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道長と式部が愛人関係って書かないと出版させてもらえないのかってくらいにどの本も書いてあるんだけど、この本は根拠として和歌のやり取りや式部集の詞書をあげている。男同士でも男女の恋愛風の歌を詠むし、歌集の詞書はかなり簡潔なのが一般的だから根拠としては弱い気がする。
それ以外は面白く読んだ。栄花物語を読みたくなってきた。
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「道長ものがたり」山本淳子著、朝日新聞出版、2023.12.25
307p ¥1,870 C0321 (2024.02.08読了)(2024.02.02借入)
歴史資料を引用しながら藤原道長の生涯をたどっています。
・貴族の日記
『御堂関白記』藤原道長
『小右記』藤原実資
『権記』藤原行成
・女房の実録
『枕草子』清少納言
『紫式部日記』紫式部
・歴史物語
『栄花物語』正編は、赤染衛門。続篇は、作者未詳
『大鏡』作者未詳
平安時代というのは、思いのほか歴史資料が残っているのは、驚きです。
歴史資料をどう読み解くかは、結構難しそうで、この本に書かれている読み方が唯一の湯見方とは、限らないというスタンスが必要かと思います。
とはいえ、かなり興味深く読むことができました。
歴史資料の引用には、丁寧な現代語訳が添えてあるので、助かりました。
【目次】
はじめに
第一章 超常的「幸ひ」の人・道長
第二章 道長は「棚から牡丹餅」か?
第三章 <疫>という僥倖
第四章 中関白家の自滅
第五章 栄華と恐怖
第六章 怨霊あらわる
第七章 『源氏物語』登場
第八章 産声
第九章 紫式部「御堂関白道長の妾?」
第十章 主張する女たち
第十一章 最後の闘い
第十二章 「我が世の望月」
第十三章 雲隠れ
あとがき
主要参考文献
『道長ものかたり』関連年表
●『枕草子』の成立について(141頁)
996年頃、第一次「枕草子」
内容は、「春は、あけぼの」等のエッセイ、「うつくしきもの」などの「ものづくし(リストアップ)」
定子の死後、定子の「思い出の記」を書いて拡散させた。
☆関連図書(既読)
「藤原道長」北山茂夫著、岩波新書、1970.09.21
「平安人物伝藤原道長(コミック版日本の歴史44)」静霞薫原作・中島健志作画、ポプラ社、2015.01.
「紫式部日記」紫式部著・山本淳子訳、角川ソフィア文庫、2009.04.25
「桃尻語訳 枕草子(上)」清少納言著・橋本治訳、河出書房新社、1987.08.31
「桃尻語訳 枕草子(中)」清少納言著・橋本治訳、河出書房新社、1988.12.20
「桃尻語訳 枕草子(下)」清少納言著・橋本治訳、河出書房新社、1995.06.30
「散華(上) 紫式部の生涯」杉本苑子著、中央公論社、1991.02.20
「散華(下) 紫式部の生涯」杉本苑子著、中央公論社、1991.02.20
(アマゾンより)
【大河ドラマ『光る君へ』が深く理解できる!】
誰を恐れ、誰を愛したのか––––
最高権力者の知られざる素顔
道長は、一家の末っ子だった。元は最高権力者に就く立場になかった彼に訪れたのは〈幸ひ〉と呼ばれた天運––––。兄たちを襲った立て続けの死や政治的ライバルの自滅があったからこそ掴んだ頂点の座だった。だが死者や敗者、つまり他人の不幸を踏み台に極めた栄華ゆえ、道長はしばしば怨霊に取り憑かれ、病に伏した。読者は「怨霊」の存在に戸惑うかもしれないが、著者は「それを非科学的と嗤っては道長の心を覗けない」と釘をさす。
では、はたして道長はどんな思いで��き、そして死んでいったのか。
自身の手による『御堂関白記』や同時代の貴族による『小右記』『権記』など一級資料のほか、『紫式部日記』『枕草子』など女房たちの実録、道長の死後に成立した『栄花物語』『大鏡』など歴史物語もひもときながら、一人の人間の心の〈ものがたり〉を照らしていく。
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大河ドラマ『光る君へ』を見ていて平安時代のことをもっと知りたくなって手に取りました。
すごく分かりやすく読みやすいので、道長の人生を知るのに最適な本だと思います。
当たり前ですが、大河の藤原三兄弟と史実は全く違いますね。特に道兼は、実際は和歌が得意で風流な人物であったようなので、大河の暴力的な設定はちょっと可哀想だな…と思ったり。
定子は兄の道隆の娘で彰子は道長の娘だということも知らなかったので、勉強になりました(それぞれ清少納言と紫式部が家庭教師として付いていてライバル関係にあるということしか知らなかった)。定子は兄の娘でつまりは姪なのに道長が娘を中宮にするために虐めて邪険にしたというのは可哀想ですが、この時代親の身分が高くないとか親が死亡して有力な身内がいないことが如何に大変なことなのか、よく理解できました(それは貴族だけではなく天皇の息子も同様)。
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2024大河への助走⑨
倉本一宏先生の著作は何冊か読んだけど、本作は歴史物語の記述にもかなり踏み込んでいておもしろかった。ドラマで「心の鬼」が表現されるのか、楽しみ。
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山本さんの本は、本当に分かりやすく、当時の生活がよくわかる。
道長が権力を手にしながら、蹴散らしてきた敵の悪霊に苦しむ姿が、よくわかった。
ファミリーの結束が大事だと思った。
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分かりやすく道長の一生が綴られている。ひたすら年譜を読むようなものなので、教科書的な印象。なかなか一気読みとはなれず、他作品にくらべ読み終えるまで随分時間がかかった。
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道長といえば、日本史で必ず教えられる「この世をば〜」、平安朝で栄華を極めた最高権力者。
実は、若い時から栄華が約束されていたわけではなく、いろんな意味で「幸い」人だったこと、そのために、心身がすぐれない時も多々あったことを知りました。
1000年前の人も、いろいろあるのね、
なるほど、なるほど。
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紫式部研究者の山本氏が「藤原道長の心」を歴史資料や文学、和歌などを基に探る。文学研究者なので歴史学者とはちがったアプローチ方だ。「御堂関白記」や「小右記」「権記」などの歴史資料は最も重要視したが、文学資料も重要で、心情を知るための一次資料としては和歌は見落とせないという。和歌は詠み手の思いをのせて相手に伝えるコミュニケーションツールでもあり、詞書などにより詠んだ状況が明らかな場合は当事者の証言として扱えるという。
道長は、立ちはだかる権力者の死により「幸運にも」地位が転がり込んだ、と見える。だが、やったぜ、と手放しには喜んでいないと山本氏は見る。兄達の死や甥達の転落、さらには定子には彰子とのからみもありいじわるもし、あげくに死んだ。その疚しさに苛まされたというのだ。道長は仕事の重責でたびたび病に臥し、治る、を繰り返す。当時病は物の怪、怨霊の仕業だとされたが、怨霊こそは自身の抱える疚しさから生み出される恐怖なのだ、という。
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も 無しと思へば
この歌は道長の「御堂関白記」には記されておらず、実資の「小右記」に記されている。従来は「この世は私のものだと思うぞ。満月の欠けたところもないと思うと」と権力を独占した喜びを詠んだとされたが、山本氏は和歌の解釈としては正しくないという。和歌の型に従い、掛詞や修辞法、見立てや寓意の手法などをふまえ精密な読解が必要だとする。
それに従うと、「世」は「夜」を掛けたもの、「我が世」は「我が世の春」のような人生最高の時を言うと解釈するのが正しいという。「小右記」では、『云く、「誇りたる歌になむ有る。ただし宿構に非ず」てへり』とあり、これは「浮かれた歌」と照れていた、とあることからだ。
歌を詠んだのは紫宸殿の威子立后式のあと、自宅土御門邸での二次会の席で、その時実資、長男・頼通、左大臣・顕光、道長、右大臣・公季、の五人で盃を酌み交わしており、「望月」は「さかづき」の洒落と「后」(月に喩えられる)のふたつをかけているという。この二つの洒落で、
・・后の席は娘たちで満席、そして息子・頼道を盛り立てて盃を交わしてくれる固い結束の大臣たちがいる、今夜は十六夜で満月ではないが、これは満月ではないか、我が人生最高の時だ、と詠んだとする。
しかし、山本氏、「紫式部ひとり語り」のように、俺は~ みたいに一人称で一冊書いてくれないかなあ。
メモ
<婚姻関係> 血が濃い・・
叔母・甥婚、異母姉妹婚、いとこ婚の繰り返し。
道長の兄・道兼は異母姉と結婚している。妻問婚だから母がちがうと一緒に育つわけではなく疎遠だったのかも。後一条天皇は母と妻が同母姉妹。
<倫子、彰子の存在>
道長の出世保全のため全力を尽くす倫子。そして三后同立を促したのは今や太皇太后となっている彰子だった。この二人に興味が湧いてきた。
三后同立をしたいがなかなか踏み切れない道長に、彰子は、道長と摂政頼道を呼ぶと言った。「尚侍立后すべき事、早々たるを吉とすべし」・・威子の立后をはやくしたらいいでしょう。すると道長は「宮の御座すを、恐れ申し侍り」・・いやいや太皇太后様も妍子中宮様もがいらっしゃるのに、恐れ多いことです。というと、「更に然るべき事に非ず、同様のこと有るを以って、喜び思ふべきなり」・・全く憚ることはありません、同様のことが以前にもあったのですから、と堂々と言う。
「御堂関白記」寛仁2年(1018)7月28日
・この時、后は最高位の太皇太后が彰子、次の皇太后が空席で、皇后と中宮にはそれぞれに娍子と妍子がいた。彰子は空席の皇太后に妍子を転上させ、空く中宮に威子を立てようというのだ。すると娍子以外の3人が道長の娘となる。
太皇太后・彰子(現・後一条天皇の母)
皇太后・空席
皇后・娍子(故三条天皇后)
中宮・妍子(故三条天皇后)
↓
太皇太后・彰子(現・後一条天皇の母)・道長長女
皇太后・妍子(故三条天皇后)・道長娘
皇后・娍子(故三条天皇后)・済時娘
中宮・威子(現・後一条天皇の后に)・道長娘
後一条天皇1008-1036
道長の娘
彰子988-1074 一条天皇后・後一条天皇、後朱雀天皇母
妍子994-1027 三条天皇后
威子1000-1036 後一条天皇后
嬉子1007-1025 後朱雀天皇后
<敦明親王の春宮退位>
一条天皇が1011年に亡くなり、三条天皇となった。三条天皇には愛妃・威子(済時娘)との間に、敦明親王がいて春宮と決まっていた。道長にとっては彰子の子敦成親王に皇位をもっていくために、邪魔な存在。だが、ここでも道長の幸運? 敦明親王は自ら春宮退位を申し出た。が、母の威子は不賛成だったようだ。敦明親王は素行が悪く、道長は三条天皇や敦明親王に春宮にふさわしくないとマウントをかけていたが、自ら退位を申し出た。
<ブラックホール化する後宮サロン>
1018年、後一条天皇は11才で元服する。このころ倫子は道長家以外の上級貴族の娘を次々に女房として吸い上げていた。これが紫式部日記で描かれる、女房が上級貴族の娘ばかりで、事務官としては役に立っていない、と記した所以だった。なるほど。
2023.12.25第1刷 図書館
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大河ドラマはまだまだ事件が起こることがわかりました。何人も亡くなるが、何人も生まれ、姻戚関係が広がり巨大ファミリーが築かれるも、ファミリーの幸せと、疫病、怨霊に恐れ慄きながら生きていく様がドラマの見所でしょうか。「小右記」を記した実資、「権記」を記した行成が道長の観察眼に優れているようでドラマで活躍してほしいです。