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アルテミスさんのレビュー一覧

投稿者:アルテミス

66 件中 16 件~ 30 件を表示
かなり気がかりな日本語

かなり気がかりな日本語

2004/04/18 10:17

言葉に対する鈍感、無神経。そしてそれをもたらしたもの。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 マラソンの有森裕子選手は、「自分で自分をほめたい」と言った。
 これが巷間に流布するうちに「自分で自分をほめてあげたい」と変形し、自分に対し「あげたい」とはどういう日本語だ、という論争になったことがある。有森選手は心外であったに違いない。

 この言葉のすり替えが起こったのは、「ほめてあげたい」を自然と思い口にする人が多数いたからであろう。しかし、この言い方は、たとえ対象が自分以外であったとしても、間違いである。

 「ほめてあげる」は、「ほめてやる」の「やる」だけを切り離して「あげる」と謙譲表現することにより丁寧にしたつもりで使われているのだが、そもそも「ほめる」とは目上が目下に対してする行為であり、目下は目上を賞賛することは出来ても、ほめることは出来ない。
 目下に向けてしか使えない言葉は、その言葉を選択した時点で主語が目的語より目上であると示しているので、主語は目的語に対し謙譲しようがないのである。

 言葉の選択に鈍感になり、それを補うために誤ったかたちで丁寧になっているのだ。

 誤った丁寧語が広まる過程において、マスコミの責任は大きい。
 視聴者(聴取者、読者)からの苦情を極力減らそうと、過剰に丁寧にかつ婉曲にした結果、敬語表現が混乱し、それを検証することも出来なくなっている。
 それを聴いて育った世代が、まともな敬語を使えなくても、それは彼らの責任ではないだろう。

 「大人たちは、(中略)まともな日本語なるものを(中略)きちんと教えなかったこと、(中略)教えられるだけのまともな日本語を実は自分達が身につけていないことを反省した方がよい。」
 本書の序文にこうあるが、「まともな日本語を教えなかった」だけならまだしも、間違った日本語を(というより間違ったコミュニケーションの仕方を)強制する事例さえ見られる。

 本書は、コンビニの「やまびこ挨拶」(店のあちこちから「いらっしゃいませえ〜」「ありがとうございましたあ〜」と叫ぶ、あれ)は、客に向けてのものではなく、店員の士気を鼓舞するためのものだと喝破している。

 「やまびこ挨拶」は私も不快と感じるが、最近では諦めている。
 しかし、私のよくいくガソリンスタンドは、挨拶だけでなく、客に問いかけ返答を期待する言葉までが「やまびこ挨拶」化してしまって、これにはどうにも慣れられない。
 目の前にいる相手に「レギュラーですかハイオクでしょうか満タンでよろしいでしょうかあっ」と、大声で一息に叫ばれても、聞き取れないし、問いかけられている気がしないのだ。
 おまけに、新しく入ったアルバイトが穏やかな口調を用いたときなど、客である私が「お、この人はまともにしゃべってる」と思っているのに、先輩だか正社員だかが「そうじゃなくて」と、「やまびこ挨拶」化した言い方をわざわざ教え込んでいるのである。
 「そうじゃなくて」はお前の方だろうが、と言いたくなったものだ。

 本書の「かなり気がかりな日本語」というタイトルは、内容を的確には表していない。
 気がかりの対象は、他者とまともにかかわろうとしなくなってきている社会であり、その結果としての、言葉に対する無神経であるからだ。

 言葉は最大のコミュニケーションツールである。
 電話機でたとえると、「言葉の乱れ」は電話機の故障である。壊れていては通話することが出来ないのと同様、言葉が間違っていては、伝えたいことが伝わらない。
 電話機は壊れていないが、通話しようとしないのが「やまびこ挨拶」であり、受話器を取っても送話部分を耳に受話部分を口に当てているのが上記のガソリンスタンドであろう。

 壊れた電話機は修理し、ベルが鳴ったら受信し、あるいは自分から発信して、正しく扱えば通話ができる。
 「電話機(言葉)」が活用される社会であって欲しいものだ。

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物語イタリアの歴史 解体から統一まで

物語イタリアの歴史 解体から統一まで

2003/09/15 11:12

「イタリア史」の見事な成功例。

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「イタリア史は可能か」、という問いがある。
 西ローマ帝国崩壊後、イタリア半島およびシチリア・サルデーニャ島が統一されるのは、19世紀のイタリア王国建国まで待たねばならない。その間「イタリア」は分裂し、ある地域は都市国家として独自の道を行き、ある地域は「イタリアの外」の国家に征服されその支配の下に忍従する。「イタリア」にある歴史はそれぞれの地域史で、「イタリア史」ではない、とする意見は一見もっともである。

 「イタリア史」と題した書物でのこの分裂期間の処理は、二つのパターンがある。
 ひとつは、大まかな傾向を述べて、それに代表例を付け加える、というもの。これは無難な方法であるが、歴史の表面をなぞって終わることになる。
 もうひとつは、有力であった5つの国(ローマ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ミラノ、ナポリ−シチリア)を交互に述べてゆく、というもの。前者よりは掘り下げが可能であるが、内容が散漫になりやすい。第一その5つの地域も長期にわたって一貫した国体を維持しえたのはローマ法王庁とヴェネツィア共和国だけである。

 しかし、この期間のみを取り上げながら、見事に「イタリア史」となっているのが本書である。
 目次をさらっと見ただけでは単なる人物列伝のようである。しかしその人選は、時代を積極的に動かしていった人物ばかりでない。10人のうち支配者層に属すのは半数のみ。残り5人は、(著名人ではあり周辺への影響力のあるものもあるが)あくまで個人レベルで苦闘していたにすぎない。
 ではこの人選の基準は何かといえば、それはそれぞれの時代の精神を、少なくともその一方の極を体現している、ということであろう。
 時代に翻弄される人物を生き生きと描き出すことによって、その時代への関心を高め、主題となっている人物には直接には関係のない国際情勢も興味深く読ませてしまう。そうして語られたイタリア全体にかかわる問題への知識は、次の人物を語る際の下敷きとなり、読者は10人の生涯をたどるうちに、イタリア全域における時代の流れを把握していることとなる。

 これは、従来どおり歴史を国(地域)単位で著述していては困難な手法である。人は、国家だの政体だのに同情はできても感情移入まではできない。
 この手法は、「物語」と「歴史」の分離が現代の思潮に及ぼす影響を危惧し、国家という枠組みへの依存を憂慮する著者の、試行錯誤のひとつであるとあとがきに明示されている。
 私は、見事な成功例であると思う。著者の試みが成功しているということと、さらに、読み物として面白いという2点において。

 余談だが、本書の成功に気をよくしたのか、この後に出版された中公新書の各国史がみな「物語 …の歴史」というタイトルになっているのはいかがなものか。著者が本書で試みた「物語と歴史の再融合」、および、「国家という枠組みからの離脱」という趣旨が、忘れられてしまうように思う。
 

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舞闘会の華麗なる終演 暁の天使たち 外伝1

舞闘会の華麗なる終演 暁の天使たち 外伝1

2004/04/02 08:30

読んでいる間の楽しさなら星3つ。読後に評価すると星1つ。しょうがないので星2つ。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 困ったものだ。

 茅田作品をずっと読んできた人なら、読んでいる間はたのしいし、事実私は数箇所で笑った。
 しかし、同人誌でもあるまいに、舞台裏というか内輪ネタというか、前巻で書き落としたこぼれ話だけで1冊書いてしまうというのはいかがなものか。しかも1冊では書き足りなくて、まだ出すつもりであるらしい。

 著者が空想の中でキャラクターと遊ぶのはいくらでもやって欲しい。著者自身が遊べないようなキャラクター小説は、読者にとっても楽しくはないだろうから。

 しかし、それを垂れ流すのは、プロの作家のすることとは思われない。
 本編のストーリーと離れたところでの登場人物の物語という、「ちゃんとした外伝」ならばいくらでも書いていいと思う。が、本書は別のストーリーが展開するわけでもないし、既出のキャラクターの意外な側面が現れるわけでもない。

 読んでいる間の楽しさも、既刊とくらべてレベルが低い。
 当然である。茅田作品の面白さはキャラクターの暴走の爽快さにあるのに、本書は暴走の後始末のみで構成されているからだ。

 たちが悪いのは、こぼれ話だけでもそこそこ楽しいことである(既刊よりは落ちるにしても)。
 「楽屋ネタはいい加減にしろよなー」と文句を言いつつ、また読んでしまうであろう自分が想像できるからだ。

 まったく、困ったものである。

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ハリー・ポッターと賢者の石

ハリー・ポッターと賢者の石

2004/03/20 13:32

この作品の大成功は、ファンタジー界にはマイナスだった。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 流行り過ぎてると読む気をなくすという性分のせいで、この本を読むのが遅くなった。
 で、遅ればせながら読んでみて。

 しまった、もっと早く読むんだったとは、残念ながら思わなかった。
 いや、流行っているだけのことはある、とは思う。読書嫌いな友人の息子がこれだけは一生懸命読んだ、というのもわからないではない。少なくともページを繰らせるだけの力はある。
 子供を夢中にさせる筆力というのも、才能の一種であるとは思うし、その意味での才能は、著者に備わっているとも思う。
 本作は、魔法など現実には存在しないが読んでいる間だけは存在するのだと子供をだますことができる、非常に上手い「子供だまし」だ。(この場合の「子供だまし」は、ほめ言葉として使っている。)

 でも。
 この本に、何か新しいものがあるだろうか?
 先人達の創造した数々のファンタジーの名作の、ヴィジュアルなわかりやすい部分だけを抽出して、子供向けに提示しなおしただけのしろものではないか。

 子供ならともかく大人でこの本を傑作だと思っている人は、たぶんファンタジーになじみがなかった人なのだろう。
 そして、そういう人たちはこの本によって、ファンタジーとは子供向けの本であるという認識を新たにするのだろうな、と思うとがっくりくる。

 たいていのファンタジー好きの人は、子供だましな本が好きなんだな、と思われることにうんざりしているのではないだろうか。(この場合の「子供だまし」は、当然ながらけなし言葉である。)

 大人も楽しめるファンタジー、という言い方には心底腹が立つ。ファンタジーが子供のものであるという前提に立ってのものであるからだ。
 そのせいで、ある程度の年齢に達しないと味わい得ない大人向けのファンタジーの市場が不当に小さくなり、日本人の創作の出版も海外作品の翻訳もされにくくなっているような気がしてならない。

 この作品の大成功は、日本のファンタジー界にはマイナスだったと思う。

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秋山好古

秋山好古

2009/03/09 04:22

水野広徳を読む ― 祝、復刻! 平和主義の元軍人による軍人の伝記。本書がなかったら、あるいは『坂の上の雲』は別物となっていたかもしれない。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本年(2009年)秋より3年かけて、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』がNHKにてドラマ化され放送される。
 
『坂の上の雲』の主人公は俳人正岡子規、海軍の名参謀秋山真之、そしてもう一人、真之の兄にして陸軍騎兵の父、秋山好古。
司馬氏が好古の人物像を描くに当たって、もっとも活用したと思われるのが本書だ。
本書では秋山好古の誕生から臨終までが、数多くの資料や、家族や交流のあった人々の証言を用いて活写されている。
 
好古の業績で最大のものは、無きに等しかった日本陸軍騎兵を育て上げ、日露戦争の陸戦最大の危機、黒溝台会戦で左翼を守りきった、という事にある。
世界最強といわれたコサック騎兵を劣弱な日本騎兵がしのぎ得たのは、騎兵を馬から下ろして機関砲を持たせたからだ。
 
これはとっさの判断などではなく、日露関係の雲行きが怪しくなっていくのを見据えて、どうすれば対抗できるかを開戦前から考え抜いて準備した好古の深慮による。
本書には、好古が日露戦争を前に機関砲の導入を訴えた『本邦騎兵に附属すべき騎砲(速射機関砲)に関する意見』が収録されている。 
 
また、本書では多く語られないが、永沼挺進隊によるロシア軍後方の攪乱でロシアに後衛へ多くの兵を割かせ数で劣る日本軍にその不利を減じさせたことや、『敵中横断三百里』で知られる建川挺進斥候隊の得てきた情報など、好古の育てた騎兵たちの活躍がなければ日露戦争の趨勢はどうなっていたかわからない。
 
だが、本書を初めて読んだときはむしろ意外であった。
戦前に刊行された軍人を顕彰するための本であり、軍功も充分に述べられているのに、軍国主義の臭いがほとんどしない。
 
好古が戦勝後凱旋帰国する際に部下たちへ送ったのは、軍人としての精進を説いた訓示ではなく、人としてまっとうに生きよとの歌であった。
 
弟の真之は兄以上の変人で、しかも敵を作りやすい性格なのだが、彼が規律にうるさい軍人社会に一応は適応し得たのは、兄の指導のおかげだろう。真之は、晩年に至るまで「自分がこれまでになったのは、陸軍の兄のおかげだ」と口にしていた。
 
また、現役を退いた後、故郷の私立中学校(北与中学校、現在の松山北高校)の校長を六年強も勤めている。
その間は、校長は軍人ではないと背広で通し、軍服姿を披露したのは紀元節(今日の建国記念日)の式典に大将姿を見たいと周囲に懇願された時、ただ一度であった。
 
本書によって浮かび上がってくるのは、赫々たる武勲を立てた軍人の偉人像というよりは、むしろ、厳しさと無頓着さを合わせ持ち、人間味豊かな好古の大きな人柄である。
 
いささか不思議に思っていたのだが、松下芳男の手になる『水野広徳の伝記]に、本書は「先生(水野)の立案指導のもとに、先生と筆者とが協同編著したものである。」とあり、また、水野の書簡(『水野広徳著作集』第7巻に収録)にそれを裏付ける記述を見つけて、納得した。
 
水野広徳は海軍軍人として大佐にまでのぼりながら平和主義に思想転換し、軍への残留を促す声を振り切って評論家に転じた人物である。また、松下は中尉の時に社会主義思想に染まったとして陸軍を追い出され、のち水野の平和思想の感化を受けた。
元軍人の平和主義評論家という特異な編纂者二人は、軍事的功績を正当に評価する眼を持つと同時に、昭和初期を染めた軍国主義から自由であった。
 
しかも水野はその文筆活動を公式戦史編纂から始めており、資料を幅広く集めて全体像を把握すると同時に細部まで検証するという作業に慣れている。
本書の前には好古の弟真之の伝記の立案監修をつとめたり、東伏見宮や故郷の代議士の伝記を書いたりもしていて、伝記編纂の経験もある。
 
好古は、伝記作家に最良の人物を得たといって良いだろう。
 
もしこれが別人によって書かれた軍国主義のふんぷんとしたものであったら、あるいは思想的な臭気はなかったとしても伝記として拙劣なものであったら、好古は『坂の上の雲』の主人公にはなりえず、メインキャラクターの一人にとどまったかもしれない。
実際、本書は最初別人によって書き始められ、その出来の悪さに水野が引き受けたという経緯がある。水野自身は「下らぬ責任感」と書いているが、本書や『坂の上の雲』の読者にとっては、まことにありがたい責任感であった。
 
なお、本書に水野と松下の名が載らなかったのは、二人とも反戦思想による発禁処分の経験者であり監視を受けていたためではないかと思われる。
 
今日、好古の伝記で入手の容易なものは数種あるが、そのほとんどは、本書の内容を薄めて書き改めたものにすぎない。『坂の上の雲』で活写された好古をもっと知りたくて読むには、はなはだ物足りないものである。
『坂雲』ファンであればどうしても読みたくなるのが本書であるが、戦前に限定刊行されて以来これまで一度も復刻されておらず、極めて入手困難であった。
 
しかし、朗報である。
本年4月、弟真之の伝記『秋山眞之』(前述の、水野が立案監修したもの。真之についての評論などで、代表者の名をとって桜井真清著とされているものである)とともに、復刻されることとなった。既にパンフレットの発送が始まっている。
(中村彰彦氏の推薦文に拙文が引用されているのを見て驚いた。が、これは私が素人研究者として優秀だからというより、単に秋山兄弟と水野とを並行して調べるカワリモノが少ないという事情によるものだろう。)
 
版元からの直販のみでリアル書店にもオンライン書店にも卸さないとのことであり、bk-1さんに申し訳ないので、こちらへの直接のリンクは遠慮する。入手方法をご希望の方は、拙サイトに入手法を載せてあるのでそちらをご参照いただきたい。
 
なお、部数限定なのでお早めの予約をおすすめする。

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此一戦

此一戦

2008/02/27 07:19

水野広徳を読む ― 今日でも通用する日本海海戦の戦記。そして、反戦軍人の「軍国主義者」時代。

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は自らも戦闘に参加し、後に海軍の公式戦史『明治三十七八年海戦史』の編纂に従事した海軍軍人が、日露戦争の帰趨を最終的に決した、日本海海戦の経緯を一般に広く知らしめる目的で書いたノンフィクション・ノベルである。
 
現役軍人が僅か6年後に書いた本であるから、機密やら規則やらに縛られて書きにくいことや書けなかったことが多いのではないかと思うが、改めて読んでみると情報量が多いのに気づく。
たとえば、1991年の戸高一成氏の論文「日本海海戦に丁字戦法はなかった」(『日本海海戦かく勝てり』に再録)でクローズアップされた、実行されなかった奇襲作戦があったことがちゃんとわかる。
また、1999年の野村實氏は著書『日本海海戦の真実』で、野村氏は戦前の資料で密封命令について触れているのは、「筆者が調査した限りでは水野広徳の『此一戦』のみである。」と書いている。
(ただし、1907年刊の塚本義胤『朝日艦より見たる日本海海戦』に、「(略)一の重要な文書が来た。長官幕僚から艦長宛のもので、厳秘の朱印が捺され、信号又は無線電信にて開封すべしと表記してある」との記述はある。)
 
無論、書けなかったことはある。
日本海海戦を語るとき、抜きに出来ないのが丁字戦法であるが、本書では敵前大回頭は東郷平八郎のとっさの判断であるかのように描かれている。
3年後に刊行の著者の『戦影』にははっきりと丁字戦法の文字があることから、練り上げられた戦策があったことを当初は隠す雰囲気があったものと思われる。
 
また、昭和になってもなお極秘であり続けた連繋水雷(機雷を数珠つなぎにしたもの)についても、まったく触れていない。ために、水野の属する第10艇隊は、本書を読んでも魚雷数本を放っただけで、著者本人はこんなものかという気がしてしまう。実は、魚雷発射の後に敵艦の前面を横切って連繋水雷を投下しているのである。(海軍軍令部『極秘 明治三十七八年海戦史』備考文書第87号)。
水野にしてみれば、自分達の活躍を抜きにしても、同郷の先輩秋山真之の発案になる新兵器についてまったく書けないというのは歯がゆかったであろう。ちなみに、秋山と水野は血縁こそないものの遠い親戚で、また、秋山を研究する際の必須資料である昭和8年刊の伝記『秋山眞之』は水野が立案監修したものである。
 
しかし、書けなかったことを補足しさえすれば、本書の記述は今日の目で見ても誤りがほとんどない。
実戦に臨んだ経験に加え、戦後は公式戦史の編纂委員として厖大な資料に接し、かつ現地調査に赴いたり、各局面の当事者に問い合わせたりしていた著者であるから、意図して書かなかったことを除けば、事実との相違の発生する余地がないのである。
 
日本海海戦についての本は数え切れないほど出ているが、戸高一成氏の新説に混乱したり、真実とうたいながら間違いだらけの本に惑わされたりする前に、基本的な知識を得る手段として、本書を第一に推薦する。
明治時代の言い回しに対する慣れを若干必要とはするものの、文体も躍動感に優れており、読み物としても極めて面白い。
明治44年のこの版は絶版であるが、2004年に復刊されたものがあり、こちらは現代人に読みやすいように配慮して編集されている。
 
一方、水野の思想面からも興味深い。
 
水野は後に第一次世界大戦の戦中戦後にヨーロッパを訪れて、今後の戦争は軍人だけのものではなく、戦勝国においてすら国民すべてを巻き込む悲惨なものであり、まして敗戦国の惨状はそれ以上であるとの認識を得て思想転換を起こし、平和主義評論家として活動することになる。
 
その水野は本書を軍国主義者が書いたものとして一時期絶版にした(のちに復刊を認めている)。
 
確かに、軍国主義者の発想だと思わざるをえない部分はある。
「軍人戦いに臨む、営を出づるの時、国家は既にこれに対して死を要求しているのである。故に敵を破るためには、たとい部下を全滅せしむるも構はないのである。」という一文。
また「名誉の降伏」という言葉に反発し、捕虜となる前に全力を尽くして戦ったとしても、つかまるまでの行為が捕虜となった恥辱を償うに足るだけとして「どちらかといえば、むしろ戦死した方が、より多く名誉である。」というのもそうであろう。
 
しかし、水野の「軍国主義」は、軍隊による領土拡大が日本の発展をもたらすという、一般的な軍国主義とは意味合いを異にする。
「元来今日の国際公法なるものは、単に紙上の空文に過ぎずして、たといこれを犯し、これを破るも、なんら世界的制裁を加ふるの機関がない。」の文章に続いて、軍備の貧しい国は軍事大国の前に従わざるを得ない事例を示している。
水野にとっての「軍国主義」は、弱者であればこそ軍備を蓄えなければならないという自衛の発想なのである。
 
また、水野は戦闘中こそ闘志満々だが、その結果生じる事柄を厭う気持ちが強い。
味方の死傷者を悼むのは無論だが、敵に対しても壊れかけた救命ボートで荒れた海に漂流するのを見て、「事情許すならば、此の勇敢なる敵をば、救助してやりたきが吾人の情である」と書き、さらに、部下の命を救うため、人事不省に陥った上官を救うため、処罰を辞せず降伏する司令官や部下を人道上からは賞賛すべきとしながら、軍律上それは許されない、「ああ兵は凶器なるかな! を叫ばざるをえない。」と書く。
 
敗戦を恐れる気持ちと、戦争自体を厭う気持ちとの両方が水野には初めから存在し、前者が強かったのが前半生、後者が強くなったのが後半生なのである。
このことは、思想転換後の評論に、より具体的な論理として明確に書かれている。
 
処女作は著者のすべてを内包するといわれる。
反戦軍人水野広徳を知る上で、極めて興味深い著作である。
 
付記。
本書が無許可出版であったため軍から処罰を受けたと書かれたものが少なからず存在するが、それは次作『次の一戦』の時の話である。
本書は事前に許可を受けているし、また、東郷平八郎、片岡七郎、上村彦之丞から揮毫、加藤友三郎、伊地知彦次郎、小笠原長生からは序文を寄せられているので、処罰の対象となることはありえないのである。

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此一戦

此一戦

2004/07/08 03:26

娯楽作品として読んで面白く、戦争と平和について考えるに示唆に富む。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 表題の「此一戦」とは、かの有名な信号文、「皇国の興廃此一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」の、「此一戦」である。さらに具体的にいうなら、日露戦争の帰趨を最終的に決した、日本海海戦を指す。
 本書は、日本海海戦に水雷艇長として従軍した海軍軍人がその6年後に発表し、当時のベストセラーとなった戦記小説を、日露戦争開戦100年を記念して復刊したものだ。

 まずは、復刊に当たっての編集部の方針に賛意を表したい。

 ひとつは、現代人が容易に読めるようにと配慮している、ということ。
 明治時代の作品であるから原文はすべて旧字であった筈だが、それをほぼすべて新字に置き換え、更に、ルビをふんだんに振っている。また、現代では使われなくなった語句にはカッコ書きで解説を加えている。
 資料として読もうという研究者には余計なことかもしれないが、本書はそもそも一般に広く読まれる目的で書かれたものである。この配慮は妥当なものだと思う。

 もうひとつ、語句の解説は豊富だが、内容の解説はほとんどしていない点、これも良いと思う。
 内容を解説しようとすれば、現代的見地からの評価を含まずには済まない。しかし、その評価は読者それぞれがするべきものだ。
 当時の人間には常識であったが現代人にはそうではない事柄を述べてある部分もあろうし、その部分だけでも註を入れるべきではないかという意見もあろうが、その線引きをどこでするかというのは難しい。

 次に、読み物としての本書について。

 一言で評すると、面白い。
 実のところ読む前は、本書が当時ベストセラーとなったのは、今より遥かに情報の少なかった時代、歴史的大勝利の経緯を知りたい人が本書以外にその興味を満たす手段を持たなかったからだろうと思っていた。
 しかし、いかにも明治の美文ではあるが、躍動感ある文章は読者の興味を惹きつづける力を有している。
 ことに著者自身がその一員であった水雷艇の闘いを語るくだりとなると、描写のひとつひとつがリアリティにあふれていて、ページを繰る手が自然と早くなっていく。

 三つ目。本書ならではの記述。

 私は日露戦争についての勉強を始めて一ヶ月強にしかならない身なので、この点を評価するには役者不足ではあるが。
 日本海海戦についての本と言うと、まず大抵は「東郷ターン」と呼ばれる敵前大回頭に始まる主力艦隊同士の砲撃戦に多くのページが費やされており、その夜の駆逐艦や水雷艇の活躍はごく簡単に済ませて翌日の敵将の降伏に記述が移ってしまう。
 しかし、小型艦艇の夜襲によって沈んだロシアの主力艦は一隻二隻ではない。
 その経緯を書いた本がないものかと探していた所であったので、本書は大変ありがたかった。

 最後に、この著作に対しての、現代人である私の見解であるが。

 公平である、と思う。
 最後の2章で勝因と今後どうあるべきかについての論述があるが、世界の海戦史上に類例のない一方的大勝利を遂げた側の著作であるのに、驕り高ぶるところがない。
 また、実際の戦闘を描いた部分では、活劇として描写する一方で、戦争が惨事であることを強調してもいる。

 この著者はのちに平和主義者に転じて退役することになるが、その萌芽は本書にも見出しうる。
 軍人でありながら、それも敗北ではなく勝利を知っていながら平和を志向することになった人の著作は、現代の日本人にも示唆するところは多いのではなかろうか。

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日露戦争物語 第12巻 天気晴朗ナレドモ浪高シ (ビッグコミックス)

日露戦争物語 第12巻 天気晴朗ナレドモ浪高シ (ビッグコミックス)

2004/06/13 10:06

おねがい、長生きしてね。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 すっかりはまってしまった。
 明治時代、そして、明治時代の国際社会における日本の位置というものをここまで描き出したマンガというのは珍しいんではないだろうか。

 単なる戦争マンガであれば、戦争に至るまでの外交の駆け引きの外側だけ書けば事足りる。しかし、この作品では、深刻な国家財政や公害問題など、明治の日本が抱えていたさまざまな事柄が取り上げられており、特に、主人公の親友が正岡子規であったということもあって文学についての記述は詳細である。

 ストーリーの主軸は日本海海戦で作戦参謀を務めた秋山真之の伝記だが、時代の動きと密接に生きた真之の生涯を描くには、時代を描かねばならないということであろう。

 特記すべきは、主人公と直接かかわりのない事柄に関しても、ト書きで済ませる事なくちゃんとキャラクターを配していて、生き生きとした物語として成立させていることだ。
 だから、主人公がまだ下級士官で目立った活躍をしていないという最近の数巻では主人公の登場ページがかなり少ないが、読んでいて飽きると言うことがない。

 無論、一作品だけで明治を分かった気になってしまうのは危険だ。
 本作みずから、各巻のはじめに「創作部分もあります。ご注意下さい。」と断り書きをつけている。
 しかし、これだけ詳細に書かれると、どこまでが史実でどこが創作なのかを見極めるのは大変な作業だ。著者も大変だが、読者も大変である。

 とりあえず『坂の上の雲』(司馬遼太郎著・文春文庫全8巻)を読み(これも絶品)、そのほか関連書を10冊あまり買い込んで読みふけっている最中である。

 ただ。
 読みごたえがあるのは大変に嬉しいのだが、『日露戦争物語』なのに、12巻でまだ日清戦争のなかば。日清戦争から日露戦争の間だって10年あるのだから、完結するのはいったい何十巻、何年後になるのだろう。ちょっと気が遠くなる。
 著者の健康と長命を切に願うものである。

 おねがい、長生きしてね。

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自転車ツーキニスト

自転車ツーキニスト

2003/12/21 03:55

二倍おいしい読書。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 しばらく前から自転車通勤をしている。
 18歳から30歳までずっと同じ体重だったのに、30歳になってから毎年1kgずつ増え始め、数年前生活環境が変化してからは、一気にドドーン!と増えてしまったのだ。

 美容面を横においても、急激に体重が増えると何が困るって、手持ちの服が入らなくなること。増え方が半端でなかったので、靴まできつくなった。他にも、立っているのがしんどい、正座が5分ともたなくなるなど(前は、2時間でも3時間でも平気だった)。
 いよいよ危機感を抱いたのは2度目に大台を超えた時で(つまり20kg増えた時)、こりゃやばい、糖尿病になりかねない(親が糖尿病なので、素質は充分にある)、何とかせねばと真剣に考えた。
 ところが。ケチな私はフィットネスクラブの入会金を払う気になれず、しかも不精なため通い続けられる自信もなかった。

 で、思いついたのが自転車である。実は高校時代に部活で、今の勤務先の近くに自転車で通っていたのだ。あの頃と同じスピードは無理にしても、バスと電車を乗り継ぎさらに徒歩という元の通勤手段よりは早いだろうと考えた。自転車代しかお金がかからず、しかも余計な時間を使わないとなれば、いかに3日坊主の私でも続くだろう。
 結果はほぼ予測どおりで、季節が春夏秋と過ぎた現時点で、まだ続いている。体重も5kg減った。減った量が少ないのは、毎日自転車を使っているわけではないため。無理に毎日やるぞと力むと、早々に挫折すると考えた。うーん、私は自分を相当に根性無しと思っているな。
 
 そんな折に、先達の存在を知った。いや、知るだけは前から知っていたのだが、本が出ているのを知らなかった。
 で、読んでみた。

 読む前は自転車通勤についてのハウツー物だと思っていたのだが、そういう章もあるのだが、それよりは自転車をキーワードに、世の中のさまざまなことを考えるエッセイ集の趣が強い。
 自転車での通勤についての文章では、うんうん、そうだよなあと共感した。
 テレビ屋さんという著者ならではの体験には、笑い、怒り、考えさせられた。
 中心となるのは無論、日本の自転車を取り巻く環境である。車道と歩道、どちらを走ればいいのか? スーパーやホームセンターの、あの異様に安い自転車の裏側に潜む問題点は? 自転車泥棒は?
 それに、著者が仕事で出会った国内外の人々の、自転車への思い。
 
 さらに、この本の特色として。
 本書は単行本で出版されていた「自転車通勤でいこう」を大幅加筆修正したものなのだが、その加筆分に書体の違う活字が使われている。そのため自転車通勤初心者の素朴な、そしてちょっぴり感傷的な文章と、それから数年を経た、当時の素朴さに苦笑し訂正し新たな考察を加え、でもやっぱり少しばかり感傷的な文章を交互に読むという、珍しい経験ができる。
 単行本時の著者に近い初心者の私は、元の文章に共感し、加筆分に知識をもらうという二倍おいしい読書となった。

 ただ、同じ初心者と言っても、ベースにある体験が違った。私は、子供用自転車を除けばママチャリしか乗った事がなかった。本格的な自転車に乗って東京から宮崎まで旅したことのある著者とは、道具としての自転車に対する姿勢が違った。
 だから自転車屋のおじさんに薦められるままに、シティサイクルを買ってしまった。シティサイクルとしては高価な部類に属するのでそれなりに軽いし、太りなまった体でも、運動部だった高校生の頃のママチャリより速く走れる。
 でも、スポーツタイプはそんなに軽くて速いのか。ああ、買う前に読むんだった(あ、本書はまだ出てなかったか)。

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レガッタ 6 君といた永遠 (ヤングサンデーコミツクス)

レガッタ 6 君といた永遠 (ヤングサンデーコミツクス)

2006/06/22 02:15

2006年ドイツ・ワールドカップ、日本は3位入賞を果たした。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

事実である。

今年5月に開催されたボート競技のワールドカップ第一戦、ドイツはミュンヘンの大会で、武田大作選手と須田貴浩選手が軽量級ダブルスカルで3位に入賞したのである。

無論、4年に一度きりのサッカーのそれと、毎年転戦するボートのものとは同列に論じられないのは承知である。
特に武田選手は以前に金も銀も経験済みなのだから、銅メダルなんぞを書評タイトルに使われてはご迷惑かもしれない。

とまァこんなタイトル&書き出しにしてしまったのは、サッカーのW杯ばかりが話題になっている事への私のひがみ根性の表れなのであるが、この話題が本書と全く無関係というわけではない。

本書に登場する滝大輔というのが、武田選手をモデルにしているのである。

武田大作選手は愛媛出身、ダイキ所属、主な練習場が松山の梅津寺海岸で、全日本選手権シングルスカルV8。
滝大輔が愛媛出身、タイキ所属、主な練習場が松山の梅津寺海岸で、全日本選手権シングルスカル5連覇。
雑誌連載中に滝が初めて登場したのは武田選手の連覇が5回目か6回目の頃であろうから、少なくとも設定だけはもろにそのままである。

私は武田選手についてはその戦績結果以外ほとんど存じ上げないので(何しろ報道の絶対量がない)、滝のキャラクターが武田選手に似ているのかいないのかは分からない。
しかし、それにしても、設定がそのまますぎる。

たとえばである。
シリアスな野球マンガで、プロ野球入りを希望していた清川君がぜひとも入りたかった球団がドラフト会議で指名したのは、進学を表明していた親友の桑原君の方だった、などという設定があったら、おそらく読者の失笑を買うのではなかろうか。

キャラクターをオリジナルにしたいのだったら設定をもうひとひねり、いやふたひねりはすべきだし、逆に武田選手を登場させたいと思うのだったら、もっと本格的に取材して、実名で描いて欲しかったと思う。

先日行われた全日本選手権で、武田選手は大差をつけてV8を果たした。
本作の大沢のような、武田選手と競り合ってくれるような選手が現れてくれれば、本作と同じ結末も夢でなくなるのだが。

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レガッタ 3 君といた永遠 (ヤングサンデーコミツクス)

レガッタ 3 君といた永遠 (ヤングサンデーコミツクス)

2006/06/22 02:10

イ〜イ顔をするねェ、二人とも。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

1巻で早くも「バケモノ」ぶりを発揮し、復帰してたったの一週間で、現役の後輩に勝ってしまった主人公、大沢。

2巻ではコーチの命で、その後輩、八木とダブルスカルでインカレに出場することとなる。
漕ぎ方も性格もただ力任せで雑なように見える大沢は、ここで意外な先輩ぶりを発揮する。もっとも、リーダーシップと言うよりは、パワーで八木を引きずりまわしているようではあるが。
一方、1巻では憎まれ役だった八木は、大沢のバケモノぶりに触れるにつれ、態度を少しづつ変えていく。

そして、3巻である。

インカレ決勝戦。
ついていけない、終わった、ダメ、と何度もくじけそうになる八木を、大沢はそのつど励まし、引っ張っていく。それに応えて、八木も最後の最後まで力を振り絞る。

ゴール後の八木を、性格豹変などとけなしてはいけない。
もう限界だ、まだゴールじゃないのか、と投げたくなる気持ちを堪えて漕いで、ついにゴールしたときの気持ちを知っている者なら、あんなに憎たらしかった八木が実にかわいくなってしまっても、微笑をもらしつつも納得してしまうのである。

駆け引きで勝つことばかりを知っていて、全力を出し切ることを知らないなにわ大の二人の漕ぎを見て腹がたつ大沢は、とても正しい。(まァ、それを露骨に態度に出すのはおとなげないが。)

だから、「あー、つっかれたア……」と空を仰ぐ大沢の顔も、ぶっ倒れて崩れまくった八木の顔も、どちらもとてもイ〜イ顔なのである。

ツッコミどころはこまごまとあるが、ボートの魅力の肝心要の部分をちゃんと描いている本書は、ボートマンガとしておすすめである。

ただし、評価を星五つにできなかった理由が一つある。
この巻ではないが、オールのブレードで人を殴るシーンが何度か出てくるのである。コメディタッチのシーンばかりとはいえ、これだけはどうしても許せない。

これさえなければ満点だったのだが。

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レガッタ 1 君といた永遠 (ヤングサンデーコミツクス)

レガッタ 1 君といた永遠 (ヤングサンデーコミツクス)

2006/06/05 01:48

著者が未経験者だから描けた無茶な設定と読むべきか、それらを踏まえた上で、主人公は「バケモノ」なのだと感心して読むべきか。

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タイトルのレガッタとはボートレースのこと。つまり、本書はボートマンガである。

 20年以上も前、高校時代に部活でボートをやっていたというだけの私でも、この著者はボート経験者ではない、というのは読めば分かる。

 しかし、日本でボート競技は一般にはなじみがなく、普通はテレビで見たことがある、という程度。それも、競技会の中継などではなく、映画やドラマのワンシーンぐらいであるのがおおかただろう。
 こういうマイナー競技を題材に使ったスポーツマンガというのは競技の解説から始めなければならないので、未経験者にわかりやすく説明しつつストーリーを運ぶには、未経験の著者の方がいいかもしれない。無論、事前に充分な取材が必要ではあるが。

 実際、著者は非常に熱心に取材しているといえる。
 細かいツッコミどころはたくさんあるものの、戸田の風景などは現実にあるものほぼそのままで、懐かしさに涙が出るほどだ。

 とはいえ。
 140ページでキャプテンに言わせているように、
 「一年も休んでてたった一か月でレースなんて……フォーム固めるのがやっと……それ以前に2000mなんて持つはずがないです……」
 というのがボート経験者の常識というもの。それを、ボートではなくても何らかの形で筋力体力を維持していた、という設定もなしに「一週間でいいです」とは。
 ボートを漕ぐ動作というのは斜め懸垂と腹筋運動と背筋運動、ヒンズースクワットをいっぺんにやるようなものである。しかも無酸素運動でありながら持久力が必要という、体力勝負のところがあるスポーツである。いくらなんでも無茶である。
 (あ、こんなこと書いたらボートをやってみたいという人がいなくなっちゃうかしらん。そのしんどさを忘れさせるほどの爽快さもあるんですよ〜。)

 著者が未経験者だから描けた無茶な設定と読むべきか、それらを踏まえた上で、主人公は「バケモノ」なのだと感心して読むべきか。
 まあ、後者だと解釈して読むのが楽しいし、正しいのだろうねぇ。

 なお、この作品は今夏テレビドラマ化されるそうである。
 主演俳優がバケモノになれるかどうかが、ドラマの成否を決めるだろう。がんばって欲しいものである。

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肉弾

肉弾

2004/07/18 17:08

なじみにくくはあるが、現代人には持ち得ない輝きも。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 書名の「肉弾」とは、著者によって造語されたこの書の固有名詞であると同時に、本書の普及によって普通名詞ともなった語である。その意味は、肉体をもって弾丸となす、つまり生身で敵陣に突入することである。

 本書は、日露戦争開戦100年周年を記念して『此一戦』と共に復刊された。
 『此一戦』を読んだからには本書も読まねばなるまいと思ったが、この2作、性格が大きく異なる。

 『肉弾』は、著者にして主人公の陸軍少尉(途中で中尉に昇進)が出征し、遼東半島でのいくつかの戦いを経て、第一回の旅順総攻撃で重症を負って野戦病院へ送られるまでの体験を克明に綴った従軍記である。
 言い換えると、著者や著者の身近な人が実見したこと以外は、少数の伝聞を挿入する以外には書かれていない。旅順を陥とすことが戦略的にどう重要なのかすら、本書のみでは理解できないのである。

 一方、『此一戦』の著者はのちに海軍の公式戦史の編纂にたずさわっただけに、日本海海戦の戦略上の意味や彼我の戦力比較など、大局的な記述を多く含み、また主力艦同士の戦闘では艦隊運動の推移を多数の図を用いて解説する。
 士官水兵個々の戦いぶりや、著者自身の参加した水雷艇の戦闘も描かれているのだが、それは作品全体の一部分に過ぎない。

 また、著者それぞれの個人的資質によるものか、陸軍海軍の体質の違いが著者に影響を及ぼしたものか、おそらく両方であろうが、『肉弾』は、『此一戦』に比べて思想に幅がない。
 『肉弾』の士官や兵士はみなひたすら邁進し、少しでも国の役に立って戦死することを切望する。その覚悟は壮烈であり、無私を極めていて賞賛に値するのだが、徹頭徹尾それで通されると、太平洋戦争後の平和教育を受けてきた現代人にはなじめない。

 本書を読む際には、次のことを常に頭におく必要がある。
 当時の日本人にとって日露戦争は防衛戦争以外の何物でもなく、もし敗れれば日本人はすべてロシアによって奴隷にされるという恐怖が共通認識としてあり、この認識はポーランドなどの例に証明されるように、決して的外れでなかった。
 専制国家であるロシアに敗れれば、仮に戦場から生還したところで明日はなかったのである。

 しかし、上記のようななじみにくい部分を除外して考えると。

 戦場という異常な状況下では、人としての感情はより強く表れて、感動的である。
 友の安否を気遣い、部下の誠実に感動して弟とも思い、上官の厚情に触れて親とも慕う。
 「戦友」とは、このようにして結ばれる絆であるのかと思う。

 また、当時の軍隊の戦場における日常や激戦の様子が、眼前で展開されるかのごとく描写されていて、資料的価値も高い。
 (死傷者続出の場面まで克明に描写されているので、うっかり食後にその部分を読んだら気持ちが悪くなってしまったが。)

 戦後教育を受けて育った私は戦争など真っ平だと思うし、銃後である日本本土の生活も戦費調達のため重税にあえいでいたのだから、明治に生まれたかったとは思わない。

 しかし、1点だけ、明治の人をうらやましいと思う。
 個人の幸福と、社会の幸福と、国家の幸福とがひとつであり、方法論において悩むことがあっても目的において悩むことがなかったことだ。

 100年前と比べようのない豊かな生活を営みながら、幸福というものが何なのか分からなくなっている現代人には、当時の人々の志の純粋さを、まぶしいくらいに思う向きもあるのではなかろうか。

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女帝と譲位の古代史

女帝と譲位の古代史

2003/12/24 05:46

女帝たちは、譲位することによって、あるいはしないことによって…。

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 NHKの大河ドラマ、来年は新撰組である。また幕末だあ。
 NHKさ〜ん。日本には古代史ってのもあるんですよ〜。

 私が大河ドラマの題材にイチオシなのが、古代の女帝、持統天皇である。
 この女帝の人生、ドラマチックなことハンパではない。

 大化の改新をなした天智天皇の娘に生まれ、その弟(後の天武天皇)に嫁ぐ。夫と弟との皇位争い(壬申の乱)に際しては夫を支えて全幅の信頼を得、天武即位と同時に皇后に立てられる。
 夫亡き後、息子(草壁皇子)の即位を図るが、対立候補の甥を殺しまでしたのに、今度はその愛息が急死してしまう。残った孫の軽皇子(後の文武天皇)は未だ7歳。ここに至って、ついにみずから即位する。
 孫が皇位を継げる年齢になるまでの中継ぎとしての即位であったが、単なる玉座の飾りではなかった。下記に詳述する。
 孫に皇位を譲ったのちは歳若い天皇の後見を務め、さらにその後を告ぐべき曾孫の皇子の誕生を見届けて、はじめて安心したのだろう、58年の生涯を終える。

 大河ドラマ向きと思うのだけどねえ。

 ドラマはさておき。
 本書はそのタイトルどおり、古代史における女帝の位置づけと、生前譲位が非常に多いという日本の皇統の特色を解き明かしたものである。
 一般に女帝は、男子の後継者が定まらないときの間に合わせであり、そこに実権は伴わない、という見方をされていると思う。私もそう思っていた。例外は持統天皇ぐらいだろう、と。

 本書はそれに異論を唱えるものである。
 確かに女帝が即位するときの状況は中継ぎとしてのものだが、その在位の実態は、間に合わせのお飾りではない、とするのだ。
 本書は卑弥呼から説き起こしている。卑弥呼と天皇家が直接に繋がるものであるのかどうかはさておき、男王では治まらなかった大和が卑弥呼によって治まったこと、卑弥呼亡き後ふたたび乱れた世を収めるにやはり女王を必要としたという、先例として。

 推古天皇は、聖徳太子に「位を譲るはずであったのに譲らなかった」女帝である。譲らなかったのは、聖徳太子との間に何らかの確執が生じたためであろうとされる。
 確執の原因について本書は述べていないが、本書の主旨に沿って考えるならば、私は、聖徳太子が豪族たちに対し「天皇家」の優位を確立しようとし、豪族のトップに位置する蘇我家の勢力を抑えようと図ったためと考える。本書にもあるように、皇族であっても母方で育つのが珍しくない古代では、天皇と言えど「天皇家」よりは外戚の方に心情的に近い。推古女帝にしてみれば、自分と同じく蘇我の血を引いているのに、ということではなかろうか。聖徳太子は、早すぎたのだ。
 しかし、推古天皇は老齢に達しても皇位にあり続けたことによって、「天皇」の地位をより高めることとなった。長老が貴ばれるのは自然のことであるがゆえに。皮肉と言えば皮肉である。

 そして、持統天皇である。大化の改新を経ていっそう強化された帝位についた彼女は、もはや既存の豪族のためには動かない。わが孫の即位のために帝位につき、後継者を指定できる権力を握った状態で譲位する。推古天皇が譲位しなかったことによって天皇として重きを成すに至ったのとは逆に、権力を持っていたがゆえに譲位したのだ。
 そして、この形での女帝の即位と譲位は、持統天皇の妹にして草壁皇子の妻である元明天皇と、その娘である元正天皇の連携によって再現される。逆説的だが、皇族の即位に外戚である豪族の思惑を入れないために、天皇は位を譲るのだ。
 のちに天武天皇系の血筋が絶え女帝も現れなくなってしまうが、皇位継承に際し生前譲位というやり方は踏襲されていく。
 本書は結論として、日本の皇統の特色を作ったのは、女帝たちだった、とする。

 こう考えると、日本の天皇家が万世一系を謳えるのは、ひとつには女帝たちのおかげであるのかもしれない。

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プライド 2 (クイーンズコミックス)

プライド 2 (クイーンズコミックス)

2004/06/08 03:12

テーマは非常に興味深いんだけどねえ…

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 この作品のテーマはタイトルそのもの、「プライド」である。
 プライドが高くて不器用にしか生きられない史緒と、プライドを「そんな役に立たないもの捨てました」と言い切り、人を平然と陥れる萌。

 私の性格はどちらかと言えば史緒に近く(と言ってもお嬢様育ちではまるでナイ)萌の性格にはおぞましささえ感じる。
 しかし、おぞましく思う一方で、あのたくましさに羨望をも禁じえない。

 史緒が、単なる気位の高いお嬢様から脱皮して真正のプライドを構築しうるのか、それとも萌の図太さの前に敗れ去るのか、先が非常に興味深い。


 ただし。
 読み続けるに当たって、その興味を殺いでしまうことがある。

 執筆を開始するに当たって、著者はオペラについて勉強したのだろうか、と疑わざるを得ない所が頻繁に出てくるのだ。

 アリアの名前を間違えているぐらいなら、まあいいかと許せないでもなかった。
 が、メゾソプラノの史緒に『ノルマ』の「カスタ・ディーバ」(作中では間違えて「コスタ・ディーバ」になっている)は無理である。一流のソプラノ歌手でさえキーを下げて歌う例が珍しくないという、非常な高音を要する曲なのだ。
 『トラヴィアータ』のヴィオレッタもまたしかり。オペラを多少なりと聞いている人なら、メゾのヴィオレッタなどごめんこうむるだろう。

 仮に、今後のストーリーで史緒がソプラノに転向する、という展開を予定しての伏線であったとしても、だ。
 プラシド・ドミンゴ(3大テノールの一人。若い頃に、バリトンからテノールへ転向した)の歌う『連隊の娘』や『清教徒』なんて、聞きたくないからねえ。

 私はオペラが好きだが、きわめてミーハーに聴いているだけで、専門知識などまるでない。
 しかし、その私にして「おいおい、そりゃないだろう」と言いたくなる箇所が多すぎる。

 いかに主題が「プライド」であって「主人公達のオペラ修行」ではないといっても、もう少し何とかして欲しいものだ。

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