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  3. みゆの父さんのレビュー一覧

みゆの父さんのレビュー一覧

投稿者:みゆの父

82 件中 61 件~ 75 件を表示
日本史の脱領域 多様性へのアプローチ

日本史の脱領域 多様性へのアプローチ

2003/05/29 17:18

気持ちはわかる

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「多分野の若手研究者の参加のもと、規制の学問的枠組み・制度にとらわれることなく、歴史・文化を研究するための方法について議論を重ねて」(10頁)きた方法論懇話会の成果。で、その成果は?

そりゃ気持ちはわかる。よく勉強してるんだろうって感じもする。でも、この本の基本にある、歴史は物語だから歴史像は多様だろ、そう考えると自分の立場が相対化できるだろ、そうすると「新自由主義史観」なんてくだらないってことがわかるだろ、って理屈は、ちょっと単純すぎないか? 

歴史像が多様だったら「新自由主義史観」だって「あり」のはず。それを「自らのよりどころとなる価値秩序を客観化できていない点で、本当の意味での多様性の認識であるとはいえません」(9頁)っていわれても、説得力はないなあ。気持ちはわかるけど、あわてない、あわてない。

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論争・デフレを超える 31人の提言

論争・デフレを超える 31人の提言

2003/03/04 09:43

百花繚乱

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最近いろいろと議論になってるデフレとデフレ対策についての、31人のエコノミストに対するインタビュー集。誰がどんなことを言ってるのか知るにはいいかもしれないけど、まさに百花繚乱。全部一気に読んで、ますます混迷の度を深めてしまった。寝床で半分意識を失いながら読んだのがまずかったか?

まず、経済学の基礎知識がないと、議論に付いてくのが辛いかもしれない。編集した日高さんが、それぞれのインタビューを理解するのに必要な経済理論をもう少し解説しといてくれたら、とても役に立ったんじゃないかと思う。ついでに、よく見ると「清貧の勧め」みたいな説教をするインタビューも多いから、経済学を知ってるだけじゃ足りないかもしれない。

個人的には、一番わかりやすかったのはアラン・メルツァーさんのインタビュー。政策提言を示しながら、その背景にある経済学の基本をわかりやすく伝える。こういうのが上手いのは、やっぱりアメリカ人なのかなあ。

日本のエコノミストだったら寺島実郎さんのインタビューが面白いかも。もっとも寺島さんは自分を「エコノミスト」じゃなくて「産業人」と定義してて、それだからこそ面白いんだけど。

いずれにせよ、一種の証言集として10年後に読み返してみると、きっと面白いだろう。歴史の女神クリオが各々のエコノミストに冷徹な評価を下してるはずだ。

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子どもが育つおとなも育つ 四苦八苦、朱い実の日々

子どもが育つおとなも育つ 四苦八苦、朱い実の日々

2002/07/10 10:19

もって他山の石となるか

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もうすぐ三歳になる娘は無認可保育所に通っているのだが、僕らの住んでいる自治体には一定の基準を満たした無認可保育所に対する補助金制度がある。うちの保育所もその恩恵をこうむってきたのだが、この秋から制度がかわることになり、保育所は上へ下への大騒ぎ。でも、こういうときこそ基本にかえり、保育の質について勉強しておく必要があるだろう。父兄もね。というわけで、参考になるかなあと思いながら読んでみた。

でも、全体的に突っ込みが甘く、いまいち「もって他山の石にすべし」というわけにはいかなかった。保育所で何が起こったかはわかるけれど、それを保育者や父母がどう捉え、どう対応し、そこからどのような教訓を得たかがわからない。同じような内容を持つ横川和夫『不思議なアトムの子育て』(太郎次郎社、二〇〇一年)と比べてみると、そのことがわかると思う。

まあ「自分の保育所の問題は自分で考えて行動するしかない」のだけれど。

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もてない男 恋愛論を超えて

もてない男 恋愛論を超えて

2001/10/22 14:33

中二階状態

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 小谷野さんの「もてない男」論は有名だし、僕も聞きかじってた。だから本物を読むことは必要ない、といえばいえないこともない。でも、ここで出てくるのが親心ってやつで、「うちの(親の目から見たら)可愛い娘が、まだ二歳だけど、将来もてない男に…」などと要らぬ心配をしてしまい、はっと気がついたら本屋のレジにこの本を出してたのだ。まぁよく考えたら、僕自身もてない男だったから、自分の過去を振り返ってみれば十分なのかもしれないけど、一応理論武装もしておくかって感じで読んでみた。
 この本は、童貞、自慰、恋愛、嫉妬、愛人、強姦、誘惑といったテーマについて、古今東西の文学についての博識を交えながら小谷野さんの考えを述べたものだ。でも、テーマの華々しさや文体の軽さに目をくらまされず、よく見てみると、小谷野さんの一貫した立場が貫かれてることがわかる。それは「恋愛弱者」(六八ページ)の立場だ。この立場からすると、「恋愛は誰にでも可能であり、さらにはそれのできない者は不健全だ」っていうのは「デマゴギー」で「嘘」(一九四ページ)だし、「もてないということは別に恥ずべきことではない」(八ページ)。「女性」っていう弱者を発見したフェミニストに対して、「もてない男」っていう弱者を発見したり、世に蔓延する恋愛至上主義を批判したりした小谷野さんの仕事のメリットは広く知られてるから、いまさら詳しく紹介する必要はないだろう。また、この本にそこはかとなく流れる反「現実のフェミニズム」(一一一ページ)に目くじらを立てる必要もないだろう。
 この本には一つ大きなメリットがある。恋愛不要論者の奮闘にもかかわらず恋愛教が日本を支配してるのはなぜかという問いに対して(ちょっと引いてるけど)はっきり「要するに…恋愛以外のおもしろいことに話は戻っていく」(一九〇ページ)って答えたことだ。今の日本社会みたいに、他にあまり面白いことがなければ、手近なもので済ますしかない。その「手近なもの」が恋愛なのだ。だから、他に面白いものがみつかったら、恋愛教も卒業ってことになる。僕は、恋愛が不要だとは思わないけど、恋愛の他に面白いことがない社会っていうのは閉塞してるし危ないと思う。世の為政者諸賢は、もうちょっと「パンとサーカス」のことを考えてほしい(自分で考えることかもしれないけど)。
 それはいいとして、この本を父親として読んだ感想は「はぁそうですか」だった。ついでに、不満を二つ。第一、議論の突込みが足りないこと。たとえば、僕はいまだに「性的嫌がらせ」の定義(具体的にいうと、どこから嫌がらせが始まるか)がわからなくて困ってるけど、この本には「強姦か、誘惑か」(一六一ページ)とか「これは据え膳なのかどうかの判断に困る場合がある」(一六四ページ)とか、解決の糸口になりそうな言葉がある。でも、小谷野さんはそれ以上突っ込まず、次の話題に滑らかに進んでく。これが小谷野さんのスタイルなのかもしれないけど、隔靴掻痒って印象はぬぐえない。
 第二、「弱者」に徹し切ってないこと。「ほんとうに、救いがたく、容姿とか性格のためにまるで女性に相手にしてもらえない男」は「女なら誰でもいい、というようなケダモノ」(八ページ)だとか、「愛を告白する勇気がない」のは「チンケな輩」(八二ページ)だとか、「もてない男」の下に、更なる弱者を置きたがる。突込みが足りないのだ。「恋愛弱者」の「私怨で書いている」(一九四ページ)んだったら、一番弱い者の立場から議論を始めてほしい。そうしないと、「エリート・フェミニズム」(一一〇ページ)とかと同じような「中二階状態」に陥る危険あり。中二階状態が怖いのは、強者の前では弱者として、弱者の前では強者としてふるまう癖が付くことだけど、大丈夫だろうか。他人事ながら心配だ。

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ちいさなあかいめんどり

ちいさなあかいめんどり

2001/10/16 10:20

道徳の押し付けか、多様な読みの可能性か

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 どうにかこうにか娘も二歳になった。この夏は「ヘルパンギーナ」やら「コクサッキー・ウィルス(?)による皮膚病」やら、幼児の親じゃなきゃわからないような怪しい名前の病気になりまくり、誕生日を過ぎたら今度はしぶとい「とびひ」になり、あっちこっちの病院をかけずりまわる毎日が続いてる。それでも誕生会をやり、プレゼントにこの絵本をもらった。もらったのはいいんだけど、読み聞かせながら、なぜか釈然としない。たかが幼児用の絵本に大の大人が釈然としないのも、文字通り大人げないといえば大人げないんだけど、事実だから仕方ない。何が釈然としないのか、ちょっと考えてみたい。

 この絵本は、イギリスの民話に、現代の絵本画家が絵を付けたものだ。ストーリーは、わかりやすい。小麦の粒をみつけた主人公の「ちいさなあかいめんどり」が、三羽のひよこを連れて、それを畑にまき、刈り取り、藁打ちをし、粉をひき、パンを焼く。そのたび毎に、近くにいる豚とあひると猫に協力を頼むんだけど、ボート漕ぎや車ごっこや凧上げやぶらんこや昼寝に忙しい三匹はいつも「やだよ」って断る。そこでめんどりは、「それではひとりでやりましょう」っていって、自分の力でパンを作ってしまう。そして「さあ、パンをたべましょう。てつだってくれる?」っていうと、さすがに今度は三匹も「もちろん」って答える。でも今度はめんどりが「いいえ、けっこう。おてつだいはいらないわ」って切り返し、ひよこと一緒にパンを全部食べてしまって、おしまい。台詞は、翻訳だけどちゃんとリズミカルだ。絵は、色がビビッドだし、キャラクターもかわいい。

 こう書くと、わかりやすいストーリーとリズミカルな台詞と奇麗な絵があって、それ以上何が問題なんだ、って声が聞こえてきそうだけど、僕が釈然としないのは、この本のメッセージなのだ。この本を素直に読むと、お友達が一所懸命に何かを作ってるときには手伝いましょう、そうしないと出来上がったときに何ももらえませんよ、っていう、「仲良きことは美しきかな」(武者小路実篤)の子供バージョンが伝わってくる。これって、きっと、民話にありがちなメッセージなんだろうって感じもする。「訳者あとがき」にも「結末に、思わず、にやりとしたお母さんも、少なくないのではないでしょうか」ってある。娘がもう少し大きくなったら、僕も、この絵本を読んだあとに、遊んでばかりいたら駄目だよっておちを付けるかもしれない。このメッセージは、それ位わかりやすいのだ。

 でも、めんどり以外の登場人物(人間じゃないけど)の立場に立ってみたら、一体どうなるだろうか。ちなみに「訳者あとがき」には「もっとも、ひよこが、いちばんいいなあ、という声もあります」っていう指摘があるから、あと残ってるのは豚とあひると猫の立場だ。この三匹から見てみると、せっかく楽しく遊んでるのに、命令される筋合いのないやつから指図されれば、「やだよ」っていいたくなるのは当たり前だろう。しかも、最後になって、一緒に食べようって一旦誘ってから断るなんて、何て意地悪なやつなんだろうか。このめんどりって、あまりお友達になりたくないタイプだ。というように、立場をかえてみると、あまりメッセージ性がなく、しかも全く違ったストーリーが浮かび上がる。

 それじゃ僕はどちらの読み方に共感するかっていうと、実は後の方なのだ。前の方は道徳を押し付けてる感じで、好きじゃない。もちろん、考えようによっては、この絵本は様々な読み方を可能にする(その意味で奥の深いストーリーを持ってる)っていうこともできるだろう。これが民話の力ってやつだろうか。そう考えるとちょっ納得できるけど、普通はめんどりの立場で読んでしまうだろうから、やっぱり釈然としない。結局、僕はただのへそ曲りなんだろうか。こんな性格が娘に遺伝してなきゃいいんだけど。

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アメリカン・ドリームの軌跡 伝説の起業家25人の素顔

アメリカン・ドリームの軌跡 伝説の起業家25人の素顔

2001/10/05 16:48

成功談の読み方:二〇年後の娘への手紙

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 君はまだ二歳だから、二〇年経つと二二歳。まだまだ先のような気もするし、もうすぐという感じもする。そのとき君が何をしているか、もちろん今の僕にはわからないが、どんなに遅くても、そろそろ仕事を始める準備をしているはずだ。その頃の君はどんな仕事を望んでいるのか、あるいはどんな仕事をしているのか。そういったことに想像を巡らせるのは、親としては楽しい時間だ。
 さて、僕らが住む社会では、生活するためには働く必要がある。そして、僕も含めて大抵の人は、朝から晩まで働いて疲れると「仕事は生活資金を稼ぐための辛い手段にすぎない」と感じる。ところが仕事が好調になると「仕事は面白い。これぞ生きがいだ」と感じはじめる。仕事というのは、苦痛と夢が入り混じった、不思議な営みなのだ。
 君が最終的にどんな職業に就くか、僕にはわからない(個人的にはオペラ歌手になってくれれば嬉しいが、親としては君自身が望む職業に就いてほしい)。ただし、どんな職業にも、仕事が苦痛だと感じる瞬間がある。成功談を集め、成功の条件を検討するこの本を開いてほしいのは、そんなときだ。ここには、仕事に夢を見出し、自分の夢(アメリカン・ドリーム)を実現した人々の物語が詰まっている。この本に登場する人々が皆それぞれに個性的で魅力的なのは、仕事に夢を持ちつづけたからだ。そして、彼らの物語は、仕事に苦痛を感じて落ち込んでいるときの君に夢を分け与えてくれるはずだ。
 しかし、君が元気になって、再び仕事に夢を見出だせるようになったら、また違った角度からもこの本を読んでみてほしい。一つのアメリカン・ドリームの背景には、その数倍(もしかすると数千倍や数万倍)の挫折や苦悩がある。アメリカン・ドリームは他の人々の夢を吸い取りながら実現されてきたことを忘れてはいけない。元気なときの君なら、そんなことにも想いを馳せながら、この本を読めるはずだ。
 成功者の努力のかげには失敗者の努力がある。成功も失敗も同じくらい尊いものだ。アメリカン・ドリームを実現した人を妬むのも、実現できなかった人を馬鹿にするのも、ともに誤ったことだ。成功と失敗の両方に目を配ることの大切さを教えること、苦悩する人を励ますこと、元気な人を思慮深くさせること、これらは全て成功談の役目だと僕は思う。君も、仕事を始めるときには、是非そのことをわかっていてほしい。

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わたしたちはなぜ科学にだまされるのか インチキ!ブードゥー・サイエンス

わたしたちはなぜ科学にだまされるのか インチキ!ブードゥー・サイエンス

2001/10/01 15:49

もう一歩の「つっこみ」を期待してた

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 僕は「科学」(もちろん自然科学)って言葉に昔から弱かったんだけど、とくに最近駄目になった。なぜかって考えてみると、二つの理由に思い当たる。まず、中学から高校にかけて、僕は自然科学者になりたかった。とくに理論数学者に憧れてたんだけど、高校二年のときに数学の才能がないことがわかって諦めた。自然科学者を前にするとねたんだりひるんだりするのは、どうもそのせいらしい。その上、二年前に娘が生まれ、狂牛病やら遺伝子組換食品やらアトピー流行やらが騒がれてるなかで、彼女の健康や将来に感心を持たなきゃならなくなった。そして、何を食べさせればいいのか、何を着せればいいのか、そんな身近なことまで自然科学の力を借りなきゃ判断できない時代に生きてることを実感するようになった。そんなとき、著名な物理学者のパークさんが「いんちき科学」の数々について本を書き、しかも速攻で翻訳されたという話を聞いて、上のような事情で科学に複雑な感情を持ってる僕も遅ればせながら読んでみた。
 パークさんは、「科学」の名を騙って怪しげな説を売り歩くいんちき科学が世間で蔓延してることに驚きと怒りを感じ、いんちき科学の実態、いんちき科学がはびこる理由、そして科学者が採るべき態度について本を書いた。まず、いんちき科学には三種類ある。つまり、はじめは真剣な動機から出発した科学者が徐々に自分で自分を騙してってしまう「病的科学」、企業に対して集団訴訟を起こすための理由というか口実として使われる「ジャンク科学」、はじめから人を騙して金儲けを企む詐欺師に使われる「ニセ科学」だ。たとえば、永久機関、常温核融合、代替療法(ホメオパシー、バイオマグネティックセラピー)、有人宇宙ステーション、「電磁波がガンを引き起こす」論、UFO実在論、レーガン政権が推進した「スターウォーズ」計画がその良い例にあたる。こんな代物が流行るのは、人間が「信じたがる脳」を持ってること、科学技術に対する恐怖感の存在、政治家やマスメディアや一部の科学者の打算や秘密主義といったもののせいだ。それじゃ科学者の仕事は何かといえば、パークさんによれば、それは素人に科学的な考え方を伝えることだ。つまり「われわれは自然法則に支配された世界に暮らしており、魔法はけっして起こらない」(五ページ)こと、科学の目的は僕らの世界を「より奇妙でないもの……、より予測可能なもの」にすること(三五〇ページ)なのだ。
 僕はパークさんの意見はほとんど全てもっともだと思うし、この本に出てくるようないんちき科学にひっかかって自分や家族が泣きを見ないように気を付けなきゃいけないと決意を新たにした。でも、どこか「足りない」って印象を持ったことも事実だ。二つだけ挙げておこう。第一、この本に出てくるようないんちき科学はわりと見分けがつきやすいけど、実際は、本物の科学者が良心や思い込みから間違えつづける場合がある。こんなことを言い出す僕の念頭にあるのは水俣病の歴史なんだけど、有機水銀が原因だって主張した科学者はずっと一人で、あとの科学者は長い間別の原因に固執しつづけた。こんな間違えが起こった理由はわからないけど、間違えた科学者が全員いんちき科学者だったとは思えない。こんなケースにぶつかった場合、僕ら素人はどうすればいいんだろうか。第二、パークさんによれば、科学にはエラーがつきものだってことを認めるのが本物の科学者だ。でも、エラーが発見され、そう認められるまでには、大抵は長い時間がかかる。でも、待ってられない場合もある。たとえば人の命が懸かってる場合。血液製剤とエイズの問題がそうだった。こんな「わからない」状態のとき、僕らはどうすればいいんだろうか。本物の科学者は何をしてくれるんだろうか。

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子供が「個立」できる学校 日米チャータースクールの挑戦・最新事情

子供が「個立」できる学校 日米チャータースクールの挑戦・最新事情

2001/09/28 11:00

「ここがロドスだ、ここで跳べ」

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 ようやく二歳になった娘が保育所に通ってもうすぐ半年。喧嘩して傷だらけになりながら、のびのび過ごしてるようだ。子供二〇人に保育士六人の「小世帯」なので父兄の声も通りやすいし、まずは一安心。そうすると今度は、親馬鹿な僕としては、次の小学校が気になる。一般に小学校は風通しが悪くて父兄の声が届きにくく、僕みたいな小さい保育所から来た父兄はカルチャーショックを受けるらしいのだ。本当かどうかはわからないけど、ちょっと不安な話ではある。そんなとき、全く新しい考えにもとづいた新しい公立小学校と、それを作る運動について書いたこの本をみつけたので読んでみた。
 著者の天野さんによると、学校とは子供が自分で考えて決めることを教師や父兄が手伝う場で、子供が主人公なんだけど、実際はそうなってない。それは、カリキュラムや授業や学級や担任や通学区について、制度が画一的だからだ。こんな現状をかえるためのモデルとして、天野さんはアメリカにある二つの学校を提示する。子供が全てを決めるサドベリーバレー・スクールと、一定の基準のもとに父兄や教員が設立する公立学校(チャータースクール、CS)だ。実際、日本でもCSを作る運動はすでに始まってるし、各界の関心を引きはじめた。この本は、この運動の中心的な担い手である「湘南に新しい公立学校を作り出す会」の活動や各界(行政、政界、教育学界)の反応を描き出してる。
 この本を読んで僕が共感したのは、次の二点だ。第一、「創り出す会」の基本的なコンセプトは「学びへと続く自己解放」(七四ページ)だ。最近の学力崩壊論争は「やる気か、基礎学力か」の対立になってるけど、「学びへと続く自己解放」はこの対立を乗り越える可能性を持ってると僕は思う(失敗する可能性もあるけど)。第二、藤田英典さん(教育学者)は、学校を選択する機会を広げる制度としてCSを捉え、選択を強制される、結局は親が決めるだけだ、学校を序列化する、と批判する。これに対して天野さんは、普通の公立学校もある、どんな子供にも判断能力はある、入学試験はない、と反批判する。この反批判はわりと説得力があると僕は思う。
 でも、僕はCSには、魅力もあると思うけど、あまり共感できない。サドベリーバレー・スクール型の学校は、子供が学校に参加する機会を増やすから、僕は心から共感する。でも、まず、それとCSは違う。そして、CSからは、悲観主義(一般の父兄は学校に参加したくないし、一般の教師は父兄の学校参加を嫌う)と排他主義(僕らは違う)をミックスしたみたいな考え方を感じてしまう。そんな考え方だから、「地元の学校に無理やり参加して、もっとケチを付けよう」じゃなくて、「そんなことをしても無駄だから、自分たちだけでやろうぜ」になるような気がして、僕は共感できないのだ。
 大体、ちょっと改革したら一部の父兄や教師に反対されて「その人たちの意見を無視して改革を断行することは、別の公立学校へ行く選択の自由のない彼らを強制している」(五二ページ)なんて考えてたら、「無関心な人や反対派をどう説得するのか」(一三二ページ)って問題は解けないだろう。自分たちと違う考えを持つ人々を根気強く説得し、逆に説得もされながら、彼らを巻き込んでくようなコミュニケーションが必要なのだ。
 ちなみに、「地域」に対する天野さんの否定的な評価にも、僕は同じような問題点を感じる。ついでに政党の反応についていうけど、民主党の案なんて「CSも学習指導要領に従う」といってるわけだから、「創り出す会」の立場からすれば問題外なはずだ。
 僕は、娘が小学生になったら、地元の普通の公立学校に通わせ、もっと参加させろってケチを付けつづけるだろう。僕の足場は僕らが暮らす地域であり、それはここなんだから。

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ねこたちの夜

ねこたちの夜

2001/09/09 23:36

おとなの絵本、こどもの絵本

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 最近僕は、絵本の新しい区別を発見した。もちろん、良い絵本と悪い絵本とか、絵中心の絵本と文中心の絵本とか、日本の絵本と外国の絵本とか、色々な区別があるだろうし、それは僕も前から知ってた。でも、僕が今度発見したのは、「芸術性」を重んじるおとな向けの絵本、「実用性」を重んじるこども向けの絵本、この二種類の絵本の区別だ。僕がそんなことを思いついたのは、実はこの本を読んだからだった。この本は装丁も洒落てるし、二歳になる娘が最近お気に入りの猫が主人公だし、翻訳は江國香織さんだし、広告を見てすぐに注文した。おまけに、この本の前編にあたる『マーサのいぬまに』(小学館、一九九九年)も一緒に注文してしまった。
 僕自身は、この絵本が気に入った。自分が猫好きだってこともあるけど、まずストーリーがファンタスティックだ。夜に猫があちこち彷徨うのは、猫を飼ったことがある人ならみんな知ってることだけど、まさか学校で勉強して、放課後に遊んで、喫茶店で恋人(恋猫)と愛を語って、そして明け方にご帰還するなんて、誰も思いつかないだろう。絵も良い。表紙の濃紺をはじめとして色が鮮明だし、出てくる猫たちの絵は「へたうま」ふうだけど、よく見ると細部のデッサンや構図がしっかりしてることがわかる(実は僕はわからなくて、かみさんに指摘されてわかった)。翻訳も良い。江國さんは、さすがに小説も書くだけあって、ちゃんとのりを重視した日本語をあてる(たとえば「ざーんねんでした」)ところがさすがだ。
 ところが、だ。娘にみせて、読み聞かせると、反応がいまいち。なぜだろうか。どうもストーリーが複雑すぎるし、登場人物(猫)の絵が「へたうま」すぎて何なんだかわからないし、「キャット・アカデミー」といった難しい言葉が並んでるせいらしい。つまり、僕みたいなおとなにとっての長所が、娘くらいの年代のこどもにとっては短所になる可能性があるというわけだ。
 そこで僕は考えた。絵本には、見た目をはじめとする「芸術性」を追求したおとな向けのものと、読んだら寝てくれるかどうかといった「実用性」を重んじるこども向けのものがあるのだ。もちろん両方の長所を兼ね備えた絵本もあるだろうけど、数は少ないはずだから、巡りあうのは至難の業だろう。そして、この本はおとな向けの絵本だ。だから、僕は気に入ったけど、娘にはしっくりこなかったんだろう。うーむ、絵本を書くっていうのも、技術は別にしても、難しいものだ。そういうわけで、娘のために買った僕にとっては、この本はあまり役に立たなかった。残念だけど。僕は好きだけど。

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ねこねんね 寝るより楽はニャかりけり

ねこねんね 寝るより楽はニャかりけり

2001/09/02 23:32

ねこイコールこどもは成り立つか

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 うちの娘(もうすぐ二歳)は犬が好きだ。近所に気が優しいビーグル犬(チキンくん)がいて、声をかけると近づいてきて頭をなでさせてくれたり、腕をクンクンしてくれるので、娘のお気に入り。しばらく前は、仕事から帰ったあとに毎晩、チキンくんに会いに散歩に連れ出されたものだった。ところが、先日、例によって二人でチキンくんに会いにいくと、近くの道端に野良猫が寝てる。どういうわけか、娘はチキンくんじゃなくて猫の方向に近づき、チッュチュッと舌を鳴らしはじめたではないか。猫を見ると舌を鳴らして人差し指を突きつける(と、結構な数の猫が「何なんだ」と思って近づいてくるのだが、その)僕の癖を盗んだとみえる。うーむ、犬よりも猫のほうが好きになってきたんだろうか。というわけで、あわててこの写真集を買った。
 そういえば、昔、結婚する前のことだけど、実家でしばらく猫を飼ったことがあった。飼いはじめるまでは僕も犬好きで、猫なんか嫌いだったけど、飼ってみると情が移るもので、今でもその猫の想い出は鮮烈だし、それ以来猫は大好きだ。この写真集も、買ってすぐに一人で広げてニコニコしてかみさんに怪しまれたけど、僕にとっては幸せな一冊になった。で、肝心の娘の反応はどうかというと、これはいまいち。遠くから撮った写真はいいんだけど、どうも猫の顔をアップにした写真は、娘の感覚からすると顔が大きすぎて恐いらしい。世の中は難しいものだ。
 この写真集を見ていて、僕は、つまらないことだけど、一つ発見をした。猫の寝姿は娘の寝姿に似てるのだ。万歳したり、ねじれたり、伸びたり、まさに他人事とは思えない。じつはこんな寝姿だから、娘はよく布団をはいで風邪をひいてしまうのだが、それはまた別の話。でも、きゅっと閉じた目といい、幸せそうな雰囲気といい、本当によく似てる。そんなことがあるから、この本を見ると、僕はさらに幸せな気分になるのかもしれない。猫も、この写真集も、侮ってはいけない。

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失われる子育ての時間 少子化社会脱出への道

失われる子育ての時間 少子化社会脱出への道

2003/08/10 10:14

「子どもを育てる権利」一本勝負

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「女性が働く権利」も「女性が子どもを育てる義務」も古い、これからは「女性が子どもを育てる権利」が大切なのだ、と説く一冊。ちなみに、当然のことだけど、この文章は「女性」だけじゃなくて「男性」にもあてはまる。これって、なかなかシャープな問題提起だと思う。

でも、「子どもを育てる権利」が大切だってことの根拠は、ほとんど自分の実感だけ。実態調査のしごととしては、ちょっとね。「子どもを育てる権利」が大切だってことの理屈は、エンデの物語、ゲゼルの貨幣論、あれこれの哲学など、「なんでもあり」状態。理論研究のしごととしても、ちょっとね。「子どもを育てる権利」をめぐる外国の実践のレポートは、突っ込みが浅い。外国の事例紹介のしごととしても、ちょっとね。

子育ての問題については、これまでも沢山のしごとがされてるはず。とりあえず、それらを見直しとく必要があったんじゃないの? 

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〈私〉にとっての国民国家論 歴史研究者の井戸端談義

〈私〉にとっての国民国家論 歴史研究者の井戸端談義

2003/06/11 10:43

堂々たる堂々めぐり

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西川長夫さんの「国民国家(批判)論」をめぐって気鋭の日本史家が一堂に会した「井戸端談義」の記録。ちなみに「国民国家論」とは、人権や主権や教育や主体や、その他様々なものは全て「国民国家」による支配を存続強化させるための装置だ、という理論だそうだ。

議論はポモをはじめとする理論的な次元から諸々の史実をめぐる実証的な次元へと自由に移動し、ぼくらは読んでゆくうちに迷路にはまりこみ、何が何だかわからなくなる気分を味わえる。で、最後にたどり着く結論は、というと、「国民国家」のメカニズムは精巧だけど、どこかに矛盾がある、という、しごく当然の話。「その意気や良し」ともいえるけど、こういうのを「堂々めぐり」っていうんだろうなあ。いろいろと難しい話が書いてあるので「堂々たる堂々めぐり」ってところか?

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オルフェウス・プロセス 指揮者のいないオーケストラに学ぶマルチ・リーダーシップ・マネジメント

オルフェウス・プロセス 指揮者のいないオーケストラに学ぶマルチ・リーダーシップ・マネジメント

2003/02/24 10:48

当然である

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固定されたリーダーのいないオーケストラの話を通じて、全員が意思決定に参加する組織のあり方のメリットを説く本。たしかに、誰かに命令されるよりは、自分の意見を述べる場があったほうがやりやすいだろう。たしかに、意思決定に参加することはメンバーのモチベーションを高めることに役立つことが多いだろう。でも、それは当然のことであって、わざわざオーケストラの話にひっかけて説くほどのものか?

それから、こういう本を読むと「そーだ、そーだ、意思決定への参加が大切なんだ」になるかもしれないけど、「オーケストラは特別な技能を持った、しかもほとんど同じ質のメンバーからなる、特殊な組織だ」ってことを忘れちゃいけない。性格の違う組織に応用できるかっていうと、ちょいとなあ。

ついでに、意思決定に参加する権利は責任を伴う。この本を読んでもっとも印象深かったのは、このオーケストラのメンバーに課せられた責任の重さと、それを果たそうとする努力のすごさ。世の中、そんなに甘くないのだ。

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L文学完全読本

L文学完全読本

2003/01/27 11:08

帯に短し、襷に長し

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斎藤さんの本はどれも面白くて、しかも「ふぅん」と感心してしまうものばかりで、愛読してる。このブックガイドも期待して読んでみたんだけど、うーむ。

「L文学」ってコンセプトは面白い。コバルト文庫系の小説が無視されてきたことを指摘したのは鋭い。無視してきたオヤジ文芸評論家たちが(ようやく)それを「発見」して、新しい文学だって騒いでることのアホらしさが笑えるのも渋い。

でも、一人一人のL文学小説家の紹介や、ブックガイドの部分は、突っ込み不足。コンセプトで突っ走るんだったら斎藤さん一人で書いたほうがよかっただろうし、ブックガイドにするんだったらもうちょっとスペースが必要だったろう。というわけで「帯に短し、襷に長し」(でも、たしかに『赤毛のアン』は凄いのだ。少女小説だって馬鹿にしちゃいけない。全巻読んだらわかるけど、最後は第一次世界大戦の話になるんだからね。ほとんどナショナリズムの世界だけど)。

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リクルートという奇跡

リクルートという奇跡

2002/11/07 16:49

うーむ

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そりゃ僕だって藤原さんの活躍は知ってる。元リクルート社の社員だったことも。「よのなか科」ってコンセプトを作り出し、教育界に新風を巻き起こしてることも。「よのなか科」の教科書っていってもいい『世界で一番受けたい授業』って本を書いたことも(これは面白い)。というわけで、期待度大でページを開いたのである。

この本は「リクルートマンシップ」をキーワードにして藤原さんが書いた、リクルートの歴史でもあり、藤原さんの半自伝でもある。でも、最後まで読んでも、あれまあ、さっぱり面白くなかった。問題は二つ。

まず、突っ込みが足りない。どうしてリクルートには「リクルートマンシップ」があったのか。どうしてリクルートを買収したダイエーはリクルートの自主性を尊重したのか。どうして「リクルートマンシップ」溢れる会社がリクルート事件の舞台になったのか。リクルートについては色々な疑問が湧くけど、説明はあっても中途半端で隔靴掻痒、つまり、もどかしい。

つぎに、この本のプロローグとエピローグで藤原さんはリクルート現社長の河野栄子さんに対する批判を展開してるけど、これが私憤丸出しって感じで印象が悪い。「85年から88年の間に……あなたは江副さんとともに、リクルート史に残る過ちを犯しました……。何のことかあえて言いませんが、あなたには分かっているはず」(249頁)なんて思わせぶりなセリフ、「リクルートマンシップ」っぽくないぞ。大体「何のことかあえて言わない」んだったら、わざわざ書くなよ。読者そっちのけじゃないか。なんて言いたくなってしまうのは僕だけか?

期待した分だけ失望は大きいのだ。

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