立派に費やされた一生は快い死をもたらす
2017/08/26 20:22
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投稿者:キック - この投稿者のレビュー一覧を見る
「絵画の謎」を追うというよりも、ダヴィンチが一生をかけて追究していたものを追った本です。
ダヴィンチの絵画は、その絵画の背景に、その追究したものが描写されているとの由。そして、それこそがモナリザの微笑に隠された意味との結論でした。当時の地質学の説明は難解で退屈でしたが、ダヴィンチ絵画を鑑賞する上での新たな視点を知ることができ、参考になりました。
その他にも、モナリザの自画像説、鏡文字の種明かし、受胎告知の風景素描と遠近法、最後の晩餐に描かれている波動等々が明らかにされていて、興味深い内容でした。
先日、三菱一号館美術館で開催されている「レオナルド×ミケランジェロ展」に行ってきました。油彩画、手稿、書簡など約65点が展示されていましたが、素描や習作が大部分を占め、ちょっとがっかりしました。
しかし、そもそもダヴィンチの絵画は十数点しか残っていないらしく、素描も大変貴重なものだと本書を読んで納得しました。
ところで、「立派に費やされた一生は快い死をもたらす」(184ページ)とは、なかなか含蓄のあるダヴィンチの言葉でした。
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誰もが知っている『モナリザ』。しかし、よくよく見ればさまざまな謎に満ちている。モデルは誰か、なぜ微笑を湛えているのか。なぜ左右の背景はつながっていないのか、そもそもなぜこんなに荒涼とした風景なのか……。鏡文字で書かれたダ・ヴィンチの手稿を研究し、彼の抱く世界観を知悉する著者が、俗説を退けながら、現存する主要な絵画のテーマや来歴について、ダ・ヴィンチ自身のものの見方に立って解読する。
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めちゃくちゃいいわ。
自分は美術に関心があるわけではないけれども、天才には興味がある。
ダビンチとミケランジェロの違いについては特に興味深いが、それも最終章に書いてあった。ほかの本にも書いてある範疇のことではあるかもしれないけど、しかし、自分に知識がついてきたので、膨らませて読めた。
釈迦と絡ませて、読むと、死を前にしたとき、人間がどうするべきか?
その問題に、ダビンチがどう到達したか、書いてあった。
答えは、立派に費やされた一生は快い死をもたらすであった。人類社会のために自分の一生を費やすということであった。
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レオナルドの人生を辿ることで為人を認識し,それらを手がかりにモナリザが誰であるかを解く.“ギャラリーフェイク”での解釈で止まっていた知見が進み,現在の解釈が明確化される.まるで教養部時代の講義を聞いているかのような取っつきやすい文体で,面白い.
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モナリザのモデルの謎は解けたかどうか疑問が残るが、ダヴィンチの人となり、思いはは今までになく生き生きと伝わってくる。
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ダヴィンチの手稿研究者が彼の考えをベースに絵画を読み解く。科学者の先駆者として特に地質学に傾倒し世界の終末を探求したダヴィンチだが、海洋生物の化石を山中の様々な地層で発見することで過去陸が隆起した事を認識、終末は水没するとした。
モナリザの背景の向かって右側は橋もかかり現在を示すが、左側は陸は水に削られ荒涼とした終末観を示している。モナリザそのものはザッペリの説に則り、ジュリアーノメディチの愛人で子供イッポーリトの母親とする説を支持している(が、これをサポートする実証はまだ限定されている)。
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論考の場合には、まず明確な揺るがない結論があって、その目標に到達するために必要な考察や論証を積み重ねていくが、レオナルドの手稿は、まさに雑多な観察や、着想や、その応用の試みなどの混在する研究ノートである。もちろんその中には驚くほど斬新なーいわば彼の時代をはるかに超越して、近代科学を先取りしたー考察が数多く見られるが、それは彼がアカデミックな論証法の訓練を受けていないことが、逆に幸いしたからなのである。(p.63)
15世紀に登場する新しいタイプの科学者(「大学教育を受けていない職人上がりの技術者」という意味ですが…)は、前世紀のスコラ学者のように権威者を引用する学殖も、緻密で抽象的な論理構築力もなかったが、その半面、過つことのない経験に裏付けられた強烈な自信と知的大胆さと、自由な発想力を備えていた。したがって、無学なレオナルドが、その無学ゆえに前世紀の学説を熱心に学んだとしても、彼は中世の大学の講義に出席する学生のように、教師の言葉を一語一句聞き漏らすまいと、書き取って学んだわけではない。(pp.79-80)
彼にとって画家とは、「世界の内に本質、現実、ないし想像として存在するものを、まず精神の中に持ち」、次いでそれを手で表現することによって、「万物を生み出すことのできる主人」になることであった。だから、自然の事物や事象を目で見たまま忠実に模写して再現するだけではダメで、「哲学的で精妙な剋殺」によってその本質的な様相を捉え(要するに「ここの事物や自然の事象から偶有的な要素をすべて排除して」という意味ですが…)、それを必然的で典型的な姿で再現して提示することであった。(pp.100-101)
『モナリザ』の背景について
向かって右側では、アルプスのような山岳地帯を水源地とする川が、きわめて自然に蛇行しながら流れ下ってきている。それに対して左側では、山々は水に侵食されて倒壊し、水はその行く手を塞がれて、湖となって広がり、次いで近い将来、その堤防を食い破って湖を崩壊させ、その下流域に襲いかかって、地表にあるものすべてを押し流すはずである。(p.144)
今のところは、ジュリアーノ・デ・メディチが、遠くにいてわが子と会うことができない母親の肖像画を、息子のために描いてくれるようにと彼に頼んだ、ということだけで我慢していただきたい。レオナルドは彼の言わんとすることを完全に理解して、母性愛という大きな主題を持つ<空想の肖像画>を描いたのだった。母親は微笑んでわが子に愛の慰めを与えようとするが、その微笑みは深い憂いのヴェールに包まれている。それはわが子と一緒になれないことを知っている母の悲しみの微笑みである。注文者の指示したとおりに、母子を隔てる障害物のことは仄めかされているだけで、はっきりとは表明されていない。それは人間には乗り越えることのできない決定的な障害物、つまり死なのである。(『さらば、モナ・リザ』12章、pp.160-161)
ここで強調しておきたいのは、彼はこのような人間嫌いの孤独な人間であったにもかかわらず、たえず人間社会に裨益するような事業に携わろうとした、ということである。つまり、大洪水による人類の滅亡を予見した科学者が、同時に大規模な治水事業に邁進していたというちょっと矛盾するような事実である。(p.184)
人類のために役立つような仕事をすること、これは人間に生まれた者にとって最も生き甲斐のある人生ではなかろうか?彼は「立派に費やされた一日が快い眠りをもたらすように、立派に費やされた一生は快い死をもたらす」(トリルツィオ手稿27r)と書き記している。「立派に費やされた一生」というのは、たとえ未来にどのような運命が待ち受けていようとも、まだやってきたわけでもない災厄のことばかり思い煩わずに、われわれの人生に恵まれた今日という日を人類社会のために有意義に使うべきだということである。(p.185)
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あまり意識していなかったけど、レオナルドが少しリアルに感じられるようになった。実在の人だったんだというリアリティを持てたというか。
初めから超人だったということでもなくて、でも俯瞰の視点を持って、今も人を魅了する絵を描ける人。
しかし、絵描きというより研究者?という側面もあったんだろう。
この本の内容は半分も理解できなかった...(論文叢書のつもりで書いたって言うから仕方ないよね!)が、ダヴィンチ研究者は彼以上の知識を持たないといけないから大変だね笑
結局、モナリザ=ジョコンダ夫人の正体は、理想のお母さんだって。全ての母性を象徴する肖像〈空想の肖像画〉マニフィコ(ジュリアーノ・デ・メディチ)のウルビーノ時中の恋人(エリザベッタ公妃の侍女とか?ジョバンニ・アントニオ・ブランダーニの娘パチフィカ)で、イッポーリト・メディチの母たる女性を妄想で描いたもの。で、同時期に描いていたジョコンダ夫人の名前で通称呼ばれていたのでは?と言うことらしい。
なるほどねー。
絵描って言うよりもっと違うことを考えてる人って感じだなぁ。渡辺崋山とか山岡鉄舟みたいな?本業別だけど、絵も上手い人みたいな。けど、本業がかかなあ。うーん。
人嫌い?ってイメージもあったけど、わりと親切な人っぽい気もしてきたな。
「立派に費やされた一生は快い死をもたらす」
・スコラ自然学
・アルベルトゥスの大地理論
・ザッペリ
・サライ(弟子)
・la honoranda Cortigiana 名誉ある宮廷女性
・ジョコンダ夫人=リーザ夫人=フランチェスコ・デル・ジョコンド絹商人(高利貸)
著者は、師匠から「文献、資料は恋人からの手紙のような気持ちで読みなさい。テーマを徹底して掘り下げなさい。そこを突き抜けたら普遍的な発見になるから。」って、自由な学風で海に突き落とされて自力で泳ぎを覚えさせられたので、自分の目で正しいと思うものを選べるようになったと思う。って。共感。今は簡単に二次資料?触れることができるから要領よくできることが多くて、それが是のようにも思うけど、本当にそれでいいのかな?とも思うよね。遠回りだって、いいし、その方が土台がしっかりしててよりよいような気もするのだ。