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  3. くにたち蟄居日記さんのレビュー一覧

くにたち蟄居日記さんのレビュー一覧

投稿者:くにたち蟄居日記

315 件中 31 件~ 45 件を表示

紙の本

ロシアでの 疾風怒濤時代

5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書を読んで感じた点は2点である。

 まず本書はフィクションなのか ノンフィクションなのかを僕として知る由がない点だ。

 読んでいる印象としては 限りなくノンフィクションだとは思うが それを検証できるすべはない。但し 考えてみると フィクションとノンフィクションの違いが実質的にどこまであるのかも分からない。大切なのは それを読んだ際に何を学び 何を次にやりたいのかというvisionが湧いてくるかどうかだ。

 その意味で 本書を読むことで マルクスを21世紀の今に再読する必要性を強く
感じた。


 二点目として 旧ソ連の崩壊をここまで鮮やかに描き出した本を読むのは初めてだ。というか 旧ソ連の崩壊を描いた日本の本も余りないと思う。かつ 本書はジャーナリズムの立場で書かれていない点に凄味があると考える。

 「ドキュメント ソ連崩壊」というような内容ではなく あくまで崩壊が起こる内在的な論理を 宗教と歴史に求める姿勢が貫かれている。
 これは そもそも宗教と歴史に通暁している事が著者に求められるという極めてアグレッシブな状況だ。それを自分の問題として引き受け かつ 果たしている著者の実にユニークな立ち位置が見えてくるという点で刺激的だ。こういうリスクを自ら取って書く本にはなかなかお目に描かれない。

 僕は佐藤というお方には大変注目している。表立って「佐藤批判」が出てこないことも実に興味深い。佐藤のように「断言する」方に対しては もっと批判や批難が出てくることが普通だと思う。それが この数年出てきていない点に 日本の思想界のひ弱さすら感じてしまう。

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紙の本

紙の本功利主義者の読書術

2010/09/19 03:49

自分を抉り出す書評

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 今までに類を見ないような読書案内だ。
 
 まず 取り上げられている本のジャンルの多さである。「資本論」と「聖書」と村上春樹と石原真理子と小室直樹を取り上げるようなお方は初めてだ。この本の選択は 下手をすると奇を衒うだけに終わってしまいそうだが そうにはなっていないところが佐藤の凄みである。


 色々な本を円に並べて その真ん中に佐藤が座っている風景が目に浮かぶ。どの本も佐藤は佐藤自身の読み方で解説していく。実際に 各々の著者たちが意図した内容を佐藤が読み込んでいるかは疑問だろう。むしろ 佐藤が「勝手に」読み込んでいる部分もあるに違いない。
 それを「曲解」という言い方もあろうが そもそも本とは「曲解」される自由も有している。佐藤は自分の読み方を自由自在に各々の本から引き出している。その「引き出し」の量と質が圧倒的であるところが 本書の醍醐味だ。

 本書を読んで痛感したことがある。書評とは ある本を取り上げることを通じて「自分の意見を述べる場である」ということだ。つまり「自分はどう思うのか」、「自分がそう思うことということで見えてくる自分自身とは何か」を抉り出す作業なのだ。

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紙の本

過渡期感を常に持つべきということ

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書を読みながら 頻りと「過渡期」という言葉を想った。

 僕らは所与の「環境」に関して、それは昔から在り、今後も続くと考えがちだ。いや、希望しがちだという方が正確かもしれない。例えば 日本は経済大国で恵まれた国だという一般論があったとして、その状態は昔から在り、今後もそうであろうと考えるようなことだ。

 歴史を考えるだけでも、少なくとも「昔から在り」という部分は間違っていることは直ぐ分かる。1945年8月の日本が「経済大国で恵まれた国」では最早無かった。
 同様に 「今後もそうであろう」という漠然とした期待感にも根拠が有るのか。僕らは ゆで蛙のように、じわじわとした危機の中でも、それに気が付かないという感性の鈍さだけで、そう楽観しているのではないか。


 つまり昔も、今も、そしておそらく未来永劫も あらゆる瞬間は「過渡期」だ。


 「過渡期」に、僕らはどうしたら良いのかということが、本書の底辺を流れる主張であると僕は読んだ。
「既」という言葉が本書で目に付いた。「既」には「米国」「新自由主義」「覇権」という意味もあれば「ナショナリズム」「計画経済」という意味も含ませてある。将来を考えるに当たって、「既」からどれだけ自由に考えることが出来るのかということが 果てしなく続く「過渡期」をしたたかに生き延びる知恵だという事が著者のアジテーションだ。著者の守備範囲の広い各種提言の底流には、そのアジテーションが響いている。


 「諸行無常」という言葉がある。昔から東洋には「過渡期感」というものがあった。今一番求められているのは、「過渡期」を耐え抜き、新しい人間の在り方を示す新しい「思想」だ。「過渡期感」を既にDNAに取り込んでいる日本人が、かような思想を構築出来る可能性は十分にあるべきだ

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紙の本

強い楽観とはまた別の地点で

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 梅田という方の本は出るたびに比較的きちんと読んでいる。読んでいて、元気が出るからだ。今回も元気は、それなりに出たのだが、一抹の疑問も感じた。感想は二点だ。


 一点目。梅田という方は、ウェブとウェブ社会に対して、極めて強い肯定を行ってきている。彼の本を読んでいて、元気が出る一番の理由は、ウェブという新しいツールを入手した人間の将来が極めて明るく語られている点にあると僕は思う。楽観性とは確かに人間の一つの強い力である。強い力の傍に居ると、釣られて元気になる。それは自然なことだと僕は思う。

 但し、ウェブ社会というものはそんなに肯定して良いのか。少なくとも、現段階においては、どちらかというと、ウェブという新しいツールをどう使いこなすべきかという点で、人間には色々な迷いもある気がする。自分で作ったものを制御出来ないということは、人間の歴史でもある。自動車事故で亡くなる方の数の多さを見ても、まだ人間は自動車というツールを御しているとは思えない。ウェブが何を人間にもたらすのかはもう少し見る必要がある。



 
 二点目。本書はウェブを通じた教育の話だ。オープンエデュケーションという米国の新しい試みを紹介しつつ、これからの教育の有り方の一つの方向性を示している。但し、今の日本を振り返ってみると、「教育とは、そもそも何なのか」という点で、まず考え込んでしまう。

 僕の年代での教育では 受験を避けて通ることは出来なかった。教育パパ・ママとは、子供に受験を強いる親であり、即ち 教育=受験だった時代だ。受験とは一つの判断基準として社会に広く流布され、受験をするための学習を教育であると考えることが比較的自然な時代だった。このモデルは今崩れつつある。大学を卒業しても働けない社会になっているのが今日の日本だ。

 梅田と飯吉が本書で展開するエデュケーションとは、かような矮小化された教育ではない。但し、彼らが目指している高度な学習が、今の日本の社会の中で、どのような位置付けになるのかが見え難い。非常に下世話に言うと、今の日本で、どのくらい実際に役に立つのかが今一つ明快ではないのではないか。

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紙の本

貧困問題が浮かび上がる前の本

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 2004年の本が2007年に文庫化され、それを2010年9月に読んだ。


 一点目。高度経済成長の日本を、「職業・家庭・教育の安定」で分析した点は非常に納得が行った。特に受験競争を職業選択のパイプラインであるとした上で、それを一種の「あきらめのシステム」に仕立ててあったという説明には目から鱗が落ちた。
 受験と言う制度と職業選択をリンクするに際して、必ずしも思うようにいかなかった人にも「あきらめ」という形で納得させてきたシステムだったという著者の指摘は鋭いものがある。


 二点目。著者は表題の通り「希望」が持てるかどうかという部分に日本の社会の強弱を見ようとしている。
 本作は2004年に書かれ、2007年に文庫化された点を勘案するとしょうがないのかもしれないが、その後の日本を襲った「貧困問題」まではくっきりとは視野に入っていない。というか、おそらく2004年以降に状況が更に悪化したということなのだと思う。
 希望が持てるかどうか以前に、貧困に苦しむ多くの日本人が「発見」されたことが、2007年以降の数年の特徴だ。本書では「富める人」と「貧しい人」との二極化までは説明しているが、その「貧しさ」がどういうものなのかという点において、まだ楽観的だったのではないか。


 「格差社会」には、まだ議論の余地は多いが、「貧困社会」には議論の余地は少ない。本書で著者は1998年を格差が発生しはじめた年と位置付けているが、その10年後の2008年のリーマンショックが、貧困を浮かび上がらせた新しい節目の年だったのかもしれない。
 そう考えながら読むと、非常に怖い。読後感は、背筋に来た。

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紙の本

紙の本時代との対話 寺島実郎対談集

2010/09/05 08:48

裸眼で物事をありのままに見たいと思いながらも

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 岩波の雑誌「世界」で著者の連載を楽しみに読んでいることで本書を読む機会となった。

 著者の一番の主張は「米国を通して世界を見るだけでは駄目である」ということだと読んだ。戦後の日本が米国に頼ってきた経緯はしょうがないにしても、その結果として物事の見方が狂ってはいないかという警鐘を鳴らしている。この点で著者を反米であるという見方もあるようだが、それは当たっていないと考える。
 
 例えば、巻末の対談相手である佐藤優が、キリスト教も含めた欧州・ロシアでの経験を土台にしているとしたら、寺島は10年以上滞在したという米国を土台にしている。勿論、自分の土台に対してアンチになる可能性は常にあるが、寺島は決して「米国は駄目だ」とは言っていないのではないか?米国を通じてのみ世界を見るという、日本人の「メガネ」の掛け方に関して、問題提起をしているのだと思う。メガネで物事が良く見えるときもあれば、メガネが曇ってしまい、良く見えないときがあるわけだ。

 大切なのは裸眼なのだろう。僕自身、物理的に視力が悪いこともあり、裸眼のしっかり人は本当に羨ましい。世界を理解しようとする中で、どれだけ裸眼で物事をありのままに見ることが出来るのか。そんな難しいことは僕にはとてもできそうにないのだが。

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紙の本

そろそろ自分の死が見えてきている中で

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 読み易い本である。感想は三点だ。

 一点目。著者は、自らの事業できちんと利益を上げることを目指している。グラミン銀行もしっかり収益を上げていることに重なる。言うまでもないが重要なことだ。
 ボランティアというものには敬意を払うが、ボランティアだけで、世界が救える程に、人間は「人間ができていない」と僕は考えている。きちんとした利を取りながら、結果として、世界に役立つ仕事でないとサステイナブルではないはずだ。
 勿論、「貧者を食べ物にする」ような人も出てくるとは思う。日本の一連の派遣社員を巡る議論の中にも、そういう人が見え隠れしたことは記憶に新しい。その辺をきちんと自他共に律しながら、進めていくことが出来たとしたら、著者のやっているTFTという仕事には大きな可能性があると感じた次第だ。

 二点目。著者は、その自らの経歴において目立っている。オーストラリアの大学院で人工心臓の勉強をし、マッキンゼーから松竹に転職、その上でTFTを始めたという経歴は、ある意味で派手だ。
 派手に眉をひそめる方もあるかもしれないが、僕は、それはそれで良いと思う。そういう経歴がTFTを推進するに当たっても有利になっている様子であるし、TFTが推進出来るなら、使えるものは使うべきだ。

 三点目。本書を読みながら、改めて自分自身について考えさせられた。社会に出て以来、仕事に余り疑問を持たないまま、資本主義の中でやってきた人生である。但し、40歳も半ばを過ぎて、そろそろ自分の死が見えてきている中で、反省することもある。そういう中で、本書が示唆するものがある。

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紙の本

紙の本セゾンの挫折と再生

2010/09/05 08:45

どこかでカーテンコールの響きは残っているような気がして

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 学生時代に映画を中心にセゾンに憧れた。そのセゾンの興亡は代表だった堤清二という方の哲学にあることを再度認識した。

 学生運動から共産党に入ったという思想と、詩人で作家であるという美学を、どうやって資本主義の中で実現していくか。それがセゾンの本質であったことが本書からよく理解出来た。
 実際、映画や本好きな学生であった僕にしても、セゾンが繰り出す文化には息を呑んだものだ。セゾンがなかったら紹介されなかった映画も多かったと今でも思う。そんな堤の「賭け」は、ある時期までは大成功し、一時代を築いた。

 しかし バブルという資本主義の鬼子が津波を齎した。セゾンも窒息を余儀なくされていった。「思想と美学」という「重い頭」を支える足腰が幾分弱い中では、波に耐えて立っていることは出来なかった。それが本書が描くもうひとつのセゾンである。不動産に手を出して経営破綻する姿は、別にセゾンだけではない。1990年代の「時代の風景」だったのだ。セゾンの挫折は、どこにでもあった風景の一つと言えるだろう。

 幾分理想的に堤が描いた「緩やかな連携」をとってきたセゾングループの各社は、「セゾンの挫折」以降、各々の道を歩くことになった。破綻したグループにあったにしては、優良会社も多かったことも確かだ。それを「再生」という表題にも込めているのが著者達の考え方である。

 堤清二という実業家は辻井喬というペンネームで詩や小説を書いてきた。但し、本当は、辻井喬という方が 堤清二というペンネームで、セゾンという一大劇場を試みたのではないだろうか。劇場は既に閉まり、集まっていた観客も雲散霧消した中でも、どこかでカーテンコールの響きは残っているような気がしてならない。セゾンの評価は、まだ定まっていないのだと僕は思う。それは僕の思い入れもあるのだろうが。

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紙の本

今 大川周明を読むということの意義とは

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 僕は現在、インドネシアの日系企業に勤務している。その立場で本書を読んだ。


 一点目。少子高齢化の下、多くの日本企業は、アジアでの成長を求められている。それが大川周明等、戦前のアジア主義に重なる点を再度痛感した。

 大川は、仏教や儒教等の東洋の思想が純化結晶化されたのが日本であると断じた上で、欧米に対抗するアジア連合のリーダーとしての日本を主張した。これは現在言われる「日本の技術をアジアで展開することでリーダーシップを取る」という姿に実に似ている。日本だけでは生きていけないという切迫感は同じだ。アジアに進出している日系企業で働く僕自身はまさにその尖兵とも言えないだろうかと絶えず自問しながら読んだ。



 二点目。イスラムを踏まえて世界を見るという視点は日本には極めて薄い。例えば代表的なイスラム圏である中東に対する原油依存度が高い割に、中東への知識も興味も少ないのが日本である。

 イスラムは世界第三位の信者を持つ世界宗教だ。かつ、断食や食事制限等の厳しい戒律を、今なお維持している活きた宗教である。インドネシアに住んでいると、イスラム教が生きていることは日々痛感する。

 大川は、戦前という時代に、イスラムの可能性に目を付けた。これは慧眼以外の何物でもない。イスラムという宗教に一種の世界統一を見出した大川の予見性は、今なお新鮮だ。イスラムがいまだに信者を増やしており、近い未来には25億人になると聞く。世界同時期に一斉に行われる断食等を通じて、国を超えた大イスラム圏という意識も高まっているという。グローバリゼーションと唱えるからには、一大思想であるイスラムをある程度理解していないといけないのではないだろうか。

 大川という思想家は、今見直されてよい方だ。それが本書の最後の感想である。

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紙の本

性欲と食欲は 似ていると考えながら

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 セックスを食欲と比較することが僕は多い。

 人間の持っている食欲の多様性にはいつも驚かされている。甘い物から辛い物まで人間の食に対する好みの多さには感心する。本来の生存の為のエネルギー確保だけで、今の人間の好みの多様性は説明出来ない気がする。

 一方セックスに対する人間の多様性にもいささか感心する。特にネット社会になって従来アクセス出来なかった情報に触れる機会が増えるにつけても、驚くほど色々な性欲があることが分かってきた。それも種の保存だけでは説明が付かない気がする。


 そんな中で本書は、セックスと愛に関して、非常に単純化している点が売り物なのだろう。本書で開陳される男性と女性の考え方は、いささかデフォルメされているせいもあり、取りあえずは笑える部分もあった。

但し、単純化されているセックスと愛情の記述を読むにつれて、やはりある種の不毛さも感じる。人間の多様性というものへの配慮が本書には見られないからだ。勿論、作者達はそれを分かった上で、敢えて単純化することで、本書を成り立たせようとしているのだろうが。

 本書を読んでいて一番興味があったのは「一体だれがどのように本書を読むのか」という点だ。カップルでお互いに冗談として読むなら分かるが、若しかしたら真剣に読んでしまう二人もいるのかもしれない。そんな二人はどうなってしまうのだろうかと最後に思った次第だ。

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紙の本

正義、平等、自由というものの定義の難しさに耐えていくこと

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

読後感は三点である。
 
 一点目。改めて、「正義」「平等」「自由」というものの定義の難しさを感じた。

 本書で繰り広げられる各種の事例に対して、何が正義で、何が平等で、何が自由なのかを一つに決めることは不可能だ。その「不可能さ」ぶりに、真実があると考えるしかない。つまり「正義」はいくつもあり、そのどれもが、誰かにとっては絶対に正しく、かつ全員にとって正しいわけではない ということだ。ここから学ぶべきは 更に「一つの正義」を追求することではなく、自分にとっての「正義」「平等」「自由」とは、他者にとってはそうではないと理解するという謙虚な姿勢を持つということだと僕は考える。僕らは自分の考える「正義」を誇ったり、強制したりする権利を持っているわけではない。



 二点目。本書がベストセラーになっているということに驚く。

 どう読んでも本書は決して易しい本ではない。いや、かなり難しい本である。その本がかように話題となり売れているという現象をどう考えるのかは興味深い。
 リーマンショックが齎したものは金融危機だけではない。本質的には新自由主義への重大な疑念の発生であり、それの反動としての社会民主主義の再興だ。
これは僕らの日常レベルでの問題である。日本の格差社会問題や貧困問題も、基本的には同じ地平線にある。その状況を踏まえて、多くの人たちがもう一度考え始めているということが、本書のブームの背景だと僕は信じる。



 三点目。本書は、結論を出しているわけではない。まず僕らに反省を促している本だ。その反省に立った上で、僕らが新しい哲学を作っていくしかない。それが、地球という星の、今後百年程度といった比較的短い将来に大きな影響を与えていくはずだ。僕らがそういう知的作業に耐えられるかどうかが試されているのではと最後に考えた。

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紙の本

紙の本日本人はなぜ無宗教なのか

2010/08/31 19:17

比較的恵まれた現世を生きているからかもしれないが

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 読んでいて大変感銘を受けた。1996年に発行され、既に24刷発行となっていることも納得がいく。

 本書を読んで、自分がいかに宗教という言葉に無自覚であったか思い知らされた。僕自身も「日本人は無宗教であり、それが良い点である」と言ってきたが、そもそも その「宗教」という言葉の定義をしてこなかったことに気がつかされたわけだ。著者の言うとおり、正月には神社にお参りに行き、墓参りも行う自分自身とは、十分に「宗教的」なわけである。

 但し、だからといって、いわゆる教義宗教(著者の言葉では「創唱宗教」)への、警戒感が無くなったわけでもない。特に一神教を巡って死んだ人の数は歴史的には膨大である。相手や自分を殺しかねない教義というものにはどうしても賛同出来ないからだ。現世ではなく あの世にユートピアを見出す発想自体にも抵抗感があるが、これは僕自身が比較的恵まれた現世を送る事が出来ているからかもしれない。

 宗教は人間にとって死活的に大事だった時期がある。昔は、物事を理解するための「物語」としての宗教もあったはずだ。翻って今の世界を見渡すと、やはり教義宗教が死活的に大事な国もあることも確かだ。その中で 教義宗教に不感症(若しくは極端に敏感とも言えるか?)である僕ら日本人のあり方というものはあるのだろう。それを考えるヒントになった点で大いに本書には感謝している次第だ。

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紙の本

20-40年前に胚胎された問題の顕在化ということ

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 会社での友人に借りて読んだ。感想は三点だ。

 一点目。本書の主張は「生産年齢人口=現役世代の数の減少こそが、日本経済の問題である」という点に尽きる。消費する人が物理的に減少したことで内需縮小になったという話だ。
 この指摘は従来漫然と「経済成長」「GDP拡大」「内需拡大」と考えていた僕にとって明快な話だった。現役世代の減少とは20-40年前に胚胎された問題の顕在化であり、タイムマシンが無い僕らには処方箋が極めて限られているという点は良く分かった。

 二点目。では「内需」や「消費」とは何なのだろうか。
 「モッタイナイ」という考え方が、日本には伝統的にある。近年も見直されている。「浪費を慎む」という美徳と、内需拡大とはどのように折り合いがつけられるのか。著者は食糧問題に関して「現在の膨大な食品廃棄も見直されていくでしょう」(186頁)と言うが、その廃棄こそが食品業界にとっては「内需」だ。
人間の「浪費」に関しては、文化人類学の「贈与」という観点で見るなら、極めて人間らしい行為ということになるのかもしれないが、いずれにせよ、本書での著者は、この点に関しては明快な意見は無く、僕自身は尚更答えが出せない。

 三点目。著者は愛国者であることを強く感じた。
 企業が多国籍化していくなか、日本がこの状況であるなら、本社を移転してしまう可能性は常にあるのではないか。そう思いながら、読み続けた
 著者は地域振興を専門にしている。日本の市町村の99.9%を概ね私費で廻ったという。そんな著者の日本に対する偏愛が見て取れる。それは本書の後書きで著者が言う「美しい田園が織りなす日本」に集約されている。
著者は251頁で、日本人は日本を出ていけないと言いきっている。その思いが「日本の内需をなんとかしなくてはならない」という熱さとなっている一方、実際の企業等が、同じ熱を共有するかどうかは、僕には定かではない。

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紙の本

紙の本倫理用語集 改訂版

2010/02/07 11:19

学んで時にこれを習う  ということ

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 歴史や思想の本を面白いと最近特に感じるようになってきた。その際に 我ながら問題になるのは体系的な知識が不足している点にある。スポットで色々な本を読んでも良いのだが やはり体系の中での位置を確認しながらの読書の方が遥かに身に着く。ということで 最近重宝しているのが高校の教科書であり 参考書である。

 この年になって高校の参考書を買うことに抵抗があったが 例えば 本書を実際に買って使ってみると 平易かつ基本的な情報が網羅されており改めて初心者になっている僕にとっては大変参考になることが良く分かってきた。
 もちろん 高校生向け参考書である以上 最大公約数的なものでしかない。これが例えば新進気鋭の哲学者が書き下ろした哲学辞典(というものがあるかどうか知らないが)が持っているであろう主義主張とは 程遠いものがあるには違いない。但し まずはそれで良いのである。

 本書を 一種の哲学辞書として使っていると 改めて 日本の高校教育のレベルは高いとひそかに舌を巻いてしまう。また 僕自身がかつて倫理の授業を受けていながら その大半を忘れてしまっていることも痛感する。でも それで良いのだろう。孔子も「学んで 時に これを習う。また楽しからずや」と2000年前に言っているではないか。忘れながらも ゆっくり勉強することさえ忘れなければ いつかはいくばくかの自分自身の考え方が得られるかもしれない。それが楽しいと孔子ですら言ってわけだから。

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紙の本

紙の本読書について 他二篇 改版

2010/02/07 11:18

情報過多の現代に異彩を放つ一冊であるということ

26人中、26人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 高校時代に読んだ本だ。30年ぶりに再読して驚愕した次第である。本書で著者は読書の害を説いている。理由としては二点だ

 一点目。著者は 悪書の多さを嘆いている。売文家が 金が名誉の為に 愚にもつかない本を書き散らかしていると断言している。この状況は そのまま情報過多の現在に通じる。著者の時代と違い、本以外にもTVやネットというマスメディアを手に入れた僕らは 更に情報の海に溺れている。その中で 正しい情報にどうやってアクセスすれば良いのか。それが死活的に重要な時代になった。情報の選別をきちんとできないでいると 結局 どこにも行けなくなる。著者が嘆いたのは160年前の話だが その嘆きに共感できるということには驚きを感じた。


 二点目。情報を選別し 正しい情報に辿り着いたとしても そこに第二の罠が有ると著者は言う。「読書は他人にものを考えてもらうことである」であるとか「まる一日を多読に費やす勤勉な人間は しだいに自分でものを考える力を失っていく」という警句は現代にしても新鮮だ。本を読むことで 何かを考えてしまった気になることを否定できる人は少ないと思う。


 本書はネット時代の現代になって 本当に精彩を放っている一冊だ。例えば 検索エンジンであるグーグル一つを上記にあてはめても十分考えるヒントがある。
 「検索」とは 良い情報を探すと定義すると 上記の一点目への解決策がグーグルの検索である。
 グーグルの検索結果が「良書」なのかどうかは分からないことは言うまでもない。但し仮に その「検索」が正しいと仮定して グーグルが紹介した情報をどうやって消化するのかが次の課題としてのしかかって来る。この段階では既にグーグルが僕らにできることは無いのだ。考えるのは自分でしかないからである。

 著者は そこで僕らに「それでは皆さんは どのように考えるのですか」と問いかけて来ている。「それにこたえられないなら そもそもグーグルで検索などするな」とすら言っているような気がしてならない。何故なら 考える力が無い人が下手に情報を持つことはしばしば危険だからである。食べ過ぎて消化不良を起こしておなかを壊すくらいなら 食べない方が まだ体に良い場合もある。食べ過ぎで起きる病気の数々を考えても良く分かるはずだ。

 情報過多の海を泳ぐ際に 本書を読む意義は大きい。薄い一冊だが 山椒のようにピリリと辛い。僕は気に入ったことが書いてある頁は折って後で読み返す際の印とすることが多いが 本書に対してはあきらめた。すべての頁を折る事には意味がないからである。

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