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説明しないとわからないということは、説明してもわからないということだ、
という感じの本でした。
特に牧名の心情理解はかなり苦しかったです。彼女が何を考えているのか、一読しただけでは掴めなかった。その心情の変化に注目してもう一度読んでみたいと思います。
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普段使わない見ないような
言葉とか言いまわしばかりで
私には難しかったです…。
でも面白くなかったわけではなくて
なんか気になって興味深くて
最後まで読みました!
けど難しかった…。
他の読んだ人の感想とか見て勉強しようと思います!
そしたらきっとなるほど!ってなるはず!!
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著者の意図したものなのか分かりませんが、読了後も心がざわついております。
鉄は熱いうちに打てって事なんでしょうか。
東京オリンピック開催前のごたごた感とAI。
どちらもイマドキのテーマです。
ちなみに、今年はオリンピック開催年。
オリンピックの年になると、2020年の東京オリンピックのあの感じを思い出しそうです。(何を隠そう、我が家では「今でもあれは何だったんだろうか?」と話題になっている)
全く共通点がなさそうなオリンピックとAIを「東京同情塔」で結んでいるように思えました。
現時点では建築不可能な建築物の例として、国立競技場のザハ案で説明していると解釈しました。(結構なページ数です)
こちらは物理的に不可能な建築物ですが、「東京同情塔(シンパシータワートーキョー)」は精神的に建築不可能な建築物なのだと思います。
新宿の一等地に都庁や高層ビルと並んで犯罪者・受刑者を収容する高層な建物(東京同情塔)を建てるって、かなり難しいですよね。。。(罪を犯す理由があったとしても。そこは同情できるけど、犯罪を犯したことは同情できない)
建物の高さって人間のステータスや身分の象徴だと思うのです。
高所得者・エリートの人と犯罪者とで目線が一緒って、前者の方はかなり複雑な心境になると思うんですよね。高層ビルの上から下を見下ろした時の優越感が味わえなくなるのって、どうでしょう?
プライドが許せないと思いませんか??
エリート、高所得者だから出来る事を犯罪者もできるようになってしまう。しかも、彼らの税金を使って東京同情塔で生活している。
それらを考えると、東京同情塔が建つって事はまずないと思うのです。高額納税者は絶対に嫌がると思うし、東京同情塔を見るたびに心がざわつくことは間違いないでしょう。
(高額納税者でなくともざわつくよ)
心がざわつく建築物つながりでザハ案の話が効いてきます。
そして、このストーリーはAIと人間の関係性についても書かれています。
(このストーリーが斬新)
AIがいかに人間に近づいていくのか?を取り上げた(シンギュラリティー)ものは見かけます。
しかし、こちらの小説は逆。
人間がAI化した先にあるものは?なのです。
マキナさんとタクト君の無機質な会話はAIに影響された末路なのかもしれません。
(最初はロボットなのかと思ったけど、人間だった)
会話に感情が感じられないのです。
しかし、以下の感情がある限り、人間とAIは切り分けられるのだと思います。(これが人間であるための救いとなる)
”でも僕の目を通した建築家の女の人じゃないと、なんか伝記にならないんだよ。なんとなくだけれど、でも絶対に、『違う』って体が拒否してる。僕の中に住んでいる検閲者が、それは伝記じゃなくてただの文章だって言ってる。フォルムとテクスチャーがない、ただのクソ文、ファッキン・テキストだって”(抜粋)
そして、この感情が残り続ける限り「東京同情塔」は建設されないのではないでしょうか。
個人的にこんな風に解釈してみたけど、どうなんだろ。
浅はかすぎるだろうか。
いろんな切り口のある小説であることは間違いないです。
なんだかまとまりませんが、この辺で。
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まだ中身を理解しきれていないが、仕掛けが面白い本。
例えば、p55の「豊かで恵まれた、ほとんど何でも持っている、前途洋々の、顔が綺麗な若者」という太文字の文章が後にマックスの言葉の引用であることは発覚するなど。このような太文字の引用やChat GPTの文章生成、そしてマキナの頭の中の『検閲者』など、この作者は言葉というものの描き方が上手すぎる。
そしてChat GPTの文章が本の中にスッと馴染んでいるのも心地よい。これは舞台が近未来だからという理由も勿論、マキナの思考回路が論理的で言葉に敏感だからという理由もあるだろう。マキナのキャラクターは、p27にて拓人の『ナンパ』という言葉を訂正した際のものにはっきりと表れており、可笑しみのある台詞で好きだ。
そして、ずっと言葉に関して考え続けているマキナではなく、一瞬「シンパシータワートーキョー」を見ただけの拓人が「東京都同情塔」という言葉を思いつく構成が良い。言葉についてあれこれ検閲しながら考えていると、感覚的な言葉の発露の可能性を失ってしまうのかもしれない。
今後生成AIにより小説世界はどのように変わっていくのか。わからないが、私は頭の中にあまりにも厳密な検閲者は現れないことを祈る。
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何やら今までの思考の枠組みを揺さぶられる感じがする。張り巡らされたテーマに、いくつもの問いが浮かんでくる。この塔はいったい何を象徴しているのだろうか。
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言葉の話だ、と思うのに、さまざまに込められていて頭が追いつかない。『ニムロッド』に似ている。天上に近づく塔を建て神に近づこうとした人間は、言葉を散らされ互いに言っていることがわからなくなった。他者を不快にする言葉を封じる。自分だけの表現をして誰にも伝わらない。全てが独り言。自分の言葉で語らず、生成系AIに言葉を翻訳してもらう。差別的な表現にならないように、自分の中にも検閲者がいる。
他者に寛容な日本人、犯罪者は環境がそうさせただけで同情すべき相手=ホモ・ミゼラビリスである。幸福学者。日本人は寛容だ、という作中の発言は絶対逆説的に使われていると思う。表面的な寛容さを装って、実際はものすごく不寛容で、暴力的な。言葉狩りでなんだかおかしくなっている社会。自分の意見だけを主張して、Twitterはただ呟くものではなく、意見を声高に主張するメディアになった。誰もが大声で独り言を言い、みんな同じと謳いながら違いに不寛容だ。そんな社会を象徴的に描いていると思うのに、一読しただけではなかなかとらえきれない深い作品。
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建築、日本語、AI、多様性など、約140ページの中で複合的に絡み合う。スタジアムや新宿御苑の独特な描写がよかった。
国立競技場について、ザハ・ハディド案のまま未来が進んでいたら今の日本や世界はどうなっていたんだろうか?とうっすら考えたこともあったが、本書を通して実際に自分の眼で見て見たかったような気に少しなった。
“東京都同情塔”と“シンパシータワートーキョー”、“東京タワー”“昭和塔”。文中の「言葉を無限に生成することで何を覆い隠そうとしているのか?」という問いが心の中でひっかかりを覚えた。言語化することで示されることと、隠されることがそれぞれ確かに存在しているのかもしれないなとうっすら思えた。建てられた塔の存在についても示されたことと隠されたことがあるのかもしれない。
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拓人がベッドで休んでいるあいだの2時間ほど、私はひとりでビールをあけて、黄昏時に刻一刻と豊かに表情を変えていくスタジアムの屋根に陶然と浸っていた。その没入の仕方は、ほとんど自分と屋根とが一体化しているといってもいいほどだった。私はパワースポットのような場所にはまるで興味がない詩、スピリチュアルな感性にも乏しい方だと思う。けれど、ザハ・ハディドが東京に遺した流線形の巨大な創造物からは、何か特別な波動みたいなものを感じずにはいられない。たとえ信仰心など持ち合わせていなくても、文京区の丹下健三設計のカテドラルを見れば自然と神聖な想いが湧き上がってくるように、その屋根はある種、崇高で神秘的なエネルギーを私にもたらしていた。まるでひとりの女神が、もっとも美しく、もっとも新しい言語で、世界に語りかけているかのようだ。私は彼女の話す声に耳をそばだて、時には彼女に返事をした。(pp.28-29)
線の正確さに反して、そこに描かれたタワーらしき建物は、現実の物理法則を無視してひどく湾曲している。彼女の想像力の奇抜さに、僕たちは同じ人間でありながら本当は違う人間なんだと、あらためて断絶を感じざるを得ない。見えている景色、思考の前提があまりにも違いすぎる、たぶん古代オリンピックを近代オリンピックくらい。今までどうやって会話を成立させてきたのか不思議なくらいだし、そもそも成立させてきたと思っているのは僕だけなのかもしれない。(p.62)
閉園後の深夜の新宿御苑は、日中に散歩した庭園とは別の顔になっていた。というより、その空間と僕との関係性が全然違うものに変わっていた。僕が御苑を歩いているんじゃなく、御苑の方が僕を歩かせている。なんというか僕の内部に元々あったはずの考えだったり感情だったりが、御苑に吹く風や木々や芝生に移ってしまったような感じだった。心がざわざわするのは僕が不安なせいじゃなく、密集した木の葉がこすれ合う音を自分の心と取り違えているだけで、でも心よりも期の方がずっと大きいものだから、不安は余計に大きくなる。葉の一枚一枚の音が、翻訳されるのを待っている秘密のメッセージに聞こえる。そして、人が言葉を葉っぱ呼ばわりしてきた訳が、正解はともかく僕の耳の穴から全身に染みわたって腑に落ちていく。すべての言葉がそんなふうに内蔵にしっくりおさまれば、言葉と現実が離れ��れにならずに済むし、彼女も監獄から出られるのに、と思っている。(p.80)
塔は既に、東京の真ん中に隠しようもなく建築されている。けれど僕にとってその建築は、どう見たって破壊にしか見えない。ミサイルや爆弾が投下されたのと何ら変わらない、取返しのつかない破壊。破壊はまるで、どこかの競技場のようにとても美しい姿をしているものだから、今後たくさんの人々が「創造」と呼んだり「希望」と呼んだり「平等のシンボル」と呼んだりしていくのだろうと思う。多様性を認め合いながら共生するのは、とても素晴らしいことに違いない。けれどそのとき僕の目に映ったのは、見間違えようもないくらいの、どのような異論も見ろ目られないほどの、圧倒的な破壊だった。僕はその破壊を誰もが認める「破壊」とするだけの言葉を持っていないけれど、それは破壊だった。(p.87)
私はある時期から日本語を喋る日本人がみんな、一塊の同じ生き物に見えるようになった。同じチューリップが並んでいるだけでそこに個性なんかない。ゆるキャラの着ぐるみみたいに沈黙と中立的な微笑みを着込んで、本音と建て前、ウチとソトを使い分ける、器用で噓吐きで綺麗な黄色いチューリップだ。綺麗な嘘をつくのに慣れすぎて嘘をついている自覚さえもない。いや、君たちは厳密には嘘をついてすらいないんだ。私はこう思う、君たちの使う言葉そのものが、最初から最後まで嘘をつくために積み上げてきた言葉なんじゃないのか?(p.105)
タクト、日本語を知らない私に、君たちの言葉の秘密を教えてくれないか?ホモだかミゼラだかビリスだか知らないが、日本語とは縁もゆかりもない言語から新しい言葉を次々と生み出して、みずからの言葉を混乱させる理由は何なんだ?この建物は公式的、対外的には『シンパシータワートーキョー』となっているようだが、日本人のあいだで別の名前で呼ぶのはなぜなんだ?シンパシータワートーキョーと、トーキョートドージョートーのあいだに、何があるというんだ?言葉を無限に生成することで、何を覆い隠そうとしているんだ?もし仮に、日本人が日本語を捨てたら、何が残るんだ?(pp.105-106)
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ネット記事を見て、「AIを使って文章を作成した小説」という誤解を抱いたまま、読んでしまった感がある。これから読む方は、思い込みをなくして、フラットに読んで欲しいです。
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読み終わった後にスッキリするといった類の本ではなかったけど、読んでよかったなとは思った。
分からないことはAIに聞いて、SNSに思ったことをテキトーに書いて、平々凡々と暮らしている身からすると、なかなか登場人物の気持ちを掴むことが難しかったかも。
この作品を読んだことを、『言葉』『日本語』について考えるきっかけにできればいいなと思った。
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一部生成AIが書いたとかザハの国立競技場がある世界だとか、芥川賞を取った時の紹介がそんな話ばかりだったのだが、建築もAIも興味があるから読んでみたら。
すごく、面白かった。面白かった、なんて陳腐な表現をしてしまうほどに、面白かった。
「犯罪者」が、「ホモ・ミゼラビリス」・同情されるべき人、なんて言うふうに外来語由来の言葉に置き換えて、なんとなく湾曲してどうにかしてしまう。
「東京都同情塔」は、外来語由来の正式名を逆に言い換えた言葉。そこらへんのやりとりだけでも読み応えがたっぷりある。
そんな言葉だけで、僕もまあ同意というか、自分向けに書いてくれたのかとか、挙句、自分が書いているのかと思うぐらいだ。
頭の中に小うるさい校閲者がいて文句を言ってくるとか、ほんと、ページをめくるたびにドキドキしてしまう表現が次々に飛び出してくるのだ。
と、純粋にとても楽しめるけれど、あえて建築絡みで少しひいておくと
「遠い未来の論理で言えば、あらゆる建築は馬鹿げた破壊だと言うこともできる。」
という言葉が終盤に登場する。
どんな建築だって、あらゆる人が賛成し歓迎して建てられるわけではない。そしていつかは壊れる。
建築の、これでいいのだ、と、これでいいのかな、という葛藤も同時に味わえて、一粒で何度も美味しいのだ。
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引き込まれて一気に読んでしまった。テンポが良く、また、扱っているテーマや設定が時代を反映していて、どこか近くで展開されたパラレルワールドの話を読んでいる気分になった。AIが跋扈する時代ではあるが、自分を批判し、自分自身を問うことの中に人間性を見出していける、といった話と受け取った。
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[総論]
◯・「東京都同情塔」
の設計図が見てみたい。
きっと
"アンビルト"
な設計で、構造設計者を
悩ませる事だろう。
×・作者は小説を書く際に、
「膨大な資料を読んだ」
と言っているが、
TVドラマと同じで、
カッコ良い場面だけ抜粋してる
感じがする。
・本の装丁のイラストも、
もう少し何とかならんか?
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新しいカタチのディストピア小説だった。
近未来の東京が舞台で、「シンパシータワートーキョー」の名前で、新しく高層の刑務所を建てる
建築家の物語で、建築家はその名前に違和感を抱いている。 すべてをカタカナで表現することに
違和感を持つ。 そこで、新たに名前の候補にあがつたのが、「東京都同情塔」だった。
第170回芥川賞を受賞した話題作。
生成AIで、文章を創り上げた部分があると、話題になった。
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犯罪者のための新しい刑務所"東京都同情塔"を建てる建築家の話、本作の5%はAIの自動生成がそのまま使われている、という触れ込みで、面白そうだったので本書を手にした。
犯罪者は塔内では自由に過ごせ、釈放が許された犯罪者も誰一人出ていこうとはしないという、ほぼ高層マンションのような居心地。
犯罪に手を染めるのは嫌だけど、俺だってこの塔に住みたいよ、と言っている人物もいたが、どの程度の犯罪者が入居できるかわからないが、人を殺してでも平穏な日常を欲する犯罪者予備軍が絶対いるというか、私でさえも守ってくれる人物がいなくなって社会からも切り離されたらやってしまうだろう。
刑務所自体の話というよりは、建築家の神経質な言葉へのこだわりの話の印象が強かった。
冒頭の建築家の思考文は、情報が詰め込まれすぎて読みずらく、まさかずっとこの調子じゃないだろうな?となんとか読んだが、その後は読みやすいやりとりが始まったのでこの文章の差も面白かった。拓人も、この人はノイローゼ気味なのだろうと思っていて、そう言われてから冒頭の文章を改めて読んだ方が内容が頭に入りやすかった。
カタカナを嫌うこと、何か発するごとに不適切でないかどうかを自身の内部の検閲者に確認をとってから発する行為、などは今の時代のあるあるだ。カタカナ用語が多すぎて着いていけない。
"東京同情塔"と"東京都同情塔"では、響き的に後者の方が好ましいのは分かるが、これを建築家はひどく感激していて、その感激具合を読んでいて私からしたら首を傾げたくなるが、それだけ言葉に取り憑かれているのであろうと分かる。
言葉の検閲というのが1番のテーマだったように思う。私としては、同情塔の仕組みとか、どんな犯罪者が入居してくるのか、入居した犯罪者たちのやりとりなど、そうゆうのをいくらか期待していたので残念だった。
世界観は面白く、建築家のことはあまり共感できなかったが、拓人の、人間が面白いという感性は良かった。
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第170回芥川賞受賞作。本作には生成AIで生み出された文章が5%ほど含まれている、と作者が言及したことで話題になったが、それは恐らく作中に登場する生成AI「AI-built」のことだろう。それ以外の大部分は、文学に触れている、と強く感じさせるような現時点のAIでは決して届かない筆力の強さを感じた。ただ、村上春樹を除くと純文学というジャンルを好んで手に取らないこともあり、投じられる言葉のその先にあるものは一体なんだろうか、と理解が及ばない描写が多かった。今後も、幅を広げるという意味で芥川賞受賞作ぐらいは意識的に読んでいきたい。