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紙の本

ムルメルシュタインとヴァルトハイム

2023/11/16 22:06

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る

ベンヤミン・ムルメルシュタインについて著者は判断をしていない。ハプスブルク朝最後の皇后ツィタの没年と同じ1989年まで生きていたこの人物について出来る限りの範囲で同胞を救おうとしたのか、それとも「ドイツ人の手先」になって同胞を裏切ったのかは当時のユダヤ人のみが石を投げることが出来る話だ。
 しかしクルト・ヴァルトハイムについては頂けない。本人がSA隊員だった事や正確な軍歴を隠していたので何か話せない事情があるのだろうが、オーストリア併合の時点で入党していたりSAやSSなどに入隊していたら話は別だが何でも大学時代に加盟していた組織がオーストリア併合後にSAの仲間入りしたので自動的に入隊していたそうだ。もし末端のSA隊員だった経歴が「極悪非道のナチ」の証しならSA隊員で親世代のヴィルム・ホーゼンフェルトは「救いようがない極悪非道のナチ」、ヘンラインのズデーテン・ドイツ党の党員から横滑りでNSDAP党員となり防諜部に関わりを持っていたオスカー・シンドラーはヴァルトハイム以上の「確信犯のナチ」で、晩年になって初めて自分が武装SS隊員だった事を語ったギュンター・グラスは「偽善者のナチ」と著者は見なすのだろうか?
 またヴァルトハイムが「バルカン戦線でドイツ国防軍の作戦参謀本部」なるところで勤務していたと書いている。「名称」から見て陸軍参謀本部か国防軍最高司令部に勤務していた(多分後者)と読めそうだが彼が所属していたのはE軍集団司令部でなかったのか?まるで「増補・普通の人びと」の邦訳者がSS警察擲弾兵師団を「SS近衛師団」と訳してしまったみたい。上官のE軍集団司令官のアレクザンダー・レーア上級大将もオーストリア人なのだが、ヴァルトハイムが「巨悪」ならレーアは「超巨悪」なのでベオグラードで銃殺されたのだろうか?国連事務総長時代に誰も気がつかなかったところを見ると関わりを持ったとしても地位が低すぎるのだろう。ヴァルトハイムがプリンツ・オイゲン師団の師団長アルトゥーア・フレプスSS大将と一緒に映った写真にはイタリア軍の将校も映っているのにイタリア軍の戦争責任については何故か批判しないのに。
 こういう本の「ドイツの過去の克服」とは再統一前のドイツ連邦共和国のみになってしまうようでDDRはどこかに飛んでいる。SED政権はユダヤ人を「東方」送りにしていた"Reichsbahn"という名称をそのまま使うくせして「ヒトラー・ファシストに抵抗した社会主義者」という「名声」?に胡座を組んで「過去の責任」とは関係ない事になっていた。なので兵営人民警察が国家人民軍に改編した時にドイツ国防軍時代の軍装を復活させて「ボンの復讐主義者」の連邦軍が廃止したグースステップを行進に使っていたのだろう。

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紙の本

合邦は「自殺してくれたおかげで罪を軽減された殺人行為」

2023/12/12 09:29

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:kapa - この投稿者のレビュー一覧を見る

オーストリアが1938年ナチス・ドイツに「合邦」されるまでの20年間を描いたマンフレート・フリュッゲの「時代小説」『魂を失った都ウィーン1938年』(法政大学出版局叢書2023・ウニベルシタス 1157)の続編として読んだ。1934年以降身分制国家という権威主義的体制は共和国を破壊し民主主義を解体した。オーストリアの人々は、自分たちの「同胞」ヒトラーが「故郷」のためになにかをしてくれるだろうと考えたのだ。だが実際にはオーストリアという国家が完全に「強制的同質化」され、その後のオーストリア自身の内部からも外部からも襲ってきた反ユダヤ主義の蛮行に対し、無防備となって蛮行への道に行き着くことの必然となった。ナチスと同じ方向だが、違う方途を選択したと思い込んでしまったのだが、この政治・社会の変動はあまり触れられていなかった。
合邦までの5年間に「全権委任法」「ユダヤ人の就業禁止」「経済のアーリア化」などまるで第三帝国のそれをコピーするかのように進められている。そして、反ユダヤ政策は、本書帯「ドイツでは5年かけて実施されたことが、オーストリアでは5日間で強要された」がその特徴である。すなわち第三帝国では、社会のあらゆる領域からのユダヤ人排除と彼らの財産の収奪、移住という名の追放の促進が反ユダヤ政策の重点であり、1933年1月政権掌握から第二次世界大戦突入に至るまで順次進められた。一方合邦後オーストリアでは、同じことが一気呵成に進められたのである。そこにはハプスブルク時代からの根強い反ユダヤ主義もあった。例えばウィーンのユダヤ人迫害で知られている「道路磨き」は、元はハプスブルク時代の刑罰の一つであったものだ。
その中心人物があの「エルサレムのアイヒマン」である。「ウィーンのアイヒマン」は、「ウィーン・モデル」というユダヤ人移住制度を構築し、成果を上げて第三帝国で出世街道を歩むことになる。初めてこの仕組みの存在と内容を知った。移住先が要求する外貨を、資力のあるユダヤ人から不利なレートでマルクと強制交換させる、超過収奪したマルクは、貧しいユダヤ人の移住・救貧活動に充てられる仕組みである。これにより多くのユダヤ人が国内脱出はできたが、財産がほとんどない形の「追放」である。そしてこの「移住」システムは、独ソ戦以後最終的に東部地域と絶滅収容所への「移送」になり、ナチの蛮行に加担していくことになる。
戦後は、ナチ抵抗犠牲者、ナチス・ドイツが起こした戦争に巻き込まれた戦争犠牲者、合邦でナチ体制に組み込まれた元ナチという犠牲者というカテゴリを全て「犠牲者オーストリア人」として統合し、ナチ蛮行の責任を負うべき「ドイツ人」と犠牲者「オーストリア人」との差異化を図りつつ戦前のドイツ人国家と決別してオーストリア人の国家を構築していこうとした。合邦を「自殺してくれたおかげで罪を軽減された殺人行為」(フリュッゲ)としてしまったのだ。そしてホロコーストに責任はないと主張する。このプロセスが詳細に整理され評価されている。
ハプスブルク時代に得ていたハンガリーからの食料、チェコの石炭資源などを失い、いわば「残骸国家」となったオーストリアが生き残るためには「合邦」しかなかったともえる。戦後は、新たに「永世中立国」「国連機関のある国」としてアイデンティティを確立していく。しかしそれは結局過去の糊塗であった。ホロコーストの責任をなかなか認めず、また、元ナチの大統領を選んだ合邦後の「残骸国家」のままであったのだ。本書を読むと、「音楽の都」(「音楽の都」ウィーンの誕生 岩波新書)という言葉は空虚に響いてくる。

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2024/02/17 16:17

投稿元:ブクログ

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