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中条省平さんのレビュー一覧

投稿者:中条省平

29 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本フランス史

2001/10/12 18:15

待望の『フランス史』がついに刊行された。フランスのすべての基礎となる知識をスマートに凝縮した好著だ。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 歴史書出版の名門、山川出版社の顔ともいえる「世界各国史」シリーズの新版が着々刊行されている。今回は『フランス史』である。

 私はフランス文学を専門にしているが、その講義をするのに、フランス史に触れないわけにはいかない。もちろん、個々の歴史的事件については、専門書や大部の歴史辞典を調べれば大抵の用は足りるが、いちばん難しいのは、大所高所から歴史の流れをつかみ、それを一定の時間的・空間的パースペクティヴとして、立体的な実感をもって把握することである。そうした基礎がなければ、時代や事件は個々に寸断された事象にしかならないからだ。

 そんな最も重要な歴史的欲求にコンパクトに応えてくれる書物が、旧世界各国史の『フランス史』だった。井上幸治が当時のフランス史研究の精鋭を結集して編纂したこの本は、奇しくもフランスの五月革命が全世界を揺さぶった1968年に刊行された。今でも私はボロボロになったこの書物を開いて、歴史的知識の整理と確認を行うことがある。それほどよくできたフランス通史なのだった。
 この旧版からようやく33年経って、装いを完全に一新した新版が刊行された。まさに待望垂涎の一冊である。
 編者は福井憲彦。アナール派やミシェル・フーコー以後の歴史学の方法論の広がりと深まりを視野に入れ、なおかつ歴史の本分である実証的な客観性をも具備する最適の編者といえるだろう。執筆者全員に、いかにも「史書」といった感じの文体を避けて、できるかぎり平易かつ明晰に語ろうという意志が共通しているのも非常に好ましい。

 そして、本書の最大の特徴は、本当に「読める」フランス史だということである。年号や事件や歴史用語の羅列を極力避け、歴史の内側を流れる人間的エネルギーの集中と拡散に目をこらし、時代時代の本質を具体的に記述してゆくこと。言うは易く行うは難いそんな作業が、じつにスマートに遂行されていて、必要な事項を「調べる」ために索引から該当ページを開いても、いつのまにかその前後の記述を「読んでいる」自分に気づくのである。

 もっと若いときにこんな本で楽しみながらフランス史を勉強していたら、もっとフランスの本質的な理解が血と肉になっていたのに……とちょっと悔しくなるような本でもある。
 学生、読書人からフランスに何らかの関心をもつ人まで、必携・必読の好著として万人にお勧めしたい。 (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2001.10.13)

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紙の本

紙の本ヨーロッパ人名語源事典

2000/08/23 00:15

ヨーロッパ文化の深いルーツを表す人名。神話、歴史、文学等、膨大な文献を駆使して、その諸相を描きだす。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 翻訳を職業にしていると、しばしば人名表記の問題に悩まされる。その原因の一つは、ヨーロッパの諸言語において、人につける名前がほとんど共通していることである。

 つまり、英語では「ジョージ」、ドイツ語では「ゲオルク」、フランス語では「ジョルジュ」、スペイン語では「ホルヘ」、イタリア語では「ジョルジオ」、ギリシア語では「ヨルゴス」、ロシア語では「ユーリイ」等々と発音・表記される名前がことごとく同じ名前の変形にすぎず、外国人の名前を自分の国語の発音・表記に平気で言い換え(書き替え)てしまうのである。そのため、フランス語の本で見た「アンリ・エーヌ」という名前が、実はドイツ詩人の「ハインリッヒ・ハイネ」のことを意味している、というような事態が生じることもあった(現在では、原語の表記を尊重するのが一般的な傾向だ)。

 だが、これは一面ではヨーロッパ文化の深い同一性をあらわす現象でもある。本書は、このヨーロッパ文化の根底に横たわる名前の同一性という特質に注目して、ヨーロッパ人の名前の起源をめぐる様々な逸話を集成している。「事典」と銘打ってはいるが、中身は五十音やアルファベット順の配列ではなく、ヘブライ、ギリシア、キリスト教、ゲルマン、ケルト、スラヴという民族・言語・文化圏別の構成になっており、どこから読んでも楽しくためになるエピソードが満載されている。勿論、アルファベット表記と五十音順による完璧な索引が付いているから、「事典」としても十分活用することができる。

 試みに「ジョージ」で検索してみよう。ジョージの語源は、ギリシア語のゲオルギオスで、ゲーは「大地」、エルゴンは「働き」を意味するところから、この名前の原義は「農夫」である。巨人(ジャイアンツ)のGiもゲーと同義で、ジャイアンツとは元々「大地の息子たち」という意味だった。ゲオルギオスは豊饒の神だが、ローマに輸入されて、キリスト教の殉教者ゲオルギウスとなり、豊饒をもたらす正義の聖人という位置づけに変わる。フランク王国の開祖クローヴィスは、聖ゲオルギウスを自分の王朝の祖として崇めるようになる。つまり、ゲオルギウスは、西ヨーロッパの起源となったのである。

 その後、各国にゲオルギウス(ジョージ)の名前が広まるが、イギリスでは、ジョージが聖書中の名前ではなかったため人気が出なかった。ところが、十八世紀に国王がジョージ(一世)と名づけられて以来、ポピュラーな名前となる。現エリザベス二世の父親はジョージ六世である。ジョージといえば、一番有名な人物はワシントンだが、彼は十八世紀のジョージ二世にちなんで名づけられた。また、野球選手ベーブ・ルースのファーストネームもジョージである、という具合にこの事典の記述は多岐にわたっている。

 聖書を中心にして、シェイクスピアなど文学的文献や歴史書も広く参照し、名前をめぐってヨーロッパ文化の豊かさを説き明かす。研究書としても、読み物としても、充実した仕上がりである。 (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2000.08.23)

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紙の本

映画理論という難解な知の領域に乗りだすための最良のツール

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 たしかスティーヴン・スピルバーグが言ったのだと思うが、「宇宙人が地球にやって来たとして、彼らがいちばん不思議に思うのは映画館の光景ではないか」という言葉がある。なるほど、真っ暗闇に大勢の人間が集まり、一斉に同じ方向をむき、光と影の交錯を見つめて、大笑いしたり、涙を流したり、手に汗握って興奮したりしている。なぜそんなことが可能なのか? この点に、映画理論の成立する本質的な基盤がある。

 世に映画の本は無数にあるが、たいていは映画の提供するそうした不思議な作用に疑問などつゆ抱かず、物語がおもしろいだの、俳優がうまいだの、女優が魅力的だのといって済ませている。本書は、映画の根源的な謎に理論的にアプローチする本としては、類書にない問題意識の明確さと、記述の明解さを兼ねそなえている。

 だが、明解とはいっても、映画<理論>である。具体的な映画の解説ではなく、抽象的な用語や議論の基礎をうちたてる作業なのである。したがって、ぱらぱらと拾い読みして、よし分かった、とは行かない。しかし、繰り返すが、これほど明確かつ中立的に映画理論の基礎を整理した書物は存在しない。映画に深い興味をもつ人、一歩踏みこんだ映画の見方を知りたい人には、ぜひ一読をお勧めしたい。

 本書は5章からなる。第1章は、フレーム、奥行き、ショット、音声という映画の基本中の基本をなす概念にたいして、的確な定義と、そこから生じる根本的な問題の整理をあたえている。分かっているようでじつは分かりにくいのが、基本的な概念というものなのだが、たいへん手堅い叙述になっているのが嬉しい。

 それと、字体の組み方が基本説明は大きめの文字、補足説明は小さめの文字にして、段落をしっかり分けているところにも、著者たちの概念把握がしっかりしていることが窺われるし、じっさい読みやすい。おもしろいのは、補足説明のほうが記述が細かい分、読んでいて楽しいことだ。

 第2章はモンタージュを扱う。要するに「編集」のことである。編集がなければ一本のまとまった映画は存在しないことは誰でも知っているが、モンタージュの具体的作業から始まって、モンタージュの機能(編集がどんな効果を生むか)を解説し、バザンとエイゼンシュテインという、モンタージュに対してはっきりと異なる立場をとる最も重要な理論家の考えを明らかにする。この章も非常に見通しよく問題を整理している。

 以下、3章は映画における物語的機能、4章は映画の言語的構造、5章は映画の観客の反応という、より突っこんだ問題を扱って、過不足ない。

 最後に特筆しておきたいのは、訳者、武田潔の力量である。けっして読みやすくはなく、ましてや訳しやすいとはいえない原書を、これほど明晰な日本語に移植した努力は高く評価されるべきである。今後、映画の模範的な教科書のひとつとして、広く読まれるに値する訳書となった。 (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2000.7.11)

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紙の本

紙の本ロートレアモン全集

2001/06/11 12:17

「ロートレアモン全集」の決定版。世界でいちばん詳しい注釈つき。これは今年の文学の一大収穫だ。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ロートレアモンと『マルドロールの歌』について、なにを説明すべきだろうか? なにも知らない若い読者には、ともかく読んでごらんなさい、と言うほかはない。できるかぎり若いほうがいいのである、このマルキ・ド・サド以来もっとも有毒な書物を読むためには。幸いにも読みとおした人は、たぶん『マルドロール』にとり憑かれてしまうだろう。この神秘と猛毒の書には、永遠に滅びることのない、青春にのみ可能な輝かしい夢想がいっぱいに詰まっていて、あらゆるアプローチを許している。だれもが自分のマルドロール像を創ることができる。私にとってもこの本はいまだに特別である。高校生のころ、『マルドロール』を一気に読んだ暑い夏休みを忘れられない。そこには、真に未知の世界の目も眩むような陶酔があった。その驚きは今回の『全集』でも、ほとんど色褪せてはいない。それほどこの本はすごい。高い本だが、先端的な文化に興味のある人は迷わずに買ったほうがいい。一生の宝物になるはずだから。

 だが、すでにロートレアモンを読んだことのある人も、思い切ってこの本は買う価値がある。これまでに『マルドロールの歌』は5回、『ロートレアモン全集』は3回も翻訳が出ているが、文句なしに、石井洋二郎訳『ロートレアモン イジドール・デュカス全集』は最高の出来栄えである。訳文が現代的でシャープだし、にもかかわらず、『マルドロール』独特の濃密な文体、鎖に鉄の分銅をつけて振りまわすような重いスピード感が出ているところがいい。読みやすいだけではなく、言葉の手応えがしっかりしているのだ。

 そして、なによりも注釈が素晴らしい。ともかく『マルドロール』は謎の書物なのだ。本文だけを読んでも絶対におもしろいが、すこしでもロートレアモンと『マルドロール』について進んだ理解を得たい人には、できるかぎり詳しい注釈があったほうがいい。しかも、いまのところ、この日本語版は世界でいちばん(!)詳しい注釈のついた『ロートレアモン全集』なのである。すれっからしの読者は、本文の翻訳それ自体より、この膨大な(訳文よりもはるかに大量の)注釈のほうが価値があるなどと言い出すかもしれない。

 たしかに、この注釈を拾い読みしていたら、一時間や二時間はあっというまに経過してしまうだろう。動物学、植物学、文体学、文学史、音楽史、パリの地理学、娼婦研究などなど、あらゆる水準の知識を総動員して、訳者はロートレアモンを読むという学問を心から楽しんでいる。こんなにリアルに文学の楽しみを教えてもらう経験は久々のできごとである。石井氏の努力に心から敬意を表したい。だが、石井氏は東京大学での激務のかたわら、わずか一年半でこの記念碑的な力わざをなし遂げてしまったというのである。訳者にとっても、よほどスリリングで充実した仕事だったのだろう。その意味でも、ここには文学の上質な快楽があふれている。

 2001年のわが国における文学の最高の収穫のひとつと断言したい。 (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2001.06.10)

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紙の本

ロマン主義とデカダン芸術の「聖典」というべき大著。日本版は世界初の訳注が完備して、読者に届けられる。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 マリオ・プラーツは、現代のロマン主義およびデカダン芸術にたいする考え方を根本的に変革すると同時に、まったく新たに確立してしまった偉大な学者・批評家である。
 そのもっとも重要な著作は『肉体と死と悪魔』(一九三〇年初版、邦訳・国書刊行会)だが、長いこと『ロマンティック・アゴニー』という英訳書名で知られたこの名著が、澁澤龍彦のデカダン文学紹介の最大のネタ本であったことは、いまや多くの人が知るとおりである。つまり、一九七〇年代の日本における幻想文学の一大ブームは、いわばプラーツが影の立役者として盛り上げたものだといっても過言ではない。
 また、ルキノ・ヴィスコンティの名画『家族の肖像』の主人公の大学教授(バート・ランカスター演)はプラーツをモデルにした人物であり、あの映画の下敷きとして、プラーツの自伝的著作『生の館』が使われたという。本書『蛇との契約』は、ありな書房からの六冊目のプラーツの大著の邦訳であり、こうしたアカデミックな文化事業に真摯に取りくむ出版社に心から敬意と感謝を捧げたい。『生の館』もありな書房から出版してはもらえないものだろうか?
 さて、『蛇との契約』(一九七二年)はプラーツが七五歳の折りにまとめられた批評集であり、「『肉体と死と悪魔』への補遺」という副題が添えられている。しかし、「補遺」という消極的な形容は正しくない。確かに、両者がとり扱う主な対象は、M・G・ルイス、ポー、スウィンバーン、ウォルター・ペイター、ワイルド、バルベー・ドールヴィイなど、かなり重なりあっている。だが、五〇年ほどにわたって書き継がれた論文集である本書は、その量(1000ページを超える!)と守備範囲の広さにおいて、『肉体と死と悪魔』を凌駕するともいえ、とくにラファエル前派とその周辺についての記述がまとめて二百ページほども読めたり、アール・ヌーヴォーについてのプラーツの考えを知ることができたりするのはじつにありがたいことだ。
 ロマン主義とデカダン芸術に興味のある方には必携の名著であるだけでなく、訳者の浦一章氏が巻末にほどこした一一〇ページにも及ぶ訳注は、本書が原書や仏訳をはるかにしのぐ大きな要因であり、訳注に目を走らせているだけでも時を忘れてしまう。日本の読者はつくづく恵まれているものだと思う。 (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2002.05.09)

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紙の本

紙の本角川世界史辞典

2002/01/16 22:16

読書の折々、これまで見過ごしていた事柄を引くと、必要十分な知識が即座に提供される。読書人必携の辞典。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「辞典」は引くものであって読むものではない。そして、手軽に引くためにはコンパクトであることが好ましい。この「世界史辞典」は、コンパクトな引き易さに関して、最高の水準に立つものだろう。縦2段組みの1244ページに、読みにくくない程度に活字がぎっしりと詰まり、手にした感触もしなやかで、持ち重りもしない。
 それでは、中身のほうはどうだろうか。この種の中辞典を使うのは、新聞や本を読んだりしているとき、その内容とは直接関わりがないのだが、ちょっと気にかかった言葉を引きたいという場合が多い。本格的にその事項について調べるためには、図書館で百科事典や歴史大事典を引くか、専門書を読まなくては話にならないからだ。
 例えば、いま私は、マイケル・オンダーチェの新作小説『アニルの亡霊』を読み終わったところだ。オンダーチェは、アカデミー映画賞を受賞した『イングリッシュ・ペイシェント』の原作者で、スリランカの出身である。『アニルの亡霊』はスリランカの内戦を題材にした小説だが、まったくお恥ずかしいことに、私はスリランカで現在も内戦が続いていることを知らなかった。そこで『角川世界史辞典』を引いてみた。
 「スリランカ」の項目に、この国の人口構成が、「シンハラ人(74%)、タミル人(18%)、ムスリム(7%)」で、シンハラ人が仏教徒、タミル人がヒンドゥー教徒、とあるから、スリランカは民族国家ではなく、東欧によく似た多民族、多宗教国家だと分かる。それでは、なぜ、内戦状態に突入したのか? それには、「タミル分離独立運動」を見よ、とある。その項目によると、シンハラ人政権によるシンハラ中心主義にタミル人が反発したのが原因であった。72年に憲法改正し、国名セイロンをシンハラ語のスリランカに変えてしまったのも、シンハラ中心主義の一環だった。初めは、タミル人の主張は連邦制採用とタミル語公用化だったが、シンハラ政権が仏教を準国教にしたため、タミルの分離独立運動となり、現在も「政府軍と激しく戦っている」という。
 こういう「常識」(!)は、オンダーチェの本には書いてないんですね。たった2項目で『アニルの亡霊』の理解がぐっと深くなり、ほんと勉強になりました。今後とも、机上から離せない一冊である。 (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2002.01.17)

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紙の本

紙の本本朝男色考 男色文献書志

2002/06/06 15:15

江戸川乱歩に愛された同性愛研究家の代表作。日本文学史を男色の観点から横断する独創的な書物

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 岩田準一の名前を知ったのは、江戸川乱歩の著作からだった。乱歩はさまざまな場所で折りにふれて、この人物について語っている。乱歩が男色の研究家だったことはよく知られているが、乱歩は、六歳年下の岩田準一を男色研究の「師匠」と呼び、岩田が四十五歳の若さで死んだのち、「師匠を失った私は全く孤独であ」るが、「世界に一人も同感者のない」この興味を今後もあさり続けてゆくほかないと語った。その後、乱歩は同好の士・稲垣足穂と出会うことによって、男色研究について、「世界に一人も同感者のない」興味、という自分の考えを訂正するにいたる(「二人の師匠」)。
 また、乱歩の大著『探偵小説四十年』は、二十八歳の着物姿の美青年・岩田準一の写真を掲げ、「岩田君の日本同性愛文学史研究は、十数年をそれに没頭したのだから、ちょっと内外に例がないほど詳しい」と賞賛し、「『南方熊楠全集』第九巻の半分は、南方翁から岩田君に送った同性愛文献に関する書簡で埋められている」ことを引きあいに出して、「岩田君というのは、そういう人物なのである」と紹介している。
 この伝説的な人物・岩田準一の主要業績である『本朝男色考』と『男色文献書志』(ともに私家限定版)が豪華な合本となり、読みやすい活字で刊行された。コレクター垂涎の書の、待ちに待たれた復刊なのである。前者は、日本古代から室町時代まで、簡明にして鋭利な筆でたどる日本同性愛文学史のエッセンスであり、後者は、なんと一〇〇〇種類をこえる男色関係書のカタログであって、前者の記述の濃縮ぶりと、後者の調査の博捜ぶりのコントラストに驚かされる。
 男色に興味をもつ人にはもちろん必携の最高文献であるが、日本文学史の余白を埋める真摯な試みとしても貴重きわまりないものであり、ひろく幻想文学やエロティック文学に関心をもつ読者にぜひとも一読をお薦めしたい。 (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2002.06.07)

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紙の本

フランス近代詩に忘れがたい旋律をあたえたフォーレ。詩と音楽の独創的な結合の秘密を縦横に解き明かす。

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 金原礼子氏は、すでに『ガブリエル・フォーレと詩人たち』(1993年)の大著により、十九世紀後半からベル・エポックに至るフランスにおいて、音楽と詩の関わりがいかなるものであったかを論じ、その手堅い論証によって、この方面の第一人者となったフランス文学者=声楽家である。前著『ガブリエル・フォーレと詩人たち』は、音楽的実践を背景におきながら、フォーレが原詩に加えた変更部分を手がかりにした丹念な文学研究であった。
 いっぽう、本書は、金原氏がその『ガブリエル・フォーレと詩人たち』の成果を十分に活用しながら、東京大学に提出した博士論文(2000年)に加筆をおこなったものであり、フォーレの歌曲とフランス詩をめぐって読むことのできる、日本における最高の成果であるといってもよいだろう。
 相変わらず、論証は徹底して手堅く、丹念である。ユゴー、ゴーチエ、ルコント・ド・リール、ボードレール、シルヴェストル、リラダン、ヴェルレーヌ、ヴァン・レルベルグ、ド・ブリモン男爵夫人、ド・ラ・ヴィル・ド・ミルモン等々、フォーレが作曲を提供した有名無名の詩人をほぼ年代順に取りあげ、簡にして要を得た詩人の紹介ののち、フォーレの歌曲について、音楽および文学両面からの分析を続けてゆく。その分析は曖昧な文学的ムードに曇らされることなく、実際の音の流れに裏づけられているところが本書の著しい特色であり、最大の美点である。
 ともかくこの分野に関して、著者の博捜ぶりは驚異的で、いたるところで、これまでの文学研究からは看過されがちな情報を教えられ、フランス詩の理解に新たな視角が開かれた思いを味わう。
 巻末の参考文献表や年譜など、とくにフォーレ作品一覧もまた貴重な資料である。 (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2002.05.10)

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紙の本

ジャズファンが本当に欲しかったのはこんな本だ。新しいヨーロッパ・ジャズのすべてが分かる名著。

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 ジャズのレコードが歴史上はじめて録音されてから85年が経過した。もう85年と見るか、まだ85年と見るかは、人によって意見が分かれるだろうが、音楽芸術としてのジャズは、現在、良くいえばこの上ない成熟、悪くいえばこれ以上発展の難しい段階にまで到達している。録音媒体もまた、SP、LP、CDと大きな変化を遂げながら、この間発表されたレコードはめまいがするほど厖大な数におよぶ。いささかゲップが出そうな気分にもなろうというものだ。とくに近年、デジタル・リマスタリングの技術が驚異的に進化して、古典と呼ぶべき名演奏がまったく新たな鮮明さでよみがえることが多く、それらを聴きなおしているだけでもうジャズは十分だ、と考えるオールド・ファンもいることだろう。
 だが、ジャズはいまでも、速度はすこし落ちたかもしれないが、変化と拡大を続けている。そのリアルな現場は世界中を旅しなければ捕捉できないにしても、幸いなことに、日本盤にくらべて比較的安価な輸入盤が、世界中の隅ずみから、そうしたジャズの変化と拡大の動きを伝えてくれるのである。だが、輸入盤には信頼できる文字情報がともなわない。ともかく自分の足でせっせとレコード屋を回り、自分の目で選び、自分の金を出して、自分の耳で聴いて確かめるほかない。それは途方もない労力を必要とし、報われることが少ない行為であり(斯界の御意見番、安原顕氏にいわせれば、買ったレコードの9割はクズとのこと)、その行為を支えるのは、音楽にたいする純粋な愛と情熱だけである。
 著者の杉田宏樹氏は自他ともに認めるジャズの輸入盤の日本における最高の権威であり、「スイングジャーナル」誌で読者が寄せる難問・奇問に明解な答えをあたえることでも知られる批評家である。本書『ヨーロッパのJAZZレーベル』には、杉田氏の長年かけたジャズへの愛と情熱が結晶している。ヨーロッパ12か国のマイナーな56レーベルを紹介し、そのなかから選びに選んだ隠れ名盤をずばずばと名指しする。ジャズ好きを自認するファンは全員、いますぐ座右において参照すべき名著である。索引を活用すれば、世界で最も尖端的な「ジャズ人名辞典&ディスコグラフィ」としても用いることができる。瀟洒でしなやかな小著だが、ジャズ・ジャーナリズムにおける真の「リトル・ジャイアント」なのである。 (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2002.05.08)

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紙の本

フランスのヴィシー政権は単にナチスドイツの傀儡政権だったのか?その思想的本質に迫る異色の歴史研究。

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 「ヴィシー」という言葉を初めて知ったのは、映画『カサブランカ』のなかでだった。
 モロッコで酒場を経営するハンフリー・ボガートは、かつての恋人、イングリッド・バーグマンの依頼で、彼女の夫である対独レジスタンスの闘士をナチスドイツの追及から救出し、飛行機に乗せて逃がそうとする。この物語に絶妙に絡むのが、フランス「ヴィシー」政権の警察署長役のクロード・レインズだ。本来はナチスと協力してレジスタンスをとり締まる側でありながら、バーグマンと夫の国外脱出を見て見ぬふりをする。映画の結末で、レインズはボガートのレジスタンスへの協力を見逃し、ボガートがレインズに「美しい友情の始まりだな」と名セリフを吐くことになる。この時、レインズは、「ヴィシー」というラベルの貼られたミネラルウォーターの瓶をごみ箱に放り棄てるのである。
 ヴィシーは水の名産地でもあるが、ヴィシーの瓶を棄てるレインズの行為は、ヴィシー政権とその対独協力への愛想づかしを象徴するものであった。
 一九四〇年、フランスに侵攻したナチスドイツは、フランスの北半分と大西洋沿岸を占領する。残された南フランスを支配したのが、源泉保養地ヴィシーに首都を置くペタン元帥のフランス政府だった。このヴィシー政権は、フランス大革命を否定し、「自由・平等・友愛」という有名な原理に代わって、「労働・家族・祖国」という標語をかかげ、いわゆる「国民革命」に乗りだす。
 日本の歴史教科書のレベルでは、ヴィシー政権は単なるナチスドイツの傀儡政権であり、近代フランスの汚点として認識されている。
 だが、本書の著者は、「国民革命」を、ヴィシー政権の孤立した時代錯誤の野望として片づけることなく、「国民革命」という言葉の系譜を探ったうえで、当時の知識人たちがヴィシー政権と国民革命にどういう意義をあたえていたのか、さらには、戦後フランスの思想界がこの問題をどう扱ってきたかを、要領よく紹介している。
 その上で、ヴィシー政権の問題の根底に、カトリック的伝統、政治的右翼思想、反ユダヤ主義という近代フランスの負の推進力があったことを指摘し、カトリック対反カトリック、右翼対左翼、反ユダヤ対ユダヤ擁護という対立が、フランス現代史を貫く弁証法の重大な三項となっていることを強調している。
 したがって、本書は、ヴィシー政権のイデオロギー研究の歴史書であるとともに、近代フランス論の基礎をなす論述として、広く読まれるべきであろう。 (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2002.03.20)

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紙の本

足穂の自伝エッセーを中心に編まれ、ほとんど文庫化されていない名作がぎっしりと詰まった宝庫。

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 全集は本来全巻揃えてこそ意味があり、そこから一冊取り出して紹介するのは奇妙に思われるかもしれない。だが、『稲垣足穂全集』第10巻は、ちょっと特別なのである。
 というのは、現在、足穂の主な作品は河出文庫を中心に何とか読めるのだが、この10巻には、足穂ファン必読のエッセーや小説がぎっしり詰まっているにもかかわらず、ほとんど文庫化されておらず、また、古本で入手することも困難だからである。

 まずは、「オブジェ的自伝」と副題された「パテェの赤い雄鶏を求めて」。タイトルを見れば分かる通り、これはコンパクトに圧縮された足穂版『失われた時を求めて』なのである。だが、人間臭さを何より嫌悪する足穂のこと、この「自伝」は、「自分」という人間ではなく、足穂好みの「もの」についてしか語らない。色彩、船、自動車、映画、飛行機。お馴染みの足穂的オブジェの数々の起源が語られている。深遠な足穂形而上学もいいけれど、具体的なものの記憶を紡ぎだす足穂は本当に幸福そうだ。そんな足穂の素顔が見える極上の自伝的エッセーである。

 同様に、「懐かしの活動写真」と副題された「私の祖父とシャルル・パテェ」も、映画を題材にした回想だが、二〇世紀初頭の映画についてこれほど精密な証言も稀といえる。しかも、そうした記述から、足穂の根源的な孤独と時間哲学がスクリーンと向かいあう幼年期に生まれたことが分かり、深い感動に打たれる(240ページ)。ここに後の名作「弥勒」が胚胎しているのである。

 その他、天狗論を展開した「鼻高天狗はニセ天狗」は、かつて三島由紀夫が足穂エッセーの白眉として推薦した名品「誘われ行きし夜」の改稿増補決定版であり、能と天狗と飛行機と映画と少年愛という足穂の重要テーマが一つに結びついた作品である。一見とりとめのないこの小篇に足穂芸術の極致を見た三島の慧眼には恐るべきものがある。

 本書唯一の長篇「鉛の銃弾」は、「我が青春期のモザイク」と題する回想記。相変わらず足穂的オブジェは豊富だが、数ある足穂作品のなかでも例外的なほど人間臭さが強い。従って完成の度合いはかなりゆるいが、足穂青春時代の不良青年たちの実態がかなり露骨に描かれていて、覗き見趣味からでも一旦読みだしたら止まらないほど面白い。 (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2001.10.18)

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紙の本

紙の本三島由紀夫 ある評伝 新版

2000/10/17 00:15

長らく絶版になっていた貴重な評伝が復刊された。三島の文学的生涯を総合的に把握する好著。

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 三島由紀夫が衝撃的な切腹自殺を遂げてから、今年の十一月で早くも三十年になる。個人的なことを言わせて頂ければ、あのとき私は高校生で、三島の愛読者であり、事件が伝えられた高校の教室で、国語の教師が三島の自決について生徒たちに感想を求めたことを、ついこの間のことのように鮮やかに記憶している。

 事件から六年経って、ジョン・ネイスンのこの『三島由紀夫ーある評伝ー』の旧版が書店に並んだ。著者は三島の『午後の曳航』の英訳者で、訳者は野口武彦。野口は『三島由紀夫の世界』というすぐれた三島論を書いた気鋭の若手文芸評論家だった。野口武彦の三島論はいたく三島自身を喜ばせ、彼は野口武彦に宛てて、共感にみちた公開状を書き送ったほどだ(単行本『蘭陵王』所収)。

 それゆえ、野口武彦がわざわざ翻訳したネイスンの評伝は購入すべき書物だった。書店に平積みにされたこの本のたたずまいもよく覚えている。ところがどうしたわけか、当座の小遣いでも足りなかったのか、私はすぐにこれを買わなかったのだ。まもなく『三島由紀夫ーある評伝ー』は絶版になった。そして、今日まで、本書を読む機会は失われたままだった。だから、この評伝が「解禁」となって読むことができたのは本当にうれしいし、実際に読んでみて、これは掛け値なしにすぐれた評伝だと実感した。

 ネイスンの本が絶版になったのは、彼が三島の同性愛をごく当然の事実として描き(逆に言うならそこには煽情的なスキャンダル趣味は皆無だ)、三島の自殺が森田必勝との情死のニュアンスを持つことを否定しなかったため、三島の作品の著作権を持つ遺族(瑶子夫人)がこの本に不快の念を示したためであったと推測される。

 しかし、三島の衝撃的な死が歴史の領域に吸収されたいま、彼の同性愛はもはや衆知の事実といってよいし、それはなんら天才文学者、三島の名誉を傷つけるものではない(その意味では、書簡の著作権問題によって、三島と同性愛関係にあった福島次郎が書いた真摯な回想録『三島由紀夫ー剣と寒紅』が絶版にされたのは残念である)。

 ネイスンの評伝は事実の記述としてもきわめて客観的であるし(村松剛の大冊『三島由紀夫の世界』よりも三島の文学と個人生活の統一的な把握においてはるか優れている)、死の切望という一点に絞りこんで彼の生涯をたどるその主張においても、小説やエッセーの過不足ない引用を通じて、読む者に大きな説得力を感じさせる。さらに、新版に寄せられた序文では、三島の死を、幕末の開国以来日本を冒しつづける日本の伝統文化と西欧からの外来文化の分裂の極限的なケースと捉える文明史的な視点を強調し、これもまたきわめてよく納得できる説明になっている。

 三島由紀夫に興味のある人にとって必読の見事な評伝であり、研究書である。

 (その後、旧版と新版を見比べたが、旧版のあとがきで瑶子夫人について書かれた部分、2ページ強が新版からは削除されていることに気がついた) (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2000.10.17)

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紙の本

紙の本カロリーヌとなぞのしま

2000/07/10 20:49

フランスで絶大な人気を誇る絵本シリーズ。きわめてフランス的なヒロインの冒険物語。

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 「カロリーヌ」の名前に接したのは、フランソワ・トリュフォー監督の『柔らかい肌』においてだった。出演する子供の愛読書として「カロリーヌ」の名前が引用されるのだが、実物が画面に映らないので、かえって興味を引かれて、フランス書を扱う本屋で調べてみた。そして、膨大なカロリーヌ・シリーズが出版されていることを知った。フランスの子供向け絵本のクラシックであり、1955年に発表以来、全部で31作が刊行され、今後も続刊が予定されている。

 その邦訳が、本書のシリーズである。恥ずかしながら、本書を目にするまで邦訳の存在を知らなかった。つい先日も、朝日新聞の「片岡義男さんの絵本箱」のコーナーで、カロリーヌ・シリーズが片岡氏の愛読書として紹介されていたが、氏が取りあげたのは、フランスのアシェット書店版の「Caroline」であって、邦訳についての言及はひと言もなされていなかった。

 児童文化はその国のもっとも深い根っこと結びついているため、なかなか他国に輸出されても根づかない(「ドラゴンボール」や「ポケモン」はいまや世界を完全に席巻しているが)。カロリーヌ・シリーズも同じで、まだまだ日本では知られていないだろう。だが、逆にいえば、だからこそフランス文化の深層をかいま見ることができるのである。その意味で、大人の読者にとっても興味深い。

 カロリーヌの顔つきは、日本の子供に比べて、ぐっとおしゃまで、白目の大きな吊りぎみの目はどこか意地悪な感じさえする。つまり、子供の無垢への自足を良しとする日本人の無意識にたいして、フランス人は、子供が大人の真似をし、大人の世界に飛びこんで成熟することを積極的に肯定しているのである。

 男っぽい、仕立てのしっかりした白いシャツに、赤の作業ズボンというカロリーヌの服装にも、子供らしさをファンタスティックに装うような印象はなく、子供が具体的な行動を通じて世界と接しはじめることへの奨励の意図がこめられている。

 とはいえ、カロリーヌの親しい友だちは、三匹の犬に二匹の猫、ライオンとクマとヒョウといった動物たちであり、現実と幻想すれすれの場所で、カロリーヌは日常生活の冒険へと乗りだすのだ。『カロリーヌとなぞのしま』では無人島生活、『カロリーヌとおうさまケーキ』ではケーキ作りが題材となっているが、基本線は、未知のできごとを前にして、カロリーヌと動物の仲間が力を合わせて、未知をコントロール可能な既知に変えてゆく過程が描かれている。

 その意味では、『カロリーヌとなぞのしま』で下敷きとなるロビンソン・クルーソーの冒険物語とも類似した構造が一貫しており、ロビンソン物語に見られる、勃興するブルジョワ階級の労働による金銭的成就をめざす精神性が、カロリーヌ物語にも反映しているといえよう。もちろん、子供たちの普遍的な冒険探求心に訴えるところが、このシリーズのフランスでの人気の持続の秘密であることは疑いないが。 (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2000.7.11)

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紙の本漱石と落語 増補

2000/07/10 20:49

落語を漱石文学の巨大なバックボーンとして読み解く楽しくユニークな好著

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 著者の水川隆夫は、『漱石「こころ」の謎』(彩流社)という好著も発表している国文学の研究者で、その作風は手堅く、分かりやすく、徹底して具体的で、したがって、説得力十分である。

 本書でも、その美徳はみごとに発揮され、『[増補]漱石と落語』を読んだあとは、夏目漱石の文学の大きなバックボーンとして、落語の伝統を無視することは絶対にできないという強い確信に導かれる。抽象的な議論ではなく、具体的な証拠をつぎつぎに挙げての論述には、上等な警察捜査ミステリーを読むにも似た静かな興奮をかきたてられる。

 漱石と落語といえば、だれでもまず、有名な『三四郎』での三代目小さんへの絶賛を思い出す。「小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものぢゃない。何時[いつ]でも聞けると思うから安っぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じうして生きてゐる我々は大変な仕合せである」という一節である。だが、著者がこのくだりに割く紙数はわずか4ページ。つまり、我々の知らない漱石と落語との関係について論じている部分がほとんどなのだ。そこが本書の新鮮さの最大の原因となっている。我々は漱石をかなり読んだつもりになっていても、その巨大な実態に関しては、まだまだ無知なのである。そのことをつよく思い知らされる。

 まず著者は、漱石の文章を縦横に引用しながら、作家以前の漱石の原体験としての落語、そして寄席という空間の重要さを論証する。そして、その博捜を通じて、当時の寄席文化のありようをヴィヴィッドに描きだす。この第I章は文学論というより、明治時代の都市文明論として高い価値をもっている。

 第II章で論じるのは、『吾輩は猫である』。先日、必要があってこの小説を読み返した折り、その文体のリズムはまさに落語だ、との思いを強くしたこともあって、この章はとくに面白く読んだ。顕微鏡的な精細さで『猫』の細部をとりあげ、落語の典拠と比較してゆくのだ。その細かい実証の作業を淡々と積み重ねることにより、『猫』の落語性を自明の事実として読む者の眼前につきつけるのである。いささかしつこいとの評が出るかもしれないが、それぞれの論拠がユーモラスなエピソードばかりなので、事実の列挙とはいえ、退屈したり、無味乾燥であったりすることはない。

 第III 章は『草枕』以後の時代をあつかっている。これ以降、漱石の人間的、哲学的観想がペシミスティックな深まりを見せるとともに、落語の影響が散発的かつ稀薄になることがよく分かる。

 なかでは『心』と怪談噺の類縁性を解いた部分が刺激的だ。水川氏は、漱石の『心』に見られる前近代的な精神性(怨恨や霊魂への執着)を明らかにした研究者であり、その点からも議論には説得力がある。

 落語の演目に関する簡潔な解説集も付録になっており、落語をよく知らない読者への配慮もなされている。漱石研究の充実した異色として高く評価されるべき書物である。 (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2000.7.11)

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紙の本

版画に新たな領域を開拓した90年代「天野」。その華麗な色彩芸術のすべてを明らかにするカタログ

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 天野喜孝の絵にはじめて注目したのは、栗本薫の「グイン・サーガ」シリーズ(ハヤカワ文庫、1985年〜)の表紙絵のシリーズからだった。スペース・ファンタジーにふさわしいバタくさい絵柄ではなく、細密に描きこまれた画面から、どこか日本的な、陰花植物にも似た耽美性がにじみだしていて、そこに、妙に見るものの神経を刺激的に逆撫でする、悪魔的な毒を感じたのだった。むろん、この「毒」は「魅力」の別名である。
 わたしは、かつて新潮文庫でジャン・ジュネの小説などの装画を描いていた村上芳正の細密画が大好きだった(村上芳正は一時期、三島由紀夫や『家畜人ヤプー』など、耽美的で危険な書物の装画を一手に引きうける売れっ子だった)のだが、同じ「耽美細密派」のイラストとはいっても、天野の絵には、村上の淡白さとは決定的にちがう「濃さ」があって、この毒々しい濃厚さにこそ、天野喜孝の絵のオリジナリティがあった。
 その天野が1990年代には、イラストから版画へと力点を移動させ、本書に集大成されるような華麗な世界を開花させた。ここに、日本の伝統である浮世絵版画から始まって、モロー、クリムト、ビアズリー、エルテなどの影響を指摘することも可能だろう。だが、天野自身のスタイルの変遷について語るならば、版画においては、色彩の軽さが際立ってきたように思われる。相変わらず線描は細密だが、そこに乗る色彩はあくまでも澄んで、ときにポップアートのような人工的な鮮烈さをも恐れない。
 この色彩の変化は、天野の毒が薄れたというよりも、時代が完全に天野の感性に追いついて、かつての陰花植物が顕花植物になる資格を得たという事情と結びついているであろう。天野喜孝の絵はかつてのオタク的マイノリティを脱して、時代の普遍的な美の水準に達したのである。本書を開けば、そのメジャーな天野の開花のさまが手にとるように確認できる。 (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2002.06.06)

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