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  3. 拾得さんのレビュー一覧

拾得さんのレビュー一覧

投稿者:拾得

193 件中 31 件~ 45 件を表示

紙の本

鹿男あをによし

紙の本鹿男あをによし

2008/07/31 00:06

ドラマも小説も楽しめます。

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 刊行後一年も経たないうちにドラマ化もされた本作は、すでに多くの評も得ていますので、私が付け加えることはほとんどありません。設定に多少の違いはあるものの(藤原先生とか、ポッキーとか・・・)、小説もドラマもそれぞれで十分に楽しめます。私の評はこれに尽きます。青年の成長の物語としても、古代史ファンタジーとしても、ミステリーとしても、学園物語としても、いろいろな面から読み込めるようになっており、想像力に嬉しい作品です。
 朱雀門を背景にした印象深い表紙イラストに誘われように、「奈良に行きたくなった」、もしくは「実際に行ってしまった」という人も少なくないのではないでしょうか。かくいう私もその一人で、この夏早々に過ごしてきました。駅の奈良をPRするポスターは、「この顔にキュンときたら」という謳い文句で、(神や仏ではなく)鹿が主人公をつとめていました。
 ついその気になって鹿せんべい(150円になってました)もあげてきましたが、確かに奈良の鹿はお辞儀をしてくれます(年寄りはあまりしません)。そしてなにより、かれらは「美しい」のです。胴はがっしりしているのに、脚のきゃしゃなこと。そして、すっくとのばして首の見事なこと。遠くを見る目つきは哲学的ですらあります(実際には遠くの犬の散歩を監視してました)。気が荒かったりするやつや、(せんべいに)しつこいやつもいますが、見ていて飽きません。「なぜ、鹿せんべいを売っているオバチャンたちを襲わないのか?」などということを考えだすと、夜も眠れません。ただ、若草山は夏を含め時期によっては山登りできませんでした。残念。
 鹿を扱った和歌は「奥山に〜」をはじめ多いのですが、この作家も日がな一日鹿を見ていて作品の構想を練っていたのでしょう。いや、実は鹿に話しかけられたのかもしれません。鹿の可能性をも広げた、新しい名作の登場です。

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紙の本

民主主義という不思議な仕組み

紙の本民主主義という不思議な仕組み

2008/03/20 23:45

万人のための「政治」の教科書

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 佐々木毅氏は、東大学長もつとめた政治学・政治思想史の研究者。さすがにプリマ—新書ともなれば読みやすいだろうと、高をくくって読んでみたものの、これがとんでもなく圧倒される一書であった。
 読みやすく、そして、やさしく明快に書かれているし、映画「300」にもなったペルシアとギリシャとの「テルモピュライの戦い」の逸話を引いたりして、親しみもかもしだそうとしている。しかし、中身は読者には一切迎合してはいない。「テルモピュライの戦い」を引用するのは、ギリシャとペルシャとで「自由」の理解に違いがあることを説明するため。実は重たいテーマである。そんな感じで一言一句ゆるがせにできない構築物である本書は、そう簡単には読者を「わかった」気にはさせてくれないのである。
 政治(学)のむずかしさ(面倒さ)は、(メディアなどで)単に政治家の動向を追うだけでも、また(右であれ、左であれ)理想をふりかざすだけでも、大したことは「わからない」ということである。それは結果として、民主主義への無理解を再生産させるだけなのだろう。
 本書のスタンスは、民主主義とは歴史的にみれば多様であったという、政治学という学問の常識にたちかえったうえで、民主主義についての解説を包括的に試みている。また、政治学の古今東西の基本書を縦横無尽に引用しているところは、政治思想史研究者の面目躍如であろうか。「お勉強」として読めば苦痛でしかないが、だんだん読んでいると、それぞれの時代の「証言」を聞いている感じになる。その一方で、少子化や格差社会という現代社会が抱える問題も軽やかにつなげてみせてくれる。
 とりわけ、「民主主義」の「みなし」の部分については、第三章で集中的かつ丁寧にとりあげられている。「代表」という仕組みが、ほんとうに人民を代表しえているのか? という、民主主義の(ある種の)弱味ともいえる部分を真正面から扱っている。「公民」などの教科書では、「間接制/直接制(民主主義)」といった区分や用語で済まされていることが多いだけに、ここまで丁寧な解説は有り難い。簡単には「世論が許さない」という常套句が使えなくなってしまうことが難ではあるが。
 「政治」の問題はどこか避けたくなるものである。そんな怠惰を正面から見据えてくるような、また、「考える」ための機会や補助線を与えてくれる一書である。若者だけにはもったいなさすぎる。万人のための「政治」教科書である。

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紙の本

サラリーマン漫画の戦後史

紙の本サラリーマン漫画の戦後史

2010/09/27 22:17

戦後日本思想史研究の欠落を埋める傑作

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書を手にして驚いたのは、サラリーマン漫画はなんと豊穣な世界であったのか、ということだ。もともとあまり漫画を読まなかったこともあり、「サラリーマンを扱った漫画、といってもさほど数は無いだろう」などと思い込んでいた。しかし、ごく最近に限っても、「課長島耕作」を頂点に「特命係長只野仁」「総務部総務課山口六平太」「おとぼけ課長」などなど、指摘されれば「そういえばあれも・・・」という思い当たるものが数多くあった。ドラマ化されているものも少なくなく、あらためて漫画文化の奥深さを感じた。
 本書ではかなりの数が紹介されているが、散漫にならずに、それぞれのマンガの布置がよく示してあり、まったく知らない漫画であっても本文を興味深く読み通すことができる。それを可能にしているのは、著者の漫画への愛と同時に、戦後日本におけるサラリーマンの位置づけを明快に示した上で、「課長島耕作」をサラリーマン漫画史の焦点に据えるという明快な構想ゆえである。「課長島耕作」が表す、出世にがつがつしないが周囲をよく見て、よく働く(そして女性によくもてる)「理想的なサラリーマン像」の原型を、源氏鶏太によるサラリーマン小説に求め、大衆文化の大きな流れの中でのサラリーマン漫画をきちんと位置づけているのである。
 こうした、メディアを素材にした大衆文化論は珍しくはないが、今まで「サラリーマン」を中核に据えたものは極めて珍しい。おそらく本書も意識していると思われる「サブカルチャー神話解体」という分厚い戦後文化の研究書があったが、研究の中心は「若者文化」である。あたかもサラリーマンには文化などまるでないかのような姿勢といえよう。その意味でも本書は意欲的かつ野心的な試みなのである。
 ところで私の持論は、戦後日本の三大思想家は、丸山真男、手塚治虫、そして源氏鶏太だ、というものである。前二者それぞれは、知識人やマンガ世界への影響力は際立っており、肯定であれ批判であれ、重要な準拠点となっていることは疑いない。彼らに比べ、現在、源氏鶏太について語られることはほとんどない。いや、同時代にもほとんど評論や批評の対象にすらなかったふしがある。その理由を、前二者にくらべて、その思想・哲学性が希薄さに求めることは簡単であろう。しかし、それこそがサラリーマンを象徴とする戦後文化ではなかったろうか。この空白を埋められない限り、戦後思想を描いたことにはならないのではないか。本書は、見事にその準拠点ぶりを示してくれたわけである。
 しかし私自身は、源氏のサラリーマン小説が成り立たなくなり、佐高信のいう「経済小説」に転じた段階で、サラリーマンのかたちを論ずる素材がなくなってしまったのではないか、と思い込んでいた。サラリーマンと言う言葉は、ビジネスマンなどに置き換えられ、数々の週刊誌に埋没してしまったかと。本書を読むまで、〈源氏の血〉がこのようにサラリーマン漫画の世界に継承されていたとは、不覚にも気づきもしなかったのである。
 さて源氏鶏太は、明るくほがらかな作風から一転し、晩年は果たされないサラリーマンの鬱屈を描くようになった。彼自身の精神状態を表したとも、オイルショック以後の世相を反映したともいわれる。本書で紹介されるサラリーマン漫画も、「課長島耕作」以後は、〈源氏の血〉の成立しがたさを図らずも示すものが多いそうだ。ポストパブルの社会状況を表しているとも、恵まれていた団塊の世代の職場からの退場を反映とも、読み取れよう。源氏の感じた寂しさを、改めてわれわれは味わっているのである。

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紙の本

星座を見つけよう

紙の本星座を見つけよう

2010/08/12 23:40

草下英明さんをおぼえていますか?

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「夏休みと言えば天体観測」という少年少女は、今も多いのではないでしょうか? 多少の夜ふかしは大目にみてもらえるばかりではなく、次の日を気にする必要もない夜なわけです。しかも、ふだんより格段にきれいな夜空が見える場所につれていってもらえることもあるのですから。
 そんな時のお供によいのがこの本です。翻訳刊行が1969年ですから、日本に紹介されてからも、はや40年以上経っていますが、今でも入手可能な「古典」です。今となっては、子ども向けでもより精度のよい望遠鏡、きれいで精密な宇宙の写真集、自宅で見られるプラネタリウム、とさまざまな文明の利器があります。それらにくらべると、シンプルな解説と素朴なイラストで構成された本書は、見劣りがするかもしれません。けれどもこの味わいは何ものにも代え難いのでしょう、現在でも人気だそうです。子どものころに手にとった人が、親になってまた子どもに手渡すことも少なくないのではないでしょうか。ちなみに、この何やら楽しげなイラストに見覚えのある人、そうです先の書評でも指摘されていた、「おさるのジョージ」の作者です。
 さて、私の手元にある本書には、訳者のサインが入っています。プラネタリウムと講演のあとに、持参した本に書いてもらったものと記憶してます。その訳者は草下英明さんといいます。当時はよく知られていたと思います。子どもを相手にていねいに話す、優しい人という印象が残っています。
 あらためてインターネットでプロフィールを調べますと、1924年生まれ、出版社勤めやプラネタリウムの解説員をふりだしに、その活動をはじめています。私が会った当時の肩書きは「フリーの科学解説家」とありました。テレビの科学番組にもよく出ていたらしく、ある世代以上にはよく知られているようです。以前の書評で「科学コミュニケーター」について取り上げましたが、そうした言葉が生まれるはるか前から、こういう先達がいたのですね。インターネット以外でも彼の歩みを振り返る機会があるとよいのですが。
 残念ながら、まだ60代だった1991年に亡くなられています。本書のサインには「星のおじさん 草下英明」とあります。もちろん、「星の王子様」にひっかけてのことでしょうが、ほんとうに星になってしまわれました。

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紙の本

ブラバン

紙の本ブラバン

2010/04/25 22:25

R35の物語として

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書の表紙をみると、楽器をもった高校生とおぼしき男女の姿が・・・、そんなイラストとブラスバンド部を舞台にした青春小説という情報からは、あるイメージが湧こう。そういう映画もあった。しかし、そんなシンプルで爽快なものではない。
 語り手は40歳を過ぎた男性。現在は酒場を営む。ブラスバンド部を再結成して、先輩の結婚式で演奏をするという企画がもちあがる。それに動き出す「今」と、並行して回想される高校時代の「昔」とをからませながらストーリーが進められていく。
 曲名を付した章立てとともに語られるだけに、音楽経験者にはたまらない「懐かしさ」満載の雰囲気の同窓会もの、と思われるかもしれない。が、それも正しくはないだろう。ノスタルジーに浸れるほどの、安穏とした「今」でもない。20年余という時間はそれぞれに重く、そしてまた哀しいほどに軽い。一つの部に集った仲間も、20年も経てば、それぞれの道を歩まざるを得ない。いやしかし、実際には20年前からそれぞれの道を歩んでいたにすぎない。それを20年経って気づくだけなのである。
 語り手を中心に、吹奏楽部の先輩・同学年・後輩そして教師たち、ヤンキーから優等生まで、多くの人物とその今昔のエピソードが丁寧に描かれていく。個々の人物と彼/彼女にかかわる伏線がよく書き込まれ、読むほどに惹き込まれていく。だから音楽経験なしでも読み応えがある。それぞれの人生は、わかりやすく割り切れるものではない。詳しく紹介してしまうと、なんだかミステリーの種明かしをしてしまうようで無粋だろう。作者も、この物語が特定のイメージにまとめられてしまうのを拒否するかのようである。たいていの文庫化には必ずある、第三者による「解説」がついていないのも、そうした作者の思いのあらわれかもしれない。
 素直に楽しめる青春小説とはいえないし、後味もそういいわけではない。裏表紙の「ほろ苦く」どころではない。それでも、「人生、こういうものだろう」という感じもわるくはない。ある程度、歳をとってから読むのであれば。

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紙の本

対論・異色昭和史

紙の本対論・異色昭和史

2009/07/21 00:02

間に合った最初で最後の本格対談

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 以前、あるインタビュー記事で、鶴見氏が、最も信頼する書き手の一人として上坂氏を挙げていたのを読んだことがあります。およそ思想傾向が異なりそうな2人なのに? と感じたのですが、その時に、上坂氏のデビューが『思想の科学』であったことを知った次第です。鶴見氏の見識や度量と同時に、そう言わしめる上坂氏の実力が気になったおぼえがあります。その後、デビュー作『職場の群像』や『なんとかしなくちゃ』という初期の作品を読んで、その文筆家魂と、それを感じさせないくらいの軽快な文体に強い印象を感じました。現在の酒井順子らのような、(シングル)女性文筆家の先駆けと言っていいでしょう。
 そんな2人が、昭和史というより鶴見氏の来歴と『思想の科学』の周辺とを素材に、自由に対談したのが本書です。より昭和史経験の長い鶴見氏に上坂氏が聞く、という場面が多いのですが、上坂氏も負けず劣らず自分の意見を前面に出しており、上坂ファンにも納得の1冊でしょう。鶴見氏の出生環境やアメリカ留学前後からはじまって、戦時下の思い出、戦後の風流夢潭事件、ベ平連の活動など、さまざまな話題が語られていきます。昭和史ファンにも必読でしょう。この企画を実現させた編集者は大殊勲です。
 「はじめに」で上坂氏は「基本的なところで意見が違っています」としつつも、2人の対談は脱線しつつも盛り上がり、やはり基本的な所で2人の姿勢は共通しているのでは、と強く感じました。この共通性について、私なりに要約するならば、2人が昭和史を語るにあたって重要視しているのは、自身を含めて「その時に、何を思い、どう感じてきたか」ということではないかということです。私小説的なものとは全然違います。一知半解の後付けの解説を許さない、自他に厳しい態度といってよいでしょう。
 すでに知られているように、上坂氏はこの4月に亡くなられました。本書の奥付が5月1日。それだけに、上坂氏の「いい時期にいい対談ができた大変喜んでいます。・・・間に合って本当によかったというのが正直な感想です。」という言葉が胸に沁みます。本当に間に合って良かったです。合掌。

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紙の本

ひとがた流し

紙の本ひとがた流し

2007/12/26 23:40

「日常の謎」派の行き着く先

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 拝啓 北村薫様。話題の本書を遅ればせながら読了いたしました。残念なことに、直木賞こそ逃されましたが、本書には多くの好意的な評を得ただけではなく、最近になってドラマ化もされ、改めて読者を着実に増やしているのではないでしょうか。「涙という言葉も使うまい」と付記に記されたように、ここ数年来の「お涙頂戴」ブームにのったかのように見えて、それに一石を投じる、というスタンスが理解されることと存じます。
 ところで、その「一石」とはどのようなものであったのでしょう。「読者には誤読の権利がある」というお言葉に甘えて、私なりに一言でまとめれば、人の生き死にに関わることであっても日常を描くことにこだわる、ということに尽きましょう。本書を手にとった人の中には、筆致があまりに淡々としていること、日常生活についての丁寧な記述にかえって驚いた人もいたのではないでしょうか。これから人が死のうというストーリーなのに「サバの味噌煮」についても書かれているわけですから(「サバの味噌煮では、泣けないではないか」という苦情がなかったことを祈ります。笑)。
 人というものは勝手なもので、死に特別な意味付けや劇的なストーリーを求めたりすることが多いようです。実際には、死ぬまで日常を生き続けるしかないのですから、それを描き続けることこそが、作家にとっても当然の義務なのだというご覚悟かと推察いたしました。また、章によって語り手が変わっているのは、人の死でさえ、その受け止め方は人それぞれの日常の中から出られるものではない、というごく当たり前の事実をも明らかにされているわけです。もちろん、当事者の日常だけを綴って息詰まる雰囲気になるのを避けられたのかもしれません。
 ところで、この「章によって語り手が変わる」という構成のため、主人公と思しき千波の語りが少ないこと、すなわち彼女の心情の記述が実は意外に少ないことにあらためて気がつきました。彼女の心情に迫るには、限られた日常の言動と、彼女をとりまく人の見方から推察するしかなく、読みながら「もっと語りたいことがあったのではないか」というもどかしい思いがしたものです。しかし、これこそ「他者が人の心をどこまで理解できるのか」という氏自身の切実な問いではないかということに思い至った次第です。そうは容易く「理解した」などとはいえないわけです。ましてや、「泣ける」ものでもないのですね。そうです、この「人の心」こそが最大の謎なのです。そうした意味では、本書も「日常の謎」ミステリーの(突き詰めた)延長の1冊なのだといえましょう。そこまで思い至って安心して本書を閉じることができました。
 これからの益々のご活躍をお祈り申し上げます。  敬具

追伸:最新刊『1950年のバックトス』に載せられていた本書の牧子の後日談もさっそく拝読いたしました。

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紙の本

ルリユールおじさん

紙の本ルリユールおじさん

2006/09/25 00:01

本を愛するすべての人に

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 半月ほど前、ちょっとした記事に紹介があり、「即買い」を決めました。同じ新聞社で24日には書評にもなりました。
 愛する植物図鑑がこわれてしまった女の子が、静かに製本の職人として生活するおじいさんに、その本をなおしてもらう、というただそれだけのお話です。けれども、それはなんと豊かで幸福な出会いであることでしょう。
 仕上がった本を前に、「なんでもおしえてくれるわたしの本。」と、うれしそうに、顔をくっつけて読む女の子と、400年の職人の伝統を生きるおじいさん。一見意外な組合せに見えますが,「本を読む」ということは、これくらい幸運なことなのではないでしょうか。最近は、いかに速く、いかに正確に、いかに気の効いた解釈を、なんて思いながら本を読むことが多い身としては、この小さな女の子がうらやましく感じます。
 さて、この女の子とおじいさんの、「動」と「静」の対比も本書の魅力のひとつです。黙々と作業をするおじいさんの横で、この女の子はじっとしていません。仕事場を見ては、「わあ、ぐちゃぐちゃ!」。ルリユールの説明をするおじいさんに、「おじさん、アカシアの木すき?」とせわしなく質問。会話が成立していないような気もしますが、大丈夫なんです。二人とも、「本を大切にする」という目的はいっしょなんですから。

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紙の本

日本の歴史 18 開国と幕末変革

紙の本日本の歴史 18 開国と幕末変革

2010/12/15 23:36

「維新の前にあった変革」という視点から見えてくるもの

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『幕末・維新』(岩波新書)で、幕末研究の新しい視点を提示した著者の、「その前」に出されていた通史著作である。『幕末・維新』が新書という量的制約があったので、物足りなさを感じた人はこちらも読んだ方がよいだろう。
 本書序章では、アイヌと蝦夷地がとりあげられる。「開国」とはペリー来航がはじまりではなく、すでに「四つの口」のひとつであった、北方ではじまっていたのである。また、アイヌや蝦夷地のもたらした産物、特に海産物とニシン肥は、この時期の列島の農業生産発展を支えていたのでもある。石見銀山の銀が世界に影響を与えたのであれば、北方がもたらした産物の列島への影響もまた大きいのである。
 もうひとつ、本書前半で力を入れて書かれているのは、民衆運動としての「百姓一揆」である。時代劇をみている現代人の想像をはるかにこえて、江戸時代には一揆は頻発していたことはよく知られている。本書では、そこにみられる「作法」にまで踏み込んで考察を加えている。その統制ぶりや、(攻撃的な)竹槍ではなく(農民のシンボルとしての)鎌が中心にあったことなどを緻密に再現し、さらに朝鮮等とのアジア他国の民衆運動との比較も試みている。首謀者に対する処罰にも言及しているが、「獄中死」が意外に多いことに気がつく。罰則を決めずして、実質的な処罰を加えるという、為政者の作為があったのだろうか。
 この2つのはじまりは、「政治の季節」と思われがちな「幕末・維新」を、もっと広いもっと豊かな視点から提示して見せてくれる予感が十二分にある。
 さて本書の中核をなすのは、『幕末・維新』でもあったように、開国から維新へと至る過程を、改めて読み直すことである。歴史の通例にたがわず、幕末史は勝者である「維新」の側から描かれることが多く、この「読み直し」はとても新鮮だ。わかりにくかったテーマも整理され、考え直すきっかけを与えてくれる。
 第一に「幕臣は無能であったか?」。幕府が、風説書などによって海外事情をかなりの精度で理解していたことは徐々に知られるようになったが、「黒船来航」から条約締結にかけて、幕臣が無能ぶりをさらけだしたような書きぶりが今でも時々見受けられる。本書における条約交渉のやり取りの再現などを見るように、最善ではなかったかもしれないが、実に妥当な交渉を進めようとしていたことがわかる。
 第二に「尊王攘夷とは何であったのか?」。倒幕派の薩長連合が攘夷派の流れを汲むものであれば、なぜ明治新政府はその攘夷を実行しなかったのか? 本書では、いわばレトリックとしての攘夷とでもいうべき視点を提示する。自らの行動を正当化するための尊王攘夷とでもいえようか。
 第三に「列強とは何だったのか?」。たとえば、彼らは単純に日本の開国だけを望んでいたのか、それとも植民地化するまでの意図があったのか。帝国主義研究はまだまだ必要であることを痛感する。本書で興味を惹くのは、ペルーやハリスのやり口を、当時の彼らの本国との関係とにおいて理解につとめていることである。文明を気取っていた列強における野蛮とは何か、というものを改めて考えさせてくれる。
 他にもいろいろな「考え直し」が可能だろう。
 幕末・維新というものは、未だに物語世界の中では好まれるテーマでもあり、身近である。それだけに簡単に政治的にもレトリックとしても安易に利用されやすい(「幕末の志士」に自らをなぞらえる政治家のいかに多く、いかに滑稽なことか)。しかし、そこには「わからないこと」がまだまだいっぱいある。単に政治の流れや、志士を追うだけでは見えないことが多い。その背景にあるものへの目配りと理解・想像力が欠かせないことを気づかせてくれる。それは歴史学と社会科学との責務でもある。本書はその道しるべを与えてくれる。

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紙の本

美の幾何学 天のたくらみ、人のたくみ

紙の本美の幾何学 天のたくらみ、人のたくみ

2010/10/25 21:13

よくわからなくても楽しい1冊

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は、知っている人ならば、泣いて喜びそうな名著の復刊だそうだ(早川文庫のこの「数理を愉しむ」シリーズはやけに気合いが入ってます)。それぞれ著名な、物理学者、画家、数学者による鼎談である。これだけ聞くとなんだか難しそうだが(いや、実際に頭で考えだそうとすると難しい・・・)、図版を眺めるだけでも楽しい本である。
 折り紙、タイル、寄木細工、(日本の)紋所・家紋のデザイン、・・・これらに共通する幾何学的な美について、それはそれは楽しく語り合っている一書である。おそらくこの3人は幾何学図形をめでながら、酒のサカナにできるのではないだろうか。「もっと図版を中心にした本があっても」と思って見たら、「そういえば安野さんの本があったか」と思い出した次第(『ふしぎなえ』ですね)。
 実用性等からはほど遠い、美と面白さの語り合いに見えて、「幾何学」とは直観や創造性の涵養と密接な関係がありそうなことが示唆される。小学校の教師をしていた安野氏が「算術を幾何学的に解くことを一所懸命教えましたね」といえば、伏見氏は「挿絵のない数学の本なんて考えられない」と断言。幾何学(もしくは図形)とは、理詰めの思考とは違ったかたちで、人の思考を助けるものになるのだろうか。前者が知識の蓄積を前提としたものとするならば、後者は人の思考をそうした蓄積から自由にしてくれるのではないか。そうした視点からの一書が、同じ著者で書かれてもよかったのではないかと感じる。
 ところで、この鼎談では「石垣」は話題になっていない。なんらかの規則性を見出すのが難しいから、幾何学の範疇外ということなのだろうか。個人的にときどき不思議に感じるのは、現物の石垣を見て「美しい」と思うことはあっても、絵画等で再現されたものには、ほとんどその美しさを感じないことである。なぜだろう。

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紙の本

シンプルノットローファー

紙の本シンプルノットローファー

2009/09/02 00:05

夏が、終わる。けれど、その「日々のかけら」は終わらない!

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は、中高一貫のモンナンカール女子校を舞台に、その「何気ない日々のかけら」(帯より)を描いた連作漫画です。同じクラスであろう子たちが、入れ替わりでそれぞれの物語の登場人物を勤めています。クラブ活動中に拾った凧をあげようとする春過ぎ(「プロローグ」)からはじまって、次の夏休み中の出来事まで(12章「パラダイス」)のほぼ1年余りの日々を描いていきます。
 本書のすごいところは、「女子高校生」「物語」という言葉からイメージされるようなもろもろを、ことごとく避けたうえで、その「何気なさ」を作りあげているところです。たとえば、同世代の関心事であろう恋愛や友情、ファッション。高校といえば、部活動、林間学校、文化祭や体育祭といったイベントごとなどなど。扱わないわけではないけれど、あえて真正面からは扱うことはしていません。たとえば文化祭の話も出てきますが、その準備中の、クラスの出し物の看板が素材になっています。おそらく著者は、多くの物語に描かれがちな華やかな出来事など、ごくまれなものでしかないということをよくわかっているのでしょう。そのうえでその「日々のかけら」を確かに描ききっているのです。なにせ、クラスの「週番」や、年末の大掃除まで物語にしてしまっているのです。その貪欲さたるやおそるべし。
 ところで、「青春物語」にありがちな出来事を扱わないため、喜怒哀楽や葛藤など感情の大きな起伏は出てきません。そのため、案外に静かで落ち着いた物語展開に見えますが、そのぶんこまやかな感情に敏感です。なんだか皆から叱られてしまう一日や、夏休み明けの友人が大人びていて妙にやきもき感じてしまうところなど、絶妙です。個々人の趣味や嗜好をしっかり描いているのも印象的です。レディースデーに映画を一人見る、学校帰りのヒップホップ、ブラックコーヒー、つい茶道にめざめてしまったり・・・。「女子高校生の関心事は・・・」などと他人が括る以上に、それぞれがそれぞれの関心をもって日々を送っているのです。そのことを著者は丁寧に、そしてしっかりと描いています。
 世の中、「青春小説」のような劇的な展開が日々待ち受けているわけではないのはあたりまえなことですが、こうしたささやかな(時には本人さえも忘れてしまいそうな)「日々のかけら」に一喜一憂していた(できた)のが、高校生活だったのでしょう。そんなこんなを思い出させ、感じさせてくれる秀作です。寡作な作家ですが、次作が待ち望まれます。

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紙の本

労働法はぼくらの味方!

紙の本労働法はぼくらの味方!

2009/06/03 22:23

その極めて細き命綱だけだとしても

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は、中高生向け新書として、労働法の基礎いわば常識的な部分を解説したものである。入門書といえども「法律書!」ということで、敬遠される向きもあるかもしれない。しかし、初めてアルバイトをした高校生を主人公とした物語形式になっており、読みやすいのみならず、とっつきやすい。彼のバイト先のファーストフード店での出来事を中心に、そこの店長、派遣労働者である姉、そしてかれらが出会った出来事について、弁護士である伯父さんが相談に応じつつ、解説する構成になっている。最近は派遣労働者の「雇い止め」など、不況ともからむかたちで、労働問題が改めてクローズアップされており、時宜を得た刊行といえる。中高生のみならず、多くの人の参考書となるだろう。
 本書を読んで改めて感じるのは、この労働法の常識的な部分さえ、多くの人に共有されていないのではないか、といったことである。中学レベルの「公民」でも「社会権」として学ぶはずだが、「自分が働く」という視点から教育されているようには思われない。社会権とは、近代に入って多くの人々の文字通りの血と汗とによって獲得された権利であるにもかかわらず、現在ではあまりに軽んじられてはいないか。現在の問題は、「失業者が増えて大変」といったものだけではない。労働法の常識さえ身につけないまま、労働市場に送り出される人々が数多い、ということでもある。個人の能力を高めればよい、という自己責任論とは次元の異なる問題である。
 もちろん、この常識を身につければなんとかなる、というものでもないだろう。この弁護士の伯父さんも引く「法は自ら助くる者を助く」といった言葉に見られるように、自分で動き出さない限りは何もはじまらない。真面目に働いていれば誰かが面倒を見てくれるわけでも、ましてやスーパーヒーローが現れるわけでもない。自ら動くことはとてもエネルギーがいる。それでも動かなければならない。それが現実なのである。
 *巻末には労働相談の窓口一覧が付いてます。

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紙の本

棒がいっぽん (Mag comics)

紙の本棒がいっぽん (Mag comics)

2006/05/04 21:35

だから、高野文子を読みたくなるんだ。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 高野文子さんの漫画について、すでに多くの人が語られていることでしょう。寡作にもかかわらず、これだけの人に支持され続けるという人も珍しいのではないでしょうか。そのシンプルかつ完成された構図、独特の雰囲気をもつストーリーなどなど、その魅力もいろいろあげられているようです。
 私の場合、「小さいところにも手を抜かない」という部分を見つけては喜んでいます。たとえば、「るきさん」が読む本のカバーが、「文鳥堂」のそれのパロディになっているところなど、読み返す楽しみがあります。なにせ、武者小路の「よく味はう者の血とならん」が「よく噛んで食べよう」になっているのですから。きちんと漫画になっています。
 そして「小ささ」といえば、この作品集の「東京コロボックル」。佐藤さとるの「誰も知らない小さな国」や「木かげの家の小人たち」に親しんだことのある人なら、とても身近な存在でしょう(本作品でも参考文献としてあげられています)。そんなかれらが、平成の東京でどのような日常生活を営んでいるのか、を解説してくれます。ちゃっかり電化生活をおくっていたり、エコロジーに走ったりする人もいます。どうやら通販まであるようです。
 そういえば先の二作品は、戦争をはさんだ時代設定でした。今となってはだいぶ昔の話になるのですから、それくらいの変化があってもいいのでしょうね。

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紙の本

図説日本の植生

紙の本図説日本の植生

2005/11/27 23:35

日本の自然の豊かさをどう見たらよいのか?

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「植生」というと、一般にはやや耳慣れないことばだが、要は、植物を個々の花や木単位で考えるのではなく、その場所に成立する集団を全体的にとらえようとする概念であるという。必然的にその場所の気候や土壌なども含めた理解が求められる。いわば、ガーデニングなどとは対極的にある発想と言えるだろう。同時に、環境問題や自然保護を考える際に、もっとも必要とされる視点ではないだろうか。マングローブから雪に耐える針葉樹林まで、多種多彩な植物群落を抱えもつ日本の植生をコンパクトにまとめた点はなかなか得難く、通読するというより、常に携帯して参照できるハンドブックである。
 さて、本書が出たのは現在より30年前の1975年。環境庁の設置が1971年であるから、やっと「環境問題」が世間に注目されるようになったころだ。刊行当時は「環境教育」の手引きとして注目を浴びたという(「まえがき」より)。なるほど、図鑑的な分類ではなく、照葉樹林帯から海岸や都市林まで、写真等の豊富な図版を添えた肌理のこまかい紹介は、身近な植生を見る視点を培ってくれる。後には、著者の一人である岩瀬が、一高校教師として「校庭の雑草」などを素材に同様の環境教育書を次々と出していったが、その原点にあたる。
 30年後の現在、「知床」が世界遺産に指定されたように、「環境問題」という言葉は世間的にはほぼ定着したといってよい。しかし、その考え方はそうやさしいものではない。単に「保護すればよい」で済むわけではないことはよく指摘されることだが、本書でも、「植生」を見るときに、安定的な部分(極相という)だけではなく、変化する部分(遷移)も含めて教えてくれる。この変化への対応が、環境問題のむずかしさのひとつなのだろう。
 2005年にはカラー化し全面的に改訂した新版が元の出版社から刊行されたが、旧版である本書を文庫化した講談社の慧眼も高く買いたい。

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紙の本

長嶋有漫画化計画

紙の本長嶋有漫画化計画

2012/04/15 22:19

なんとも贅沢な計画

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 自らの作家生活十周年を記念して、自分の作品を様々な漫画家さんに作品化してもらう、というのがこの「計画」の全貌である。私がこの計画を知ったのは、「LOVE書店」というフリーペーパー上の、長嶋自身のコラムであった。「なんと贅沢な(そして、少々身勝手な)」と感じたけれど、「どんなものになるのだろうか」とちょっと楽しみにしていた。長嶋作品のファンではないけれど(実は、読んだものは「1つ」しかない)、気になる試みであった。総勢15人の漫画家の作品がこうしたひとつにまとまってみると、想像した以上に楽しめるものになっていた。大ベテラン荻尾望都による「十時間」から、新人ウラモトユウコによる「サイドカーに犬」まで、バラエティに富んだ漫画家がそろっている。あえて個々の作品の紹介はしないので、実際に手にとって楽しまれたい。
 長嶋作品をほどんど読んでおらず(本書で初めて、映画化されたものを見たことがあるのに気がついたくらい)、15人にのぼる漫画家さんの作品もほとんど読んだことはない(そのうちの一人のファンにすぎない)。それでも、この計画には人をひきつける「何か」がある。一時期、CD界ではやったトリビュートアルバムというのとも、少々異なる「何か」である。本書には「舞台裏」も綴ったコラムが随時挟み込まれており、どのようにこの計画が進められていったのか、がある程度わかるようになっている。「何か」をさぐる手掛かりである。
 「文字」だけの世界とちがって、漫画家ごとのタッチの違いは、作品世界の雰囲気をがらりと変える。漫画家それぞれの個性が際立ってくる、といえようか。また、どうやら原作の忠実な漫画化ばかりではなさそうだ。中には、原作のアナザ—ストーリーとなったものもあるという。かといって漫画家の自由度が高かったかと言うとそうでもないようだ。原作者である長嶋自身が細かな点の要望を出したり、いっしょに打ち合わせをしたり、漫画家を「指名」したりと、なかなか深く関わっている。本人も漫画ファンであり、別名でコラムも書いているという。やはり、本人が一番「楽しんだ」計画なのではないか。そんな「楽しさ」こそが、人をひきつけるのではないだろうか。
 そんなこんな発見をしながら、「今度は、この作品(漫画家)を読んでみようか」と思いつつ、ページを手繰っていた。作品解説や漫画家紹介も丁寧にされているのも大いに参考になる。そう、こうやって様々なファンが様々なまま増殖していくことが、この計画の目的だったのではないだろうか。

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