深めるための一助となることを目指したとはしがき。けっこう厚くてばりばりの専門家たちの著とあって構えてしまったが、特に編者の塩川氏の概観は分かりやすかった。
5章で構成
第1章 総論ー背景と展開 塩川伸明
第2章 ルーシの歴史とウクライナ 松里公孝
第3章 現代ウクライナの政治~脆弱な中央政府・強靭な地方政府 大串敦
第4章 歴史をめぐる相克~ロシア・ウクライナ戦争の一側面 浜由樹子
第5章 自由主義的国際秩序とロシア・ウクライナ戦争~正義と邪悪の二分法を超えて 遠藤誠治
メモ
総論 結果的にみれば、戦争の開始はウクライナを反ロシアの方向に追いやり、東スラヴ民族の一体性を掲げるプーチン的世界観の実現を遠ざけた。・・いったん始まった戦争は、その前に存在していた背景状況の単純な延長線上ではなく、質的に新しい局面を生み出した。もともとウクライナとロシアの間には近接性と異質性の両面があり、ウクライナ自体の中にも「西向き」の要素と「東向き」の要素が共存していたが、「敵か味方か」という二者択一を迫る戦争の中で存続困難となり、ひたすら「西」を向きロシアと敵対するウクライナ像が一挙に全般化した。
ルーシの歴史
カトリック、正教会ががぎ
一般に、人間のアイデンティティは「自分たちは誰か」という探求よりも「自分たちの敵は誰か」によって決まる。13世紀以降のルーシ人にとって、自分たちの団結を不可避ならしめる敵はカトリックであり、教会合同主義だった。ソ連は正教もカトリックも抑圧したが、そのかわり「自分たちは帝国主義に包囲されている」という意識をソ連構成諸民族に叩き込んだ。
ルーシの原型は、キエフ・ルーシとコンスタンチノープル世界総主教座管轄下のキエフ府主教座という聖俗権威のもとで形成された。
歴史をめぐる相克 ステパン・バンデラ(1909-59)とは誰か
バンデラの率いた「ウクライナ民族主義者組織OUN」とりわけバンデラ派のグループOUN-Bならびに「ウクライナ・パルチザン軍UPA」はウクライナとロシアの歴史認識問題が最も先鋭化するテーマ。
OUNは1929年、ウイーンで発足しウクライナ民族の「人種的純粋性」を訴え、ロシア人、ポーランド人、ユダヤ人、ドイツ人を排斥殺害することを呼び掛けていて、バンデラはポーランドの政府要人や在リヴィウのソ連領事館職員の暗殺を指揮した。イデオロギーがナチスドイツとも近いことをアピールしポーランドとソ連の両方を潰すという共通の目的を達成しようと、ドイツ側で戦った。ユダヤ人殺害においても「ナチ協力者」に分類される根拠になっている。
1943年スターリングラードの戦いが進む中、枢軸側の敗戦を予期してドイツとソ連の両方と戦うことを宣言。が、実際はナチドイツとの協力を続けたようである。1944年にソ連がウクライナを奪還するとOUNの交戦相手はソ連になる。
独立後のウクライナではバンデラ研究は進んでいない。バンデラはウクライナの独立闘争史観に立脚すれば「英雄」と評される。「ウクライナ人のためのウクライナ国家」実現のために、ソ連、ポーランド、ドイツと戦ったことが評価される。バンデラの暗黒面に言及するような歴史家はなかなか自由に発言できない状況。
OUN,UPAは「ファシズム」か「ナショナリズム」か
北米ウクライナ移民系の歴史家にはナショナリズムに類型する傾向。移民は故国を美化しがち。
・歴史の政治紛争化
新生国家の新たなシンボルが必要とされた・・レーニン像の変わりは誰に~バンデラの記念碑や記念館が建てられ始めた
2004年のオレンジ革命で誕生したユーシチェンコ政権、2014年ユーロマイダン革命で誕生したポロシェンコ政権ではバンデラの復権が進んだ。2006年「国民記憶院」設立(スターリン時代の国家犯罪を記録し、ウクライナに対する暴力を伝える) 2009バンデラ生誕100年を記念した記念切手発行。
・バンデラ再評価の波紋
バンデラ主義者の「ジェノサイド」からウクライナ東部・南部の人々を保護するのがロシアの「特別軍事作戦」の目的であり、正当化の理由だったはずだが、ロシアはその東部・南部を戦場にし、バンデラに否定的な地域の人々を最も苦しめる結果になっている。
ロシア
ロシアの国民統合には、190を超える民族からなるのでロシア人中心史観は危険、独ソ戦の経験が要の「記憶」となる。ウクライナやバルト諸国、ポーランドがソ連(ロシア)をナチ・ドイツと同等の占領者・抑圧者として指弾し、自分たちを被害者と位置づけるのには我慢ならない。
2021.7月第二次世界大戦でのソ連の決定や行為を公にナチドイツと同一視することを禁じる法改正。
まとめ
個人や集団によって歴史観や歴史認識が異なることは不自然なことではない。政治化が問題。
バンデラ像は、独立闘争史観に基づく「ウクライナ史」では、ソ連とドイツの両方と戦った「ウクライナ独立の闘志」となるが、他方でユダヤ人やポーランド人虐殺に加わったナチ協力者としての面を併せ持ち、ナチズムに特徴的な純血主義や反ユダヤ主義を共有していたダークサイドがある。OUN-Bが関与したヴォルィニの虐殺はポーランドから見れば「ポーランド人をターゲットとした民族浄化」「ジェノサイド」であり、ユダヤ人の目から見ればホロコーストへの加担と映る。ロシアからすれば戦時中にソ連を裏切っただけでなく「ロシアを嫌悪するウクライナ極右」という要素が加わる。
<犠牲者の地位>
バンデラ美化史観に立てば、ソ連はウクライナにとっての「加害者」であるのに、当のソ連はというと、ナチドイツの侵攻による「犠牲者」であり、なおかつ侵攻を退けた「勝者」としての地位を手にしている。
ソ連の一部であった時とちがい独立後は、ソ連史と自国史を切り離す必要。ウクライナにとって可能な選択肢の一つは自らをドイツとソ連の両方の「犠牲者」と位置付けることにより、その道徳的正当性を奪還することだった。これはロシアからすると、ナチズムの解放者としてのソ連を、ナチドイツと同等の占領者とみなすばかりか、バンデラたちの英雄視を通じて「ナチ・ドイツの方がまし」といっているようで、独ソ戦で払った犠牲と、そこに基づいて築かれた大国の地位の正当性を毀損する行為と受��止められる。
2023.10.10初版 図書館
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読みたいと思っていたが、やっと読むことができた。本書は、一躍注目を浴びたロシア・ウクライナ戦争において、あまり注目されていない民族・歴史・ウクライナ政治の観点から著名な研究者らが分析した本である。なので、アカデミックだから仕方ないのだが、若干ニッチな感じで仕上がっている印象を持った。
本書で最も勉強になったのは、(『現代ロシア政治』でもそうだったが)大串先生によるウクライナ政治の章であった。戦前のウクライナ政治といえば、大雑把に汚職とオリガルヒのイメージが強かったが、中央よりも地方エリートが強い求心的多頭競合体制にあるといった説明は大変勉強になった。この構造が敷衍してウクライナ戦争中でも、ウクライナ軍が包囲される際に籠城する傾向を地方エリートが地元からの撤退を拒んでいることから生じている可能性を指摘。この点は新鮮で興味深いが、ゼレンシキーも拘束を支持しており(中央との食い違いがない)、アゾフスタリからのハルキウ反抗の例もあるので、戦略的な拘束の意味合いの方が強いように思える。
その他、少ないながら随所で気になる点があったものの、全体的に大変勉強になった。
以下、備考
・【p.40】塩川先生はNATO東方拡大を国際関係論の視点で露にとり「安全保障のディレンマ」としたが(それは至極ご尤もなのだが)、個人的には、露がバンドワゴンではなくバランシングの選択をしたというアイデンティティの選択で説明高橋杉雄氏の説明の方が納得感あり
・【p.50】1996年、ウ憲法でクリミヤをウ内の自治共和国と規定
・【p.61】急進派はクリミヤ・タタール民族大会評議会(メジュリス)の指導部を握り、ウ本土を活動拠点に。クリミヤ現地権力は、クリミヤ・タタール人に人口比以上に多い議員枠を保証したり、閣僚ポストを割り当てたりするなどして取り込みに努める。現地に残ったクリミヤ・イスラーム宗教庁は、露内のヴォルガ・タタールやトルコ宗教庁からの援助を受け活動を継続
・【p.145】リトアニア大公国の辺境地帯で逃亡農民を構成員としてコサック集落が形成
・【p.167】東スラヴ「三枝一体」論が登場したのは、ポーランド分割後の19世紀前半
・【p.195】天然資源がないこと、保安機構の脆弱性、地域的分裂、民族意識の脆弱性がウ中央政府の脆弱性の要因
・【p.196】ユーロマイダンまでのウ政治体制は、求心的多頭競合体制。多くの地方閥が中央政界の場で競合する状態
・【p.212】旧地域等エリートの多くが反対派ブロック(アフメトウグループとフィルタシグループ)。しかし、反対派ブロックも党勢が上がらず、フィルタシグループと先に離脱したメドヴェチュークが合同して反対派プラットフォーム=生活党に
・【p.226】2020年9月のウの新国家安保戦略でNATO加盟方針に変化がないことが明らかになって、その前後に露軍が国境周辺で軍事動員したという記述は、因果関係としては弱いように思える。
・【p.230】2021年7月に採択された国民抵抗法によれば、地方政府が地域防衛隊の、財政面を含めた維持に大きな権限を得ることになった。また、戒厳令が発動された際には、州知事や市長といった行政長官が、軍行政長官を兼務することになった。〜ローカル・エリートは戦時体制に組み込まれたのである。(でも州知事は大統領任命なので、従来の地方エリートと重なるのか?)
・【p.231】ウ政治の一貫した構造である強靭な地方政府が、防衛を担ったがゆえに、ウ軍は抵抗に成功
・【p.252】1929年、「ウ民族主義者組織(OUN)」は、複数の極右組織が合体してウィーンで発足。1938年以降は、ドムィトロ・ドンツォフの影響で、ナチズムと反ユダヤ主義が色濃くなった。
・【p.255】1943年に、OUNから「ウパルチザン軍(UPA)」が派生して誕生
・【p.275】2015年時点で露国内でウ政権にファシスト勢力が入り込んだという認識が既に広まっていても、2022年に露国民が「特別軍事作戦」を「非ナチ化」の文脈で支持していたとは限らないのではないか。むしろ最近はプーチンからナチ言説が減り、アゾフ連隊も解放するぐらいなので、「非ナチ化」が思ったより露国民の支持を得られず、対NATOレトリックを強調しているように思える。
・【p.275】私の読解力がないせいか、ゼレンシキーの発言が、どうしてドイツがホロコーストを可能にしたと解釈できるのかよくわからなかった。
・最後の章の遠藤先生による自由主義社会の構造に関しても、自由主義社会が中露を包摂できなかったのはその通りだが、そういった問題の主たるアクターはだいたいアメリカであり、自由主義社会というよりアメリカの対外政策の問題点のようにも思える。
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非常に複雑な背景を持つロシアウクライナ戦争を理解するための幅広い視野を提供せんとする編者の意図、良心を感じる
ウクライナの国内政治や第二次大戦を巡る歴史認識問題など大変勉強になった
本書を読んでもわからなかったのはなぜアメリカや西側は2014年時点でロシアによるクリミアへの軍事介入を黙認したのだろう、と言うこと
この時点で国際社会が適切に介入していればプーチンの増長は抑制され2022年の侵略戦争は避けられたのではないだろうか
結局アメリカも所謂自由主義陣営も東ヨーロッパには無関心なのかな(介入したくない気持ちは分かります、ややこしい問題山積みですから)
ポーランド問題に関する無関心がヒトラーとスターリンによるポーランド分割を許したこと、それと似たような構図に見えた