投稿元:
レビューを見る
特に知識なしで読み始めてしまい
時代背景が飲み込めず、ひたすら
もどかしく哀しい気持ちになっていった。
解説を読み著者の自伝的な位置付けや家長が結婚を決める時代背景を知る。
読んでいて、文学への想いを抱えて気持ちを随筆、自伝小説にこめていく姿が「更級日記」を思い出させた。
当人が「恋」であることに気づいてない感じが、解説を読んで理解出来た。それくらい恋をすることが禁じられていたのね。
投稿元:
レビューを見る
自伝的な中編。一八九四年(明治二七年)に札幌で生まれた女の子は文学少女となっていくが、その頃は文学や恋愛は不道徳なものであり、お裁縫に長けた姉と母に虐げられ、周囲の男たちからは揶揄われ、当時としては当然のことながら勝手に顔も知らぬ男を婿養子に迎えることを決められたり、と、散々な青春時代を歩んでいく。しかしそんな時代にもちゃんと理解者は現れる。それが主人公(というか森田たま)を勇気づけていく。正直いってあちこちなんだかなあと思う箇所はあるけれど、それは、今の時代に読むから思うこと。最後の一文には、現代に生きる自分も共感。姉との別れの場面はとても切なくも愛おしい。
投稿元:
レビューを見る
明治末の北海道札幌で幼少期を過ごした著者の自伝的小説。
私も子供のころ札幌で生まれ育ったのだが、さすがに明治時代の様相はわからないなー、と思いながらも、著書の素晴らしい描写により様々な感覚が記憶に呼び戻された。雪解けあたりの地面の匂いとか肌に当たる冷気とかなんだかはよく知らない木の実が宿る頃のまとわりつく空気とか。ああ、著者も私も北海道の人間なんだなぁ、と時空を超えて感じさせてくれた不思議な書物であった。
投稿元:
レビューを見る
「誰からも離れて、たった一本、山の頂に咲いている桜の花のような女になろう」
「女はたれもかれも、鋳型へはめられて、しやぼん玉を吹くようなのんびりした心の遊び」を失ってしまう
良かった。
投稿元:
レビューを見る
「本読む少女は生きづらい - 明治末の女学生・野村悠紀子の青春と苦悩。少女小説の傑作、待望の復刊!」との帯に惹かれて読んでみれば、何という名作!この手の本を眠らせておいて、本が売れないとか言っている出版社のなんと多いことか…
冒頭「風が、土が、日光が、果実をそだてるとおなじように、その土地の少女もまた、うるわしい果実の一つとして成長する。」と詩的な文章で始まる本作は、明治末に北海道札幌で生まれた、一少女の成長物語。著者自身が幼少期を過ごした経験を踏まえた、半自伝的小説です。
主人公の悠紀子は、文学が好きで、空を眺めていたり、林檎畑に出かけたるのが好きな女学生。しかし、当時は良妻賢母を良しとして、文学に傾倒する女性は不良扱いされる時代。当然、周りから偏見の目で見られたり、勝手な噂を立てられたりしますが、頭の良さが災いして、つい反抗的な態度を取ってしまいます。
そんな彼女が、数々の困難に遭遇し、少しずつ成長していく姿に心打たれます。特に後半、故郷を離れて内地に行って受け取った、反目しあっていた姉からの手紙をもらった場面が心に染みました。
なお、時代が古いですが、現代でも同じような悩みを抱えている女性は多いと思われるので、女性が読むとより共感できるかもしれないですね。
追記:発刊が1940年と古いですが、新字新かな遣いで読みやすかったです。表紙のイラストも好きです。あと、巻末の解説も秀逸で、当時の世相と著者の来歴が紹介されています。著者がリアルで家を出る契機になった母の痛烈な言葉が心に刺さりました。
投稿元:
レビューを見る
次は何を買って読もうか悩んでいた時ふと目に入った、誰かを待っているかのようにひっそりと置かれた純粋ながらどこか哀愁を漂わせる少女の表紙。
すぐに購入して読み進めると、現代とは時代の背景がだいぶ異なるものの情景がすんなりと目に浮かぶような繊細な表現に引き込まれた。国木田独歩という小説家が度々登場するが、"独歩"というワードが、さまざまな人に囲まれた独りの少女の感情と重なっているような気がして個人的にお気に入りのポイント。
終盤に書かれた、主人公と仲の悪い姉からの手紙は涙せずには見られなかった。何処か間接的な大人、女性への偏見、許嫁等が当たり前だった封建的な時代の苦悩(現代にも通ずる)を受けながらも、純粋無垢で真っ直ぐ、生涯自分の意思で生きようとする石狩少女の姿に、心打たれた。
そのままでいいのだと、背中を押してくれる小説。
投稿元:
レビューを見る
森田たまさんの復刊、手にとれてよかったです。
明治という時代に良妻賢母になろうとは思わず将来学問で身を立てたいと思っていた悠紀子はこの時代では珍しかっただろうと思う。でも、いつの時代も周りがそうだからと合わせることなく、女性であるとか関係なく自分の道を自分で切り開く人が必ず1人はいるんだなと思いました。
男性でも、女なんだから学問などしなくてもよしと考える人ばかりではなく土屋先生のように「あなたは必ず文章で身をたてる事のできる人です」と言ってくれる人もいて、この時代にそう言ってくれる人と出会えるのは稀だったんじゃないだろうか。
フェミニズム的なものを感じました。
投稿元:
レビューを見る
「本読む少女は生きづらい」明治末の北海道で文学や自然を愛した著者の自伝的小説。文学かぶれして煩悶が何とか言うだけで不良少女とされ周囲の無理解に苦しむが、理解し背中を押してくれる存在にはどんなに心強かったことか。詩的な自然描写、揺れ動く感情の表現に酔いしれた。