紙の本
様々な鬱と憂鬱
2024/01/27 02:37
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:藤和 - この投稿者のレビュー一覧を見る
鬱の形もいろいろあるなぁ!
84人の著者による、鬱と鬱の側にいる本のエッセイ集。
それぞれにしんどそうだけれど、個人的には死ぬことがそれほどこわくない人が自分以外にもいると知れたのがよかった。
この世に生まれてきたこと以上の不幸は無いもんなぁ。
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投稿者:アキヒコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分の読書メーターアカウントから転載しています。
思ったことです。 滝本竜彦さんは氏賀Y太さんとかオイスターさんとかの漫画も読んでたのかな。それらでなく自著を紹介したんですねえ。 うつのときはメタルって言う人も多いですが、本と違って自分で読もうとせず流すだけでよいから。でも読もうとする気力があれば本ですね、ことばがお守りになると言いますか。あと心療内科の予約。 元気なときに読んでうつだったころをいたわる本ですね。うつのときに読んでなぐさめるというよりかは。紹介されてる本を探して読もうという人は元気があるし。 良い本でした。
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84人それぞれの鬱とそれに寄り添う本。この本を作った出版社の方も現在進行形で病んでいる。本を作る、本を読む、本と出会うことの泥臭さ、切実さが立ちのぼってくるような一冊。
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ほかならぬ自分が逐一、熱意をもって買い込んだ本が並ぶ棚をみても、まったく食指が動かない日が、月に一、二度やってくる。長い本をみれば「長く集中は保てない」と退け、短い本をみれば「せっかく乗った波がすぐに崩れるのは嫌」と不平をいう。ふだん自家薬籠中のものとしている、意識を集中するしかたが何者かに暗号化されたかのようで、ひどくもどかしい。意識を集中して読書に打ち込んだらとてもたのしかったはずと朧げに記憶しているだけに、どうにも集中できないとき隔靴掻痒の苛立ちは募る。重厚な本はとても手に取る気になれないので、短文の極致である歌集や句集、詩集をひらいてみるのだが、ぼんやりしている間にその囁きが完結していて、なんの感動も尾を引かない。一言一句に目を凝らすも理解と記憶が及ぶ範囲は二、三文字に過ぎなくて、なにか読んでいる実感に乏しい。感動できることを知っているだけに不感動が苦しい、あるいは、心の平静を知っているだけに泡立つ心情が堪えがたいとき、私は鬱である。飛躍を承知で言えば、死にたさは生きたさを肥料に育つ華だと思う。
本書『鬱の本』はひとりの書き手につき1000字を割り当てている。
84人の執筆陣の身の上は巻末にまとめて記載してあり、自分にとってのビッグネームが署名されていない限り、本文はただただフラットに目の前に出現する。浅はかさに癇癪を起こして全文黒く塗りつぶしたくなるような1000字もあれば、確かな体温の宿る手ざわりで気持をいくらかやさしく揉みほぐして去る1000字もあり、捨て置くのも褒めちぎるのも違うような玉石混淆の一冊に仕上がっている。詩歌や推理小説ほどに描写と思想と意味がぎっしりしていなくて、短編小説ほどに遥かな感動に連れ去るでもなく、そうかといって大長編ほどどっしり腰を落ち着けて読む必要もなく、傑作選ほどいちいち動悸も引き起こさず、画集や写真集ほど目を滑らせない1000字の集積を淡々と追う。「なんだこりゃ」「ふーん、そうかい」云々とぱくぱくつぶやきながらページをめくっていると、ふと気づくのである。文を追えていることに。熱中や没頭とまではいかずとも確かに、目の前の言葉に集中できていることに。
本を読むたのしさを知っていたのに手許から感覚を紛失してしまったときは、ここを訪れたい。少し遠くなっただけのあの不滅の里にまた帰るために。
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落ち込んで本が読めない。起きているのに何も出来ない。消えてしまいたい。そんな憂鬱な気持ちに寄り添う言葉が散りばめられたエッセイ集です。私たちはどんなに落ち込んでも本がきっかけでまた前に進む事が出来る、と信じたくなる本でした。これは本当にたくさんの人におすすめです。
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84人の人がそれぞれ2ページ分、鬱と本をテーマに綴ったエッセイ集。殆どが知らない人だからこそ、その人の憂鬱とその時期の読書観がフラットに入ってくる。とても面白かったし、幅広い分野のブックガイドになった。
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84人の鬱、憂鬱、鬱屈にまつわる、一人分が見開きの随筆。その中の一人、池田彩乃さんの、”本はいつも待っていてくれる。この灯りが形を持ってくれて本当に良かった”のように、寄り添ってくれる一冊。薬というより風邪をひいた時に食べるお粥のようなやさしさがある。84人は五十音順に並んでいて最後に経歴と一緒に随筆に引用される本の出典も記載されているところが良い。
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今日も憂鬱だ。特に土曜日は月曜から金曜までの世の中と折り合いを付けることに疲れ果てどっと疲れが出てしまい、死んだように一日を過ごす。
前職で出社出来なくなり、うつ病と診断され、投薬治療を続けて5年になる。普通は半年から1年ぐらいで投薬治療も終わるようなのだが、私は終わらず、これがだいぶ焦るし、うつ病の薬は高いので経済的にもきつい。こういったことの蓄積がまた鬱の原因になっていく。
鬱になったことでいろいろと変わったり、変わらざるおえないことがいろいろがあったが、一番は全く長文の小説や書き物が読めなくなってしまったことだ。集中力が続かず、外出しないことで体力も衰え長い時間書き物を読むことが出来なくなった。新書1冊読むのにも数週間かかったりする。楽しみの一つが読書だっただけにこれは結構辛い。その代わり、だらだらゲームだけは出来るのでそれは本当に不思議なのだけど。
そうだった、鬱の本の話だった。多くの人が鬱になると長文が読めなくなるのは共通らしく、この本は鬱の人間でも読みやすいように一人の著者が1000字程度で鬱に関するエッセイをまとめたエッセイ集です。ガチのうつ病の人から、それは本当に憂鬱なのかと問いたいような強弱のある体験が綴られています。正直鬱からの脱出の手助けになるとは思いませんが、鬱で何も出来ないときにこの本を読むことで、何か出来ているかのように思える効果はあるかましれません。
とりあえず希死概念を薬で押さえつけながら生きていこうと思います。
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鬱って思っているより身近にあって、思っていたよりこんなことを考えている人はいるんだ、とどこか安心できた本。明るくてエネルギーに溢れている日はこの本は読みたくならないけれど、暗い時とか静かになりたい時はきっとまた読みたくなるだろう。
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84人という多さなので仕方ないのだが、個人個人の文章力の違いが大きすぎる。また、“鬱の本“として、鬱気味の人でも読みやすいように1000文字程度という規定で書かれているものとしてみると、文学的といえば聞こえはいいが、読みずらい文章の人もちらほらおり、鬱の人に向けて書いたのか疑問だ。
もちろん、読者の鬱の程度にもよるし、“鬱の本“としてちょうどいい内容だという作品も多い。
一番同意したのは、“うつのサーフィン(水野しず・著)“で、〜鬱の人にはさくらももこか、中島らものエッセイがおすすめ。ニーチェとか読んじゃいけない。できるものなら本を読まず公園を散歩しなさい〜p162
一番意味が分からないのが“人間の鬱(町田康・著)で、〜俺は鬱についてなにも知らない。日本人は1970年以降は鬱になりやすいんじゃないか。知らんけど。
解決法は知らないが、自分と同じような人間がいると少し楽になるのも人間の不思議。あと、精神がくわあ、となって痛みと快楽が同時にあるみたいなのも。その不思議を体験したくて俺は本を読む。〜p150
最後の方はまだわかるとして、前半の殆どがなぜこの本に参加したのか?と突っ込みたくなる。
鬱と鬱病は違うのかとか、躁病というものはないなとか、呟くだけで調べた詳細を書かない。
文字制限があるというなら、中途半端な足の突っ込み方はやめてほしい。
色んな方が色んな本をおすすめにあげてくれるが、自分も好きな本があげられていると嬉しい。
“完全自殺マニュアル“もあげられていて共感した。
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鬱の時の過ごし方や読んだ本などが紹介されているけれど、この本もその一冊に入ると思います。84人1000字程度なので気兼ねなく、どのページからでも読めます。*自分が思う「鬱の本」とは、回り回って誰かにとっての「希望の本」だと思うのだが、どうなのだろう。*憂鬱で苦しくとも、幸福を拒否してはいけない。真面目に生きることとユーモアが両立するように、憂鬱であることと幸福は両立するのだから。
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精神的健康状態が良好な現在の自分だからそう感じたのだろうが、滝本竜彦だけびっくりするほど無理。他の人の話は良かった。
趣味は人それぞれだが、痛い目にあった本の中の女達が自分を救ってくれたと感じてるのが無理だった。鬱ならまぁ…とは思わないでもないけど、それを本に書いて美談にしてる風なのが生理的に受け付けなかった。救われたなら良かったねと思うけど。リョナ趣味を公言するならsnsとかそういう趣味の人が集う場所でやってくれ。
ラノベ作家、やっぱりどうしても人間性が苦手な人が多いと感じてしまった(個人の感想です)
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鬱をテーマにしたエッセイ集。
有名無名の著者のごちゃまぜ感があって退屈させない。自分の鬱体験を語る人もいれば、それと鬱に何の関係が?というエッセイを書く人もいる。にも拘わらず、やはり「鬱」というテーマで統一感がある。編者は書き手にどういう執筆依頼を出したのだろう。
なぜかシオランという思想家の本を挙げる人が多くて気になる。(元)山奥ニートこと石井さんと、今は就労移行支援に通っているという人のエッセイが印象に残った。
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全て見開き1ページだけの「鬱」のエッセイ。
ふとした時になぜか妙に落ち込んでしまう時がある。そんな時は複雑で長い文章はきつい。そういう時にそっと寄り添ってくれそうな本。
手元に置いておいて、時々開きたくなる一冊。
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『鬱の本』を読んで
"本を読むことが出来なかった"というような件が何編かに書かれていて、あの時も、そうだったのかな、と思いながら読んだ。でも、あの頃は、気になる特集が組まれた雑誌を買うくらいのもので、そもそも本らしい本をそんなに読んでなかったな、と思い至る。
"本に救われた"というような件が何編かに書かれていて、内心、首がもげ落ちるのではないかというぐらいに激しく頷き読んだ。実のところは、小説やエッセイ、詩集でもなければ、哲学書でもなく、自己啓発とも言い難い、システム手帳入門的な本であったことは、今となっては笑い話。あの時は、それを真剣に読み、新しい道を歩こうと思っていたのだ。
『鬱の本』、その帯には、「84人の鬱の本のかたち」、「鬱の時に読んだ本。憂鬱になると思い出す本。まるで鬱のような本。「鬱」と「本」をめぐるエッセイ集」とある。84人の中の1人、山﨑裕史さんのエッセイ「悲観論者のライフハック」に書かれた”『イザとなったら死んじゃえばいい』っていう選択肢”に今さらながら、ひどく腹落ちした。あの時に、その選択肢を持ち合わせていれば、いまとは別の生き方をしていたのかもしれない。この選択肢を選択せずに気持ちの懐に忍ばせておくには、少なからずの正常性も持ち合わせている必要があるようには思う。
この『鬱の本』、星5つ。さまざまな「鬱」、「憂鬱」の形があり、それぞれにいろいろな「本」が登場する。1本のエッセイは、見開き2ページに収まるボリューム、どこから読んでもいいのは、良い。どのエッセイも、おもしろく、どの「本」も読んでみたくなる。また、装丁も良い。
さまざまな「鬱」「憂鬱」の形は、ハードカバーの表紙にデザインされた、オレンジ色の濃淡のある「それ」だと思っている。判型には詳しくないので正式なサイズは分からないが、左手に収まる幅もちょうどよかった。
一番好きなところは、表紙と背表紙に書かれたタイトル『鬱の本』の装飾で、光を反射するようなピカピカな紙で描かれている。そのピカピカが、鬱屈とした暗黒の世界に少しでも届けば。
「死ぬ気になったら何でもできるから」と看護師に言われた晴天の朝を思い出した。
p177、点滅社・屋良さんの想いが、多くの誰かに届くことを願いながら、これを書いた。