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久邇宮家関係書簡集 近代皇族と家令の世界 みんなのレビュー
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紙の本
色々と知られざる事柄が出て来る本
2024/03/18 21:43
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
小山いと子の「皇后さま」が香淳皇后が昭和天皇のお妃として選ばれる過程で他に従姉の方子女王と一条朝子が候補者と書いたので一人歩きしている話は、この本で紹介されている邦彦王の「大正(6)年9月27日」付の書簡に引用されている貞明皇后の言葉で大体否定される。この解説で紹介されている「皇后四代の歴史」には一条朝子を取り上げた新聞記事が紹介されているが貞明皇后は不快に思ったらしく「新聞にあるを以て不可(絶対に)」だ。「梨本宮のは姉か朝鮮に嫁するを以て不可」は言下で方子女王ではなく妹の規子女王を指している。「故に小生の処の三人中一人は年齢近きに失すると云ふもの」なので昭和天皇とは2歳年下の良子女王なら同い年の方子女王や1つ下の一条朝子も「不可」になる。話が進んでいた智子女王の婚儀を一時中断したとおぼしき個所があるので一時は昭和天皇より3つ年下の信子女王か5つ年下の智子女王が「お妃候補」になっていたようだ。それが何故良子女王に戻って成婚となったのかが出て来ないのと信子女王の夫候補は島津家らしいのに三条西家となったのかが書かれていないのが残念だが。
小山いと子の「皇后さま」が昭和天皇の「お妃候補」は良子女王の他に方子女王と一条朝子がいたという「通説」?に関して昭和31年に刊行された「皇后さま」より6年前の昭和25年に刊行された張赫宙の「秘苑の花」に「お妃候補」として香淳皇后と方子女王の名前が列挙された個所がある。小山いと子が「秘苑の花」を読んだか引用したか孫引きして一人歩きした記事を読んだ可能性は否定出来ないだろう。「秘苑の花」は新本で読めるのに出てこないのは王公族に関心がない人が「皇后四代の歴史」の該当個所を書いたからか張赫宙や「秘苑の花」の存在自体を知らなかったからかは分からない。
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