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言葉、現実、嘘、機械と生身の脳、道徳などさまざまなテーマがごちゃ混ぜなお話で混沌としていた。が、読みやすさはありのめり込んで読めた。芥川賞作品てわかりにくくて読後にスッキリしないなあ…
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芥川賞受賞作品
題名や帯からは予想もしていなかった内容。建築士が主人公の本は初めてで、建築物が好きな私にとって(まだまだビギナーだが)とても視点が面白かった。
私自身、言葉を概念として捉え、日本語を大切にしていなかったと強く思った。
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感想
良いこととは何か。誰かが決めたわけではない。みんなが同意した基準もない。だけど言葉の良し悪しは判断される。理不尽だが仕方ないこと。
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読み終わるまで時間がかかり、少し難解なところもありました。常時主人公視点で物語が展開するわけではなく、友人の男性であったりインタビューアの外国人であったりとさまざまな人の視点に切り替わり、物語が進んでいきます。そのため、切り替わるときにこれは誰の視点だろうか?と一瞬戸惑うことがありました。
主人公の考えや話し方の傾向が、分析的でかつ客観的。なのに伝えようと言語化すると回りくどく表現されているのが印象的です。
読み終わった最初の感想として、言葉と行き過ぎた配慮がテーマになっているのかな?と感じました。
物語の要所要所でAIと会話をする所があるのですが、内容が現在のAIでも答えそうな配慮がされているが視点がずれている、平等性を突き詰めたような内容となっているのが、今の世相を映しているようでした。
相手に配慮するが故に新しい言葉が生み出され、しっくりこなかったり意味が曖昧となっていたりという事もまた、現実の世界でもよくある内容だなと感じました。そして相手とのコミュニケーションで齟齬が生じていくのも、よくある事です。これは言葉の意味にどれだけ重きを置いているかの違いなのでしょうか。
もっと言葉について学んでから再読してみようと思いました。
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芥川賞受賞作品ときくと、純文学はちょっと、、と手に取らない方もいますが、とても読みやすかった。中学生から読めると思います。九段理江さんの他の作品も読んで見たくなりました。
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祝芥川賞。
生成A Iを駆使して執筆したという今どきの作品。
東京都同情塔は刑務所のような施設だが、収容される人は従来「犯罪者」と呼ばれ差別を受けてきた「ホモ・ミゼラビリス」=同情されるべき人である、といにも今どきありそうな設定で笑ってしまう。
しかも東京都同情塔は、新国立競技場(ザハ・ハディドの設計のやつ)のすぐそばというロケーションで、入ったら出たくなくなるような住み心地の良い「言葉にならないほど幸せ」な施設。
とんでもないですわね。
で、この小説のテーマはおそらく「言葉の存在意義」なんだと思う。
人間が言葉で理解し合えないのなら、何のために言葉は存在するのか?という。
難しいけど、知的で読んで満足できる小説です。
さすが、芥川賞!
♫魔法のコトバ/スピッツ(2006)
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めちゃくちゃ面白かった。同時に、すごいものを読んだ!と感じた。
この小説は建築家・牧名沙羅の人生の一部を切り取った物語というより、思考と気づきの変遷と言った方がいいかもしれない。
建築家が大きな建造物をデザインすることにどれほど悩み、どのように意思決定をしているのかを描いた職業小説と読むこともできる。
———あらすじ(公式より)————
日本人の欺瞞をユーモラスに描いた現代版「バベルの塔」。
ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。
犯罪者に寛容になれない建築家・牧名は、仕事と信条の乖離に苦悩しながら、パワフルに未来を追求する。
ゆるふわな言葉と実のない正義の関係を豊かなフロウで暴く、生成AI時代の預言の書。
———あらすじの補足(シンパシータワートーキョーについて)———
この小説は前提条件(設定)が多い。
舞台は近未来(2026年)の東京。
とは言っても、現実世界ではアンビルドになってしまったザハ・ハディド案の国立競技場が建設され、予定通り2020年に東京オリンピックが開催された並行世界の東京である。
その並行世界に建てられる予定なのが「シンパシータワートーキョー」というタワマン型の犯罪者の収容施設(刑務所)。
「シンパシータワートーキョー」のコンセプトは既に決まっている(デザインは決まっていない)。
それは社会学者で幸福学者でもあるマサキ・セトが提唱する思想を反映したもの。
簡単にまとめると
・犯罪者は同情(=シンパシー)されるべき存在である。
・なぜならば犯罪者は加害者である前に被害者である。というのも生まれた環境などによって、犯罪を犯さざるを得なかった人が多いからである。
・むしろ犯罪を犯さずに生きてこられた人は、幸福な特権を持っている。
・ゆえに、犯罪者も幸福を平等に享受するべきである。
というもの。
犯罪者を犯罪者と呼ばず、『ホモ・ミゼラビリス』と呼ぶことさえ提唱している。
このように「シンパシータワートーキョー」のコンセプトはすでに出来上がっており、2030年に完成予定である。
———あらすじへの補足(主人公について)———
主人公は建築家の牧名沙羅。
冒頭は、沙羅が「シンパシータワートーキョー」のデザインコンペに参加を決め、ホテルの一室で頭を悩ませるシーンから始まる。
というのも、既に決定された『シンパシータワートーキョー』という名称が気に入らない。考えるほどに苛立ちが増していく。
『タワープロジェクトの中身にはコミットしない。あくまでデザインのコンペに参加するだけ』と自分を無理やり納得させても、モヤモヤは残ったままだ。
しかしデザインコンペに参加することは、それを肯定していると認識されてしまわないか?
過去の体験から犯罪者に寛容になれない(タワーのコンセプトにそぐわない)自分がいることにも気��つき、仕事と自分の乖離に悩む。
おもしろかったポイント①——建築家の思考回路
沙羅は建築家であるがゆえに言葉に敏感である。
建築家が書いた言葉やドローイング(図面)は、絵画のようにそれそのもので完成となるものではなく、あくまで下書きであり計画書であり、最終的には実現する(してしまう)からだ。
そして、どのような言葉を良しとして、どんな言葉を良しとしないか、それを判断する人(頭の中の検閲者)が存在するという。
沙羅はそれは建築家の職業病だと言い、そのせいで悩むけれど、自分が建築家であることには微塵も後悔などしていない。
むしろ誇らしい職業だと捉えていて、ホテルの一室からライトアップされたザハ・ハディドの国立競技場を目にして次のように感じている。
「最初はただひとりの女の頭の中にしかなかったアイデアが現実化し、現実の人生なり感情なりを個々に抱えた人間たちが物理的に往来する。奇跡としか言いようのないそんな光景を、私はいつまでも飽きることなく眺めていた」
沙羅にとって建築物は作品ではあるが、それと同時にこの世界に実在する建物であり、人々の暮らしに影響や変容を与えるものである。
自分がデザインした建築物に不特定多数の人々が往来することに、興奮と生きがい、建築家冥利のようなものを感じているのである。
そして建築物というのは、その大きさゆえに
未来を指し示すべきものであり、都市の未来を形作るものでなければならない。反対に建築のエラーは、未来のエラーになる。
建築家は未来がわかる。一度建てたら取り返しのつかないものを構想するのに、「未来はわからない」などと悠長なことを言っているようでは話にならない。
とも語る。
僕は今まで、世界が先にあると感じていた。世界が先にあり、それを自分なりの解釈や法則、気づきに基づいて、切り取って小説・漫才・コントを作ってきた。あるあるなど、その最たるものである。
先に言葉がある、そしてそれが未来の都市を作っていく——そんな建築家の思考回路はかなり新鮮で、発見があった。
また美少年・拓人(もう一人の主人公とも言える)に出会ったとき、その美しさを『テクスチャーとフォルムが完璧』という言葉を使って、建築物に例えながら感動しているシーンも最高だった。
おもしろかったポイント②——小説家として楽をしていない、がゆえに最高の小説に仕上がっている
普通ならば「東京都同情塔」の設定が思い浮かんだ時に、その中で暮らす住民、もしくはスタッフなどを主人公にすると思う。
簡単にユートピア、またはディストピアに暮らす人々の物語が書けそうだし、それでも十分面白くなりそうだ。
または「シンパシータワートーキョー」のコンセプトの元になった幸福学者マサキ・セトを主人公にする。
マサキ・セトの思想に行き着くまでに、どのような出会いや考えの変遷があったのかを描けば、読者が犯罪について考えるきっかけになるような小説を完成させることが出来たように思う。
例えばマサキ・セトが殺人事件の遺族で、みたいな設定にすれば、どのように加害者への復讐心を乗り越えたのかを描く社会派の小説になったように思う。
しかし本作は、マサキ・セトの思想は既にこの世に存在している前提で、それに苛立ち悩んでいる主人公を設定したことがすごい。
まだマサキ・セトの唱えるようなことすら議論され尽くされていない状況で、それに対するアンチテーゼともなる主人公に物語を託したのは、かなり度胸と勇気があることだと思う。
読者としては、理解しなければいけない思想が二つになる。大幅に増えてしまう。
それなのにこのボリュームを中編にまとめ、余すところなく主人公の思考の変遷と、それを取り巻く状況を描ききり、読者に考えさせる余地まで残している。
うまく言語化できたのかはわかりませんが、とにかくすごかった。
めちゃくちゃおすすめです。
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帯に「AI時代の予言の書」的なことが書いてあり、世間でもAIを駆使して作った作品だと話題になっていて、とても興味が湧いた。
読んでいて発見だったのは、「AI」について考える時、「言葉」の問題が必ずついてくるということだ。AIは世界に無数に散らばっている言葉を分析して学習して、そこから言葉を生み出す。だからこの作品を読んだときに「日本語」について考えることにつながるのかと思った。
常々カタカナ語には頭を悩まされている。現代文の授業をする際、カタカナで書かれた小難しい言葉を見ると、日本語で書けばいいじゃないかと思う。確かに便利な側面もあるけれど、多くの人が知らない言葉(使っていけばそのうち広まるんだけれども)を、わざわざ使おうという感覚は理解できない。
その先にあるのは、「日本人が日本語を捨てる」という未来なのかもしれないなと、半分くらい作品に共感した。
それから「同情」については、人間の本性に迫るキーワードになっていて、そちらはそちらで興味深かった(これはもう少し自分に落とし込まないと語れない)。
芥川賞に選ばれる作品は、なまものだなぁと思う。理解するのは難しいし、すんなり読めないもどかしさはあるけれど、これからの時代を考えるにあたって、この作品を読めて良かったと毎回思わされる。
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Amazonの紹介より
第170回芥川賞受賞作! 日本人の欺瞞をユーモラスに描いた現代版・バベルの塔
ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。犯罪者に寛容になれない建築家・牧名沙羅は、仕事と信条の乖離に苦悩しながらパワフルに未来を追求する。ゆるふわな言葉と、実のない正義の関係を豊かなフロウで暴く、生成AI時代の預言の書。
芥川賞を受賞されたということで読んでみました。
芥川賞作品の中では、比較的読みやすい方でした。文章の表現として特徴的だったのが、プツッ、プツッと短い言葉で句点をうっていることでした。
「○○しなければならない。〇〇べきだ。」
といったように時折、句点と句点の間の文章がとても短めに登場します。リズミカルではないのですが、読む時、アクセントとして印象深くさせてくれました。
どこかの記事で読んだのですが、生成AIが一部導入されているということで、どこの部分かはわかりませんが、文章としてどことなく冷たい印象もありました。
登場人物に文章が寄り添っているわけではなく、どこか突き放していて、嫌っている?あるいは無機質といいましょうか、淡々としているのか、登場人物達に文章が冷たくあしらっている感覚がありました。
もしかしたらそれは短めな文章の影響なのか、生成AIが書いたのかわかりませんが、全体的にそれが特徴的なんだなと思いました。
内容を見ていくと、文章の表現について深掘りしていました。特に印象深かったのが、同じ意味なのに漢字表記とカタカナ表記にすることで、違う印象を受けることでした。
漢字だと堅苦しく、どこか突き放している印象でした。ところが、カタカナにすると、表現が柔らかく、親近感が生まれます。
ただ、これを犯罪といった言葉が絡んでいくと、違和感が生まれます。文字の不思議さと気持ち悪さを感じました。
今まで、そういった再発見に注目することがあまりなかったので、「確かになぁ」と新鮮味がありました。
また、一つの出来事によって、様々な解釈をするということが描かれています。そりゃ、全く同じ考えを持っている人はいません。人が多ければ、それだけ考え方も様々です。
小説内では、賛否両論の意見が書かれていましたが、第三者としての読者が読むと、
「なんでそう思う?」
「その意見は同感だな」
といった、また新たな解釈を発見することができました。
ただ、それはなかなか一歩前に進めないことに繋がります。
いくら話をしたところで平行線のままであります。
本編では、様々な意見が飛び交いますが、なんか論点をずらして語っているものもあれば、話をごちゃごちゃにしているものもあって、他人と生きることの難しさを感じました。
言葉の表現によって印象を変える。なんとも魔法のような存在感でしたが、目の前にある印象だけでなく、本質の部分を探らなければいけないなと改めて感じました。
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芥川賞受賞ということでミーハー心に火が着きすぐに書店に向かった。
ただ自分には少し早かった
綺麗事や建前により情報伝達が疎かになり表面上クリーンな世の中になってしまった漂白社会の皮肉。
カタカナを使うことで表現がマイルドになり言葉が刺さらない。
困った時はカタカナを使えばいいという悪いことを思いついたりつかなかったり...
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全然わからなかった。
あまりにも観念的な描写が多くて、様々なテーマが交錯していて、どれも自分の中では消化不良のまま終わってしまった。
マックスクラインの記事は好きだった。
自分がもっと「言葉」というものに対して意識的になったらわかるようになるのかもしれない。
少なくとも、「生成AIで書いた小説なんてけしからん!」って言ってる人たちが概ね大馬鹿ものであることは理解できたので一読の価値はあった。
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・出るべくして出た作品という印象。
東京都同情塔はその時代に住んでいる人々や文化を象徴したシンボルタワーに思えた。平等で寛容で適切で清潔な世界に住む意味などを考えた。
多様性に忖度するとこうなるのかというディストピア小説。
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建築と言語を結びつけて、存在の規定について考えたことがなかったので非常に新鮮で面白かった。
平等、多様性というキーワードの本質を捉えきれないまま、言葉の持つ意味を暴走させたまま現実の議論が進めば、東京都同情塔が実際に建つ未来もあるのだろう。
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これが言いたいのか?と感じるが少ししてどうやら違うかも、と感じる体験を何回か繰り返した作品だった。
検閲者といった牧名の内で起こる思考や彼女の台詞、現代すでに見え隠れしている不安が現実となった日本など、これから十分訪れる可能性のあるディストピアを、強烈に言語化している印象を受けた。
舞台はタイムリーで、哲学的なアプローチもできる。楽しく読むことができた。
オリンピックやザハの競技場周辺の出来事を当時追っていればさらに楽しめたかもしれない。
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第170回芥川賞受賞作
よく訪れるソウルで見慣れたザハ・ハディドのDDP
人々が集い語らい合うあの美しい建築物がもし東京にあったなら…
「仮にザハ案が白紙撤回となれば、東京の景色は古いまま、そこに住まう人々の視野も価値観も、化石のように停滞してしまう。」p45
これがまさに今の東京か
そこに立ち並ぶ東京都同情塔
「行き過ぎた多様性受容、平等思想のなれの果て」p93
「中に足を踏み入れた者に、我々のいた世界の方こそが牢獄だと自覚させることに、建築家は見事に成功している」p96
「平等」と「比較」
「snsなどは比較の最たるもの」
「独り言とは真逆の、正しくて、意味があって、衆目を集める主張を、大きな声で叫ぶ人ばかり」
『東京都同情塔』
『トウキョウトドウジョウトウ』
ラップみたい
言葉の羅列が不思議にすんなり入ってきて
読めば読むほどなんとも言えない面白さが滲み出てくる