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小難しかった。ちらちら立ち読みして読めるかも、と思って購入したけれど、やはり文字を目で追うだけの形になってしまいました。もう少しわかりやすく読みやすいかなと思っていました。
この類の本をすらすらと読めるようになる日がくるのだろうか。
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いつもこういう類の本は最初真剣に読むけどだんだんわからなくなって字追ってるだけになるので、今回は時間をかけてゆっくり読んでみた。
結果、やっぱわからないところは多かった、、
かなり学術的な内容だった。
相手のことがわからないことは当たり前、自分のことを(ある程度)理解してもらえないのも当たり前だと思うと、気持ちはちょっと楽になる。
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感想
他人といる時にどう振る舞うか。悪口が仲良しの鍵になることもある。食事を共にすることと同じ。腹の底を見せ合うこと。綺麗ではいたいけど。
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終始「確かにー」って思いながら読んだ。特に個人的に4章のリスペクタビリティの病はためになることが多かった。世界中ほとんどの人がここで言われる中産階級に属しているだろうからみんな同じような病抱えてるんだろうなって思った。
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この本が1998年に発刊されていること、この2024年に文庫版が発刊されたことの意味を考えています。
他者といる技法について、「理解」の限界とその先にあるコミュニケーションの可能性について示されている。他者といるというその手法について様々な論点から整理されていて、少し前の本ながら読みやすい。
個人的には、本を読み進めながら筆者の案内に沿って共に検討を進めていったその体験に価値があるなと感じました。おすすめです。
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正直な感想としては、あまり良い本とは思えなかった。主張に関しては「まぁそう言えばそうかもしれないけれど…」といった感じで説得力に乏しく、恣意的な論理展開がされている印象だった。
とはいえ、説得力は弱いけれど、「そういう見方もあるかもね」と面白がることはできた。
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もとの本は1998年に刊行されているとは、読んでいる間は全然気がつかなかった。そのくらい今日でも通用する、言ってみれば普遍的な問題を扱っていると言うことだろう。
他者からの承認を求めれば求めるほど孤立してしまう、きちんとしていたいと願いそう振舞えば振舞うほど、そうできていないことに自ら気づき、自らを傷つけてしまうことになる。そういうことで悩んでる人は今もたくさんいるだろう。昔からたくさんいたのだろう。
本書はそうした悩みにメタレベルの視座を与える。自分の悩みがどのような構造から生まれてくるのかを見渡すパースペクティブを与えてくれる。お前の悩みは大体こんなところなのだと見透かされてしまうような苛立ちを感じないではないが、そうした悩みの構造をメタレベルから俯瞰することによって、救われる人は多いのではないだろうか。
結論を先に言うのではなく、筆者とともに検討していくプロセスをなぞるように書かれているのも、この問題を扱うにはふさわしい手順なのではないかと思われた。
私がとりわけ面白いと思ったのは、身につまされたのは、最終章の、わかりあえない人と一緒にいる技法についてだ。
「そこには、いつも私の「理解」を超えた、予想もつかない「他者」がいる。「わかりあわない」ということは、そのような「他者」を「他者」のまま発見する回路を開いているということだ。それは居心地が悪いが、でもたくさんの発見や驚きがある。(pp.295-296)」
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タイトルが気になって、ネットで注文。
届くのに時間がかかった。人気なのだろうか。
読むのに体力がいる本だった。
けれど、新しい視点がたくさん。
陰口が「思いやり体系」を壊さないためのものだったり、中間階級は大変だったり。
一貫したことを突きつめる内容ではなく、章ごとに別なテーマを取り扱っている。
でも結局は「わかることよりも、わからないまま一緒にいられる技法が大事」ということみたい。
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他者との関わり方を言語化してくれる。人は他者とコミュニケーションしていかないといけないからやり方なんて教えられるものではなく自然身についてしまうものだが、改めて意味を考えられた。