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銀の皿さんのレビュー一覧

投稿者:銀の皿

1,816 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本熱い書評から親しむ感動の名著

2006/03/06 11:55

書物への返事の新しい形

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 bk1への書評投稿者が書いた、名著の書評集。通常の書評より長めなので、より熱がこもっているように感じられます。そして、書評ということについて感じていることを、一言書いてみたくさせてくれました。
 「何気なく、本に対して「返事」(それが書評の形をとってもとらなくても)が出来るとよいと思う」と、「はじめに」に編集長が書かれています。昔から本には読者の意見を問う葉書が入っていたりもしていました。でも普通これは他の読者にはあまり知られないままで終わります。絶賛するものは出版社が広告に取り上げたりもしますけれども。学校の読書感想文などもクラスや関係者などの間で読まれる程度で、新たな読者や反響を呼び起こすものにはならないでしょう。そういう意味合いで考えるならば、書評も、特に一般読者が書く書評は、本に対する「返事」の新しい形かもしれません。
 ここに載っているのは「名著」の書評ですけれども、数年もすればどうなっているのか。書籍自体と同じく、書評にも命の長いものもあり、短いものもあることでしょう。それでも、こういった「一般読者」の書評で息長く支えられていく本があったら嬉しいことです。
 執筆者のプロフィールも載っているので、投稿に現役活動中の方、卒業された方、それぞれがどんな形で書評を書いているのか、が窺えるのも嬉しかったです。でも、あんまりこの場でほめすぎると「内輪うけ」になっちゃう怖さ、ですよね。(だから評価保留、です。)
 bk1編集部の、次の「書評企画」も楽しみです。「書評文化」というものがあるものならば、健康に育って欲しい、まんざら関係なくもない、近所のオバサンのような気持ち・・でしょうか。

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ヒトデの細胞が可愛い、けなげといきなり言われても、なかなかすぐに共感するのは難しいだが・・・。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 細胞の意思?自発性?なかなか広く「興味を引く」タイトルではないだろうか。しかし、内容はかなり高度な、「発生生物学」である。
 著者の見解は「生き物」というものについてとても深い、何十年もの研究生活をとおして得た、細胞とはどういうものかの考えが集大成された結果なのだろう。細胞、という「生きている単位」が自発的に判断、行動、調整している、ということは、たしかにある。それを「細胞の意思」という言い方で著者はまとめて表現している。これは、ある程度発生生物学や細胞学を知っている人には、「一つの提言」としておおきな意味を持つ話として伝わるのではないだろうか。

 ただ、読めば読むほどこの哲学的な、認識論ともいえる境地にたち、著者の説に共感するためにはある程度同じ道を歩まないとわからないのでは、とも感じて仕方がない。
 著者自身も、何度も「言葉の使い方」に警告は発しているのだが、「意思」の定義からして普通のものとは少し違っている。そこのところを安易に飲み込むと危険かも、と感じさせる危うさも感じられたのである。
 適当なたとえではないかもしれないが、山頂への地図と山頂からの写真だけでは、ほんとうに言いたかったことが伝わってこない、というところだろうか。一歩一歩、途中での景色の変化や自分自身の変化も加わって著者がつくり上げた考えは、深いだけに、簡単に分かったと思ってはいけないのだろう。

 そういう微妙な難しい問題、著者が長い年月をかけて練り上げた結論を、それでも著者は「わかりやすく・誤解のないように語ろう」ととても努力している。
 しかし、いきなりヒトデの「大食細胞(が広がっている姿)」が可愛い、といわれてもなかなか伝わらないのではないだろうか?読みようによっては「マニアック」にもとられてしまうかもしれない部分である。説明に具体例をいれて分かりやすくとの工夫も随分とされているのだが、「写真のこの部分がこうなっているのは・・・」というのも、それが「すごい」と思うためには、やっぱりある程度の専門的な経験がないと難しいだろう。
 「自発的」ということをどうとらえるか、興味がある方は「じっくり」「背景の生物学も理解しながら」読んで欲しいと思う。

 じつは、文章をチェックする編集も一寸不正確なまま見逃しているところが気になった。
1)エコリンという物質の説明で「この蛍光タンパク質は、蛍光を当てるだけで光ってくれる(p86)」とあるが、蛍光物質は蛍光ではない普通の光でも光るのではないだろうか。
2)「強焦点レーザー顕微鏡を使って・・(p96)」というのも、「共焦点」が正しいでしょう。注)に強いレーザー光とあるから間違ったのだろうか。
 細かいところであるが、気を使って欲しい。本著の内容を理解できる知識背景があるかたには、こういうところが「たいした本じゃない」という評価につながり、著者の提言への評価も落としてしまうかもしれないからだ。

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スピノザ哲学を現代脳科学から評価する

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 感情というものが身体の感知したものを意識に伝える重要な機構であること、それを17世紀に既にスピノザは評価していたこと。この本は脳科学と哲学をつなごうとする本である。
 現代の科学で感情の意味を説明することとスピノザを現代的に捉えなおすこと。この本は大きな課題を二つも入れているためか、正直、読みやすい本ではなかった。読みやすい本ではないのだが、科学が哲学にどう対処していくのか、を考える一助になると思う。
 読みにくい原因は章の構成にもあるかもしれない。スピノザに関する著者の旅行記のような文章から始まったかと思うと、脳科学での研究のかなり専門的な章があり、一章全部を使ってスピノザの生涯を記す章がある。スピノザの話がしたいのか、感情を解き明かす脳科学の成果の紹介がしたいのか?英語の原題は”Looking for Spinoza”でFeeling Brainは副題に入っているが、邦題は”感じる脳”であり、スピノザは副題に回っている。どちらが主眼なのか、でとまどってしまうのだ。
 読みにくいもう一つの理由はおそらく言葉の使い方である。あたらしい概念を導入するときには必ずこういうことがおきるのかもしれないが、感情、情動といった単語の、著者の定義をきちんと踏まえないと混乱してしまいそうになる。著者の優秀さの現われなのだろう、凡人にはついていくのが辛いほどの飛躍やスピードが文章にあるのでさらに大変。専門の話の文章の途中に突然スピノザが飛び込んできたりもする。第5章「心を形成するもの」をとりあえず読んでみるのがよいのかもしれない。この章が著者の意見を要約したような章になっている。
 著者に振り回された気分で読み終わったが、それでも脳神経科学者が哲学的な問題に今どう取り組んでいるのかについて、少しは理解が進んだ気がする。スピノザについても、スピノザが何を言いたかったのか現代的な捉え方を紹介してくれた。「エチカ」をいきなり読んだりすると、神の絶対性と数学的証明の堅さについ近寄りがたく感じるのだが、コナトゥスという言葉で表現されていたものを生命体の自己保存機能と解釈すれば大変現代の生物学に通ずるものが見えてくる。スピノザの言葉も引用してあるので対比しやすい。スピノザは、フロイトやアインシュタインなど多くの研究者が言及をしてきた哲学者である。今後もまたいろいろな評価が重ねられていきそうである。
 著者はスピノザの着眼点には敬意を表しているが、倫理的な「生き方の行動指針」としては必ずしも同意見ではないようである。このあたり、各読者も自分の意見と照らし合わせて読んでみて欲しい。

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「日本だけ」に酔ってはいけない

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 日本が漢字、漢文を取り入れ、文化を作り上げてきた経緯が多角的にしっかりと要領よくまとめられていると思います。アジアの諸国での事情にも言及し、アジアにおける漢文は、ヨーロッパにおけるラテン語のような位置にあるのだ、とその価値を再認識するところが多くありました。例えば、韓国語圏でもベトナム語圏でも、自国語に対応させるための努力が幾つかあったことなどの説明はとても興味深いものでした。
 著者は「世界史には、優秀な中流実務階級をもつ文明は強い、という経験則がある。」とし、「19世紀までの漢字文化圏で、強力な中流実務階級が育っていったのは、日本だけだった。」と書いています。そしてこれまでの日本の経緯を振り返り、漢文の教養が大事だ著者は主張します。しかし、現代で「漢文」を強調する、「漢文」でなくてはならない理由はどこにあるのか、「漢文」という言語に学ぶべき部分の特徴をもっと書き込んで欲しかったように思います。
 せっかく他のアジアの国々との違いにも言及されているのですから、他のアジア諸国とは違い、漢文の力が日本をこのように作り上げたということについても、なぜ日本ではそうなり、他の国ではそうならなかったのか、もう少し突っ込んで分析し、意見を述べて欲しかったところ。新書という紙数の少なさゆえでしょうか、少し残念な気がします。
 挿入されているいくつかの著者の意見も、論旨を読み取りづらくしているかもしれません。「現在元号制度を維持しているのは、世界で日本だけである。今日、元号は、キリスト紀元(西暦)を使用する西洋文明に対して、日本文明の独自性をアピールする材料の一つとなっている。」などは、その独自性と「漢文の素養」という本筋との関係ももう一つ弱く、ここに書かれてある必然性に疑問を残します。独自である、長く続いているということが、重んじられる理由ではないでしょう。
 「漢文」でなくてはならない理由、が納得できれば、本書に書かれてきたこれまでの経緯も、これからの重要性もより強く納得できるのだがという思いが残った本でした。著者は2004年に「漢文力」という本を出版しています。「漢文の素養」、漢文で理解しなくてはならない理由、というのがこちらには書かれているのか、と思い読んでみましたが、やはり明確には伝わってはきませんでした。日本の「漢字・漢文の取り入れ方」の中に、答えが見えているような気がするのですが、素人が自分でつかみとるには難しすぎました。行間に書かれたものを読み取る、という力が読み手に不足していたのか(漢文の素養がないのか、単に日本語の素養が足りないのか)と恐れています。
 「国家の品格」もそうですが、昨今「日本の保持してきた良いもの」をもう一度重視しようという声が高まっているようです。捨ててしまったものを見直すことには賛成ですが、捨てられてしまった理由もあったでしょう。その理由もきちんと把握することも必要ではないでしょうか。この本を読んでそんなことも考えてしまいました。
 特色を有し、しっかりとした書評をいつも書かれている2氏が絶賛しておられるので読んでみました。漢字・漢文の取り込まれ方、文化的な経緯については確かに大変によい本であることに間違いはないでしょう。しかし、「漢文の素養をもっと」にはどうしても「当然」のように賛成、と言い切れない思いを捨てきれないまま読み終わりました。

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人文学者はいかにして進化論をかたるか。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ちくまプリマー新書は、「プリマー」とはなっていても内容が高度なものがかなりあります。本書も利用対象は中学生以上となってはいますが、かなり高度の思考を要求されます。
 著者は哲学系の方です。哲学者、あるいは人文系の方が進化論をどう捉えているかの例として読むなら、本書はよい本になっていると思いました。でも、「進化論」の勉強のきっかけとして本書を手に取ると、期待から外れる確率が高いでしょう。

 進化論は、思想にも大きな影響を及ぼした「説」です。科学上の真偽(本書でも「進化論は科学ではない?」という章がある)はさておき、思想や社会への影響を考える学問にとても近い「自然科学の説」の一つであるといってもよいでしょう。哲学など、人文系の方がもっと踏み込んで「進化論」論を著し、議論を自然科学系の研究者と戦わせて欲しい分野だと思っていたので、このような本を歓迎しています。
 理系、特に生物系の方には、このように進化論が捉えられ語られることもある、ということを知るのにも、よい本になるのではないでしょうか。

 著者は冒頭でいきなり挑戦的です。「20世紀の哲学者たちが残した宿題、人間もまた生物ですが、生きている人間のポジションは宇宙のどこにあるかと言うといかけにも答えたいのです。生物学は、これに答えるべき立場にあるのに、どうもトリビアルな問題にばかり専念しているように見えます。(p13)」と。
 著者が表題にもいれている「五つの謎」を目次から拾ってみると以下のようです。
1:そもそも原始細胞はどうやって発生したのか:分裂する欲望
2:多細胞生物の出現:死はプログラムされているか?/老化もひとつの進化である
3:生物の大分類はどのようにして生じたのか
4:意識という物がなぜ出現したか
5:理性は進化の結果であるといえるのか。
 この「謎」の設定をみただけでも、著者の関心のありかがわかりますね。哲学の専門家が、いかにして進化論を語ろうと思うに至ったのか、が想像できる気がします。「これは進化論が扱う範疇ではない」とか「どう定義するか自体によっても変わってくる段階でしかない」など、読み手により受け取り方が様々にあるのではないでしょうか?

 終章ではこんな風にまとめられています:
 「わたしは、進化論を否定するものではありませんが、「進化のなかに見いだされるはずの理性が進化の全体を捉えることになる」という進化論的パラドックスを踏まえるならば、意識の起源は意識自身には捉えられず、理性は生きる実践においてしか意味をなさない、という結論を出さざるをえませんでした。P179」いや、この文章を読んだだけでも(もちろん、抜書きで読み取る難しさはあるでしょうが)あまり「平易な文章」とはいえない、ということだけははわかっていただけることと思います。
 著者はそれなりに生物学、進化論を読まれていることはよくわかりますが、やはり「プリマーにしては難解」、人文系の方の捉え方、という印象の一冊でした。

 この書評は、(どちらかというと)理科系の読者の感想なので、いろいろな方の感想をお聞きしてみたいと思っています。

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正高さん、またこんなのだしちゃったんですか

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者の「ケータイを持ったサル」2003では「思っていることを書いてくれた」と感じた。
「考えないヒト」2005では「あれだけでは言い足りなかったのだろう」と思った。
今回のこの「他人を許せないサル」では、「まだ言い続けなければならないのか」と悲しくなった。
 「正高さん、またこんなのだしちゃったんですか」・・・。
 著者は終始「なにかおかしい」「なにか言わねば」と現代人の心理状況について書き続けている。本書の内容は、前二冊とあまり変わっていない。タイトルからおおよそ推測できる内容である。危機感を抱いている「おかしい」状況そのものが変わっていないから書き続けるのだと言う著者の気持ちは伝わってくる。しかしなんだか、著者自身もその中に含まれるかのように感じられる今回のタイトルでもある。
 「他人を許せないサル」というタイトルは、「誇大自己症候群」「他人を見下す若者たち」といった先行する既刊の新書をも思い出させる。思いはどれも同じ線上にあるということなのだろう。前掲2冊の著者の新書もそうだったが、言いたい思いが強すぎるあまりか、学問的な分析、解析は弱い。例えば著者はケータイ文化についてここ数年調査している、とプロローグに書いているが、その結果などはあまりでてこない。「日本型のケータイ文化は、共通文化的風土を背負っている韓国や中国、インドネシアといった東アジア一体をも汚染してしまうだろう。p35」と預言めいた言葉であるが、香港などでは日本でケータイが広まるより数年早く携帯電話を持ち歩く姿が話題になっていた。香港は今どうなっているだろうか。こんなことも調査すればわかることだと思う。ブルーバックスという「科学をポケットに」というコンセプトのシリーズで出版されるには、少々理論や検証、説明などから離れすぎているのではないだろうか。ブルーバックスのコンセプトも変わったのだろうか。
 内容はあまり変わらなくても、形を変えて「新書」で出し続けるのはなぜだろう。前書きに著者自身が書いている「売れるものは、ほとんどが新書という形式で、お手軽に手に取れるものに限られる。・・ただし、すぐに忘れる。」を逆手にとっているのかもしれない。「すぐに忘れる」から・・・。
 著者の憂えている気持ちは理解できる。書評にもときどき同じような感想をいだく書き方のものがある。でも「あなたもわたしも、みんなどこかバカ」じゃないのだろうか。
 そう思いたい。

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紙の本漢文力

2006/08/01 15:35

世界、いたるところに学ぶものはある。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「漢文力」とは「漢文を読み、そこに展開している古人の思想を追体験することによって身につく力、歴史や宇宙など、より大きな時空の中に自分を位置づけ、明日を生き抜くための設計図を描く力」とあります。各章、幾つかの漢文の例文を題材に、漢文の基礎知識というよりも描かれた世界を説いていく形になっています。筆者の大学での講義内容を下敷きにした、とあとがきにありますが、随分「楽しい」授業なのでしょう。「中国文学の世界」という講義だそうですが、漢文の基礎知識よりも人生論、世界観の講義、といった感じがします。
 装丁は南伸坊さん。表紙の陶器人形になにか見覚えが、と感じたのは、中国古典の怪異譚を漫画と楽しい文でまとめた伸坊さんの「李白の月」の表紙の陶器人形と似ているのですね。伸坊さんのコレクションの一つなのでしょうか。
 漢文には確かに沢山の智恵が書き残されています。著者も引用するように、マルクス・アウレリウスやプラトン、シェークスピア、日本の俳句や寅さんまで、それらは世界中のいろいろな文化の中にも捉えられている深遠なものだ、ということを本書は楽しく教えてくれます。個人的に私の気に入っているブレヒトの戯曲からの引用もあり、ちょっと嬉しくなるとともに著者の読書範囲の広さに驚きを感じたりもしました。
 文中の何箇所かに金子みすヾの詩が引用されているのは、著者が特に傾倒するところがあるのでしょう。ある詩には「あの世の有無について、古今東西の学者の幾千年にわたる論議は、結局、次の詩にとどめをさすのかもしれません。」と最大級の賛辞がつけられています。ここまで書かれますと、著者の「漢文力」という定義から延長すれば「明日を生き抜くための設計図を描く力」は「和文力」でも「英文力」でも「金子みすヾ力」でもよいような気持ちになってきます。
 世界いたるところに、もちろん「漢文」にも明日を生き抜く力が読み取れる。
 「漢文」には世界の智恵が詰っているということにはとても賛成です。でも、この本は「漢文」を直接(あるいは日本的な工夫をして)読む価値を説明し切れてはいないのではないでしょうか。「漢文」を読むことでの思考訓練をこの本の目的としたと著者は書いています。「和文脈は叙情的で、漢文脈は論弁的で、欧文脈は分析的」という言葉から類推すれば、著者は現代日本人の「論弁的」なところの不足を訴えているのでしょう。では何故「和文脈は叙情的で、漢文脈は論弁的で、欧文脈は分析的」であり、「漢文」のどんなところがどのような「論弁」の「思考訓練」に向いているというのでしょうか。前提となるこのあたりの説明をもう少しするかまたは参考文献を示すかして納得させて欲しかった気がします。
 「漢文」を平易な日本語に訳して読んでは得られないものがあるからこそ、著者はこのような本を著して「思考訓練」することを訴えているのだと思うのですが、根底のこの部分がはっきり書かれているわけではないので、どうもすっきり納得できないままです。根拠についての書き手の「論弁力」に期待したかった、というのは読み手の技量不足かもしれないことを恐れつつ読み終えました。

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へえ、と楽しめるのだけれど、「知的に学ぼう」と期待したのは間違いでした

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「ことばの音には、意味とは別に音自体の印象がある」という新しい観点から言葉を評価した面白い本である。個々の「音」のイメージを説明し、単語の持っている、意味とは別にある印象(暖かい、とかさわやかとか)の説明は楽しめる。
 でも、私はちょっと間違った方向に期待して読みはじめてしまったようだ。
 扉の裏には「脳科学、物理学、言語学を縦横無尽に駆使して「ことばの音」のサブリミナル効果を明らかにする、まったく新しい言葉の理論」とある。まえがきがないので、「おわりに」を次に読んでみたら「この本は、感性を感性で語った本ではない。感性を物理効果の観点から論理化することを試みた本である」「今までの感性論にうんざりしていた静かな知性の人にこそ、ぜひ読んで欲しい。」「この本は、多くの先達の方々の研究成果がなければ成り立たなかった」・・・この辺が「ちてきごころ」をくすぐって期待させられてしまったのだろう。「言葉の感性の研究解析の知的興奮を分けてくれる」ことを期待して読み始めたのだが。。。
 おおもとになっていると思われる、「個々の音のイメージ」を定めた根拠がなんだか飛んでしまっている気がする。「子供が乳首を捜すときの口から出る音=M」などからの推定は、それなりに著者の体験、実感に基づいた理由が書かれていて、「そういうこともいえるだろう」と肯定的に受け取れる。しかしKの音が「硬くしめた喉に、強く息をブレイクスルーさせる快感は、膨張と放出のイメージを持つ生殖期間中の男性脳を興奮させる。」というのは、女性である著者の実感ではないはずだろう・・・。根拠をどのように定めたのか、と困惑してしまったのである。この例や、「Sは思春期の女の子を癒す音だ。正確に言うと、初潮から女性ホルモンが安定する第一子妊娠までの女性脳に、たいへん心地よい音である。」などというところは、「こういうテストをすればデータはとれる」ものではないかと思うし、実際とっているからこそここまで断定できると思うのだが、どうなのだろうか、そこのところは完全に定まったこと、としてどんな検証をしたか、も書かれていない。扉の文章や「おわりに」を読んできっちりした論理的展開を期待してしまったのでなんだかはずされてしまった感がした。
 最初のうちから「ブランド」とか「商品名」、「マーケティング」などの単語が入ってくることから考えると、なにか「企業的事情」でデータやその取り方を書けなかったのかもしれない。でも、それだとそれを期待させるような書き出しはやはり内容とずれている、としか言えないのではないだろうか。商品名のイメージがこんな風に分析できる、人名にも音のイメージがある、といった「へえ、そうなのか」と楽しむつもりで読み始めれば結構楽しめるのに。

 言葉に、新しい次元の要素「音の与えるイメージ」を提示したとても面白い分野の話である。子音の区分、判別の異なる言語ではどうなのか、同音異義語では、とか沢山の発展的な疑問を提起してくれた内容なので、研究の実際をもう少し含めた本も、是非書いて欲しいものである。
 「ちょっとした一般向け論書」といった新書に対する「古い」イメージは、こういった類の新書で裏切られていくような気がする昨今である。新書離れしたくはないのだが。。。

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ポオの書き方、独特の雰囲気、押し寄せるイメージにのみこまれ押し流されるのを快感と感じるか、あふれる言葉に倦み疲れるか。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著名な「アッシャー家の崩壊」と「黄金虫」を含んだ短編集。「黄金虫の」暗号解きの軽快さは、ここから謎解き小説にはまり込む人が多いのも良くわかります。たった一つの出来事を語るために言葉でイメージを積み上げ、読み手を異世界に引きずり込んでいくポオの書き方は、「アッシャー家の崩壊」に最も良く現れているでしょう。この巻に収録されている他の短編も、なかなか軽妙なものもあり、さまざまな味わいがありますが、どれも読み手を絡めとろう、引き込もうと攻め寄せてきます。ポオの世界に飲み込まれるのを快感と感じるか、疲労するだけと感じるか、が好みの分かれ目になるのではないでしょうか。自分がどういうタイプの読書傾向を持つか、を感じさせてくれる一冊になるかもしれないです。ちなみに私の場合は「強引に引き込まれるのは適わない」と思うタイプだ、と思い知らされました。
 最近の岩波文庫にはいろいろ新規の工夫がなされています。例えば「戦争と平和」の新訳版しかり。この短編集では、各短編の前に扉絵と一ページの説明がついています。説明は巻末の解説との重複やネタばれになるおそれがないと言えなくもありませんが、短編はともすれば続けて幾つも読んでしまい、一つ一つの印象がにじんでしまうこともあるもの、一息区切りをつけて新たな気持ちで次の短編に入れる、という点では良い工夫だと思います。幾つかの短編の扉絵にはアンデルセン童話の挿絵も描いているH.クラークの絵が使われていて、カラーだったらな、と欲もでてしまいました。クラークはポオの挿絵も書いていたそうなので、原本で対応しているものなか、と想像しましたが、短編と直接関係のなさそうな扉絵もあったので、一言言及して欲しかったところです。59ページのものはポオの肖像か、とおもうのですが・・・。折角の新規の工夫、もう一歩頑張って、というところでしょうか。
 ポオの短編集としては、重要な2つの作品のほか、さまざまな趣の作品が入っていてよいまとまりになっています。

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バロック時代の「虫愛ずる姫君」

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 17世紀の昆虫画家、マリア・シビラ・メーリアン。まずはその絵を、この本の表紙で確かめて欲しい。世界の珍しいものを集め、画集にしていた時代そのもの、のような絵である。ロシアのピョートル大帝がじきじき買い求めたという話や、何回も版を重ねた人気も、時代の興味に一致したもの、としてうなづけるだろう。レーウェンフックとも交流があったということからは、科学的なものの見方が始まった頃、という時代背景もうかがわれる絵である。
 日本ではこの画家の名はあまり知られていない。しかし500マルク紙幣の顔にもなっている、ということを知ると、どんな人物かをしりたくなるではないか。女性で、紙幣の顔にもなっているのは、どこやら樋口一葉を思い出させる。大西洋を娘と二人、何ヶ月もの航海をしてスリナムまで行き、沢山の新しい生物の採集や観察をしたという、この本で紹介される女性の生涯の話は、なるほど波乱万丈であった。
 
 博物学的資料という点からは、確かに彼女の絵は現代の目でみれば正確さも劣っていることは否めない。そのために「間違いだらけで価値がない」と一時期は評価されていたのはどうか、とする著者の意見はもっともである。博物画の勃興期に、これだけの観察、描写を残したのはやはり大きな業績であろう。
 芸術と科学は、よく対比的に評せられる。博物画は芸術の装飾・観賞的価値と科学的は観察・記録の価値が混在する例としては最たるものではないだろうか。
 芸術と科学をどう融合させるか、融合させた作品をどう評価するかと考える視点は、とても大事だと思う。

 伝記のまとめ方としては、少々不満が残る。まず、冒頭に父親や義兄についての著述がかなりあって、なかなか本人の直接的な話が始まらないこと。重要な背景ではあるのだろうが、読むほうとしては本題が見えずにいらいらする。引用される絵画についても、カラー図版も多くて嬉しいのだが、本文中に言及箇所があっても図は掲載されているのかいないのかがよくわからず、不親切なところもあった。

 絵画自身の評価については、ひとそれぞれであるから意見が異なるのは仕方がないことだとは思うが、少々「母性」「女性的」を強調しすぎるのではないか、という印象をもった。多分これは著者自身の基本スタンスかもしれないと想像する。
 メーリアンの肖像についても、著者は晩年の、娘婿が描いた肖像をあまり評価していないが、老いても眼光鋭い姿に見え、私的にはなかなか良い肖像だと思った。

 題材はなかなかよいのであるが、まとめ方に少々難あり、な気がするので評価は保留。だが、著者はヨーロッパ音楽や絵画を紹介する本を幾つか書かれており、この欄にも何人かの方が書評を投稿しておられる。これからも面白い作品、視点で紹介を続けていただきたい。

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若者に語りかけ、残すに値する言葉。でも一寸古いかも。

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 宮沢賢治の「生徒諸君に寄せる」から始まり、30余名の方々の「若者に語る」、「若者を語る」言葉。夏目漱石や坂口安吾などの文筆家の言葉があれば、岡本太郎、井上陽水などの文章もあり、進化論の今西錦司、ゲド戦記の作者ル=グウィンの名もみえる。さまざまな人の珠玉の言葉を集めてある、と言ってもよいであろう。それぞれの文章は時代の雰囲気を反映していたり、若者の普遍的な精神を描いていたりして読めば何かを得られるものばかりである。
 と、書くとよいことばかりに思われると困る。「若者であった」者は喜んで読むかもしれないが、「今の若者」が手に取るかどうかははなはだ疑問だからである。まず、

1)全体に「古い」と思われる文章が多い。それでも「この時代ではこんなことを若者=学生」に言っていた、とそれと現在がどうずれたのか、を考えて読んでくれるならばそれはそれでよいと思う。しかし、
2)発表(または講演)された年月が明記されていない文章も多い。そのため、どんな時代の文章なのか、が「知っている人にしかわからない」。そして、
3)この本の「企画協力」者と記載され、解説も書いている方がどんな方であるのか、どこにも紹介がされていない。どういう方がまとめたのか、も是非知りたいところである。

 何時の時代でも、ここに挙げられたようなよい文章を読んで感動する若者はいるはずである。しかし、現代の大方の若者は宮沢賢治が「ああ諸君はいま/この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る/透明な風を感じないのか(p14)」と語りかけてもなんとなく冷めてしまうのではないだろうか。倉橋由美子が「およそわたしたちが<世界>に意味を与えるのは、この世界を灼熱の<無>のなかに投げ込み、わたしたちの望む世界のイメージを無のなかに構成してみることによってであると思います。(p50)」と語った言葉の意味した行動が、「誰でもいいから殺したかった」という昨今の事件のようなものを指しているわけではないだろう。このずれはなにか、を考えさせるような編集であればまた少し違ったのではと思う。

 全体に古い、とは書いたものの、若者に先達の言葉が伝え続けられて欲しいとは強く思う。ここ10数年の、「学生諸君」に語りかけられ、残すに値する言葉も載せて欲しかったのだが、ここに載せられるような文章はなかったのだろうか。それは選者の心にかなわなかったためか、それとももしかして、最近は年齢を重ねても「まだ若い!」と若い人への言葉など考えない高年齢層が増加しているのか。。。
 各時代ごとに、若者に語りかけ、残すに値する言葉があって欲しいものである。

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絵も文章も素敵。でも、名前の説明だけが・・・。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 去年の秋、なまのラッカセイを買いました。茹でて食べたのですが、少し残しておいてこの春に植木鉢に蒔いてみました。今、花が次々と咲いています。どんな風に種子ができていくの?と見守っていたところにこの本の書評が。早速近くの図書館で借りました。

 30ページもないのですが、その中に成長の基本もラッカセイに特徴的なところもちゃんとはいっている、素敵な絵本でした。
 絵はあっさりしたタッチですがとてもよく描けていて、みてほしいところがよくわかります。今ベランダにある鉢の土の中でもこうなっているんだろうな、と「見てきたような」気持ちになれて嬉しくなってしまいます。
 文章も、小さい子でも読めるようにでしょう、全部ひらがななのですが「ね」「はいじく」「ふたば」「ほんば」など、大事な言葉はちゃんと使ってあります。
 そして「はじめに らっかせいを うめたときと おなじ え」がでてきて植物の一生のくり返しがわかる。収穫したときに土の中に残った実がまた翌年育つ、というところの「らっかせいという しょくぶつは じぶんで せっせと たねを うめていたんだね。P25」なんて、なんだかじーんときてしまいました。

 とてもとても良い絵本だったのですがひとつだけどうかなあ、とひっかかるのは「ピーナッツ」「なんきんまめ」「らっかせい」のちがい。
 「とれた まめを からのまま いると、らっかせい。P20」「うすかわつきなら、なんきんまめ、かわも とって あぶらで あげると、ピーナッツ!P21」と書かれているのですが・・・・。そういうふうに教えるようになっていたのでしょうか? 和名としてはどんな状態でもラッカセイ。地方では違う呼び方もあるでしょう。
 絵も、他の文章もとてもいいのに、ここだけ(結構その比重は大きい。内容説明の欄にも使われているぐらいだし。)がひっかかってしまいました。評価は保留にしておきます。復刊されない原因はその辺だったりして。他はほんとに素敵なんですが。。。

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紙の本自由は進化する

2007/07/22 12:07

進化論の科学読み物のようであるが、最終的には自己とは何か、倫理とは、につながっていく、哲学者が書いたあまり哲学書らしくない本。文体が評価を分けそう。

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 自由と進化?なんだかこのふたつ、関係なさそうな感じがするけど、ここに書かれているのは「自由は生物が進化して獲得したものなんだ」って考えなんだ。著者は一応哲学者なんだけど、考え方は社会生物学者、進化論者ってところ。まずは「物理的な法則にすべてが従っているとしたら、自由ってあるの?」っていう話から始めて(まあ、決定論世界というやつだね)、物理法則に従っている世界でも自由意志はやっぱり進化できる、だから責任も倫理もある。そして、自由は進化で獲得されたものなんだから、責任や倫理も進化で獲得されたもので、これからも進化していくんだよっていうんだ。すごーい。
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 「動こう!」と意識するよりも前に筋肉には電位が発生しているというリベットの実験(ベンジャミン・リベット「マインド・タイムー脳と意識の時間」に詳しく書かれている)や、「すべて決定された世界」としてのコンピュータシミュレーション世界など、あまり哲学者が真っ向からは取り上げてこなかった題材をたくさん取り入れている点では哲学書としてはかなり独特な切り口である。これまでの哲学の意見への論評が少ないが、「それを書くと否定的な結論になり、長くなるだけなのでここでは省いた」そうである。確かに8章、9章の「自己とはなにか」とか「自律性」、「道徳の発生」など、核心の話題に到達するまでだけでも本筋を見失いそうに長い。その辺の読みづらさについては翻訳者がちゃんと代弁してくれていて、親切な要約解説をつけてくれている。著者とは少し意見が違う部分についても書かれている解説なので、読者にも批判的に読む姿勢を喚起してくれる。親切ついでに、本書で引用される重要な文献のうち、邦訳で読めるようなものの一覧や、索引を用意してくれればよかったと思う。なにしろこんなに長く、話が見えづらい本なのだから。

 道徳の起源を進化から考えた本は、既にマット・リドレー「徳の起源」などがあるので、考え自体はそれほど新しいわけではない。それでも哲学が構築してきた「自己意識」や「自由意志」「理性」といったものを最近の科学的なデータと結びつけたらどうなるのかの一つの考え方、自由という視点でとらえたことという点からは一読の価値があるだろう。ただ、やはり実験のデータなどをもとにした決定論や不可知論の話に偏ってしまい、哲学書というよりは「少し哲学よりの(ある種の)進化論、科学書」のように読めてしまう。著者にはこの本で省いた「これまでの哲学」との結びつき、今後への活かし方を、今度はもう少しすっきりとまとめてぜひ著して欲しいと思った。

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 ところで、この書評の最初の数行、読んでどう感じられただろうか。この厚い本、400ページ余りがこんな文体で書かれている。最近のアメリカのニュース系の雑誌の文章のようだ(Hmm.とかNo!とか文末に間投詞がしばしば入る)。翻訳者の解説もこの調子である。親しみやすいと感じる部分もあるが、軽く弾んだり転がりすぎて静かに考える、という感覚にはなれなかった。少し、押し付けっぽい印象もついてくる。この文章への好みで、きっと読みやすい、読みづらいがはっきり別れる本ではないだろうか。「決定論、自由、自由意志、責任、道徳」などの問題を興味深い方向から考察していて、じっくり読みたい、そう思う内容なのだが、正直静かに内容を味わい、考える気分になりづらく、私的には苦痛に近かった。
 内容は興味深いが、ほんとに読みづらかったので評価は保留。

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表紙に惑わされてはいけません。「つなげる」勉強はしたいけれど、一般向けには難しい。

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 プラスチックって何、とか身の回りの便利な素材を考える時、必ずでてくる「高分子」。カーボンナノチューブなどというすごいものもあります。自分の身体を勉強しようとしても、DNAとかタンパクとか、脂肪や皮膚のコラーゲンだって基本単位がつながってできている高分子。少し詳しく知りたいと思ったら、高分子の仕組みを勉強したくなりました。
 この本、表紙が「こどもが手をつないでいる」可愛い絵なので、「一般人でも読めるかな」と手を出してみたのですが・・・。かなり本格的な有機高分子の教科書でした。 最近は「**でもわかる」など、漫画を多用したりした一般向けの「すご~くくだけた」お勉強の本もあるのですが、これは違います。くだけているのは表紙だけでした。利用対象は「一般」になっていますが、専門用語もあたりまえにでてくるし、数式もけっこうあります。大学教養程度の化学基礎がある程度わかってからでないと手が出ないかも。でも、少し専門を勉強した人も、個別の知識をつなげるためにいろいろとこの本のような工夫を必要としているのですね。

 前書きに書かれている「つなげる」発想の工夫はとても共感できます。他の科目でも、日常の生活でも、断片的な知識は沢山手に入る。氾濫しているといってもいいでしょう。それを自分なりのポケットに整理して使えるようにすることは大事です。 
 ・・・少し力をつけて、再挑戦したいと思います。

 でも、書籍の情報として載っている「利用対象」をあてにすると外れることもある、と実体験できました。
 立派な教科書としての評価はこちらの力の及ぶところではないので、評価は保留とします。

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簡単な単語で。応用ができそう。

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外国の人と話す機会も増えました。路を聞かれたり、説明を求められたり。自分なりに少し話せたらと思うことも多いです。本書は「おりがみ」を説明したり教えたりする時の英語を教えてくれます。

折り紙は簡単なもの中心。伝統的なものは数種、ツルが一番最後です。
顔を書いたり、目を貼ってみたりもするものも多いです。
個人的にはもう少し「大人向け」のものが欲しいなという感じでした。

難しい英語は使っていません。使われている英単語で知らないのは数個、という人が多いのではないでしょうか。「どんなふうに言葉を使ったらいいか」の例文として読んでおくとよいと思いました。ほかのこと、例えばお料理を教えたりする時でも「こうするんですよ」というときに使えたり、とか。

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