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投稿者:いずみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
お世話になった英語の参考書、「フォレスト」をつくったのが、左翼運動が退潮したときに英語力をいかしてビジネスに転換した第四インターナショナル(新左翼?らしい)の人たちだった(247ページ)
窪美澄『アカガミ』(少子化社会でのお見合いシステム)、村田沙耶香『地球星人』が紹介されている(122ページ他)
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「私の考えだけが正しい。自分以外はすべて間違い。」といったポリティカリー・コレクトに見られるように、昨今は相手の価値観や考えを受け入れられない人が多くなり、他者に不寛容になっているように思う。
この本を読み、ヒトラーのように物事を単純化し、感情に訴え、印象論を巧みに操り他人を操作しようとする技法にも注意しなければならない、と感じている。「数字・ファクト・ロジックで物事を判断する」というのは出口治明さんの言葉だが、人の意見を聞くときは、印象ではなく、きちんと実証がそなわっているか、というのも見抜かなければならない、と。
すこし難しい本だが、複眼的に物事を捉える重要性を再認識できるきっかけとなり、そういう意味でもこの本を読んで良かったと思う。
ちなみに、文中で取り上げられている『現代文講義の実況中継(出口汪 著)』は高校受験字にお世話になった。20年以上前の本なのに、未だに名著として名が残っているのはうれしい限りである。
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新潮講座にて、ヒトラーの『わが闘争』をテキストに講義された内容です。現在の世相は、第二次世界大戦前のものとの類似点を指摘されることがありますが、本書では「不寛容」という言葉を、それがどのように世の中に影響したのかを、このテキストを読むことによって紐解かれています。
ヒトラーの個人的な話から、彼が何を目指して、何をしようとしたのかを、それをどのように具体化していくのか。それがこの『わが闘争』一冊に書かれているところが驚きで、普段軽視しがちな思考の純粋さの強さ、この怖さを感じるところがありました。この強さに出くわしてしまったときに、慌てたり熱狂したりせずに対処するために、この本を知っておくことは有効なのではないかと感じました。
『わが闘争』の本文を読んで、佐藤さんの説明があるのですが、何度振り返って読んでもその説明がよくわからないところがあり、飛躍を感じるところがありました。『わが闘争』をざっと読んで、佐藤さんの講義を楽しむことができる位の内容で良しとするでも良いのかもしれませんが。
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『我が闘争』は前から読みたいと思っていたが、中々手が出なかった。
しかし今回この本を読んで、読まなくて良かったと心から思った。
内容が難しいと言うよりも、あるようで無い、無いようであるものだったからだ。(あくまでこの本を読んで得た私の感想です)
とは言え、とても噛み砕いて解説してあって、なるほどと思った。
この本で参照されていた、他の本も読んでみようと思う。
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ヒトラーとナチズムについて、ヒトラー政権奪取の半年前に書いて出版していた書籍を読みながら考えさえられた。まるでアジテーターのような文章はゴーストライターが書いたわけではなく、正にヒトラーの演説の言葉。今のトランプ米大統領の言葉を彷彿とさせる。梅毒、売春婦の絶滅を目指したというヒトラーが教会に支持されたのは、米福音派のトランプ指示と重なる部分がある。日本の最近の政治の流れを危惧させるものだった。そう言えば麻生太郎副総理が「ヒトラーに学ぶ点がある」とも発言したことがあった! ヒトラー時代は日本国憲法に並ぶべき民主的なワイマール憲法が生きていたが、それを解釈で曲げていたというナチスと今の日本が重なる部分を感じた。そしてヒトラーが最も尊敬していた人物が何とルター‼ その主観主義的な考えにフィットしたようだ。
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2018.11新潮講座「ファシズムとナチズム」を再構成。ナチズムの特徴のひとつが、優生思想に基づく生命の軽視。重要なのは、人間は生まれて存在しているだけで意味があるということ。理屈じゃない。この不寛容の時代だからこそ、そんな当たり前の了解を社会でこれからもずっと共有していかないといけない。
講義がベースなので、説明しながら話が広がったり、関連本が紹介されたり、エピソードが紹介されたり、そんな内容もなるほどの迫力でした。
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p23 小学館 ジャパンナレッジ 辞書・辞典検索サイト 年1.5万
p60 当時の基準で行われてきたことを、いまの基準でさばき直すというのは大混乱のもとになる
p89 読書や学習の技術というのはあmた、次の点にある。すなわち、本質的なものを保持し、本質的でないものを忘れること
p269 片山杜秀 未完のファシズム なぜ日本でふぁしずむが成立し得ないか 天皇が司、司という形で固めているから、それを横断的に束ねる超越的な存在、フューラーのような指導的存在が出てきにくいし、もし出てこようとしても、それは天皇とぶつかるから存在し得ない
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ウンベルト・エーコの『永遠のファシズム』でファシズムとナチズムに共通する危険性を学んだ後、『わが闘争』を読み解いていく大著だが、後者は著者曰く"並びがでたらめ"ということで、合理的に分割して、示唆に富んだ解説を織り込んでいることで、理解しやすくなっていると感じた.気になる語句としては、ハンナ・アーレントがアイヒマンを定義した「悪の陳腐さ」.それから、終わりに出てくる「中間団体」.これは国家の専制を防ぐ手立てとして、現代の日本に欠けているとの指摘は、非常に重要だと感じた.
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ヒトラーはユダヤ人の比喩としてクラゲを持ち出している。粘液だらけのネバネバして気持ち悪い物、切っても切っても蘇ってくるもの、とらえどころのないもの、害をなすもの、そんなイメージを出してくるだけで実証羚はない。
ヒトラーは反ユダヤ主義者だったルターをよく読んでいた。
ヒトラーは娼婦や泥棒、強盗、東保横柄とか、そういう連中をよく知っていた。若い日にヒトラーも社会の最底辺の人たちとかたを並べて歩いてたから。
ナチズムは極めて不寛容。
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サブタイトルはヒトラー我が闘争を読む。 元外交官の佐藤優氏が、ヒトラーの「我が闘争」を解説する。
「我が闘争」は、ヒトラーが第2次大戦以前、ナチスの総統になる前に書かれた本で、彼自身の思想や理論をまとめたもの。 ただし、内容は論理立っておらず、自分の考え方に都合のよい思想を拝借して、ツギハギだらけの著作になっている。 当時ドイツは第一次大戦から立ち直り、経済も良くなりつつある時代で、ドイツ人が自信を持ち始めた頃だった。 現在と同様に、格差が拡大し、ヘイトが蔓延し、社会的弱者への差別、そして人種的な偏見や他人に厳しい風潮があり、そこでナチスヒトラーが支持を集め拡大した。 ウンベルト・エーコのファシズムの話に始まり、「我が闘争」を理解しやすいように内容を並べ替え、ジョークを交えながら解説しており大変面白かった。 引用が多いので、一度著者の解説をざっくり読んでから、ヒトラーの記述を読んだ方が判りやすいと思う。
この時代の思想が現代にも生きていて、また繰り返されている。 プーチンはネオナチを叩くといいながら、ウクライナに侵攻しているが、やっていることはナチスと変わらない。人間は過去から学んでいるように見えても、実は何も学んでいないし、自分の都合の良い解釈だけを受け入れるのは、ヒトラーと同じだと思う。
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読書というのは、学びを期待した行為であり、必ずしも正しくはないとしても、その価値観に沿った論理を読み取る事で、考え方の多様性を知る事に繋がる。しかし、ニュースや年表など公然の事実として取り扱われているはずの内容は、間違いの無い情報であるべきだ。このように他者の論理と新たな知識を得る事が、期待される。ヒトラーの『わが闘争』を読む事は、何を齎すのだろう。
現代の危険思想にも通底する、危うい論理を見抜け。ヒトラーの記述を真面目に頭へインプットすべきではないから、恐らくはその一点に、読書の有益性を求める。そこで抽出されるのは、不寛容と偏見に補強され、大衆を魅了する神話性だった。つまり、普遍的な正しさを塗り替えていく狂気。
オットー・ケルロイター理論とは、当時のミュンヘン大学法学部教授が唱えた血と土の自然法により、アメーバ状に広げて矛盾した際の法解釈を時の政権思想に合わせて解決判断していく事で、思想を反映させていく事。ナチスの手口に学べという麻生太郎は、この判断基軸が危険思想に寄らなければ、解釈論で法運営すれば良いという事だろうが、果たしてどうか。いずれも、為政者を絶対視し過ぎている。
不寛容がキーワードだ。その末に、淘汰、生存競争を経ていく事になるという、民族としての極論が生まれたように思う。しかし、寛容が帝国主義に飲まれる時代であった事も忘れてはならない。これを自衛と換言するのはレトリックか、逆にその言を阻むのは戦争勝者の圧力か。ナチスが悪だという言い方は変えようがないものの、これを読み解くのは、余程、グロテスクな作業である。
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この不寛容の時代に、どう生きていったらいいのか。ひとつの答えが、本書の末尾に示されている。精神障害があるという受講者への答えだ。
「
精神障害を持っていても―それが身体障害でも知的障害でも―、重要なのは人間は生まれて存在しているだけで意味があるということです。
障害のある人間が有益であるとか、有意義があるのかとか、そういった議論はまったく意味をなさない。そもそもそれは、同じ人間として、してはならない議論なわけです。
人間は生きているだけで当然、意味がある。
この不寛容な時代だからこそ、そんな当たり前の了解を社会でこれからもずっと共有していかないといけない。
」
どちらかというと、政治的な生臭さを感じることが多い著者だけど、このあたりはキリスト者というか、生きる上での倫理感とか、もっとプリミティブなラインについて考え続けてきた人なんだなぁなんて思った。
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ちょっと駆け足で飛ばし飛ばし読んだが面白かった。
以下個人的メモ。
リベラルも不寛容になりうる
「改革を認めない」も「改革を認めないを認めない」も不寛容
不寛容とは、作られるものではなく土壌である
理屈ではない、縄張り意識?
不寛容の問題は「短絡現象」物事を短絡化し、単純化しようとする
完全な悪も善も存在しないのに
なにかに介入するということはすなわち革命
それをやってもいいという既存の法律はなく、むしろそれは法と慣習に背いて行われる
自分が耐え難いことを変えてしまうこと
勝てば思い通りになるけれど、負ければ全責任を負わねばならない
「耐えがたさを定義する連帯能力」
ネトウヨがなんでも中国、韓国のせいにするのはヒトラーがユダヤ人のせいにしたのと同じ
独学の危険性
個性を矯められる可能性はあるけれど、危険思想への暴走への抑止効果はある?
合理性を突き詰めると「非生産者はころせ」となる(当然)
全体主義
子育て支援には国民の生産に介入するナチズムの影がある
弱肉強食なのか?
外来種を殺す、他の生物でやっている
日本種を絶やさないため→日本人を絶やさないため
なくならないようにというのはよいことのように思うけど、それは人間目線の話
ある種が、なんらかの理由で、生存できなかった、というのは、当たり前
それは人間が「耐えがたい」からにほかならない