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石堂淑朗さんのレビュー一覧

投稿者:石堂淑朗

7 件中 1 件~ 7 件を表示

神ながらの道は神がかりでも何でもない。正しい呼吸法の会得によって誰にも入道可能なのである。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 正月には神社に初詣して参詣客の頭越しにお賽銭を投げ、お盆には墓参りして先祖を供養する。それでいて世の中旨くいかないとカミもホトケもあるもんかと毒づいて平然たるのが我々である。ユダヤ教徒がエホバに、イスラム教徒がアッラーに、キリスト教徒がイエスに毒づくなんて凡そ考えられないことである。我々の神や仏は異国の砂漠に生まれた一神教の神々のような超越性を持たない。我々は修行次第で幾らでも神や仏に近付くことが出来ることになっている。

 大初以来日本列島にはカミしか存在しなかったが、聖徳太子が仏教を国教に定めるという、脱亜入欧ならぬ脱神入仏の荒療治を実行してから我々日本人は神仏を習合させ、敢えて言えば『神仏混交教』とでも言うべき独自の宗教形態を発明、二つの絶対者に同時に仕えて平然たる民族として、一神教の信奉者たちの悔りを買うことになったのである。しかしそれは彼等一神教徒の勝手であり、我々は古代ギリシャ文化の血を引く多神教徒として胸を張れば良いのである。さて神仏習合の結果、我々は神と仏に同時に接近する修行方法としてインド到来のヨガの根底にある呼吸法を採用した。身体機能に於いて唯一意志の支配下にあって自由自在になるのは呼吸だけという点に着目したのは大変な知恵であった。麻原彰晃も根幹を間違えた故に殺人鬼に転落してしまい折角のヨガの信用を台無しにしたが、ヨガと言い、禅宗の座禅と言い、更には能楽の修行から弓道に至るまで、身体を媒介として高度の心的境地に入る為の東洋的修行の根本は、臍下丹田に気を結集させて行う呼吸にある。本書は例えば国家神道と古神道の関係を論じると言った類いの、文化論としての神道を扱わない。飽くまで実践としての神道が対象である。筆者は若年の頃肺結核が因で瀕死の床に喘いでいた所を奇瑞に因って救われ神道に入り、現在山蔭神道宗家第79代を継ぐという、評論家に非ず実践家なのである。何時も思うのだが、“我思う、故に我在り”の無神論者デカルトの流れを汲む文明論者は“我信ず、故に我在り”の宗教と実践家、あるいは行者を余りにも軽々しく論じる悪癖を持ち過ぎている。恋の道と同じく神仏の道まだ論じるものではなく実践するものである。幼い頃法華の行者を自認する祖母にしごかれ、長じてはヨガと座禅に若干の関わりを持った身としては、知識欲に酔って神仏と宗教を論じることの愚は良く心得ている。神への接近が神社詣でに終始するのはおかしい、無我の境地を得る為の修行道としての神道は無いのかと思っていられる方、或いはストレスの軽減を求めつつも当世流行のカタカナ英語ヒーリング(癒し)という言葉の胡散臭さが気になる方に本書をお進めする。神道の呼吸法『息長法』はヨガに由来するが、日本化即ち神道化の過程において、長く吐く息に乗せて五大母音(ア、オ、ウ、エ、イ)を唱える工夫が平安時代に付与された。母音の存在の自覚とその強調によって、母音言語である我々の国語、日本語の発音がたちまち浄化され、読者の日常会話は、君は能でも稽古しているのかと言われる位に静かで説得力に富むものになること請け合いである。 (bk1ブックナビゲーター:石堂淑朗/脚本家 2000.08.03)

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紙の本幻想に生きる親子たち

2000/11/22 21:15

自己の切実な体験を「書庫」にして進化していくすぐれた精神分析家の珠玉のエッセイ集である

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 一介の、さして学問教養ありとは言えぬシナリオ書き、況や精神分析の分野などには全くの門外漢が、不遜にも本書の提灯を持とうというのは、氏の著作全般を色濃く覆っている独特の翳り、味わいに、良く出来た私小説の切ないリアリティーと同質の世界を感じ続けてきたからである。現実からの乖離意識皆無の詩人作家が存在し得ないのと同じ事情は、学問を、特に詩人作家と同じようにココロ、乃至は精神を対象に扱う精神分析を扱う学者にも潜んでいる筈で、またそれが無い学者は所謂論語読みの論語知らず、何を書いても人の胸を撃つ事は無いと思い続けてきた。既に「幻想の未来」という主著のある氏の学者としての出発点は、正にこの幻想という言葉への拘りに潜んでいる。『幻想の未来』!これは実にかのフロイトの著作と同じタイトルである。

 フロイトと岸田を掴まえて放さぬ幻想は、前者に在ってはユダヤ教とキリスト教の一神教の神に対するそれであり、後者においては実に岸田自身の母親であった。ユダヤ教、キリスト教に加えてイスラム教、これら砂漠起源の過激な、いっそファナチックですらある一神教が、宗教現象の極限に位置するとすれば、日本の、神仏が混交した一種の多神教とも言うべき宗教は、絶対者の欠如故に宗教とも言えぬだろう。しかし人間の自我は絶対者との距離無くして存在し得ないとすれば、日本人は神の代用物として永遠なる母性を措定する以外に道は無いのであった。

 フロイトはユダヤ人故にカトリックから排斥され、ウィーン大学の教職に就くことが出来なかったが、マーラーのように出世を目論んで見え見えの改宗もせず、さりとてシェーンベルクのように意地を張ってユダヤ教に回帰することもなかった。彼は文字通りに孤立無援、徹底的な無神論者としてヨーロッパ文明の根底に揺さぶりを掛けた。砂漠に発し、ヨーロッパを征服した超越的な父である神々の打倒がフロイト終生の切なる願望であった。同様に岸田は彼の神であった母からの脱出が彼の学者としての再生、復活に繋がることになる。しかしそれには重篤な鬱病との戦いを経る必要があった。戦い、それは母の、幻想としての子への願望との戦いであった。マザーコンプレックス克服の戦いであった。ハムレットはこの戦いに敗れ、解放としての死を迎えたが、岸田は解放への道を、書くという行為に発見出来たのは、我々にも幸福なことであった。ここに集められた短いエッセイの数々は優れた短編小説同様に不思議な現実感を以って読者に迫ってくる。筆者の読後感は、人は幻想に頼っていては生きていけない、さりとて幻想無しでも生きられないというに尽きる。サリン党ご一同様の愚行も、エルサレムで延々と続き、絶対に止まぬことを予想させる宗教的殺戮戦争も全て幻想の問題である。 (bk1ブックナビゲーター:石堂淑朗/脚本家 2000.11.24)

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この一冊でワーグナー通を自称できるすぐれた入門書にして専門書である。

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 戦時中のこと、父兄同伴という条件であったか、学校で纏まってであったか最早忘れ果てたが、小学校5年生の私は、ナチスの戦意高揚映画『ユンカース急降下爆撃隊』を見てその中の音楽、所謂劇伴の行進曲風なメロディーに恍惚とした。爆撃機が威勢良く急降下態勢に入る度に繰り返されたそのメロディーは幼い頭にも強くインプットされ、帰宅後直ちに脳裏に焼き付いて離れぬ楽の音を木琴を頼りに採譜、以後折りに触れては再現して不思議な感銘に酔うのだった。大学一年の夏、ラジオ放送でそのメロディーがワグナーの『ワルキューレの行進』と知った時の欣喜雀躍感をワグネリアンならば微苦笑と共に実感して下さる筈である。爾来六十年に喃喃とする長い間、ワグナーの魅力から逃げる事は遂に出来なかった。逃げたい? そうなのである。ワグナーの音楽にはバッハやハイドンのように、聴く人を安心立命の境地に誘う所か、ウェーヌスベルクやワルプルギスの夜さながらに恍惚と不安の世界に彷徨させて止まないのである。主として言語によるドイツ・ロマン派の観念を音楽の力で徹底的に肉体化したのは後にも先にもワグナー一人だけ。為に音楽は調性解体寸前の深淵に近づかざるを得なかった。

 空前絶後の傑作『トリスタンとイゾルデ』の無限旋律がそれであるが、これは不安が無限に続くことを意味し、為にキリスト者トルストイやニュアンスの違いこそあれ彼のモーツアルティン小林秀雄の猛反発を惹起するに至った。本書はそういったワグナーの暗黒迷宮に一条の光芒を投げかけてくれる。ワーグナーはフロイトより半世紀も早くオイデプス神話の本質を了解し、1848年に出たカール・マルクスの『共産党宣言』を読んでいた筈といった件を読むと、それだけでもワーグナーの超音楽的文化的位置が一挙に了解されるのである。彼が産業主義とブルジョワのヘゲモニー、それとキリスト教会との同盟を嫌悪したことは周知のことだが、バクーニンがジークフリートのモデルと言う説には驚かされもする。ワーグナーの作品は、金髪のアーリア人ともナチスともユダヤ人虐殺ともなんの関係もなく、『指環』の含意はファシズムの正反対であると明快に言いきっているのは流石英国人である。これがナチス問題で際限無い謝罪を繰り返さざるを得ない破目に追い込まれているドイツ人や、ワーグナーに引っ掻き回されたドビュッシーとボードレールのフランス人の批評家ではいろいろなコンプレックスが多すぎてこういう明快な断定は出来ないのである。

 T・S・エリオットの『荒地』、J・ジョイスの『ユリシーズ』にワーグナーの引用がある、などと言われると当方は己の無学を恥じるしかないが、ワーグナーにおける言葉と調性不確定性との関わり、或いは19世紀に俄かに花開いたユダヤ人ルネッサンスの分析など、簡にして要を得た分析には目から鱗が二枚も三枚も落ちたような思いにさせられるのである。

 筆者はユダヤ人ルネッサンスの花形として特にマルクス、フロイト、アインシュタインの三人の名を挙げているが、私は更にプルーストにベルグソンを加えユダヤ五人組として賞賛したい。原題『ワーグナーの諸相』を訳者は『ワーグナーとは何か』に改めたがその意図は正鴻を射ている。ワグナーが提起した巨大な諸問題は正に「何か」としか言い様が無いのであるから。 (bk1ブックナビゲーター:石堂淑朗/脚本家 2000.10.03)

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紙の本和算を教え歩いた男

2000/08/21 21:15

日本人の高水準の数学には、江戸時代の数学、和算がその根底にあるとは万人の認めるところである。

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 理系の大学一年生が分数の割り算が出来ないという凡そ信じ難い事実をNHK TVが報じて話題になった。文部省のゆとり教育なる方針が、自然科学世界での言語とも言うべき数学の未修者が、理系の、それも物理学科などに入学できるという愚劣な選択制等を作った結果であるとしか言い様がない。パソコンの普及が中高生の数字に対する基礎的感性を劣化させたのに対し、水が低きに流れる如くに追随したのが主たる理由かと思われる。小学生に英語を教える一方で、英語の筆記体の読み書きが出来ない高校生を増やしたり、今や日本の教育制度は崩壊寸前の惨状を呈している。

 若い世代の頭脳は水も肥料も切れてカサカサになった畑の土壌さながらである。しかるに日本の指導者たちは口を開けば一様に、死んでしまった畑の土壌の上とは露知らずIT革命の種を蒔け蒔けと、それこそ馬鹿のひとつ覚えを繰り返すのである。彼らのせっかちな合唱を聞いていると、明治時代、日本の余りにもせっかちな改革に危機を感じた漱石が、『三四郎』で作中人物に言わせた言葉「この侭では日本は滅びるね」が耳元で聞こえてくるのである。そして私は心の中で漱石さん、残念ながら予言は的中しましたよと呟くのである。かくして本書は著者の意図如何に拘らず滅んでしまった日本への鎮魂の書と化してしまったのである。

 イマドキ大学生の知的劣化の契機は根本的には6・3・3・4制度に由来する。特に前半の6・3の義務教育過程で既に落ち零れた連中が低ランクの大学に無試験同様に入ってくるようになって激しくなったと思しい。アメリカ占領軍は日本の大学生の数学のレベルの高さに畏怖、旧敵国が再び立つこと能わざるべく、自国並みにレベルダウンさせる為に旧制度を廃止して現行の6・3・3・4制を強いた。筆者は偶々この切り替え時に旧制中学から新制高校に進学したが、新制度のカリキュラム、特に数学の程度の低さに辟易、二年生の夏で中途退学、結局、大学進学には大検制度を利用せざるを得なかったのである。更に遡れば旧制のハイレベルなカリキュラムは大正、明治の先人の苦労の結果であるが、それとていきなりヨーロッパ並みにアラビア数字の世界に入れたのではない。江戸時代の数学、つまり和算の底力が物を言ったのであり、本書はその和算の世界に材を得て書かれた啓蒙の書である。確かに急ぎ過ぎたが、明治に入っていきなりアジア諸国の中で唯一の先進国として列強に伍して譲らなかったのは、江戸時代に蓄積された数学の力があったからである。

 各藩には藩校と呼ばれる藩士子弟の養成学校があり、これに準じて一般庶民の為には寺子屋があった。読み書き算盤を教える寺子屋は幕末には全国で二万件を下らなかったそうである。所謂識字率の高さは当時既に世界的水準にあり、算盤で会得した加減乗除の力が高等数学の世界に飛躍するに時間は掛からなかった。

 それが分数の割り算も出来ない大学生!今や何もかも昔話となったのは寂しさの極致である。私は本書をひもときながら無念の念に駆られて落涙を禁じえなかった。 (bk1ブックナビゲーター:石堂淑朗/脚本家 2000.08.21)

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本の内容に非ず、タイトルをめぐる感想だけで一気に読ませてしまう不思議な本。

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 中身を飛ばしタイトルだけを論じるという建て前の書評の集合体の書評はいかに在るべきか、あれこれ悩みながら読み進んでいくうちに殆どを読み尽くしてしまった。殆ど、と書いて全部と書かないのは口惜しいから全部の少し手前でストップしたからであるが、その殆どは実に面白かったのである。

 読みながら色々と考えた。掌中の一冊『哲学以外』というタイトルは、私と同世代には必ずや出隆『哲学以前』を連想させないではおかない筈であるが、扨、その中身となると思い出すのにちょっと時間が掛かる。ややあってそうだった、あの本はソクラテス以前の、断片でしかその著作が残っていない連中のことを扱っていたことを思い出すのである。万物は流転すると言ったヘラクレイトス、物質の最小単位として原子の観念に到達したデモクリトスといった名前が芋蔓式に想起され、同時に若い頃の諸々の記憶が蘇るのである。かくして『哲学以外』は瞬時にして回春の書物と化すのである。何と言う功徳。

 本のタイトルとは一体何なのか。漱石の『我が輩は猫である』は書き出しをタイトルにした迄である。そもそも漱石は題名に凝らない作家で『彼岸過ぎまで』も『それから』も果たして「わが我が輩はタイトルである」と主張する資格があるのかどうか怪しい。しかしユダヤ教の経典『トーラー』の各書は全て書き出しがそのままタイトルになっているから、若しかしたら漱石はその事を知っていたのかも知れない、などと考えるのである。多少面識があった吉行淳之介さんはタイトルに凝りに凝った思しい。出世作『驟雨』、『砂の上の植物群』(これはパウル・クレーの絵のタイトルだが)、『闇の中の祝祭』、『暗室』、『鞄の中身』など、いずれも直ぐに記憶に留まる。私は活動屋だから映画の題名を付ける作業に何度も参画した。今回消失してしまった松竹大船で働いていた頃の先輩大島渚は題名発明の才に長けていた。私が助監督を勤めた長編第一作『青春残酷物語』は当時売れていた『日本残酷物語』のもじり、彼と共同でシナリオを書いた第三作の、松竹を飛び出す原因になった『日本の夜と霧』は松本清張の『日本の黒い霧』のほぼ完全な頂き、という具合に時流に乗じる才能には抜群のキレがあった。思うに本の題名と内容との関係には俳優の顔と演技力とのそれに似た所がある。先ずは売らねばならぬ。石原裕次郎が先ず顔で売れ、演技がそれらしくなったのは後の事であった。本もやはり題名が勝負、とにかく本の前に立ち止まらせ、手に取らせねばならない。魅力的なタイトルには、本は著者と読者の共同作業で始めて完成することを熟知している優れた編集者の存在を思わせる。タイトルだけで書評という人を食ったアイデアを提案した著者に、すぐさま賛同したこの本の編集者は、著者と同じように偉い。映画はプロデュサー、本は編集者である。 (bk1ブックナビゲーター:石堂淑朗/脚本家 2000.08.03)

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19世紀芸術をロマン派一色に塗りつぶして軽蔑、安心していた私の迷妄を打ちくだいた立派な対談集

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 目次だけでも十九世紀ヨーロッパ芸術の多岐に亘る豊穰さに改めて打ちのめされる。昭和二十年代に学生だった私の卒論はカフカの『審判』で、物語性完全崩壊の廃墟を思わせる文学を拠り代に十九世紀を批判して悦に入っていた。それが何となく怪しくなったのは四十の声を聞いた頃、機会あってフローベール『感情教育』を原文で五年掛けて読んで以来のことである。敢えて原文、と書くのには多少の度胸を必要とするが、リアリズムが極言に達して文章は崩壊寸前、それでいて腐る寸前が最も旨いとされる肉の味わいに似た豊潤さを失っていないフローベールの美文は、原文の句読点に一々拘りながら読まねば理解出来ないからである。フランス人フローベールの操るフランス語と、言わば無国籍人であるカフカのドイツ語との間には天地の隔たりがあると知るには長い時間を要した。これをクラシック音楽で例えれば調性を崩壊寸前迄追い詰めた『トリスタンとイゾルデ』のワーグナー、或いは『調性の無いバガテル』のリストをフローベールとすれば、カフカは無調の悪夢を彷徨する『モーゼとアーロン』のシェーンベルクなのである。芸術以外の何かでしかない。未だ芸術が信じられていた十九世紀は燗熟と崩壊の時代で、二十世紀はその煽りを受けて結局何も生まなかった、作れなかった、特に後半、つまり第二次世界大戦後の我々の時代は惨憺たる不毛の時代であったと思うのである。本書は音楽の平島正郎、文学の菅野昭正、造型美術の高階秀爾とそれぞれの分野での第一人者が集っての徹底的鼎談で、一種の十九世紀芸術百科事典を形成していて、読者は関心のある分野に応じて拾い読み出来る様に成っている。中学生の頃からSP、LP、CDとクラシック音楽のレコードに馴染むこと半世紀の私としては、最近病的に入れ揚げているベルリオーズの名を求めて飛び飛びに読み進めた。長い間ドイツ音楽一辺倒であったが、脳梗塞を患ってから俄かにフランス音楽、就中ベルリオーズの音楽無しでは一日が終わらない様になった。フランス音楽への偏愛は、老いが大病によって加速されると共に、一神教的に驀進するドイツ人のプロテスタント的心性が疎ましくなり、多神教的にゆったりとしたラテン的心性が好ましくなったからと自覚しているが、それだけではベルリオーズの特異性分裂性の説明がつかない。『パリは重要なオペラ市場で、音楽家たちもオペラに、あるいはパリでオペラの市場をつかむことに強い執念を燃やした。ですから器楽音楽にも熱情をもったベルリオーズのような人にはどうも所を得なかったようなことがあるわけですねえ』(平島)当時も今もオペラは映画と同じサブカルチャーなのである。オペラの管弦楽は所詮歌の伴奏なので敢えて言えばヴェルディの様に音の薄い方が成功し易く、ベルリオーズの様に分厚い音は歌手を食ってしまうのであることが立ちどころに了解出来た。立派な鼎談集である。 (bk1ブックナビゲーター:石堂淑朗/脚本家 2000.07.29)

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紙の本永沢まこと田園のイタリア

2000/07/18 09:15

レオナルド・ダ・ヴィンチの生れたヴィンチ村で、レオナルドの末裔たちの前で画家はペンを振ったのである。

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 私が永沢さんのスケッチ集に始めて接したのは、デビュー作『ニューヨーク人間図鑑』だった。カメラのスナップショット風な街角のスケッチの中の無数の人々が、実際には少ない黒人の方が白人より多いように見えるのは黒が白より強いからである、と言った趣旨のキャプションと共に強く印象に残った。

 黒の細いマーカーで一気に描かれた人々には不思議な流動感があって、梨は一気に食わねばならぬという芭蕉の言葉を思い出させたのである。日本人による洋画が多くの場合、構えた洋画、脱亜入欧風であるのに比して、氏のスケッチ画が洋風に描かれたいながら不思議にヨーロッパを感じさせないのは、水彩画に非ず、氏独特の遠近法に因る。手前の風物は大きく、彼方のそれは小さくと、確かに遠近法に則っているのに、そうと感じられないのは線画の特色を巧みに生かした氏の工夫であろう。デビュー作の第一印象はこれは日本中世の鳥羽僧正描く『鳥獣戯画』の20世紀版だということで、人物たちの生き生きとした動きは、私の映画感覚で言うと小津の初期サイレント喜劇を思い出せないでは置かなかったのである。

 今回の『田園のイタリア』の舞台は『長靴』の向脛辺りに当たるトスカナ地方である。一見して得も言えぬ安らぎを感じるのはあながち私が瀬戸内育ちだからではない。

 思うにこの地方の自然と風景は、日本と違って痙攣していない。バブルとその崩壊以降北海道から沖縄まで、日本の風景はアレルギー性皮膚炎に犯されたようにささくれ立ってしまった。私の生まれ育った尾道市周辺の自然は、海岸の白砂青松の消失は言うも愚か、道路の為に田園風景はズタズタに切り裂かれている。幼年時代の「遊び相手」だった江戸時代からの由緒ある番所の石碑など道路の為に勝手に移され、元の位置は跡形もない。地区の名称も改悪に事欠いて『ふくし村』、何が町興しだ、何が地方の時代、地方分権だ。

 故郷と絶縁した私はトスカナ人を羨む。イタリアと言うと、政界は汚職だらけで四分五裂、国の体裁を成していないかのように思っているが、それは表層的な取るに足りぬ問題で、トスカナはレオナルド・ダ・ヴィンチ以来の静寂に包まれた侭生きているらしいのだ。

 氏の作風のしからしむ所であるが、一枚一枚から伝わってくるのは正しくトスカナ・イン・ライヴ。中でも愉快なのはレオナルド生誕の地ヴィンチ村の風景を描いていると、美術の課外実習かなにかで何時の間にかやって来た地元の中学生たちが氏の後ろにならんで同じ風景のスケッチを始めたというエピソード。黄色の日本人の後で納豆豆さながらに固まって写生しているダヴィンチの末裔たちをさっと一枚描いて欲しかった位である。南伊と言うとどうしても南仏を、ヴァン・ゴッホを連想するが、脳梗塞の後遺症と戯れている今の私には、南仏の耳無し芳一ならぬゴッホより、南伊の永沢の方が余程嬉しい。 (bk1ブックナビゲーター:石堂淑朗/脚本家 2000.07.17)

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