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ひろえさんのレビュー一覧

投稿者:ひろえ

12 件中 1 件~ 12 件を表示

スーダンの過酷な現実と、そこで生きのびようとする子どもたち

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

主人公のステファン少年は姉のナオミと仲がいい。ナオミはステファンの友人のウリと心を寄せ合っているが、親は、村の有力者のじじいとナオミを結婚させようとしている。スーダン、1999年。干ばつと内戦で、村ではみな生きのびるのがやっとである。「雨のない年」が3年も続き、やせ細った牛だけが頼みの綱である村に、赤十字からの援助物資が飛行機で落とされれば、政府軍の兵士も反乱軍の兵士もやってきて強奪し、少年は兵士にするため、少女は奴隷に売るために拉致していってしまう。
ある日、ステファンは、兵士の足音を聞いて、仲間と一緒に森に逃げ、帰ってみると母は殺され、姉の姿は見えず、家々は焼け落ちている。村から逃げるように、どこかを目指して歩き始めた3人は、渇きと恐怖と病気の危険に、歩いていても休んでいても、心落ち着くことはない。やがて、ステファンは、胸に手を当てて改めて考え、情報や想像に従うのではなく、本能的に自分がよいと思う方向に戻ろうと決意する。
読んだ時期、出版の時期と重なるように、1983年から20年以上続いていたスーダンの内戦が1月に終結し、それを受けて4月に日本政府が1億ドルの援助を決めたというニュースを読んだ。スーダンやエチオピアというと、20年以上前に、干ばつとそれに対するユニセフなどの支援を報道していたのを覚えている。そして、ガリガリにやせた同い年くらいの子どもへの激しいシンパシーの感覚も。
この記憶は、一過性のセンセーションではなく、私の中に沈殿した。干ばつを子どもの姿、目にハエのたかった子どもの姿を<読んだ>こと。読むときに働く想像力のため、ガリガリにやせたエチオピアやスーダンの子どもの身体は、私の脳にやきつくようにして記憶したのである。マスコミが、問題を報道したらおしまい、といわんばかりに、あっという間に報じなくなっても、この像は残り続けた。本の力、というのはたとえばこういうところにもあるのだと思う。
この本は、干ばつだけでなく、南部と北部の内戦、部族間抗争、国境を越えた戦火や難民の問題など、事態はいよいよ複雑になっており、その中で、それでも生きていく子どもを描いている。児童文学であるゆえに、人々との出会いにもラストにも希望がもてるが、これが1999年を描いた2003年の作品であるということや、政治的に内戦が終結したたった今、この物語よりひどい混乱状態と、醜い人間性どうしの衝突が起きているであろう現実もまた喚起され、状況の最先鋭にはいつも子どもがいることが改めて感じられる。

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寝台特急がつなぐ友情

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 『レールの向こうへ』『ふたりでひとり旅』と、鉄道の旅と少年の成長を絡めた作品を書いてきた作者の3作目。鉄道や時刻表というモチーフが、よりバランスよく活かされている。
 名字が同じ「大杉」で同じマンションに長く住んでいた親友の翼と翔。4年生になる前の春休みに翼が突然高知に引っ越してしまってから、いくら連絡をしても、翼から冴えない返事しか返ってこなくなった。気がかりでたまらない翔は一大決心をする。翼にもらった時刻表を読み、寝台特急「サンライズエクスプレス」で高知に行って自分たちと同じ「大杉」駅で再会しようと……。
 「東京と高知、はなれているけど、ずっとレールでつながっているんだよ。」(p.13)
 時刻表とにらめっこをしながら計画を立てること。旅支度をすること。初めての寝台特急に、一人旅、不安と興奮が交互にあらわれながらやりとげていく翔から翼への友情がすがすがしい。同時に、見知らぬ土地の子ども社会の中で、自分の立ち位置を模索していた翼にも共感できる。
 離れている二人、つながっている二人、変わる関係を予期させながら、変わらないかもしれないものをありのままに大事にしたいという二人の意志そのものが尊重されている。
 同世代の小学校中学年くらいの男の子におすすめ。鉄道の旅や時刻表を読む楽しさを「読書」するというのはとてもおもしろいのではないかと思う。綿密な数字できわめて精巧に組み立てられていながら、どこかファンタスティックな空想と楽しさも広がっていくからだ。

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紙の本真夜中の飛行

2004/11/08 23:51

飛ぶことをめぐる少女の成長と、3世代の女たち

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 訳者による後書きによると、作者は、「ハンセン家の女たちは、どんなに天気が悪くても、かならず夜に飛ぶ」という着想からこの物語を書いたという。ただし、魔女的なファンタジーではなく、少女のイニシエーションと家族の変容が、飛ぶ行為・飛ぶ女の姿を通じて鮮やかに描かれている。
 ハンセン家には、おばあさまの言い渡した「敷地内に男は住むべからず」の決まりどおり、男がいない。主人公のジョージアは15歳。母親のメイヴとその姉妹(ジョージアの叔母たち)のエヴァとスキ、おばあさまのマイラと3世代で暮らしている。彼女たちを結ぶのは、飛べる家系であること。ファンタジーらしいのはこの一点だけなのだが、飛行の描写では、風の冷たさや飛翔の高揚感、方向を定めたり着地したりするときの緊張など、大変リアルで、飛んだことがなくても、こんな感じなんだろうな、と思える。
 おばあさまの力が圧倒的な屋敷の中で、ジョージアの16歳のイニシエーション(「単独飛行(ソロ)」をめぐり、母の世代とジョージアとがいかに自由になるかが語られる。家族の葛藤とそこから羽ばたいていく若い少女、という普遍的な物語であるからこそ、飛行の皮膚感覚にあらわされるジョージアの怒りや大人の女性になることへの想いが具体性を帯びる。また、飛ぶことを特別視するのではなく自分の体験としてリアルに捉えられることも魅力だ。
 長い間この屋敷から離れていたカルメンの造形がいい(名前も示唆的である)。16歳を迎えたジョージアの美しさも想像できる。叔母たちそれぞれの優しさとあたたかさを感じる。
 酒井駒子さんの装丁が素敵。

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紙の本ルチアさん

2004/05/09 10:47

不思議な水色の玉にこめられているのは

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 町のはずれのたそがれ屋敷に、お母さんとお手伝いさん2人と一緒に暮らすスゥとルゥルゥの姉妹。宝物は、遠く航海に出ているお父さんが昔おみやげにくれた「宝石」—卵型で水色で「金と銀の粉が舞い踊り、海の夕陽と、妖精のため息と、高原の風とか、ぜんぶ詰まっているような、いえ、それ以上に美しいかもしれない、水色の玉」である。
 3人目のお手伝いさんとしてきたルチアさんは、なぜかその水色の玉と同じように光っていて(それは姉妹にしか見えない)、幸せと満足感を体じゅうから醸し出している。その秘密を知るために、二人はある夕方、屋敷を抜け出してルチアさんの後をつけていく……。
 今ここにいることと、憧れとを同時に自分の内側で満たすこと。逃避と言われそうなそれを描けることは、ファンタジーのひとつの大きな要素である。水色の玉にシンボル化されて語られることで憧れの気持ちじたいが主役に立ってくる。その意味で、ルチアさんも含めて人物にあまり共感することはなく、あえていえば、ルチアさんの血のつながらない娘で水色の玉の秘密に触れたのちに哲学することを覚えた、はじめはごくありきたりの少女だったボビーが心に残る。
 高楼方子ということで、「憧れ」というモチーフそのものも含めて、バックグラウンドとなる部分で『赤毛のアン』的な世界も感じさせる。

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紙の本アナベル・ドールの冒険

2004/01/23 22:53

ドールたちの愉快な謎とき

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 百年前の古いドールハウスで暮らす人形のパーマー一家は、パパ・ドール、ママ・ドール、ドールおじさん、アナベルと弟のドビーである。今はおばあちゃんになったキャサリンから孫のケイトへと受け継がれたものだ。
 もうひとつ、ケイトの妹ノラには、誕生日に、現代的なプラスチック製の人形の家とファンクラフト一家が贈られた。ファンクラフト父さん、母さん、ティファニーと弟のベイリーと赤ちゃんのブリトニー。パーマー家に、100年目にして「お隣さん」があらわれた!(ちなみに、パーマーもファンクラフトも玩具のメーカー名である)
 物語は、アナベル・ドールが、数十年間行方不明のサラおばさんを探す冒険を軸に進む。「ミニチュア」の視点、そこに投影される人間性(この場合はアナベルの冒険心や友情への憧れ)、人形の生と人間の暮らしのギャップといった伝統的な部分もさることながら、素材も暮らし方も何もかも違うパーマー家とファンクラフト家の近所づきあいの芽生えが楽しい。
 ファンクラフト一家が満面の笑みを浮かべ、両手を広げて親しみをあらわしながら登場する場面や、大きさも素材も全く違うアナベルとティファニーが並んだところなど、セルズニックの挿絵に味があり、緊迫した場面でさえも読者をくすりと笑わせるユーモアをにじませる。

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紙の本チューリップ・タッチ

2004/12/22 22:06

虐待されてきた少女の放つ悪意/チューリップをそうさせたのは誰?

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 暴力と絶望しかない家庭で育った少女チューリップの心の傷の深さと、それに由来する邪悪さを、8歳で転校してきてから彼女に「とりつかれてしまった」ナタリーの視点で描く中篇。題の「チューリップ・タッチ」は、絶対的悪意のあるふるまいをするときのチューリップ流のやり方、程度の意味になるだろうか。
 チューリップは、人の気持ちを傷つけ、トラブルをひきおこそうとたくらむとき、そして炎を見つめるときだけ目を輝かせる。炎は、あらゆるものを燃やし尽くす力、殺す力だ。それに惹かれるチューリップの内面は、真っ黒な中に浮かび上がる目玉によって表現され、その「自画像」が表紙絵になっている。
 チューリップは、凝視され、監督され、通過される。チューリップの問題はチューリップだけに還元され、彼女に根本的に介入しようとする人間は登場しない。問題児ゆえに注意を引くが、その底知れぬ心の闇の深淵に分け入ろうとする者はいない。チューリップは据え置かれ、周囲の人々は彼女を通過していくだけである。チューリップは、裏切られた思いにいっそう悪意を募らせていくだけである。ナタリーもまた結果的にチューリップを通過した一人であるが、そのことによって、一生罪の意識を抱え込むことになった。
 大人たちは、ナタリーが叫んでいるように、ナタリーをいつのまにかチューリップの専門家にしていた。ナタリーの声に目を伏せ、自分の場を侵食されるのを拒む彼らの姿もまた、あまりにリアルである。
読み終わった後にも、読者の頭の中にチューリップがとどまり続けるような作品である。出版当時に原書を読んだときも衝撃的だったが、8年経って、成人したはずのチューリップは、子ども時代とどう折り合いをつけただろうか。

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紙の本モギちいさな焼きもの師

2004/06/08 19:10

「青磁象嵌雲鶴文梅瓶」にインスピレーションを得た、焼き物師の子ども時代の物語

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 12世紀の韓国の、高麗青磁の名産地チュルポに住む少年モギとトゥルミじいさん。モギはみなしごで、同じく天涯孤独のじいさんと一緒に、幼児の頃から橋の下で、ゴミ捨て場からの収穫物と野草などを食べて暮している。だが、盗みと物乞いは決してしない。じいさんはモギを心から愛し、かわいがり、生きる知恵や「山を読む」すべを教え、おもしろく含蓄のある話をたくさん話して聞かせてくれる。
 ひょんなことから、村で随一の陶芸家のミンの下働きになったモギ。たきぎ運びや粘土漉しなどの地味な重労働をこなしながら、親方ミンの手元をこっそりのぞき、いつか作ってみたい陶磁器を空想する。短気で職人気質で芸術家肌の気難しい親方に対して、奥さんは、おいしいお弁当を作って食べさせ、寒い冬には死んだ息子のために作った綿入れの服を着せてくれる。
 チュルポの陶芸家はみな、宮廷御用達の焼き物師になるという、めったにないチャンスを夢見ている。あるとき、都から目利きのキム特別官が訪れるという噂が流れる。親方のミンももちろん、すばらしい作品をつくり、展示する。一方、人々の目をひいたのは、「象嵌」を焼き物に応用したカンの斬新な意匠だった……。
 正しい生き方を示すじいさん、陶磁器一筋の親方、優しい奥さん、公正なキム氏など、モギをとりまく環境に悪意がないのがいい。モギがおそらくは天性の才能を、見習い修行の中で開花させていくすがすがしさと、すばらしい芸術品がひとの心を打つ真実とがたくみに組み合わさった、読後感のさわやかな、まっすぐに読者の心に響いてくる作品である。
 いくつかのサイトで、後日談に出てくる「青磁象嵌雲鶴文梅瓶」を見てみた。写真では細かいところまでわからないのが残念。だが、希代の陶芸家の子ども時代を想像するのに、この梅瓶からインスピレーションを得たことはよくわかる。

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紙の本英国レディになる方法

2004/09/26 13:38

ヴィクトリア朝時代のイギリス、女性と子どもの博物誌

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 18〜19世紀ごろのイギリスの女性と子どもの博物誌が見当たらないことをきっかけに作られた一冊。カラーの写真、絵、図版が多く、華やかかつ実用的かつ学術的である。著者二人がイギリスで実際に写真を撮り、美術館や博物館に取材し、オースティン、ブロンテ、ディケンズなどヴィクトリア朝時代の英文学、あるいは、キャロル、ピアス、ボストン、オールコットなど児童文学の場面場面をちりばめながら解説されている。その時代を旅してきた人物のエッセイを読むような分かりやすさとユーモアがある。

chapter1 少女時代
chapter2 結婚式
chapter3 奥様家業
chapter4 子ども時代
chapter5 年中行事
chapter6 弔い

 女性の半生を追う章立ての中で、少女時代なら、「サンプラー」や「コルセット」や「舞踏会」、奥様家業なら「ティー・タイム」や「家政の手引書」などの項目がある。以前、ゴッデンの『人形の家』を原典で読んでいたとき、「サンプラー」は刺繍関係の事典で、「ドール・ハウス」は工芸や人形関係の事典でそれぞれ実物の写真を探したことがある。本当は、これらは、同時代に並存していたものである。それを一度に紹介した本は、探してもなかなか見つからなかったので、その意味でも、貴重だろう。
 今はアンティークな品々が実際に使われていた時代。だが、当時の価値観や習俗は、21世紀の現代にも(日本にさえ)受け継がれていて、そのつながりが興味深い。インスタント食品は19世紀後半には既に家庭の主婦や料理人が便利に使っていたそうだ。——そういえば、赤毛のアンが「アビリルのあがない」を勝手に投稿されてショックを受けた話でも、ダイアナが応募したのはベーキングパウダーの懸賞小説だったが、これも、当世の流行だったというわけだ。
 イギリス文化を追う上でも、子どもと女性の生活史を追う上でも、もちろん、ただ楽しみのためにでも、おもしろい。
 髪を編んでつくるアクセサリー(想念がこもっていそう…)や、かわいらしすぎるおまるや、嫁入り支度セットの「トルソー」の中身など、異なる時代の、それでいて今に通じる「もの」がたりである。

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紙の本パブロ・カザルス喜びと悲しみ

2004/10/12 00:33

平和、平和と鳴くカタルニアの鳥を

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 10月2日の朝日新聞のbeのカザルスの記事をきっかけに、積読にしていたこの本を取り出す。じっくりゆっくり数日かけて、音楽と人生、戦争と平和、歴史や個人史、ユーモラスなエピソードや深い意見や圧倒されるようなカザルスの経験の数々を知る。音楽のことばで語るだけではなく、戦争の世紀を肌身で感じざるを得なかったディアスポラと、平和やカタルニアへの強い思い、またそれを、偉大な音楽家として以上に、一地球市民として精力的かつ真摯に、ひとつずつ人間としてなすべきことをなしてきたことに感服した。
 といっても、偉いひとというよりは、カタルニアの土の匂いや親しんだ町並みが想像できるような「土地のひと」としての骨太さと、労働者=しごとを尊ぶ人=音楽を敬愛し、より大きく普遍的な精神性の前に、自分にできることをやる人、としての「あたりまえの」度量の大きさを感じる。王侯貴族から芸術家まですごい人たちとの親交があるのに、カザルスはカザルスで、カタルニアと平和を愛する自分自身であること…を大事にしていたのだなということが納得できた。
 それから、スペインというよりはカタルニアのひとであったカザルスだから、読み方はカスティリヤ語ではなくカタロニア語のパウ・カザルスをよりアイデンティティとしていたとか。言語はそれこそいくつも操り、音楽という普遍的なことばを知っていると同時に、その半面には、きわめてローカルな根っこがしっかりとあることもよく分かる。

「(前略)問題は才能をどうするかだ。才能という賜物を大事にしなさい。天与のものを汚したり、浪費したりしてはいけない。絶えず勉強して、才能を育てなさい。」もちろん、なによりも一番に大切にすべき賜物は、生命そのものである。仕事は生命への挨拶であるべきだ。(p.29-30)

(最初の師匠に)「パブリート、みんなが話す言葉を使いなさい。いいかな」万人の語る言葉を用いる! もちろん、そのとおりだ。芸術一般の目的に関してこれより深い示唆がありえようか。音楽、いや、どんな芸術も万人が理解できる言語を語るのでなければなんの役に立ち得ようか。(p.57)

子供たち一人ひとりに言わねばならない。君はなんであるか知っているか。君は驚異なのだ。二人といない存在なのだ。世界中どこをさがしたって君にそっくりな子はいない。過ぎ去った何百万年の昔から君と同じ子供はいたことがないのだ。ほら君のからだを見てごらん。実に不思議ではないか。足、腕、器用に動く指、君のからだの動き方! 君はシェイクスピア、ミケランジェロ、ベートーヴェンのような人物になれるのだ。どんな人にもなれるのだ。そうだ、君は奇跡なのだ。だから大人になったとき、君と同じように奇跡である他人を傷つけることができるだろうか。君たちは互いに大切にし合いなさい。君たちは——われわれも皆——この世界を、子供たちが住むにふさわしい場所にするために働かねばならないのだ。(p.268)

 20世紀前半の大戦時の亡命の窮乏生活や、それでも貫かれる信念や、1945年以後も、フランコの独裁政権が続くスペインに帰らなかったその生き方そのものを知ることで、こういうことばの重みがいっそう増す。フランコが死去して立憲君主制に戻ったのは1975年。カザルスは見届けることがなかったのだなあ、としみじみ。
 だけど、私も、こんなに偉大ではないけれど、足元の、今いる場所で精一杯良心の声を聞いて真摯に生きていくことはできるのではないか。そんな励ましまで得られたように思う。

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紙の本ホエール・トーク

2004/06/24 23:57

ほんとうのことばが届いたら

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 こんないい男っていないなーとドキドキしながら、水泳チームの成り行きにドキドキしながら、そして途中からは不吉な予感にドキドキしながら少しずつ読み進めた。作者の心には、タイトルの<クジラの会話>が強くあるのだろうが、そのような一種の理想的な比喩を出してこなくても、人間の語りだけでも十分読ませる。
 日系とアフリカ系と北欧系の混血で、麻薬中毒だった母親のもとから幼児期に白人夫妻に引き取られたTJが主人公。幼少時のトラウマを克服するために、心理療法家のジョージアのところへ通っていた。現在の両親は、社会的立場も背負っている過去も違うが、軽薄な理想を唱えるよりも、現実を引き受け、1対1の人間同士としてTJに接する魅力的な二人である(特に養父の存在感は大きい)。
 TJは、体格はいいし、スポーツ万能、成績優秀で、完璧。だが、わが道を行くタイプ+アフリカ系ということで、人種差別主義者の敵もいれば、スポーツバカの集うカーター高校のコーチ連に疎ましく思われることもある。
 ひょんなことから、団体競技を避けてきたTJは、水泳チームを結成することになる。彼自身はオリンピックにも手が届くかという水中の猛者だが、集まった面々は、一癖も二癖もある連中ばかり。
 TJは、チームの一員クリスのヒーローであり、アフリカ系の少女ハイディのヒーローであり、カーリーの素敵なボーイフレンドであり、そして今の養父の息子である。
 水泳チームの仲間の、また、養父の背負う過去には、虐待や死や麻薬や差別がある。大人の身勝手な事情に翻弄された子ども達。深い傷とそれを語ることを軸に、交錯する物語を、それぞれが引き受けていかなくてはいけない。
 スタジャンをめぐる攻防については、『チョコレート・ウォー』を思い出した。自由なようでいて意外にがちがちなところのあるアメリカの高校生活や、求められる「愛校心」の窮屈さ。そこにいかにノーというかについて、数十年を経て、アメリカの少年はどう変化したのだろう。
 迫力があるのだけど、ある部分では静かで、ある部分ではくすくす笑ってしまうほどのユーモアに満ちている。上半期のベスト10。

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紙の本ノエルカ

2004/02/02 22:41

ポーランドの普通の人々が過ごしたある年の「クリスマスイブ」の濃密な時間。

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 ポーランド、1991年のクリスマスイブ。17歳のエルカ・ストルィバと、ボレイコ家の長女ガブリシャ(長女といっても、プィザとちびトラという2人の女の子の母親で、離婚経験者)を軸に、午前中から晩餐までの半日を丁寧に追っていく。
 最初は、ポーランド語の名前や地名がややこしい上に、主な登場人物だけで23人もいるため、状況把握に時間がかかって進まないかもしれない。だが、そこを越えて、エルカがトメクと出会うあたりから、物語はどんどんおもしろくなり、最後には加速度がついて、奇跡のような最終場面へと進んでいく。

 せっかくのイブというのに朝からツイていないことだらけのエルカ。午後は、成り行きで、初めて出会った青年トメクのアルバイトに付き合うことになる。「サンタクロース&金色の天使」に扮して家々をまわっていく時間の中で、様々な家族の事情や人間模様、エルカの心のうちが見えてくる。
 エルカが心に抱えた「重たい石」の行方や、ボレイコ家のあたたかい雰囲気、それぞれの家が抱える喜怒哀楽、何よりトメクとエルカのぎこちなくも初々しい恋愛感情が何層にも重なって、たくさんの登場人物のそれぞれがどんどん近しく感じられてくる。表紙に配された12の絵は、作中の様々な場面の挿絵なのだが、読み終わってからそれぞれの絵を見直すと、そのシーンのおもしろさがじんわりとよみがえってくる。

「地下道の階段に腰をおろしてた時、俺わかったんだ。つまり、神は俺たちの前に現れる時、必ず他者を介して現れるんだってことを」(p.260)

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紙の本ロラおばちゃんがやってきた

2004/04/24 14:25

太陽を連れてきたおばちゃん

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 子どもの頃にドミニカからアメリカに来たパパとママが離婚し、ミゲルとフアニータの兄妹はママと一緒にヴァーモントで暮らすことになる。アーティストのパパはニューヨークで一人暮らし。
 肌の色も様々でヒスパニック系がたくさんいたニューヨークに比べ、ヴァーモントでは「ネイティブアメリカン?」なんて聞かれるし、なかなか友だちもできないし、冬は灰色で寒い。
 冷えたミゲルの心を溶かし、おいしい料理と独特の人なつっこさと明るい愛情表現で生活を一変させたのは、ママのふるさとドミニカからママを心配して来てくれた大叔母さんのロラおばちゃんだった。素材も香辛料も違うドミニカ料理も、スペイン語と英語との飛び交う会話も、ドミニカ流の人付き合いも、ミゲルとフアニータの生活の中で魔法のようにじんわりと効いていく。
 まず、当然、ロラおばちゃんの造形がとてもよい。「じゅうたん製のバッグ」から次々にいろんなものが出てくるところや、オウム型のお菓子入れなど、神戸さんもおっしゃっているが、メアリー・ポピンズを彷彿とさせる。 
 同時に、自分は結婚せずに幼い頃のママの面倒をみ、今またミゲルとフアニータをケアして大好きなドミニカから遠く離れているおばちゃんの心の奥底も想像してしまう。そして、ミゲルもそれを想像するからこそ、おばちゃんに「大好き」といい、おばちゃんへの愛情を見せるのだろう。
 ママとパパの離婚。いつしか友だちもでき、リトルリーグに入団したこと。いくつものビックリパーティ。ニューヨークとヴァーモントのどちらもがふるさとになっていく感覚。絶対に変わらないことなんてないから、逆に大切なものは心から取りこぼす心配はないこと、心の中に生き続け、変化していくことを感じ取っていき、だけど、今はまだまだロラおばちゃんに一緒にいてほしいミゲルとフアニータの心の動きもていねいだ。何より、太陽のように明るいドミニカ文化がいいスパイスになっている。
 アメリカ児童文学の中でも、ちょっと新しい、そしてどんどん出てほしいタイプの作品。

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