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nousさんのレビュー一覧

投稿者:nous

2 件中 1 件~ 2 件を表示

紙の本歴史哲学講義 下

2001/07/14 00:00

仮説としての歴史

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本はヘーゲルが自分の理論を歴史という現実の中でどのような形をとって実際にあらわれてくるかを語ったものです。上では、「序論」で歴史理論を論じ、そのあと最初の歴史形態、東洋の世界を語りましたが、下ではギリシャ、ローマ、ゲルマン世界とヨーロッパ史を扱います。
 ヘーゲルのおもしろさは歴史を語りながら、それぞれの出来事について理論の裏付けをひとつひとつおこなっていくところにあります。単なる事実の羅列ではありません。その事実にはどういう意味があるか、歴史全体の流れのなかでどういう役割をになっているか、適切に跡付けていきます。ですから論理学などで抽象的に論じられている概念が各事件に即して具体的に論じられます。歴史的事実がヘーゲル理論の証明のような形で進んでいきます。
 ヘーゲルは過去も語りますが、最近の出来事も語ります。ヘーゲルは最後のところで、実際に身近に起こっている事件をとらえて論じています。ヘーゲルの歴史はプロイセン国家の擁護に終わるといわれていますが、本当にそうでしょうか。ちょっとそのあたりを見てみましょう。
 フランスは七月革命によって40年にわたる戦争と大混乱はおわりをつげ、社会は一応の安定をえたとはいえ、「一方にはまだカトリックの側からする分裂の要因があり、他方には主観的意思のもたらす分裂の要因がある。」主観的意思にもとづく自由主義思想は、「原子としての個の意思という原理」をうちたて、社会のすべては、個人の参与する公然たる権力と公然たる同意によって動かされねばならない。このような形式的かつ抽象的な自由は確固たる組織を成立させることができない。「特定の政治機構はは特定の意思であり、つまりは、特定人のわがままだという」。こうしてこれまでの反対党が政権につくという形で不安定な動きがつづき、「この相克、この交錯、この問題は、いまわたしたちの歴史に突きつけられれているもので、未来の歴史が解決しなければならない問題です」とおわりに近い箇所で語っています。歴史理論はドイツにおいてその最終局面をむかえることになっていますが、そうでないことがわかります。普通の意識をもつ人ならば、ある特定の時代で歴史がおわると考える人はまずいないでしょう。「自由の意識としてあらわれるほかない自由の理念の発展過程」と「過程」として歴史をとらえています。
 そもそも理念とはなんでしょうか。理念はプラトンやカントおいて当為であったようにヘーゲルもそれを引き継いでいます。現実も同じ意味です。観念(理想・本質)と実在(事実・現象)との統一が理念であり、現実であり、理性(ヌース)です。簡単にいえば、当為、「かくあるべし」です。だから理念も現実も未来を含んでいます。このことは「論理学」で「理念」の前に「目的論」が位置していることからもわかります。目的とは未来のことです。ヘーゲルの自由の理念は終わることなくつづきます。もう少し正確にいえば、理念はおわりを含んだはじまりです。フクヤマの『歴史の終わり』は理念を現在の事実ととらえた理論です。
 事実が理論によってどのように基礎付けられるのか。歴史という偶然に見えるものがどんな原理で動いているのか。たとえ実際の歴史がヘーゲルが構想したようには生じなかったとしても、一つの仮説が構成されているのが見られて、感動をおぼえずにはいられません。歴史のうちに自己の理論を読み込んで、壮大な歴史を語った人物はそれほど多くはいません。(トインビーなどがその一人です)その意味で一度は読む価値のあるものとおもわれます。しかも自分の目で読むところに価値があるようにおもわれます。

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進化論という宗教--進化仮説否定

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 本のタイトルからは見当もつかない進化論を扱っているので出版当時、研究者からは無視されたのではないかと思われる本だ。だがこの本は20年も前に出版されて現在でも入手可能だからこの本の価値を知っている人がいるというのはうれしい。おくればせながらの書評となる。
 進化論は「現代の宗教」であるといったら語弊があろうか。進化論は社会の中にしっかり根づいてしまったが、はたしてそもそも普通の意味での理論であろうか。誰も見たものがいない。検証不可能な一つの仮説である。唯一似ている理論があるとしたら、それは量子力学だ。

 それぞれの文明や社会はそれに固有の「自然観」や「宇宙観」をもつ。ダーウィンの進化論もその一つにすぎない。つまり「社会の都合」の「自然観」だ、と著者はいう。この本のもとの題名は『ALGENY遺伝子工学』である。

 進化は連続的で自然に飛躍がないという理論に根拠をおいている。この本が反駁している最大の一つは化石進化における中間種の欠如である。爬虫類が鳥類に進化したというがその中間種が存在しない、という(始祖鳥は誤認)。最近でも中国でこれを実証する化石が発見されたというニュースがでるが、意見はさだまっていない。進化論者はまずこれを証明するか、もし中間種が存在しないのなら、なぜ中間種が存在しないのか理論的に説明しなければならない。その他、一つ一つ進化の事実を反駁していく。説得力がある。著者に権威に訴えるという手法がなければもっとよいのだが。

 最近、長谷川真理子がデネット著『ダーウィンの危険な思想』(青土社)の書評で、進化について何か言いたい人はこの本を読んだ上で論じるべきだろう、というが、本当にそうならば、自分でその本を具体的に解説した上でのことでなければならない。ただ読めでは信奉者以外に読む人はいない。なお翻訳は訳者の見識で短くとても読みやすいものになっている。

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