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tori__さんのレビュー一覧

投稿者:tori__

11 件中 1 件~ 11 件を表示

紙の本

紙の本紅楼夢 3

2001/02/16 21:04

「そのわれの花埋むるを痴(こけ)と笑え/いつの日かわれを葬るはそも誰そ」──という世界

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 紅楼夢は中国の清の時代に書かれた長編小説です。
 舞台は、貴族の豪奢な大観園。そこにすむ宝玉という少年と金陵十二さ(金陵出身一二美人)などをはじめとする膨大な人物が登場する物語……。
 ……長さも長くて複雑で、人物も多いこの小説ですから一言ではいいあらわせません。
 平凡社ライブラリーでは一二巻あります。全部読むのは大変です。
 そこで、紅楼夢の魅力を味わえる、紅楼夢全一二冊(平凡社)での一冊……を選ぶとしたら……どの巻もそれぞれ魅力はありますが、十二さのように……一番になるのは、私にとってはこの三巻になります。

 主人公たちの年齢は若いです。
 この巻におさめられているあたりでは、宝玉は一三歳、宝玉のいとこの美少女黛玉は一二歳です。
 紅楼夢は、宝玉の花のような夢のような美しい青春時代だけを描いています。
 そこに紅楼夢がなぜ存在するか、ということも含まれていると思います。

 そしてその核心が展開されているのがこの三巻に含まれているあたり、第二一回から三一回にあると思うのです。

 落花をそのままにしておくのはしのびなく、「これから花を掃きよせたらこの絹の袋におさめて、土のなかに埋めてやりますの」(第二三回)と黛玉がいって、宝玉と一緒に花を埋めた大観園のなかの花塚のあたりで、二七回の終りで、宝玉は、すすり泣きながらぶつぶつと詩を口ずさんでいる黛玉に出会います。

 黛玉は、憂愁の詩才に恵まれた美少女です。

汝れの今 身まかりて われの葬る
わが身とて いつの生命と計られず
そのわれの 花埋むるを 痴(こけ)と笑え
いつの日か われを葬るはそも誰そ
見よ春の 尽きんとし花散りしきる
これぞこれ 老いも若きも死する時
一朝に 春の尽き 若きも老ゆれば
花は散り 人も失せ 行き方知らず
 宝玉は黛玉の詩句を聞いているうちに「思わず呆けたようにへたへたとその場にくずおれるのでした。」となって、独白します。

考えてみると、あの黛さんの花の容貌(かんばせ)とて、いずれはいずこに
探し当てようもないときがくるのだとしたら、なんと心の圧しつぶされるよう
な悲しいことではあるまいか。黛さんにもついには尋ねるよしもないときがや
ってくる以上、これをほかの人々の上に推しおよぼせば、……
 この宝玉の一文が、紅楼夢の核心ではないのでしょうか。
 黛さんの花の容貌に象徴されるような夢のような時、過去を留めること……そのために紅楼夢は存在するのではないでしょうか。
 だとすれば、この一巻、この二七回の詩や、あるいは二八回冒頭の宝玉の独白は、紅楼夢全体のホログラムの一片のようなものだともいえます。

 紅楼夢は著者曹雪芹が書き終わる前に死んだため終りの方は別人が書いたものです。
 評判は悪くないようですが、私のこの読みからいくとあまり趣味ではなかったりします。
 いろいろな読みがあると思いますが……。

 最後の方では分別くさい宝さ(金陵十二さの一人)も、この巻の二七回では蝶々を追って美しい風景の一齣となっています。

……ふと気がついてみると、前方に団扇ほどもある玉色をしたつがいの蝶がい
て、一羽があがれば一羽がさがり、風をうけてひらりひらりと舞うさまが、い
かにもおもしろい。よし、ひとつ遊び半分にうち落としてやりましょ、と宝さ
はそこで袖のなかから取り出した扇子をふりかざし、草地へ向けて打ちかかる。……
 花を愛しみ悼むように、宝玉と美少女たちを愛しみ悼むこと……。
 その全体の構図がフラクタルのようにはめこまれた一巻だと思います。

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紙の本

紙の本俳句百年の問い

2000/12/18 20:21

書評・俳句とは何か?──という問題に悩まされたとき……

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『「俳句」百年の問い』は、俳人、小説家、科学者、学者、外国人などの、さまざまな人が書いた俳論を集めた本です。
 「本書に集められたのは、正岡子規以降に書かれた俳句本質論の選りすぐりである」(編者まえがき)とあるように、俳句とは何か──ということ問いのさまざまな答えがまとめられています。
 目次は以下の通りです。

編者まえがき
1「美」をめざす俳句(正岡子規)
2ほのめかしのスケッチ(B・H・チェンバレン)
3「無中心」という新しい時空(河東碧梧桐)
4目の驚嘆(P=L・クーシュー)
5十七音の形式の力(芥川龍之介)
6潜在意識がとらえた事物の本体(寺田寅彦)
7超季の現代都市生活詠へ(篠原鳳作)
8歴史的産物としての俳句(山口誓子)
9俳句と短歌の近さと遠さ(水原秋桜子)
10「真実感合」という飛躍(加藤楸邨)
11平板な大衆性を脱出しえない俳句(桑原武夫)
12俳句的対象把握(井本農一)
13表現と人格の高度な結合(平畑静塔)
14抽象的言語として立つ俳句(山本健吉)
15生活の現実から湧き出るリアリズム(栗林農夫)
16垂直に息づく永遠の詩(富澤赤黄男)
17「創る自分」のダイナミズム(金子兜太)
18二重性の世界(中村草田男)
19批判精神による現実裁断(鈴木六林男)
20俳句は全人的に笑う(永田耕衣)
21生命の「お化け」の見える虚(森澄雄)
22切実な「見る」行為(高柳重信)
23ゆらめき光る「イメージ」(阿部完市)
24本質的なものと異質的なもの(荻原井泉水)
25「有季定型」と無意識(鷹羽狩行)
26高度な無心(平井照敏)
27「片言」の活力(坪内稔典)
28「季語」と「切れ」はオリジナル(長谷川櫂)
29内面化されない他者性(柄谷行人)
30矛盾のむこうの風雅(川本皓嗣)
31遊戯的な使い捨てカメラ(中上健次)
32キーワードから展開する俳句(夏石番矢)
解説

 どれも基本的な俳論です。
 たとえば、桑原武夫の有名な「俳句第二芸術論」も収められています。

 俳句を作って頭を悩ましたとき、俳句を鑑賞しているとき、──俳句とは何か?──ということが疑問になることがあります。ここにはさまざまな立場の人によるさまざまな俳句とは何かという定義が収録されています。俳句とは何か──と自分で考えるために大いに役立ちます。
 俳句とは何か?──と思ったら、まず手に取るべき基本図書だといえます。
 虚子が載っていない──という批判をされたりもした本ですが、虚子についてはまた別の本がいっぱいでているのでそれを読めばよいでしょう。

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紙の本

紙の本創造者 新装版

2001/03/21 11:22

一人の人間が世界を描くという仕事をもくろむ。(略)しかし、死の直前に気付く、その忍耐づよい線の迷路は、彼自身の顔をなぞっているのだと。──とボルヘスが結んだ本

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「驚くべきことに、書いたというよりは蓄積したというべきこの本が、わたしには最も個性的に思われ、わたしの好みからいえば、おそらく最上の作品なのである。その理由は至極簡単、『創造者』のどのページにも埋草がないということである。短い詩文の一篇、一篇がそれ自体のために、内的必然にかられて書かれている」(解説の引用by「自伝風エッセー」より)

 『創造者』は、全集に加える新しい本の依頼を受けてボルヘスが書斎かき回して寄せ集めた散文や韻文を整理してできた本です。(解説)

 「黄色い薔薇」では、死にゆく詩人は黄色い薔薇を見て、「薔薇を記述したり暗示したりすることは可能でも、それを再現することはできないこと、広間の隅に黄金の影を落としている誇らかな書物のやまは、彼自身が夢みたような、世界の鏡ではなく、その世界に添えられた、さらに一つの物でしかないことを悟ったのだった」という啓示をうけます。

 「エピローグ」では、「一人の人間が世界を描くという仕事をもくろむ。長い歳月をかけて、地方、王国、山岳、内海、船、島、魚、部屋、器具、星、馬、人などのイメージで空間を埋める。しかし、死の直前に気付く、その忍耐づよい線の迷路は、彼自身の顔をなぞっているのだと。」というふうにボルヘスはこの本を結びます。

 「創造者」では、「すべてに貪欲で、好奇心にあふれ、気紛れだった。満足したあとは、きまって、手のひらを返したように冷淡な態度を示した。」人物は盲目になり、「断末魔の眼のこの闇の中でも、愛と危険は彼を待っているのだ。」と悟りますが、「しかし、彼が究極の闇に降りてゆきながら感じたこと、それは分か」りません。

 「王宮の寓話」では、黄帝の庭で、「宏壮な王宮の全体が細部まで歌い込まれていたのである。」という詩を作った詩人は「よくも余の王宮を奪いおったな!」と殺されます。

 解説で訳者は『創造者』について、「おそらく粗漏のない万全の解義のためには、あの『不死の人』のなかの「ドン・キホーテの作者、ピエール・メナール」にならって、(略)一言一句も違えることなくここに筆写すべきであろう。」といっています。
 「この『創造者』をボルヘスの《文学大全》と呼んだ評者」が存在する(by訳者解説)──ということで、この書評は終らせていただきます。
by tori__

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紙の本

紙の本夢みるこどもたち

2000/11/28 19:20

▼夢みる子ども/夢にみる子ども

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 インドのノーベル賞を受賞した有名な詩人タゴールの詩に、イランの画家が絵をつけた絵本です。
 この「夢みるこどもたち」は、好きな絵本──といって私がいちばん最初に思いうかべる本です。
 好きな絵本といってもこどものころの思い出の本というのではありません。ですから、子どもが読んで好きになるかはわかりません。子どものころの感覚と、大人のころの感覚は違うので。もちろん、子どもにはつまらないともいえませんが。子どものときにこの本を読んだことがない以上なんともいえません。ただ、大人にとって、じゅうぶん魅力があるということはたしかです。
 もともと、この本の収められている絵本のシリーズ「かたつむり文庫」はユネスコ・アジア文化センターが主催する野間国際絵本原画コンクール入賞作を出版したものですので、絵はとても美しいです。この本の場合はそれについている文がまたタゴールの詩ですから、少なくとも対象が子どもに限られる絵本ではありません。
 子どもの心を取り戻す──というと退行するような意味合いにもとれます。けれども例えば世阿弥のいう初心忘るべからずの本来の意味は大体──初心の頃の境地もそれ以降の境地もそれぞれの段階の境地を忘れないでとっておけば芸の幅が広がる──というような意味でした。子どもの心に戻るのではなく子どもの心も持っている──ということ。生活の中心として使用する今の心、それにたまに遊びにいく別荘地のような心──子どもの心は別荘地のような心としてとっておき、あるいは保存しておく、というのは生活にうるおいをもたらす良い工夫になるのではないでしょうか。
 絵の色使いはくすんだ橙色と群青色が基調になっています。その点からもあまり子どもっぽい感じにはなっていません。表紙の絵はその橙色の野山に橙色に映る多分芦毛の馬、馬に乗る子ども、橙色の山の向こうには橙色と群青色の夕焼け空、子どもと馬のまわりには緑の木と白い小さな花──子どものころを夢に見るような絵です。題名は、詩に登場する夢みる子どもたちを指すと同時に、夢に見る子どもを指しているのではないかともとれます。そんな幻想的な印象をもたらしています。
  母さん ほら見て
  空いちめん暗くなってきた
  外で走り回るのはもうつまんないや
  いつ鐘が鳴ったの もう夕方近いよね
  母さんのこと 急に思い出して
  遊びをやめて走ってきたんだ 〜(略)〜
  雷さまが大声をたてて
  あたりがびりびりふるえてる
  母さんの胸にしがみついて
  こわがるのっていいな
  竹の林に雨がざんざん降っている
  こんなときは部屋のすみに座って
  お話を聞きたいな 〜(略)〜
  ねえ、母さん お話してよ
  テパントルの荒野はどこにあるの
  こんなふうに
  空いちめん雲がかぶさる荒野のなかを
  王子様はただ一人
  馬に乗って行くのかな…… (表紙の絵のついた詩「テパントルの荒野」より)
 子どもになったような気分、子どもの親になったような気分、それらが重ね合わさったような、子どもという存在そのものへの愛着をティーバッグからにじみ出る紅茶の液のように心に抽き出させる絵本です。
 とりあえず私にとっては知り合いに配ろうかと考えたこともあるような魅力のある絵本です。手にとって眺めながら、子どものときに読んだら今ほど惹かれるかしらん? そんな疑問も覚えたりします。もう確かめようのないことですが。

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紙の本

紙の本しあわせな日々/芝居

2000/11/28 15:52

しあわせな日々でしあわせな日々

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 「しあわせな日々」はわたしはいちばん好きです。たとえば、不幸な気分のとき、ウィニーの陽気なおしゃべり※は、わたしを慰めてくれます。
 登場人物はウィニーとウィリー。といってもほとんどウィニーが一人でしゃべりつづけているので、たまにウィリーがしゃべると、まあウィリーいたの、とか、ウィリーってしゃべれるのね……、という気分になります。
 ウィニーは、五十歳くらいの女、ウィリーは六十歳くらいの男。ウィニーは「焼けただれた草原」にある中央が盛り上がった低い円丘のちょうどまん中に、腰の上までうずもれています。「まだ艶っぽい色香が残っている。できれば金髪。小太り、腕と肩をむきだしにし、胸を大きくあけたブラウス、豊満な乳房、真珠のネックレス」……だそうです。ちなみに二幕になるとウィニーは首まで地面に埋もれます。
 そんなシュールな設定のなかでウィニーは周囲にいろいろなものが入っている袋や日傘やピストルを転がしていて、おしゃべりしつつ、歯を磨いたり、日傘を差したり、日傘が燃えたり、爪に鑢をかけたり、オルゴールをきいたり、ウィリーにはなしかけたり、追憶にふけったり、名文句を思い出そうとしたり……そんなことをしつづけます。
 「しあわせな日々」というのは反語でもあります。ウィニーはしあわせな日について次のようにもいいます。「そしてもし、なにかはっきりしない理由でもう努力のしようがなくなったら、そのときはただもう目を閉じて──(目を閉じる)──例の日がやってくるのを待つだけ──(目をあける)──あの、肉体が摂氏何度だかで溶けて、月夜が何百時間だか続く、あのしあわせな日がやってくるのを。(間)わたしそう考えるととても気が安まるの、気がめいって、犬畜生がうらやましくなってきたりするとき。」
 「しあわせな日々」というタイトル、「目のくらみそうな光」という光あふれる場面設定、「ああきょうはしあわせな日だわ! きょうもしあわせな日になるわ!」とかの陽気なウィニーのせりふ……明るい光のイメージ、それらはたしかに反語的なニュアンスもありながら、またその明るいイメージ自体のニュアンスもやはりあわせもっていると思うのです。暗いだけではなく明るいだけではないという状況です。
 一方で、ウィニーのしあわせな日にする努力──「まあ、どうでもいいわ、そんなこと、これがわたしの口癖、」「ほんとにわたしすばらしいって思うの。」あるいは「きょうは地面がばかにきついわね、わたしが太ったのかしら。」というようなユーモア精神……があります。
 けれども一方では、「あなた行くんでしょ、ウィリー?」「先のことも考えなさい、言葉に見放されてしまう時のことを──」……とか、ウィニーの不安もありつづけます。
 「しあわせな日々」という作品には、これらの要素、光、しあわせな日々への努力、ユーモア、不安、シニカルさ……相反する明暗が交錯する微妙な味わいが全体にあふれています。
 ──そんなあたりがこの作品の魅力ではないでしょうか。他のベケットの作品と比べて明るいところは、暗いイメージでベケットにとっつきにくいと思っている人にもとっつきやすいかもしれません。
 この本には、ベケットの戯曲「しあわせな日々」の他に、「芝居」「言葉と音楽」「ロッカバイ」「オハイオ即興劇」「カタストロフィ」が収録されています。
 サミュエル・ベケット、1906-1989、アイルランド生まれ、ノーベル文学賞受賞。
 「しあわせな日々」初演は1961年。
 ※http://tori__.tripod.co.jp/tori__beckett.html

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紙の本

紙の本ゴドーを待ちながら

2000/11/24 09:26

ベケットの戯曲

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「戯曲が不思議なところはなにか『読みづらい』と人に思わせるところで……」と始まる文(出版ダイジェスト・白水社の本棚・「戯曲の読み方」宮沢章夫)を眺めていました。「『資本論』よりも『千のプラトー』よりも……『断じて戯曲』が誰もが読むのに苦労すると答える」と続きます。『千のプラトー』より──というのが私にとっては驚きでした。
 ベケットは、アイルランド生まれ、1906-1989、劇作家、小説家。ノーベル賞受賞、主な作品『ゴドーを待ちながら』他、です。
 ベスト・オブ・ベケット3『しあわせな日々/芝居』所収の全三巻へのあとがきに訳者は、ベケットは欧米ではけっこうお客を呼べる劇作家でもあること、日本では、前衛、難解、陰々滅々、自閉、エリート主義、と敬遠されることが多いこと、とか書いています。
 前衛、難解……ということとつまらないということはまた別です。不前衛、不難解……且つおもしろいという組み合わせもあるように、且つつまらないという組み合わせもあります。前衛、難解……で且つつまらないという組み合わせも可能だし、且つ面白いという組み合わせもあり得ます。
「……ときどき……呻いたらどうかしらっていう考え……身をよじるってことは彼女にはできなかったので……まるでほんとうに……苦しくてしかたがないみたいに……でもできなかった……どうしてもだめだった……彼女の性格にどこか欠点があるのか……」──こんな改行のない、「口」がしゃべる台詞が延々と約15分続くという「わたしじゃない」(ベスト・オブ・ベケット2所収)などは、ページを開いて字面を目にすると、ああ前衛、ああ難解……と思われます。
 『消尽したもの』(ドゥルーズ、ベケット)は薄めの本ですが、ベケットのテレビ放送用シナリオが4本収録されています。それはドゥルーズのエッセーと同じように読みづらいといえます。「13 カットして、Cにもどり、椅子、カセット、ためらって立ちつくすF、ドアの近距離ショット。五秒」(幽霊トリオ)──こういう形式に慣れていないとほとんど何も読みとれません。
 ベスト・オブ・ベケットに収録された作品は形式的に取っつき悪くはありません。前衛、難解……による面白さを持つ作品──でなければ味わえない面白さがあります。
 先入見をのぞけば、ベケットの戯曲は面白い読みものでさくさく時間もたっていきます。
 『ゴドーを待ちながら』第2幕のはじまりのヴラジーミルの歌う歌、
犬が一匹、腸詰めを/パクリとひとつやったので/肉屋は大匙ふりあげた/あわれな犬はこまぎれに//それを見ていたほかの犬せっせ、せっせと、墓づくり……/白木づくりの十字架に目につくようにこう書いた//犬が一匹、腸詰めを/(……以下繰り返し、途中ト書き入る)
 たとえば、それを延々と思い描いて聞き続けることを想像する時間は面白い時間ではないでしょうか。
ヴラジーミル おかげで時間がたった。
エストラゴン そうでなくったってたつさ、時間は。
ヴラジーミル ああ、だが、もっとゆっくりな。
 (ゴドーを待っているあいだ、ポッツォとラッキーが現れて去っていった後のふたりの会話。)
 ベケットは、前衛、難解……なイメージがあります。このイメージは面白さへのとっつきを悪くするという悪さをしますが、反面、前衛、難解……なイメージは一般的に本棚の飾りとしては喜ばれるところもありますので、お部屋のインテリアとしてこのイメージはこれはこれでとっておくというのもいいかもしれないです。

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紙の本

数学的雰囲気は憧れるけれど、数式は太陽のように眩しくて正視できない──という体質の人に……

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 数学的雰囲気は憧れるけれど、数式は太陽のように眩しくて正視できない──という体質の人に……。この本くらいだと数式光線の攻撃をあびずに数学気分にひたれます。

 「算数や数学なんて大きらい! そんな少年ロバートの夢のなかに、夜な夜な、ゆかいな老人「数の悪魔」があらわれ、真夜中のレッスンがはじまる」──「10歳から100歳までの『子ども』のため」ですし……。
 「フィボナッチ数」──とかあやしい響きの単語も登場します。
 「1、0、素数、無理数、三角数、フィボナッチ数、パスカルの三角形、順列・組合せ、無限と収束、オイラーの公式、旅するセールスマンの問題、ウソつきのパラドックス……」──そんなあやしい世界のなかへも、数学では0点をとった思い出、その他不幸な思い出ばかり……という人でも、この本では立ち入ることが許されています、特別に。ちょっとだけでも……。

 またこの本にはカラーで絵がついているので、イメージ的になんとなく内容が伝わってきます。

 「1+1=2」のラッセル卿の証明──なんていうのも、本文にでてくるようでしたら頭がくらくらしますが、絵の部分に描かれればオブジェのように雰囲気を味わうことができます。

 私の夜にも数の悪魔がでてきてくれたらいいのにな……と眠る前に読んで思いました。
by tori__

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紙の本

紙の本俳句をつくろう

2001/03/08 11:28

「俳句の言葉は、むしろ意味ではなく、像を喚起させようとします。その像を読者と共有することで、意味以上のものを伝えようとするのです。」──俳句の特質についての論もある入門書

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「俳句はいってみれば、なんの変哲もない日常的な場面のなかに、そのつど新しい感動を発見する詩です。そして切字は、作者が発見したものを、相手の無意識の領域に向けて提示するのです」
 ──俳句入門書には俳句の本質論には触れないものが多いですが、著者は、俳句とは何か? ということが腑に落ちないとすっきりしない……という欲求にも答えてくれます。

 第1章定型とは何かでは、俳句は発句から始まる歴史を、脇句がついていたこと、和歌の記憶があること……と、現在の俳句の理解にも繋がるように示してくれるのは明快です。

 切字について──「散文の言葉には、まず意味を伝える機能が求められますが、俳句の言葉は、むしろ意味ではなく、像を喚起させようとします。その像を読者と共有することで、意味以上のものを伝えようとするのです。……切字は意味を積極的に断ち切る仕掛けであり、いわば意味の代償として像を強調するのである」──「クローズアップの技法と似ている」──「対象をスローモーションで描く」──という論は、切字はなぜ存在するのか? という疑問の答えとして大変参考になります。

 その他、第2章では季語について、第3章では俳句的な場面(「映画のディテールのように」「俳句はストーリーではない」)、第2部第4章では写生と取り合わせ、5章で省略とデフォルメ、第3部では6章吟行と句会、第7章さまざまな俳句……と、いう内容になっています。

 参考になった本でした。
                by tori__

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紙の本

紙の本現代俳句の鑑賞101

2001/03/21 12:41

現代の主要な俳人をざっと見渡すことができて便利な本

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 現代の主要な俳人をざっと見渡すことができて便利な本です。原則自選の25句、著者紹介、それと、長谷川櫂氏の鑑賞から成り立っています。
 取り上げられている俳人は以下の通りです。

五十嵐播水/永田耕衣/平畑静塔/鈴木真砂女/細見綾子/高屋窓秋/能村登四郎/下村梅子/中村苑子/田川飛旅子/桂信子/後藤比奈夫/皆川盤水/森澄雄/佐藤鬼房/安藤次男/金子兜太/澤木欣一/石原八束/草間時彦/古館曹人/飯田龍太/石田勝彦/三橋敏雄/飯島晴子/志城柏/清崎敏郎/深見けん二/村越化石/鷲谷七菜子/菖蒲あや/大橋敦子/森田峠/田村奎三/加藤三七子/池上樵人/岡井省二/藤田湘子/宇佐美魚目/飴山實/川崎展宏/福田甲子雄/神崎忠/岡本眸/今井杏太郎/加藤郁乎/青柳志解樹/斎藤梅子/廣瀬直人/大峯あきら/宮津昭彦/河原枇杷男/有馬朗人/鷹羽狩行/稲畑汀子/斎藤夏風/辻田克巳/平井照敏/山上樹実雄/吉田汀史/大井雅人/鍵和田ゆう子/岡田日郎/上田五千石/友岡子郷/山本洋子/矢島渚男/脇村禎徳/伊藤通明/安井浩司/大嶽青児/宮坂静生/大串章/大石悦子/大槻一郎/黒田杏子/茨木和生/棚山波朗/倉田紘文/大木あまり/岡本高明/金子青銅/渡辺純枝/千葉皓史/西村和子/武藤紀子/岩井英雅/今井聖/大屋達治/片山由美子/大内史現/小澤實/中田剛/上野一孝/石田郷子/藺草慶子/田中裕明/高田正子/日原傳/五島高資/長谷川櫂

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紙の本

紙の本百人百句

2001/02/28 13:18

▼小さくとも完全なものを見れば、希望が持てる──といったのは……

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 小さくとも完全なものを見れば、希望が持てる──といったのはツァラトゥストラさんでした。俳句はその定義に近い詩です。

 百人百句は、朝日新聞「折々のうた」で有名な大岡信の書き下ろしです。和歌にある百人一首のようなものは、最近出た高橋睦郎の「百人一句」(中公新書)だけ、こういう本はいくつもあったほうが望ましいし……ということで著者は好みに従ってこの本を書いたそうです。
 もとより、「折々のうた」の著者である筆者が書いた作品なので、普通の俳人よりはよほど俳句の知識も広く深いなかから拾い集められただろう、ということはいうまでもありません。

 最初「百人百句」とあるから百人の百句ずつなのかな……と思いましたがそうではなくて、一句ずつ百人。一句を選んで、その作者について、略歴やその他の俳句などもあります。だから知らない俳人のことを知る手がかりにもなるでしょう。
 とりあげられている俳人は古い俳人から最近の俳人まで幅広いです。

 高橋睦郎の「百人一句」もそうですが、この人のこの句をこの人はとるのか……というところも細かく見ていくのもなかなか興味深いです。

 著者は、「この種の本はもっと多種多様に作られることが望ましい。私の見方とはまるで異なる同種の「百人百句」が作られ、それぞれが競って世に信を問うようになってくれば、このような本を出版する意義もあったことになるだろう。」と書いています。

 本を出版するのもともかく、百人というのも大変ですが、何人かの俳人で、私だったらこの句を選ぶのにな……ということを考えていくのも楽しいです。あるいは、自分だったらこの人をいれるだろうとか……。

 こういう本を読むと俳句の世界の広さや深さが窺われて、世界に希望が持てます。

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紙の本

紙の本作ってみようらくらく俳句

2001/01/06 23:06

らくらくに俳句を作ってみたいと思ったときに……

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国語がもっとすきになる本──と表紙に書いてあります。
だからもともとは子ども向けの本です。
でも、子どもでなくてもじゅうぶん役に立つとっつきやすい俳句入門書です。

・読むのがらくらく
子ども向けのためか、イラストが多いうえに、行間もひろく、ルビが振ってあって、とても紙面が読みやすいです。
俳句に興味を持つ人というのは中高年以上が多いと思います。
けれども、中高年になると小さい文字が読みづらくなる確率が高くなるのにもかかわらず、読みやすそうな紙面の本は内容がソフトっぽい印象になるからでしょうか、たいていの本は真っ黒な紙面になっていて読もうという気分をそれだけでくじくこともしばしばです。
読むのが楽な俳句入門があること──そのこと自体、らくらくに俳句を作ることができる第一歩となるのではないでしょうか。

・俳句をつくるのはらくらく
はじめに──に、
>「俳句っていうのはね、自分が思ったことや感動したことを、五・七・五の調子を
>つけていうことなのよ。
>   5    7     5
>  朝起きて 窓をあけたら 雪だらけ
>
> ね、ちゃんと、五音・七音・五音のリズムにのっているじゃない。」
 あるいは、
>「それから、五・七・五にするだけじゃなくて、五・七・五の中に季節のことば、季語
>を入れなくてはいけないのだけれど、『雪』という季節のことばが入っているしね。」
 とあります。
 もちろんそれだけでもない、ということもきちんと書いてありますが、まずは──だれでもかんたんにつくれるのが俳句です──というアプローチになっています。いきなり、俳句の歴史からはじまっていないところもやる気をそぎません。

・もくじ
この本はどういう趣旨になっているかは、もくじを見るのがいちばんです。

>一 はじめての俳句
> 1 俳句って、なに?
> 2 俳句は、だれにでもできるの?
> 3 俳句って、むずかしいことばを使わなくちゃならないの?
>二 俳句の約束ごと
> 1 俳句はジグソーパズルです──五七五にあてはめる
> 2 季語をあてはめる
> 3 切れ字を使う
> 4 自由律の俳句
>三 さあ、つくってみよう
> 1 まず、よく見て、観察して、おもしろがって
> 2 見たまま、感じたままに、自由に
> 3 推敲しよう
> 4 「たとえ」を使ってみよう
> 5 日記のかわりに一日一句
> 6 句帖
> 7 国語辞典
> 8 「歳時記」
>四 句会と吟行を楽しもう
> 1 句会って、なに?
> 2 吟行って、なに?
> 3 やさしい吟行と句会
>五 俳句のひろがり
> 1 子どものための句会と俳句コンテスト
> 2 世界の子どもたちの俳句
>
>あとがき
>子どもの歳時記
>本文に登場する俳人

子どもでない読者にはあまり興味のない部分もありますが、おおかたのところはきちんと役に立ちます。

・俳句の知識もらくらく
俳句の世界に入るときに、俳句界用語が立ちはだかることもあります。
吟行、銀行? 切れ字、きれじ? ──そんな俳句用語もわかりやすく説明してあります。
また自由律などにも言及してありますから、ある程度広がりのある俳句への知識がえられます。
上五、中七、下五……なんの説明もなくたいてい出てくる単語です。意味はだいたい見たとおりですが、私の場合何と読むのか確信が持てませんでした。国語辞典にはのっていません。かみご、なかしち、しもご……とルビがふってあってこの本を読んですっきりしました。

そして俳句って自由でたのしいという趣旨を証明するような例句には、以下のようなものがあがっています。

・秋天(しゅうてん)にわれがぐんぐんぐんぐんと 高浜虚子
・うれしさや七夕竹の中を行く 正岡子規
・初まくはたてにやわらん輪に切らん 松尾芭蕉
・大いなるほたるがふはりふはりかな 小林一茶
・宇治金時みどりの水になりにけり 辻桃子

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