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最近巷でよく聞く「教養を身に着けたい!」という声。
が、その内実をよくよく聞くと知識人ぶって一目置かれたいだとか世界のエリートがやっているから身につけなくちゃというものが多い。
でも、それってホントに教養なの?
という疑問から始まった本書。
本書でいう教養とは
良き市民をつくるためのベースである。
そのため、知識を付ければ良いというものでなく
それらから影響を受けて醸成されて人格を形成せねばならないため必ず時間がかかる。
という内容をベースに様々な社会的潮流について4人の学者と対談している。
教養の意義については手放しで賛成ではあるが、せっかく日本人の議論なのに東洋哲学・思想の出てくる場面が少なかったのと、大学という人の一生からすれば極短い期間のみを討論対象にしていたのが少し残念。
むしろ教養の必要性を感じる壁にぶつかるのは社会人になってからが圧倒的に多いからだろうに。。
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森本あんり先生が、五木寛之、藤原正彦、上野千鶴子、長谷川眞理子という、錚々たるメンバーと教養について対話する本。
情報が氾濫し、価値が揺らぎ、予測不能なこの時代に本当に必要なものは決してファスト教養のようなペラペラの外観ではない。真の教養とは何か、AIが台頭してきている世の中で我々は何を考えるべきか、これから社会が必要とする力はどのようなものであり、教育は何を果たすべきか。碩学たちの熱い思いが伝わってくる良書。
「何かを解決するためではなく、そもそも解決など不可能だということに気がつくために考える。答えを見つけるためではなく、探し続けるために問う。
人間がどんな時にも人間性を失わずにいることができるのは、そういう人間存在の本質にごく一部ながら自分もあずかっている、と信じられるからです。絶対的なものはない。だかそれでも、はるかに高く憧憬の矢を射るよう、人びとを挑発する。」
「たんに知識を得ることではなくて、自由を獲得するためにな「戦う技術」と言えそうです。」
「生前の岡崎久彦さんに「外交官として最終的に大事なものは何ですか」と尋ねたら、言下に「教養と人間性」と答えていましたよ。」
「多様な分野を股にかけ、多元的な価値尺度をもって学び、知識を蓄積していくことで、ノイズの発生装置をつくる。」
「リベラルアーツや教養の基本は、いま教えられている常識をそのまま受け入れず、「なぜ」と問いかける批判的精神です。」
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アリストテレスが、1つの徳だけに秀でるのは良くない(≒ギフテッドではなくラウンデッドであるべき)と考えていたという話は興味深い。スペシャリストやエキスパートであることが称揚されるが、そうなるなという教えは結構衝撃を受ける。
人々を挑発する知がリベラルアーツだという宣言は、森本あんりらしくて好きかもしれない。また、教養というのはアクセサリーのように付けたり外したりと「身につける」ようなものではなく、自分の中で育むものだというのはおっしゃる通りかと。
後半の4人の識者との対談も面白いけれど、AIの捉え方が画一的というか、執筆時期も関係しているのかもしれないけれど、ちょっと敵対的に見る傾向が強いなと思った。全てをAIに委ねてしまおうとするのは色々と問題がある気がするけれど、気づきを与えてくれたり、さらに学びを深めようという気持ちにさせてくれたりする側面もあると個人的には感じているので、そういう点では教養を深めることにも有用なのでは?と感じた。
藤原正彦さんとの対談で新渡戸稲造について触れている。1906年に一高の校長についたあと、西洋的教育を推進して逆に武士道精神を日本から遠ざけたと指摘されているのは面白い。それでも、新渡戸の一校時代の教え子の田中耕太郎(文部大臣)や南原繁(東大総長)が日本の戦後の教育改革や、一般教育の導入という形でのリベラルアーツの振興を率いたというのは、単に西洋vs日本みたいな図式では表しきれない、知識の広がりの奥深さを感じる。
また、生まれが明治20年(1887年)を境として、国柄を重視する知識人と西洋を見据える知識人とに二分されるという指摘も、厳密にはどうなのか分からないけれど、興味深い。