高山宏さんのレビュー一覧
投稿者:高山宏
10 件中 1 件~ 10 件を表示 |
紙の本色彩論
2001/10/11 19:28
科学という名の文学
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先の1999年がゲーテ生誕250年ということでゲーテ再評価の動きが目立ったし、我が池内紀氏が長年の夢を悠々自適暮しの中で精力的に実現する中で改めて多面のゲーテの姿を論や『ファウスト』名訳で掘り起こしている。そんな中でも昨年度工作舎から翻訳の出たゲーテ『色彩論』は白眉と言えたが如何せん超豪華・超高価。それが一方で文庫版もあるということになった有難い一冊である。
一国の宰相でありながらロマン派文学の大文豪であるゲーテにもうひとつ、実はロマン派が淫した自然科学分野の代表的存在としての顔がある。DNAも知らないのに植物細胞の二重ラセン構造を見抜いた植物論とか。そしてもうひとつの大業績が『色彩論』。ニュートンの『光学』で始まりゲーテ色彩学で終った18世紀とは何、それを終らせたロマン派の「青い花」とは何だったか改めて考えさせる。「何かの快が去っていく時、それを追う目はおのずと青を見る」などと、これは科学という名の文学なのである。(高山宏/英文学者 2001.4.3)
紙の本知の編集工学
2001/10/11 20:06
あざといまでの説得術が見事
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いま現代思想は世界と人間のやわらかい関係を求めようとしていて、たとえば「アフォーダンス」という観念が問題だが、専門家に聞けば聞くだけ分からなくなる。それが説得の天才セイゴーにかかると、人はソファに坐るように言われてどうするかという話であっさり納得させられる。きみは「腰を降ろそうとしつつも、すばやくソファの柔らかさを予測しながら、その関係の間合いをとって、じょじょに腰を降ろ」すだろう。「私たちはソファに坐る前に、自分自身の体の一部をソファ化しているということなのである」。この能力がアフォーダンスだし、つまりは対世界のスタイルとしての編集能力の骨子なのだ。いや、何とも絶妙。
このあざといまでの説得術で一九八〇年以後の混迷の現代思想を「編集」というテーマで鮮やかにチャートし直す最強の現代思想入門書。主婦の日々の切りもりこそ奇跡的な編集工学だというところで全て納得。編集者になるノウハウ書では絶対ないので注意!(高山宏/英文学者 2001.2.27)
紙の本三つの小さな王国
2001/08/28 14:15
マニエリストの物語論
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視覚文化論とメタフィクション論が互いに交錯しながら時代の華だった二十世紀の最後の四半世紀のマニエリスム気分を、カルヴィーノ流のはっきりヨーロッパ的奇知をもってすくいとるミルハウザー。その時代が十九世紀初めのロマン派と直結しているとする文化史観の持主でもあって、この作家の度を越した人工物偏愛を解く最大の鍵は本当は種村季弘のロマン派論、『怪物の解剖学』以外にない。マニエリスムさえ遠望するこうした新しいロマン派観に不可欠な作家で、もの知らずなアメリカ文学研究者には荷の勝ち過ぎる相手かもしれないなあ。
この短編集もそういうミルハウザー趣味の満漢全席(柴田訳絶好調)。ロマン派の頃の絵画史、今世紀初頭のアニメ映画誕生史を実に生き生きと伝える。展覧会カタログで画家の愛の悲劇を語り継ぐなんて何故カルヴィーノが夢みて果たせなかったアイディアそのもの。一定主題の変奏でしなない物語がしかし何故こうまで無限に豊かなのか、とマニエリストの物語論が全篇を一貫していく。(高山宏/英文学者 2001.7.31)
2001/01/26 19:56
図像学やネオプラトニズム研究の最新成果を次々紹介していく熱い語り口
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今われわれがその終りに立ち会っているという噂のある近代という時間の始めであったルネサンスとは何か。人間が神から離れて自我の尊厳にめざめた栄光の時代なんていう十年一日のルネサンス観が中・高の教科書に未だに生き延びているのに驚かされる。レオナルド晩年辺り(十六世紀初め)からむしろ現在に酷似した絶望と希望ないまぜの複雑な時代になり、この暗黒のルネサンスを背景にこれまた非常に今日的に雑多なものが混淆した知的豊穣の時代が繰りひろげられた。そういう知的混淆のルネサンス像が一九六〇年代に一大復権を見たが、その代表的論文が林達夫の「精神史」。図像学やネオプラトニズム研究の最新成果を次々紹介していく熱い語り口は澁澤龍彦「魔的なものの復活」、山口昌男「失なわれた世界の復権」とトリオになって、改めて一九六九年とは何だったか考えさせる。そこには読み知ること、繋げることのふるえるような知的快感があったが、今それはあるか、と。
2001/09/06 17:27
大人のうつろな冗舌を知る前の少年の世界
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漫画家を父に持ち、自らも漫画家を志しているらしい少年主人公JUNの青春を描く。漫画誌『COM』連載の二十七回分をメインに単行本化したもの。各篇十ページそこそこの作だが、それぞれが感傷と滑稽、精密と奔放といった極をいくトキワ荘漫画文化の最も「トンガッタ」部分を示す実験的なもので、このめまぐるしい交錯をどう受けとめるか。
それが多感な思春期というものだといえばそれもよし。十七歳くらいで行くところへ行ってしまういわゆる「二十歳(はたち)のエチュード」(原口統三)テーマの傑作だろう。サイレント映画みたいに言葉のないイメージだけの世界は、大人のうつろな冗舌を知る前の少年の世界とみえてくる。青春と漫画が構造として似通っていることを思わせ、漫画を通してイメージと言葉の関係を考えさせるという点では林静一の奇跡的名作『赤色エレジー』と同じなのが改めて面白い。
漫画は「萬画」だと言った石ノ森章太郎。主題の上でも技法の上でも「すべてを」試してみようとするこの作は要するに戦後漫画の青春、そして団塊世代の青春そのものである。(高山宏/英文学者 2001.6.5)
紙の本エロスの涙
2001/09/11 15:38
小さな死
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ルネッサンスも暮れ方、マニエリスム時代の恋愛詩は、世相が今とそっくりということもあって、リーベストース(愛は死だ)の主題を好み仲々煮つまっていて強烈だ。たとえば男女媾合の絶頂のエクスタシーの刹那を“die”という語で表わす。「いぐっ」と叫ぶ代りに押し殺したような声で「死ぬう」とうめく床上手の女を何人か知っているが、これは深いっ! そのエクスタシーという言葉だってアクメの恍惚という意味になる前に、「脱我」、つまり個としての死という哲学的、神秘宗教的な意味の歴史の方がはるかに長い。ベッドの上の愛の恍惚を日々の「小さな死」と呼ぶのがバタイユの、性の形而上学の1960年代(澁澤龍彦の時代)を切り開いたこの戦慄の書。
人間は世界から自らを孤立させることで「人間」になった。つながりが生である世界の中での死の存在と化したわけだ。その孤独を再びつながりの方へ返してくれる「エロス」は、逆に個/孤になれきった人間にとってはその個の死を意味する恐怖の暴力としてある。エロティック美術史としてもいまだに最高。ぼくの恩師の渾身の新訳も嬉しい。(高山宏/英文学者 2001.5.5)
紙の本比較文学 新版
2001/08/31 15:59
時世が名著にする本
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平賀源内に『風流志道軒伝』という、大人国や小人国への架空旅行譚があって、だれがみてもスウィフトの『ガリヴァー旅行記』とそっくり。さあ、だから何なのか、どう説明すべきなのかというところから「比較文学」という不思議な世界のお世話になる。半世紀も源内作の方があとながら源内が英語を解した可能性は少ない、どうも中国ネタらしいとかとか。
作家がそれまでに読んだものの範囲でしか書けないのと似た意味で、読者もそれまでに読んできたものの範囲でしか読ま(め)ない。ということはあらゆる読書がそれまで読み知っている何かとの比較で進行しているわけで、あらゆる文学行為が「比較」文学なのだという一段深いところでの問題など一切無縁の本。
外国文学との比較から文学外の諸分野との比較まで淡々と整理してくれる。それなのにこういう本が妙に緊迫して読めるのは、学問研究としての「文学」の意味と(不)可能性が大学リストラの中で厳しく問われる御時世のせい。時世が名著にする本があるのです。(高山宏/英文学者 2001.6.29)
紙の本天使から怪物まで
2000/12/14 15:40
難解な異端派澁澤は案外文庫読みに向いたポップな作家
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主な作品はすべて文庫化されて、難解な異端派澁澤が案外文庫読みに向いたポップな作家だと知れて面白い。短いものの集まりだからどこででも読めて好きな所で止められるアンソロジーの仕事が一番文庫に適しているわけで、どうして出ないのかと思っていた三巻本澁澤龍彦コレクションが鶴首待望の文庫化。
澁澤に限らず種村季弘、荒俣宏、須永朝彦といった異端知の開拓者が皆、同時に一流のアンソロジストだというのが改めて、断片と総合のはざまで今「集める」知性が面白い時代なのかと思わされる。断片がきららかだ。
なかでもこの『天使から怪物まで』。サド裁判の性文学者に過ぎなかった澁澤を一挙、読書界の寵児にした名著中の名著『夢の宇宙誌』のエッセンス、ないし素材が百十八篇の文学作品の引用で愉しめる。御存知、大悪魔サタンは元は最高の天使だった。純潔と邪悪なる二元論のうそを、未分化な選ばれた混沌をテーマに突く澁澤の方法が自然に伝わる。
2000/11/09 12:00
エーコが書いた本についての本
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新しい文学なんて古い文学の組み換えにすぎない。なんだか遺伝子の情報伝達と全然ちがわないものとして文学を語ってしまえるようになったのが二十世紀後半の文学だったのだと、改めて確信させるのが、主に一九六〇年代にエーコが書いた本についての本とでもいうべき小品を集めたこのふしぎな作品集だ。
相手がダンテであれカントであれ、聖書であれ前衛映画であれ、およそテクストと名のつくものなら何でも、先行者をパクり、順列組合せし直したものだということを見せてしまう。しかもそれを後の『薔薇の名前』の大エンターテイナーを十分予測させる変幻自在の「歴史改変」の掌編の形でやってくれるのだからこたえられない。こういうドライな文学としてジョイスの超難解作を分析したエーコの理論書『開かれた作品』の邦訳版が肝心のジョイス論を割愛したものだっただけに、マンゾーニ=ジョイス説をぶちかました収中作は有難い。訳の成否が決定的だが、名訳。
紙の本図の劇場
2000/11/08 18:21
図像の総まくりを通して近代がいかに視覚的文化だったかを改めて納得させてくれる一冊
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絵といえば美術館の壁上に長方形の額縁で囲まれて存在しているものとのみ思う美術史や美学の旧世界に止めを刺し、博物図譜だの観光名所図だの、長くB級図像として研究の受皿さえなかったヴィジュアル材料とひとしなみに名画の類を論じようというのが、万能の奇才荒俣宏の、ヴィジュアル文化論への最大の提言だった。そういう広義化された絵の読み方をおそらく世界で初めて体系化した氏の『想像力博物館』(作品社)は衝撃的だったが、一般読者の財布には少し高価すぎた。
「図は概念を伝える文字」として、その解読法を教え、「美学とは性格を異にする図像」の図像学を提示してみせるという点では『図の劇場』は、そっくり『想像力博物館』の意図を引きついでいて、しかも安い小型本だった。それがさらに文庫になった意義は大きい。
エンブレムからピクチャレスクまで、かつて見落とされていた図像の総まくりを通して、近代がいかに視覚的文化だったか改めて納得。
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