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  3. kc1027さんのレビュー一覧

kc1027さんのレビュー一覧

投稿者:kc1027

143 件中 16 件~ 30 件を表示

長い時間

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

保坂さんは、忘れられていた人が歳月を経て復活する話が問答無用に好きらしい。それも、その歳月が長ければ長いほど。

問答無用なのでもうこれ以上ああだこうだ言う術はないのだが、時間の長さというものは、長い時間をかけなければきっとわからないもので、「長い歳月をかけて復活」するとはどんなことなのかも、長い時間を経てみないとそれがどんなことなのか、よくわからない。

保坂さんは、長いブランクを超えて訪れる汗や涙という「美談」がすきなわけではなく、長さそのものが好きらしい。そう、たまらないのは、長さなのだ。長くないとわからないことがある、ということに気づいて、自分はなぜか、感動した。

長い、は今を積み重ねることでしか得られない。そして何かを真摯に考える今の痕跡が、この本にはある。その痕跡に必死に付き合うことも、自分にとっては心地よい今だ。

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紙の本日本の行く道

2007/12/24 12:38

進歩でも革命でもなく。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

年の瀬も押し迫ってきて「流行語大賞」や「重大ニュース」、
「今年の3冊」などが出揃い、2007年が総括されようとしている。
世間の気分は重たく、どうやら本気で人間がおかしくなって
いることが、明確になった1年なのではないだろうか。


橋本治の新著『日本の行く道』では、おかしくなった日本の
人間を長々と膨大に、ややこしくかつ広範に考え、その対処法を
提示している。


子どもはおかしくなった大人の鑑。その世界で起こる「いじめ」と
「自殺」を、行き場のなくなった人間の現れであると、橋本は
捉えている。それは決して子どもだけではない。自分もそう思う。
良い大学と良い会社が人生の必要条件だとして育てられた戦後の
日本人にとって、そこからの脱落、もしくはそこでの現実の窮屈さは
行き場のなさ=住処の消失に他ならない。3丁目の夕日のような
路地は、今の日本にはもうないのだ。


環境問題も同様、近代化の目標であった産業と消費の活性化の
果てに訪れた地球温暖化に対して、私たちに行き場はあまりない。
パソコンを使うためには、エアコンをつけなくてはいけない。


陰鬱な気分になる前段を終えて、橋本は第3章でいきなり結論を出す。
この結論は爽快で清々しく、そのおかげでこの本は私の中で
いきなり「今年の3冊」にランクインした。


何も築き上げることだけが進歩ではないし、ぶっ壊すことだけが
革命ではない。日本には日本のやり方で、こつこつと未来を創る
やり方が、きっとあるのだ。結論はぜひ、読んでみてください。

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肉体の起源、言葉の原液、至福の日々

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

言葉の起源は肉体であり、肉体の起源は大地である。
人間の起源はアフリカだと言われ、アフリカの起源を探ればそれは、
地球の起源を探る旅となる。言葉がアフリカで生まれたのだと妄想すると、
デンマーク女性が綴った『アフリカの日々』は、大地から生まれ、
大地から遠く離れた人間が、再び大地と交わり、肉体を通じて言葉の力を
取り戻していく記録のように感じる。そしてナイジェリア男性が描いた
『やし酒飲み』には、原初の言葉が果たしていたであろう、電熱のような
肉感的な言葉が矢継ぎ早に降り注ぐ。これを読むことは、言葉の中に、
アフリカの肉体性のようなものを体感することでもある。

デンマーク女性がケニアでコーヒー農園を経営した日々を追憶した
『アフリカの日々』は、人間の幸福な生活の記録である。実際は、
農園の経営はそんなにうまくいかず、事件も事故も頻発し、西洋の
友人にも災難は起こり、自身もやがて農園を去ることにはなる。
だが、ここに記録されているのは、西洋的価値観から解放された豊かさ
そのものだ。伸びやかな言葉で綴られるアフリカの情景は、ひたすらに
そこにあるだけで豊かだ。豊穣な大地で繰り広げられる日々の生活は、
人間が小さいがゆえにささやかでさわやかで、大地に支えられた人間の
幸福感に満ちている。ケニアのコーヒーを飲みながら『アフリカの日々』を
読む至福は、肉体の機嫌も良くしてしまいそうなのだ。

これに対して『やし酒飲み』に綴られる呪術的な言葉の森は、自然の
豊かさだけでなく、酩酊の中に恐ろしささえも内臓に抱え込んだもので、
アフリカの民の生活の中から搾り出された清濁が混在した原初の言葉の
ようなのだ。きっと言葉の起源はやさしい語りかけではなく、警告の
鳴き声の延長の恐怖の叫びだったのかも知れず、そんな中で人間は、
伝えたい何かを音に置き換え、言葉に練り上げることで、その大地で
生き抜いていくためのコツを脈々と受け継いできたのだと思う。
『やし酒飲み』は、そんな原液のような言葉で編まれた神話だ。

ワールドカップという全世界的アフリカの日々が終わっても、
アフリカ人のアフリカの日々は続いていく。ブブゼラの音が鳴り響く
南アフリカから、アフリカの声は響き続けるだろうか?アフリカの語りは
世界に届いているのだろうか?アフリカ人自身が、『アフリカの日々』を
静かに、たくさん、語りだすとき、世界はもう少しだけ肉体性を取り戻し、
体感的幸福を分かち合えるような気がする。

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紙の本2011年新聞・テレビ消滅

2010/01/17 18:12

2011年以降は、「わたしの頭の中の番組表」

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

もう年中行事のようになった長い長い政治・行政改革、昨年の裁判員制度
導入と昨今の小沢さんの件でいよいよ本格化してきそうな司法改革と
並行する形で、第四の権力であるメディアのあり方が、根底から変わろうとしている。問い直されるのは、新聞やテレビといったマス媒体のあり方と
いうより、「わたしたちにとって必要なメディア」とは何かということ。

民間人初の公立中学校長になった藤原和博さんは、自分らしい生活を
構築したければ、まず新聞を取るのを止めて、リビングからテレビを
追い出すことだと言っていた。垂れ流されて降りてくる情報を鵜呑みに
することは、自分の頭で世の中を考えて生きていくチカラを弱めることにも
なりかねない。生きるチカラを深めるためのメディアとの付き合い方とは
いったいどんなものなのか。

本書では、新聞・テレビのマスメディアの業界の構造を3つに分解して
捉えていてわかりやすい(その捉え方はグーグルの方が考えたようだが)。
その3つとは、「コンテンツ」と「コンテナ」と「コンベヤ」。
新聞ならコンテンツ=新聞記事、コンテナ=新聞紙面、コンベヤ=販売店。
テレビならコンテンツ=番組、コンテナ=テレビ、コンベヤ=地上波、
衛星放送、CATV、といった具合。この捉え方、マーケティング理論に
接しているものならさっと頭に入ってくるような、「メディアが影響力を
発揮する仕組み」の因数分解だ。

端的に言って、本書が主張する新聞・テレビ消滅の要因は、「コンテナ」
部分の多様化により、「コンベヤ」部分を抑えることで既得権を握ってきた
従来メディアの影響力が低下するため、だ。そして「コンテナ」は生活者の
手に近いところにあるものほど強い。

マスのない社会で生き残るのは、コミュニティーを形成することの出来る
中くらいのミドルメディアで、その社会は生活者視点からのクオリティ
本位の世界で信用第一。大手がなくなってもそれでいいような気もする。
ただ、そんな社会では権力を監視するというメディアの役割は、より
一層、「わたしたち」に近いものになる。わたしたちが体感的に楽しく
生きていくためのメディアを考えることは、自分がどんなコミュニティーで
生きていきたいかによってそれぞれ異なり、既存のメディアの情報を
取り入れて消化した、おのれの社会的価値を問い直すこととほぼ
イコールになってくる。だからおのれの人生の番組表を作成する技術が
必要で、それが試される社会が、もうすぐ来る。

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紙の本その数学が戦略を決める

2008/01/27 12:48

いずれ計算機が仮説を立てるようになるまでの戦略

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

全てを数値化し、定量的に世界を「絶対計算」する流れは今後ますます
普通のことになっていき、留まることはなさそうだ。そんな世界では、
身体化された知性をもとに「専門家」を名乗る人々は、ひとりの計算者に
なってしまう。本書はそう語る。

人間の時代が終わるかもしれない。この本を読み終えた直後の感想だ。
膨大なデータを元にした絶対計算は、人間の感覚では把握しきれない
結論を導き出す。いやいや直感というものの力はまだまだ捨てたもの
ではないし、絶対計算が迷える魂を救えるわけがないじゃないか、
という意見も当然あるだろう。自分もその意見に与したい。

人間はあれこれ迷い、日々をさまよう。そんな人間が統治する世界は
「世界の側から見たら」不安定でどうしょうもない。絶対計算によって
極限までリスクを考慮した定量的な意思決定の方が、世界をうまく統治
できるのかもしれないし、よりよい理解が得られるのかもしれない。
混迷する2008年の初頭で、その可能性を否定することは、
もうナンセンスと言ってもいいのではないだろうか。

来るべき薄ら寒い未来を予感しながら、アメリカ大統領予備選挙を見ると、
絶対計算の抵抗勢力となるような情緒的な人間たちが、楽しそうに騒いで
いる。ダボスでは、環境問題対策のための絶対計算が各国の覇権争いに
用いられている。そして絶対計算をするための仮説はまだ大半は人間が
立てている。その仮説は多分に定性的で愚かしかったりもするのだろう。

いずれ計算機が仮説を立てるようになったら、役目を譲ればいい。
それまでは、自分の身体と真摯に付き合って、絶対計算すべき仮説の
精度を高めるために、歩いて歩いて歩いて、感覚を突き詰めるまでだ。
計算で答えを当てるより、感覚を突き詰める方が、自分には面白い。

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紙の本体制維新−大阪都

2011/11/18 22:55

日本先物予測選挙

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

課題先進国内の課題先進地域、大阪。最も不幸な都道府県に選ばれてしまった大阪は、失われ続ける日本の象徴のような地域で、1970年の万博以降、衰退の一途を辿っている。そんな大阪の諸悪の根源は、明治以来の旧体制を残したままの、大阪市と大阪府の二重行政にあると、橋本氏は熱く語る。統治の仕方を巡る大阪都構想の概要が本書の論点。

大阪の問題は分かりづらい。880万人の大阪府の中の大阪市の人口は260万人。この中途半端な規模のレイヤーの違いが、府立と私立の二重の大学や図書館や病院を生み、無駄な税金、行政コストを浪費し続け、結果住民が求める行政サービスを提供出来ない真の原因であると橋本氏は繰り返し説く。

明治維新も分かりにくい権力闘争だったと思うが、今現在繰り広げられている大阪ダブル選挙の争点、大阪都構想も実に複雑で、住民にとってはきっとわかりにくい。ただ、いくら首長が変わっても、政策が変わっても、一向に市井の人々の生活の質が向上しないなら、それは仕組みから見直さないといけないという橋本氏の主張はうなずけるものがある。府と市の役割分担が出来ていない大阪は、仲の悪い会長と社長の会社組織のようで、上に振り回されるばかりなのだろう。

本書を読めば、橋本氏の情熱は充分伝わる。特に、課題をあぶり出す争点を設定して、一点突破でモデルケースを創るという政治手法は、ソフトバンクの孫社長のようで、いかがわしさを漂わせつつも本気度は伝わる。また、改革の是非は組織マネジメントにあるという記述にも、昨今の政権たらい回しを見せつけられた国民からすると、説得力がある。

果たして、橋本氏に組織マネジメント力はあるのか。大阪都構想という争点で一点突破できるのか。勝負は来週明確になるが、巻頭と巻末の対談の相手である堺屋太一氏は、2年ほど前、日本の勝負は2011年と言っていた。この大阪の選挙は、東京にいると本当に分かりづらいが、もしかしたらその選挙結果はTPPよりも早く、わたしたちの日常を変えていくのかもしれず、TPPの成否は、西日本のどこかにアジアに羽ばたく世界都市が生まれるかどうかにかかっているのかもしれない。

オバマ大統領の地元シカゴは今や世界の商品相場を司るが、先物取り引きの元祖は、江戸時代の大阪堂島の米相場だったと言う。先進的な商売を営むポジションに再び大阪がなれるのかどうかは、大阪府と大阪市が、無益な対立を乗り越えて、世界を見据えたアウフヘーベンできるかどうかにかかっている。

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紙の本日本の大転換

2011/10/11 00:05

しなやかな性転換

6人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

原子力発電所とはいかなる思想の下に生まれたものなのか?一神教の国々で芽吹き、ソ連のニンゲンによってで初めて実用化されたゲンパツは、自然を制御してこの星の「小さな太陽」となるはずであったが、どうやらチェルノブイリからフクシマを経て、その役割のピークを終えようとしている。それはゲンパツを生んだ思想がこの星の実態に合わず、資本主義とか共産主義とか、政府の大小とか、そういう既存の知の枠組みが機能しなくなってきている示唆だ。

地球科学と生態学と経済学と産業工学と社会学と哲学をひとつに結合するような新たな知の形態が生まれない限り、わたしたちが今直面している問題に正しい見通しを与えることなど出来そうにない、と中沢先生は言う。本書はその新たな知の形態を模索する中沢先生の一連の思考の長い延長にありながら、思考から行動へと大きく舵を切り始める端緒となる書である。

一神教的で自然搾取的な価値観に基づいたゲンパツが緩やかに衰退する中で、それでも日常の生活の質を諦めることなく現実に対処していくには、私たち自身を活かしている太陽と緑に寄り添って、太陽と緑の活動原理を経済原則に組み込む必要がある。これまでコストという経済事情に阻まれていた太陽と緑の経済化は、詰まるところ、この地球でしか生きられないニンゲンの生を問い直すことでもある。そして現代の科学や貨幣だけでは割り切れないわたしたちの生を省みるヒントとして、ここにあらためて仏教がクローズアップされている。

とはいえ、大転換には長い時間がかかる。自然は時に酷いほどに現実をばっさりと切り裂いてしまうけれど、社会はそんなに急には曲がれない。けれど、曲がる意思を示すのは個人で、示し続けるのも個人で、その個人を束ね、近代を超える知の新たな形態を実践するのは、男根主義的な政治や経済を超えた、しなやかな経営とかデザインというものではなかろうか。女子高生からマネジメントしてしまうこの国には、いずれしなやかに組織を動かすなでしこがたくさん出てくるはず。天照大神の国の経営は、JKが課長になる頃にはきっと百花繚乱。それまでにやるべきことは、あの無味乾燥でしなやかさのかけらもない太陽光パネルを、カワイイと言えるくらいに洗練させておくことくらいかな。

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紙の本選挙演説の言語学

2010/09/11 18:52

その言葉は、響けば届く。

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

民主党への政権交代が実現して1年が経った。
半世紀以上に渡る一党独裁を経ての政権交代で、政治家誰もが人生史上で
初の出来事であることを冷静に考えれば、政権交代の成果や意味を
問うにはまだあまりにも期間が短いことはわかっているつもりではいても、
とにかく批判がしたくなってしまう、こんなはずではなかったと。
でも、1年経ってまず振り返りたいのは、1年前の選挙は何だったのか、
郵政選挙で言葉にほぼ踊らされたわたしたちは、「政権交代」というものに
何を見ていて、あのとき何を聴いたのか、その記録だ。
本書は、2009年夏の衆院選挙の街頭演説の詳細な分析の書である。

著者曰く、昨年夏の衆院選の演説スタイルの特徴は大まかに2つに
分けられて、1つは、マニフェストの解説を中心とする政策の発表を
メインとした「リポートトーク」、もうひとつは聴衆との共感やつながりに
重点を置いた「ラポートトーク」。端的に言って、政治家の演説の魅力は、
データを織り交ぜたリポートをしながらも、聞き手中心のラポートトークが
出来るかどうかだと、著者は言う。

極論的に掲載されているのは、自民党候補の応援演説に来た小泉元首相の
スタイルで、そこにはほぼ聴衆の情緒に訴えかけるラポートトークだけで、
なんと政策の話は一切ない。そのスタイルは良くも悪くも、政治家とは
何をする人なのか、何が出来ればいいのか、喚起してやまない。

本書で特に「良い演説」として取り上げられているのは、岡田現外務大臣。
堅物な印象の政治家にありがちなマニフェストがちがちのリポートトーク
と思いきや、どうやら違う。政策変更によって生活が窮地に追いやられた
家族に思いを寄せ、それを「必ず変えてみせます」と絶叫するだけでなく、
その家族のことを思って一瞬言葉を失うひとりの人間として聴衆に己を
さらし、自ら磨き上げたマニフェストを「簡単ではない」と断言しつつ、
「そこには私たちの魂がこもっているんです」と熱く語る。その姿が
想像できて、自分もちょっとファンになってしまった。

本書の詳細な言語分析を通して伝わってくるのは、自分というものは、
言葉の端々に宿っているということ。そして選挙演説は、選挙に受かる
ための言葉というだけでなく、その言葉の響きの中、聞き手との間に
どういった関係性を創り上げることが出来るかにかかっていて、
選挙が終わった後も、言葉というものはずっと自分そのものであって、
五感に響く言葉だけが聴衆を動かし続け、それは言うなれば、言葉の
肉体性とでも形容できる何かを搾り出せているかどうかによって、
政治家が政治家足りうるかどうかが決まるということだと思う。

今日も政治家は街頭や記者団の前で言葉を放ち続けているが、
その言葉がわたしに響いてくるのかどうか、それだけを注意していれば、
この国の行く末はわかるのかもしれない。
それはあなたがわたしをわかろうとすることや
わたしがあなたをわかろうとすることと、何ら変わりがない。

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実行への変換キーを押す実務書

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

閉塞感という言葉を毎週のように聴く。
社会が閉塞した感じとはどういうことだろう。
それは何かコトを起こしても変わらない感じ、起こせないような感じ、
つまり全国津々浦々あくまでも「感じ」が積もり積もって
閉塞感漂うという一語に回収されて多くの人がしょうがないような
感じになってしまっているのではなかろうか。
ビジョンがないわけではないと思う。勇気がある人もいると思う。
日本の世の中の詰まるところ、コトを推し進める実務的シナリオが
弱いんではなかろうか。事業を開発していくマネジメントが機能して
ないだけなんではなかろうか。

本書はアジアNo.1ビジネススクールを目指すグロービスのシリーズ本。
事業を開発していくにあたっての方法論の伝授にプラスして「アニマル
スピリット」を喚起することを意識して書かれた実務書だ。
とかく実務書というのはちょっとモノを知った人からは軽蔑されがちだが、
世の中を具体的に動かしているのは、法律にしろ会計資料にしろ、
実務的な書類だったりする。そして言うまでもなく、実務書類は宿命の
ようにあんまり面白くはない。

でも、本書の前半、ビジネスモデル、ビジネスプランに関する章を
読んでいて、あらためて思った。世の中を動かす書類は、面白くないと
駄目だ。知的興奮がないとコトが動かない。カラダも弾まない。

本書の最終章には、今話題の新興生保「ネットライフ生命保険」の実際の
事業計画書の一部が載っている。生保の市場環境と新会社の基本
コンセプトが書かれた簡素なプレゼン資料は、簡素だけど意味の含有量が
高く、コトを起こしそうな企画特有な前のめり感が溢れている。

鉄腕アトムはついに小学校に実務的に入学したらしい。
細密に描かれた未来は、人々の脳裏を経由して本当の未来になって
しまったりする。このシンプルな表紙のビジネス書が提示してくれるのは、
コトを推し進めるシナリオの強さ、その源泉がどこから来るのかという
ことだ。それは単純ではないので、読み込まなければならない。
そして実行への変換を喚起する実務書は、世の中を本当に変える。

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紙の本アフリカ動きだす9億人市場

2010/01/31 18:44

アフリカの民が友人になれば

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

アフリカについて語るときに、この国の民が語れること、その枠が
狭いんではないか。どこの国もそれなりにかなり悲惨であり、そこそこの
幸福があるはずなのに、とかくアフリカに関しては、外部のものが語ると
十把一絡げで悲惨比率が高すぎる。そんなときには、マーケティング的に
内部外部のポジティブ面とネガティブ面を整理整頓し、アフリカに吹く
追い風を見極めてみると、けっこう悲惨になってきたこの国の人々を
逆照射できるんではないか、その格好の書が本書だ。


マーケティングコンサルタントの著者が語る「アフリカ市場」はひたすら
楽観的だ。9億人の消費者は中国やインドとも引けを取らず、ビジネス
意欲も旺盛で起業家も続々生まれている。人々の有形無形の思いを
組織化し、格差を飛び越えるためのインフラ整備が進めば、アフリカの
将来は確かに右肩上がりのバラ色に見える。


著者がアフリカの市場を捕らえる際に最も重視するセグメントは、
地域でも性別でも人種でも民族でもなく、所得層だ。なかでもこれから
勃興するのは「アフリカ2」だという。先進国並みの消費/生活をする
「アフリカ1」は9億人のうち多くてせいぜい1億、これに対して向上心
旺盛な中流層「アフリカ2」は5億人ほどにのぼり、年収は50万円に
満たないレベルではあるものの、子どもに教育を受けさせることに
熱心で、携帯電話を持っていて、余暇もあり、そして若い。


中流を想定する健康的なマーケが今のアフリカに求められていて、
教育や医療やコミュニケーションをめぐる経済活動の中から、
今アフリカが抱える諸問題を、中間的な普通の人々が自然な起業
意欲で解決していく様子が本書には溢れていて爽快だ。
この健全な躍動感はもう南にしかないのかもしれない。


施しより貿易、チャリティーよりセルフブランディングの方法。
日本からアフリカを思うことは、世界の各地で今も普通に暮らす
「ワールド2」な人々と、水平な視線で交流する方法を問うことでもある。
勢いで勢いに乗る集団に対して、我らは根気よく健全な商売を営み、
足るを知り、意思を持ってテンション高く腰低く対応すれば、
お互いの暗い過去のない両地域は、とても楽しい友人になれるはずだ。

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同一性的近未来ノンフィクション

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

最近の移ろいやすい天気を肌で感じていると、エコで世界を束ねるのは
やっぱりきっと至難の業で、生活者としても労働者としても幸せに
なりたくてワークライフバランスを意識してみてもこの不況下では思う
ように気分的にバランス感覚が発揮できず、そんな中で未来はどんな風に
創られていくのかを見定めようとしたら、2015年のIDビジネスを
調べてみると生々しい自分の生活状況が浮かび上がってくる。本書は
そんな近未来SFノンフィクションという矛盾した新ジャンルのような本。


すでに広く普及しているIDという言葉はアイデンティティを略した
ものだと言われるが、そのアイデンティティという概念自体が日本語に
なりづらく、決定版の訳語はない。中心概念は「同一性」とのことで、
IDはそこから敷衍されて識別とか身分証明とかいうことらしい。
IDビジネスとはそんな同一性を資本とするビジネス。


ひとまずそう理解しておくが、本書からの大きな気付きは2点。
ひとつは、IDというとヒトに付与される番号みたいなものばかり
想像して「私は番号でも記号でもない」みたいな反応をしてしまいがちだが、
それだけではなくて、モノにもカネにもアクションにもIDは付けられて、
匂いとか味とかオーラとか、今は何だかよくわからないものにまで
IDの発行がされるようになるかもしれない、という点。意識されるだけに
留まらず、同一性に基づいて分類されて番号がつくことで、社会を構成する
ものが、ID化されていく。それを突き詰めていくと、本来は同一性を
保証するものがIDだらけのバラバラに分裂した世界になってしまう。
現に今の日本人はすでに、カードのIDを平均で20くらいもっている
そうで、私という存在はすでに20のIDなのだ。このIDの分裂を
どう統合していくかが、2015年に向けての重要課題なのだそうだ。


もうひとつ、本書の重要な指摘はIDの活用の仕方は国によって著しく
違うという点。ナチス支配の影響からか統合IDコードを持たないドイツ、
IDコードを徹底利用し、利便性を追及するスウェーデン(ID支配に
対する国民の不安は、得られる利便性が高いため、驚くほどないらしい)、
ロシアからの独立後に一気にIDが普及して先進的な行政サービスを
構築中のエストニアなどの事例が紹介されていて刺激的だ。


この公的セクターでのIDの利用をどうするかが、これからのニッポンの
公的サービスとニッポン人のアイデンティティ意識を決定付けるかも
しれず、このIDの管理の仕方の強弱が、国と地方と集落の役割を
決定付けるのかもしれない。


民間企業のID的マーケティングはもう留まるところを知らず、
消費は企業側から見たらあっという間にセミヌードくらいになって、
消費者庁という消費者の監督官庁まで出来たから、消費は管理されて
いくのだろうけれど、そうなったときに我らの自由はどこにいって
しまうのか。同一性のあるものには何でもIDがついていく世の中で、
同一性を保ちにくいのは、常に流れ行くもので移ろいやすいものだ。
2015年はすぐ来るので、理由なき感覚的反抗をする暇もないけど、
移ろいやすい天気を愛でる感性を、行間に滲ませる自由くらいは
保って生きたいものです。

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新たな幸福の価値基準

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

原丈人さんの本の出だしは結構ざっくりしている。
原さんはベンチャーキャピタリストというまだ見ぬ価値の産婆さんなので、
自分の仕事の限界と可能性が見えていて、そんな前提の上でこんなことを
冒頭でさらっと書いてしまう。


「幸せ」を数式で表すことが出来るだろうか。
人間の感情を数式で表すことが出来るだろうか。
新しい技術の芽はどこにあるかを数式が教えてくれるだろうか。


私は、幸せも人間の感情も数式で表せないと思うし、新しい技術の芽は
数式「だけ」ではわからないと思うから、本書は冒頭から心地よかった。
数式なんかで表されてたまるか!というのが人の気概であって、それでも
数式で表してやろうという人がいるのが、人の科学的知性だと思うので、
原さんのような価値観が広まるのは、人の世にとって、悪くない。


原さんの目は、国家の経済指標や財務諸表やチャートにばかり向いて
いない。その視線は、ウォール街の常識に染まったエリートの眼差しを
冷静に見据えているし、同じ視線がディーラーの近くで働いている
低賃金の清掃員にも注がれているように感じるし、また同じテンションで
空間的にはぜんぜん異なる途上国の、ごく普通に貧乏している人々を
見ているように感じさせる。更にはそうやって日々を生きる人々の
心と胃腸のなかにまで視線が届いているように思える。


本書で原さんが論じる新しい資本主義=公益資本主義は、資本のための
資本主義ではなく、人の幸福のための、貧困をなくすための資本主義で、
金融資本主義というひとつの価値観が崩壊したいま、能力のある人間が
公益というスタートラインに立つことは非常に意義がある。
まずはざっくりとでもいい、なんといってもこれからの価値を見出すのが、ベンチャーキャピタリストで、どんな技術が必要なのかも、貧困のない
幸福な世の中というざっくりとしたものから逆算で探り出していけば
良い訳だ。


もうひとつ、本書が前著の『21世紀の国富論』から一歩進んでいると
感じさせるのは、幸せは数式で表せないと強調しつつも、それでも
公益資本主義の指標を提示している点だ。それは3つあって、「公平性」と
「持続性」と「改良改善性」である。ある活動を進めていくにあたり、
価値基準をどこに設定するかは本当に難しい課題で、それこそが
時代の哲学であると思う。この指標が正しいのかどうか、それは
原さんの活動に関わった人の生活そのものの中にしかない。
(でもそれは実は金融資本主義でも同じで、金融エリートは果たして
いま幸福なのだろうか?)いずれにしろ、その測りがたさが原さんの
主張の一般的弱さであり、時代の息吹を感じる人への強さでもある

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紙の本完璧な冷静 オバマ変革と試練

2009/03/15 22:37

完璧な冷静さを前にしてわたしたちは。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

オバマ大統領就任から50日が過ぎた。
世界は変わったに違いないのに、日本という国家は日に日に混沌の
度合いが深まっている。何だかあのモウロウ会見以降、日本全体が
酔っ払ってしまったかのように、グダグダ感が日常化している。
バラク・オバマという人間は持ち前の「完璧な冷静さ」でそんな日本を
どう見ているんだろう。


本書は、オバマの政策の書でも、アメリカの今後を語っている
書でもない。バラク・オバマという卓越した知性を持つひとりの
人間が大統領選挙戦を通じて「完璧な冷静さ」を体得し、大統領に
なっていく過程を描いた書である。


オバマが政治家として認知されたのが2004年7月の民主党大会の伝説の
基調演説以降だとしたら、オバマが大統領して認知されたのは、2008年
9月のリーマンショック後、マケインと3回に渡って演じられた討論会の
最中だったことが改めてよくわかる。株価が暴落し、議会が混乱し、
自動車のビッグ3が断末魔に喘ぐ中で、バラク・オバマは見事なほどに
冷静だった。世界はそれを見た。


自らの置かれている状況を適切に把握する力がその冷静さの生みの親だ。
そしてオバマは自らに期待されている「バラク・オバマ的なるもの」に
非常に自覚的なようだ。人種や民族や年齢や性別を超越して、1個の
肉体を通して状況を察知していろんな手段を使ってそれなりの解を
導き出し、人々に響く言葉に置き換えて声を発信するひとつの機械の
ようなのだ。


以前『長州ファイブ』という映画で幕末に英国に密航した志士たちが
先端技術を身につけて「生きたる機械」となって国に尽くすことを
誓っていた。本書を読んでいると、オバマ大統領も当然最初から
大統領なわけではないのだけれど、大統領選挙を通じて自らの言葉と
振る舞いに磨きを掛け続け、アメリカ再生を担う「生きたる機械」として
何とかリーマンショック後の世界に舞い降りることが出来たように
感じた。だから金融資本主義の崩壊とオバマ大統領の誕生は、ひとつの
神話のように対をなしている。


始まったばかりのオバマ・デイズも世界という物語の流れの中で
始まったもので、逆にこれからの世界はこの人が主役として紡がれて
いくと思うのだけれど、「完璧な冷静さ」に対応するにはどうしたら
いいのでしょうか?完璧に冷静、ということはかなり身も蓋もない
現実路線、と同義になりがちだと思うのですが、質素に真面目になって
いくアメリカを、意味不明ながら楽しませることが出来るのは、案外
酔っ払い気味な日本だったりして。状況をまったく読んでないけど
何だかやることが唐突で面白かったり。狂言回しというか。表向き、
駐日大使候補に敬意を表してソフト・パワーの強化とか言いながら。

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美しい発音の日本

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劇団四季主宰者の浅利慶太氏がドイツのある女性から聴いた言葉。
「イタリア語は歌に向く言葉」、「フランス語は愛を語る言葉」、
「ドイツ語は詩をつくる言葉」、「スペイン語は祈りを捧げる言葉」、
「英語は商売する言葉」、「ロシア語は人を呪う言葉」そして、
「日本語は人を敬う言葉」。


演劇とは文学を立体化した芸術であると、三島由紀夫も語っていたそうで、
劇団四季は美しい日本語を発するという浅利氏のこだわりによって、
創設から50年を越えた。感情の発露よりも一音の発音にこだわる姿勢は、
ものづくり民族日本人の強さにも重なる。言葉は、語られて受け取られて
意味を持つ。美しい響きは、一瞬の記憶の中に刻まれて受け手の肉体を
通じて更なる響きとなって時を越えてゆく。


つい昨日、消滅の危機にある言語が日本にも8つほどあると、
ニュースで見た。言葉が生まれるときが詩の誕生だとしたら、
言葉に秩序をもたらすのが物語だと思うのだが、言葉が生命を
保つには、演劇というライブが必要なのかもしれない。そして
政治が劇場型なのだとしたら、きっとわたしたちは知らず知らずの
うちに日常というライブな生活の中で、劇場的生活を送っている
はずだ。政治が劇場で日常が劇場ではないはずがない。


だとしたら、海外の人に「人を敬うように」聴こえる日本語は
ライブな日常の中でどうなっているのだろう。それもメディアが
教えてくれる。政治家に限らず漢字の読みはボロボロで、時には
呂律さえ回らなくなり、それを評するニュースキャスターは何かと
いうとインパクトだけある言葉で怒ってみせる。安易なメタファーを
避けようとしても、現代日本に流布する日本語に、人を敬う気配は薄い。


本書では高度成長期からバブル時代に掛けて、浅利氏が関わった
政治家が頻出する。崇高な理念も、美しい言葉がなければ伝わらない。
意味の分からない言葉は、壮絶な孤独と共に、受け取り手もなく、
消え去るしかない。劇団四季はロングラン講演の成功によって
組織として自立した。その背後には、連綿と続く美しい日本語の連鎖が
あった。人間は美しい音に耳を澄ませているときが最もリラックスすると
どこかで聴いたことがある。美しい日本という言葉を発した政治家が
記憶から消え去ろうとしているいま、美しい日本を本当につくるのは、
人を敬う美しい日本語の音なのかもしれない。

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マータイさんがいる!

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2008年、ケニアでは暴動の新年を迎えているという。
ケニアの人々にとって、従来の新年がどんなものなのかわからないが、
生きていくための衝動が新年の区切りなどお構いなく、沸き起こって
きてしまうような状況なのだろう。その混迷を理解することは、
日本にいる自分にはなかなか出来そうにない。

2007年4月、この本の出版に合わせて来日したマータイ女史の
サイン会に行った。青山ブックセンターに現れたアフリカ女性初の
ノーベル平和賞受賞者は、平和の難しさと尊さについて熱く語って
くれた。声は力強く、表情は柔和で、人種や民族や性差や年齢といった
カテゴリー分けを越えて、ただただ人間としての強さ、まっすぐな強さを
感じた。本には自分のサインより大きく、Peace!と書いてくれた。

マータイ女史は木を植えて育てる、ということを延々と続けてきた。
その行為はとてもゆっくりで周囲の状況に翻弄されやすい。
それでも大地と向き合って木を植え続ける行為は、この地球と共に
歩む人間のあるべき姿を、全人生・全人格を掛けて表現しているように
思える。神話的と言えるほどに。

原題である"unbowed"とは「曲がっていない」という意味だ。
大地に根を張り、伸びゆく樹木をイメージさせる言葉だ。
マータイ女史の半生を綴ったこの自伝にも、ケニアの大地に根差し、
ゆっくりとだが確実に根を張る平和への道筋が垣間見える気がする。
現実を省みればそれは安易な比喩であるかもしれないけれど、
マータイさんという人格の中に、平和のひとつの形がある。
そして、「マータイさんがいる!」ということが、ケニアの人々、
アフリカの人々にとって、どれだけの励みになることか。
それはきっと時を越えて、いや時を経れば経るほどに、
多くの人を勇気付けていくことと思う。

マータイさんのいる世界にいることが出来て、
僕らはラッキーに違いない。


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