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自己肯定感の低い主人公にイライラしてしまいました。これ、同じようなこと何回も言ってない?と言う箇所が多いのですが、それは読み飛ばしても大丈夫ですよ。
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正直あんまり好みではない文体だったけど、ちゃんと読了。割と難しい表現が多く、ちょこちょこ検索しながら読んだけれども内容がちょっとまどろっこしいな〜という感じ。生死、老いる、家族について全て考えさせられた。家族とはいえ結局他人だし、他人の『本心』なんてわかり得ない。
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読むのに時間がかかる作品
使用されている言葉はそんなに難しくないのに、理解を得るために何回か読み返しながら先に進む感じ
しかも、その都度自分の中で解釈と意見を混ぜこぜしながら読むから尚更時間がかかった
でも読み終わった時には何か深く考えされられるような感じだったし、幸せな感覚を得られる
頼むから主人公には幸せになって欲しいと思いながら読み進めてた自分が可笑しい
いずれにしてもAIが進歩するとこんな現実があり得そうで興味深かった
AIに奪われる職、という言葉が最近あるが、AIができたことによって生まれる仕事もあるし、逆にAIよりも安い賃金で働く人間もいる、ということが怖くなった
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読点が多いからか物凄く読みづらい文章だったし、著者の思想の押し売りしんどいし、諸々回収がいまいち中途半端にも見えたし、三好お前やってること港区女子やで?とか、主人公はマザコンで恋愛の当て馬にされて残念な感じだとか、アッチの世界コッチの世界って他責思考もいい加減にしろとか、とにかく良い感想が出てこない。
これ半分のボリュームで良かったんじゃね?後半は惰性だけで読んだ。
でもまぁ、「人の生き死に」ということはちょっと考えた。
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近未来が舞台。
メタバースが日常化し、格差が拡大し、「自由死」という合法な自死が認められる時代。
もしも「自由死」が認められるようになったら。
それを選択する人はたくさんいるだろうし、辛い事があったらすぐに人生を投げ出してしまいそう。
「もう十分」という理由でなら合法的な心中もありなのかもとか、理由もわからず大切な人が「自由死」を選択したら朔也のように思い悩んでしまうだろうなとか、とりとめもなく考えてしまった。
「宗教って、人生にいいことがなかった人のためのものでしょう?」「幸せな人には要らないと思う。」
に妙に納得。
『ある男』よりは読みやすかったがやはり文章が高尚で難しい。
「最愛の人の他者性」とは。
哲学って、やっぱり難しい。
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他者の考えは投影されたある一面から推定することしかできず、その実体を真にわかり得ることはないのだと改めて感じた。
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格差が広がることも、仮想空間に生きることも、VFに拠り所を求めることも、全部ありえそうな近未来の設定が絶妙。
本心なんてどこにあるか分からない。
他者から見た自己は、自己理解と乖離することがままあるし、誰かを理解した気になってもかけ離れた解釈をしていることも大いにある。
自分のことすら分かっていないこともあるのだから。
現実の人間関係の中で、他者との応答で考えや振る舞いが規定されていく。
支えになる人が増えればきっと安定的な自己が形成されるのかもしれない。分人主義的に考えてみると。
出自はどれほどその人を規定するのだろうか。
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死って怖いし、考えたくない。でも年をとってきて考えざるを得なくなると、死が悲しいものであってほしくないと思う。幸せな死、とは。死とはどうあるべきなのか。参考になりました。こんな近未来、あると思う。映画、楽しみです。
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すごく刺さった文章
「何のために存在しているのか?その理由を考えることで、確かに人は、自分の人生を模索する。僕だって、それを考えている。けれども、この問いかけには、言葉を見つけられずに口籠もってしまう人を燻り出し、恥じ入らせ、生を断念するように促す人殺しの考えが忍び込んでいる。勝ち誇った傲慢な人間たちが、ただ自分たちにとって都合のいい、役に立つ人間を選別しようとする意図が紛れ込んでいる!……僕たちが「生きていていいのか」と問い詰める側に立ってしまえば、終わりじゃないか、と。」
「僕は、雀の目に、この世界がどう見えているのかは知らない。その全身に、この世界がどう感じ取られているのかも。しかし、人間である僕と、まるで違うことだけは確かだった。それぞれに、この世界を、自分の生存に必要な方法で認識している。僕と雀とが、この世界を真に等しく享受するのは、死後、僕たちの種に固有の認識システムが破壊されて、宇宙そのものと一体化する時だろう。だとすれば、僕に今、あの木の緑が、あのように美しく見えていることには、僕が生きていく上で、必要な意味があるのだった。」
「僕は子供が、ただ自分の好きな色のビーズだけを、好きな順番で糸に通してゆくように、記憶の中から、楽しかった思い出だけを取り出して、過去から今に至るまでの僕という人間を作り上げるだろう。僕は僕自身よりも、僕の夢を愛するだろう。しかしそれとて、乏しいよりも豊富であってほしいに違いなかった。」
今までは生きる意味を問う時間が多かったが、そのことによって自分の自尊心を傷つけ、死を連想させていたのだと、気付くことが出来た。「!」によって問うこと自体間違っている!と強く訴えているのだと。生きる意味など必要なく、ただ美しいものを美しいと認識できる生に感謝したいと思えた。そして懊悩や苦痛の経験をしても、そんなことは忘れて、楽しかったことや嬉しかったこと、幸せだった記憶をより美しいものとして記憶の中に保管し、その夢を生涯を持って愛したい。そう思えた。
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近未来の2040年、母を事故で亡くした29才の主人公朔也は寂しさからVF(バーチャルフィギュア)で母を作ってもらう。
彼の仕事は「リアルアバター」依頼者のために現地に赴き、ヘッドセット越しに現実感を提供する。
近未来、本当にこんな世界が広がるのかもしれない。
そんな設定の中で描かれるのは生きている人間は常に変化し続けている、ということ。
彼の出生の秘密にも現代らしさが窺われ、現実に悩み続ける人も多いのだろうと案じられる。
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格差が広がる2040年代の日本
「僕」は、突然の母の死に失意しVF(ヴァーチャル・フィギュア)を作成することに。
生前、母は「もう十分」という言葉で自ら死を選ぶ「自由死」を望んでいた。
最愛の母が、自由死を望んだ理由は何なのか?
文章の1行1行が「僕」の心を丁寧に描いていく。
閉塞感に満ちた世界でも、生きることを肯定的に捉え、希望を与える愛に満ちた作品
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マザコンすぎると思って全然感情移入はできなかった
主人公の、母はこう思ってるはずって思い込みが激しすぎてこういう人に本心は打ち明けられないんだよなあて思った
相手のことをよく知ってるとかそういう自負は傲慢だと思う
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最愛の母をVRで再現する場面から始まり、「もう十分」と語り自由死を望んだ母の本心を解明していく。冒頭はバーチャルフィギュアという、今後ありえるかもしれない未来を想像させられたが、それよりも、生と死の背景にある格差社会という大きな存在が、そう遠くない未来でも付きまとってるというのは、考えさせられる節がありました。
母の死という喪失体験を経てVRで再現した〈母〉と過ごした時点から、その後の、大切な人と出会い、それでも多くの葛藤を経験したことで、明らかに朔也は「成長」していました。このことが印象的です。
愛する人でも所詮は他人。自分の知らない一面も必ずある。当然ながら本心を知ることはできません。そんな他者性を理解していても、自分が想像できる限りの本心の最適解を見つけ出そうとする。それは無駄なこと?他者性と向き合うとする誠実さに価値があって、それ以上、以下もないと思います。もし最愛の人が死んでも、その人は自分が死ぬときまで永久に自らの「心」に居続けると、私は信じてます。
この一冊が、自分の死生観を大きく変えることになったかもしれない、、。生きるってなんだろう、辛いことばっかの人生で生きる意味ってあるのか、など自問自答ばっかしてた。それでも、自分はそんな悲観的な部分も肯定して、それでも必死に、前向きに、これからも生きていくんだろうなと思います。
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自由死、VF、社会格差。
それぞれに十分重たいテーマに、主人公が母親の死を通じて対峙していく。
バーチャル世界に自分の理想郷を投影しても、結局はそれを形作る自分がリアルな世界で感じている不条理さが滲み出してしまうから、自ずと自分と向き合ってひとつひとつのわだかまりを紐解いていかざるを得なくなる。苦しい自分との向き合いの時間をへて、最後には未来を期待する気持ちが芽吹いて終わるエンディングが良かった。
テーマが難しくて、きちんと内容を理解できているかはわからないけど、とても読み応えのある本だった。
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平野氏の登場人物の感情が細かく描写される文体が個人的には心動かされる。
バーチャルフィギュア(VF)という見た目も声も性格も限りなく本人に近く作成できるAI技術が発達した時代。
2024年現在では実現されていないが、近いうちの未来だと思う。
すごい技術だとは思うが、本人にそっくりな画像だと思うと夢を見ているのとなんら変わらない。
やはりそう思うと寂しさや虚しさが残るのだと思う。
この作品の題材でもある「自由死」については現代でも認められている国があるように多様化するのではないか。
主人公朔也の母が「自由死」を望み、「もう十分」という発言の本心は果たして満足からなのか?絶望からなのか?
最後まで母の本心には靄がかかっていた。