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カフェイン中毒さんのレビュー一覧

投稿者:カフェイン中毒

129 件中 1 件~ 15 件を表示

進化し続ける作家

30人中、30人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

祖母が亡くなり、残された鎌倉の家に住む三姉妹のもとへ、
子供の頃、家族を捨てて出て行った父親の訃報が届く。

当時の母の苦しみを知るため、複雑な想いを抱える長女。
お父さんが死んだと聞かされても、なにも感じないことに戸惑う次女。
死顔を見ても、知らないオッサンだと言う三女。

葬儀で三姉妹は、存在すら知らなかった中学生の四女に出会う。
すでに母を亡くし、父親を看取り、頼りにならない継母を気遣い気丈にふるまう四女。
いったいこの中学生の少女は、
悲しみや寂しさ、やりきれない想いをどこに吐き出してきたのだろうか。

彼女を甘える存在であるべき子供に還し、家族として迎えたのは三姉妹だった。
末っ子が、出会って間もない姉たちと暮らすことを決断するのに十分なエピソードが、
とてもとても印象的である。

鎌倉の生活に、姉たちとの日々に、少しずつ慣れていく少女。
彼女を受け入れ、見守り、自分たちも様々なことを乗り越えていく三姉妹。
なんでもない毎日を、ときに印象的に切りとっていく物語だ。

もうすぐ続きの巻が出るはずで、久しぶりに1冊目を読み返してみた。
胸が締めつけられるような感覚はあいかわらずで、吉田秋生のすごさを思い知る。

大ヒットした『BANANA FISH』の連載を終えた頃、彼女が何かのインタビューで語っていた。
この作品の連載中から、ベタなこと、こっ恥ずかしいと思っていたことが、
開き直って描けるようになったかなと。

デビュー時からとても器用に作品をまとめ、短い中にも必ず心を打つものを残してきた彼女が、
たしかに近年、ストレートなセリフを書くことが多くなったように思う。
短編を描くときに、それが弊害になったりしないのかと気をもんだが、
まったくのとり越し苦労だったことが、すぐにわかる。

重いテーマをあいかわらず軽やかにまとめあげ、そのくせ「物足りなさ」など感じさせもしない。
昔の作品のほうがよかったなどとは言わせない、ベテランの実力なのだと思う。

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紙の本恋文の技術

2009/03/14 23:31

書いて書いて書きまくる‘往復書簡ですらない’キュートな手紙小説

20人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

クラゲの研究という名目で能登の実験所に飛ばされた、京都の大学院生・守田一郎。
コンビニひとつない田舎で、人恋しい気持ちから文通を始めます。
相手は、地元京都の知り合いたち。

・恋に悩む友人
・研究室を我が物顔で仕切る先輩(女)
・かつて家庭教師をした教え子(小学生)
・クラブの先輩であり新進作家の森見登美彦氏
・本質をつくのが上手い妹(女子高生)

「文通修行」と称して、この5人に手紙を書く。
書いて書いて書きまくる。
能登にいながら、京都の狭い交際範囲のことはたいてい耳に入るほどに、
書いては出す、返信もらう、書く…の繰り返し。

そう、これは‘守田一郎の書く手紙のみ’で成り立っている小説なのです。

返信は来るのです、意外とまめに、皆さんから。
なのに、出てくるのは守田一郎が書く手紙のみ。
往復書簡ではないわけで、そこが従来の手紙小説とは少し趣が違います。

守田一郎、手紙を出す相手によって、文体から物言い、ときには話の内容まで微妙に変えています。
これは意識せずとも誰もがやってしまう、よくある話でしょう。
しかし第三者がそれらのすべてを目にすると、滑稽でたまりません。

恋の相談に乗ったり、復讐をなだめたり、己は復讐に走ったりと忙しい。
手紙を書くという個人的な行為のもとに、彼の顔が見える仕組みです。

見事なのが、守田一郎の書く手紙のみで、相手がどういう返信をしてきたのかが、
とても鮮やかに浮かび上がるところでしょうか。
一度も肉声が出てこない人たちのことが、やけに詳しく描写されているような気になるのです。
そして、彼らのなんと魅力的なことか!

それぞれの返信に憮然としたり、慌てたり、生意気にも説教したりの守田一郎ですが、
じつは彼には「想い人に恋文を書く」という目的があります。
それは物語の軸にもなっているのですが、そこはそれ、なかなかうまくいきません。
ちなみに、彼の失敗書簡集(恋文&反省文)も披露されています。
自虐的なツッコミに、涙を禁じえません。

恋文の技術を磨くどころか、これだけ手紙を書く彼が、彼女には1通も出すことができないのです。
ヘタレ万歳。

最後に、彼女への長い手紙が出てきます。
気色の悪い失敗作を生み続けた反省からか、とても素直な手紙です。
伊吹さんというその女性が、守田一郎の目を通して書かれているのですが、
惚れるのも無理はないという、なんともさりげないイイ女であることがわかります。
というのも、もちろん守田一郎の文章から推し量っただけなのですが。

たった半年のあいだの出来事です。
紙に書くという行為でなくとも、連絡をとる方法などいくらでもある昨今、
「文通」にこだわる彼のほろ苦い想いが、笑い続けた物語をしっとりとしたラストへと導いてくれます。

何度も声をあげて笑いながら、ふと思ったのが、
森見登美彦という人は、文章を書くのが好きで好きで仕方ないのだろうなということでした。
ちょっとしたことでも文章にして楽しむということに、
慣れ親しんでいるのではと思わずにいられない物語なのです。
そしてそこには、常にサービス精神が溢れています。

彼の手にかかると、少々姑息で詭弁をふるうヘタレな男性が、
なんだかキュートに思えてしまうので参ります。

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紙の本ガール

2009/01/26 13:27

奥田英朗、女性説

20人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

3年前の単行本の書評を覗いてみたら、なんとほとんどの方が★5つをつけていました。
わかります、その気持ち。
当時、書評こそ書いていませんでしたが、読んだ瞬間「上手い!」って思いましたもん。
「すごく好き!」って。

文庫化されたものが書店に並び始め、ポップや帯にも、女性向けらしきコピーが書かれています。
すべての女性が自分のことかと思うくらいに共感できる…らしい。

じつは「すべての」とか「女性」とか「共感」とか、
小説を選ぶときに、私がなるべく避けているキーワードがてんこ盛りでした。
ターゲットを絞ったあおり文句つけられちゃって、さみしいなあという心境。
べつに間違っちゃいないと思うのですが、もったいない気がしてしまいます。
これはそういうのを避けがちな人(当然男性も)が読んでも楽しめる、一級の娯楽作品だと思うから。

女性管理職に抜擢され、年上の男性の部下との折り合いに四苦八苦したり、
マンション購入を考え、恋するようにのめり込んだり、
年齢関係なく着飾って、いつまでも若づくりしつつも、だんだん心細くなっていく微妙な年齢を嘆いたり、
ひと回り年下の新人の男の子にドキドキして、他の女性をけん制したり。

経験があってもなくても、そのときどきの気持ちは痛いほどにわかる気がする、そういう巧みな物語ばかりです。

手垢のついた言い回しかもしれませんが、奥田英朗は人間を本当によく見ているのだと思います。
見て、自分に置き換えて想像するとき、
そこには男女の性差すらなくなっているのかと感心してしまうくらいに。

男性作家の描く女性というのは、どうもピントがずれていることが多く、
物語の中でそこそこうまく息づいていればまあいいか……という諦めみたいなものを生んでしまうのですが、
奥田英朗の描く女性は、そのあたりの違和感がまったくと言っていいほどありません。

なかでもこの『ガール』は、全編女性が主人公、脇役も女性が圧倒的に多いのに、
身につけるものから、咄嗟の行動、妙齢の女性が持つ複雑な心境、ささやかな見栄……と、
奥田英朗がじつは女だと言われても、「あ、やっぱり」と納得するくらい的確に描かれています。

いろんなタイプの女性が出てくるし、当然自分とはかけ離れたタイプもいるのに、
ひとつひとつのディテールがしっかりしているせいか、
「えっと、どこかで見たことがあるような……」という気持ちになります。

ああ、そうか。
やっぱり「すべての」「女性」が「共感」できるようになっているんだ。
もちろんそれ以外の人にもオススメです。
とにかく爽快で、読後感もとても良いことを保証します。

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孤独や苦悩と引き替えの、大いなる歓喜

19人中、19人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ついに終わってしまいました。
ドラマ化、アニメ化、オーケストラ結成……と、えらく世界が広がっていましたが、
とりあえず原作を楽しんできた者としては、最高の着地を見せてもらったなあという気分です。

ピアノ専攻の音大生“のだめ”(もちろん愛称)と、
世界的な指揮者を目指しつつ、飛行機恐怖で海外に出られない千秋真一の、
出会いから物語は始まります。

ただただピアノが好きで、自分の持つ才能のことなど考えもしないのだめ。
ちなみに汚部屋の住人であり、変態。
そして、自らの才能を知っていて、夢もあり努力を惜しまないオレ様な性格、千秋。

海外育ちで、師と仰ぐ人もいながら、どうしても飛行機に(そして船にも)乗れない千秋が、
突破口を見つけられず鬱屈した日々を送っていたとき、
ピアノ科の教師の提案で、のだめとひとつの曲を仕上げることになります。

ヒトとして最低ラインと見下していたのだめの奏でる音に、誰よりも敏感に反応する彼は、
その曲を演ることで、ひとつ前に進むことができるのですが、同時にのだめに振り回される毎日に突入。
残りの音大生活、その後のヨーロッパ進出と、微妙に変わっていくふたりの関係と、
常にお互いを刺激に成長していく姿が描かれています。

とまあ、大筋はこんな感じなのですが、二ノ宮知子ですから、あちこちに笑いが溢れています。
ピアノの才能以外、およそ少女漫画のヒロインからはかけ離れた設定ののだめと、
ルックス、才能、血統を兼ね備えた、正統派のプリンス(?)千秋。

そのギャップ(当然、笑いに繋がる)を楽しむために読み始めていたのが、
いつのまにか、ふたりの奏でる音楽、オーケストラの楽しみ、
音楽を生業とすることの孤独や苦悩や喜び、音楽の本来持つ力など、
描かれる数々のエピソードに、何度も鳥肌ものの感動を味わうことになりました。

さまざまな登場人物たち。
彼らの、そして主人公ふたりの喜びと苦悩。

壁にぶちあたるたびに、相手を想い差し伸べる手が、どうにもこうにも見当違いだということばかり。
そう、千秋ですら、のだめを想ってしたことが、本人をブチ切れさせることもあるのです。

幾度も悩み、追い詰められる彼らは、やがて必ずきっかけを掴み、這い上がります。
どれだけ相手を想っても、見守り、きっかけを与え、待つことしかできない。
最後にそこから抜け出すのは、いつも“自分の力”でしかないのです。

音大時代の物語もとても好きですが、パリで本格的に音楽に向かい合うようになるのだめの成長と、
同じ志のもと集まってくる現地の友人たちの、それぞれの苦悩がとても印象的です。

音楽が好きなだけでも、才能があるだけでもダメ。
努力のみでなんとかなる世界でもない。
そのすべてを兼ね備え、覚悟を決めた人たちだけの楽園。
その楽園を、美しくきめ細やかに感動的に、なによりおもしろく描き切った著者に感謝!

音楽の道を歩いているわけでもないのに、
読み返すたびに、忘れているものを思い出させてくれる、大切なシリーズになりました。

番外編が続くようですね。
ぜひ、覗いてみたいです。
本編で描かれなかった世界でも、あの可笑しくも愛おしい登場人物たちは、
音楽漬けの日々を送って、羨ましいほどの幸せを感じているのでしょうけれど。

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紙の本太陽の塔

2009/05/25 00:11

腐れ大学生でなくても堪能できる物語

19人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「外出時に持ち歩く本の選択」について書かれた、穂村弘の文章を読んだことがある。
期待を裏切らず、彼は作業に毎度手間取り、
数冊の重い本を1日中持ち歩くという、けっしてスマートとは言えない結果にたどり着く。

じつは私も彼のことを笑えない。
重い荷物を持てない事情から、薄めの文庫本が理想なのだが、
その日の気分や脳の働き具合(?)によって、
自分が購入した本なのに、どうしても受けつけないものもある。
慌てて鞄に入れて家を出た結果、しまった、選択を間違えた……と後悔し、
我慢できなくて書店に飛び込んだりと失敗が多い。

最近ではギリギリまで迷ったとき、『太陽の塔』の文庫を鞄に入れるようになった。
当然、頻繁に読み返すことになる。
薄めの文庫本という条件はクリアしているが、
いいかげん飽きるだろうと思いきや、これが不思議と大丈夫なのだ。

森見登美彦のデビュー作である本書は、かなり魅力的な文章で始まる。
最初のこの2行に魂を持っていかれてしまうと、
あとはもうどこを開いても楽しめるのではないかとさえ思う。

京都大学を休学中の5回生という、微妙な立場の男が主人公である。
華のない生活を送っていることを自覚しつつ、
それらすべてに詭弁を弄して、こちらを煙にまこうとする。
抜け駆けして、水尾さんという後輩とつきあうことになるのだが、
クリスマス前に振られてしまった過去がある。

「彼女はなぜ私のような人間を拒否したのか」という問題を抱え、
水尾さん研究という名のもとに、彼女の生活を追っかけ始めるのだが、
本人いわく、これは世間でいうストーカー行為とは根本的に異なるらしい。

やっていることがストーカーであることは間違いない(彼女に実害はないのだが)。
それでも詭弁をふるい、己を正当化する彼に対して湧き上がるのは、なぜか嫌悪感ではないのだ。

彼女が夢中になったという太陽の塔、彼女に贈った珍妙なプレゼント、
恋敵との姑息な攻防戦、主人公に負けず劣らずヘンテコな友人たち。

ひとつひとつのエピソードの面白さもさることながら、
客観性に欠けるあまりに生まれる認識のズレが最高に可笑しく、
独特の文体によって、その可笑しみはさらに増し、
結局何度ページを繰っても、飽きることをしらない。

他の物語が生まれる前は、このテのものしか書けない人かもしれないし、
この巧さがこの作品だけで終わるのはもったいないよなと、ずいぶん余計なことまで考えていた
(まったくの杞憂であったことは、周知の事実である)。

飽きない最大の理由は、結局巧さなのかもしれない。
読み返すたび、一文一文に感嘆の声をあげているからだ。
だからこそ筋を覚えてしまっている物語を、何度も何度も読めるのだろう。

「ストーカー気質のモテない大学生の話」と括られてしまうのを見るたび、残念に思う。
小説は、発想の奇抜さよりも文章の巧さのほうが、長く楽しむことができるからだ。

彼の作品は、装丁にも恵まれていると思う。
文庫化の際に変わるものもあるが、これは単行本と同じである。
もちろん岡本太郎の太陽の塔も描かれていて、
実物の虜になっている者としては、
得体のしれない水尾さんの気持ちがちょっぴりわかるような気がするのである。

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反省なき更生

17人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

大阪のマンションで、若い姉妹を惨殺。
逮捕後、護送車の中で見せた笑みが、ニュース映像で何度も流れたので、
事件だけでなく、犯人の顔も記憶に残っている人も多いのではないでしょうか。

今年(2009年)の夏、異例の早さで彼の死刑が執行されました。
タイトルになっている「死刑でいいです」は、本人の弁。
「死刑‘が’いいです」ではないけれど、助かろうという気もない発言です。

10代の頃、実母をバットで執拗に殴り、殺したという過去はショッキングであり、
「快楽殺人者」のイメージを加えるのに、かなり影響したような気がします。
彼自身、そのような発言を繰り返してもいます。
一貫して人生に無関心(投げやりというより、この言葉のほうがしっくりとくる)に見える彼は、
本当に快楽だけを求めて、自らの手を血に染めたのでしょうか。

最初の事件である母の殺害の際、彼は広汎性発達障害と診断されています。
この本は、彼が犯罪に走ったいくつかの要因のひとつに、
その障害が絡んでいるのではないかということを前提に書かれています。

障害そのものに偏見を生むかもしれない、とてもリスキーな立場での執筆ですが、
もちろん著者の二人はそんなことなど望んではいません。
ただ、障害そのものが直接の原因ではないにせよ、まったく関係のないものではないと判断。
それは、他の専門家の指摘にも多く見られるようです。

繰り返しますが、発達障害を抱えているから犯罪に走ったわけではありません。
けれど彼の過去を振り返ったとき、その障害に対して、そのときどきにもう少し適切な対応がなされていたら、
少なくとも3人の女性も彼自身も、死ななくてすんだかもしれないのです。

彼の場合、育った環境も大きく影響していることが窺われます。
最初の犯罪のときに、まだ施設での発達障害者のプログラムが不十分だったこと、
すでに父も亡くしていたので、少年院を出たときに、頼れる大人がほとんどいなかったこと、
また彼も頼ることを拒否したことなど、あまりにも多くのリスクも抱えていました。

精神科への紹介状は宛名のない状態で書かれ、本人に手渡されたままであり、
周囲の専門家たちも、彼の反省しない態度に戸惑いながらも、
ネットワークを作り手を差し伸べるというシステムまでは、一般的ではありませんでした。

障害による「反省できない」「対人関係がうまく結べない」という特性は、
こういった場合、不利にはたらくことが多いことでしょう。
専門家ですら、たびたび腹をたててしまうような態度も障害ゆえのことで、
本人に悪気も他意もなく、コミュニケーションや適切なサポートで回避できるのだとしたら……。

一般的に犯罪者に求められるものは、まず反省、そして償いだと思います。
ところが今、それよりも先に、再犯を防ぐという観点で対処すべきケースが増えているらしい。
まず更生ありきというのは、被害者感情としては堪らないことだとも思います。
それでも、再犯を防ぐためには、反省よりもそちらを優先すべき人たちがいるのも確かなのです。

感情的な部分に訴えても届かないというのは、彼ら自身のせいではありません。
だからといって殺人が許されるわけでもないし、彼の生い立ちを読んでいて、
「これは殺人も仕方なかった」などとは、とても思えない。

ただ、彼が土に還れば、すべては終わるのでしょか。

少なくとも彼自身は、積極的に何かを残して逝ったわけではなく、
おそらく本人にもわからなかった、そこに至るまでのさまざまなリスク要因や、
それを回避すべく動き始めた社会の動きを、わかりやすく記し、世間に問うというのは、
誰かがやらなければいけないことだったのだと思います。

どうしても発達障害との繋がりがクローズアップされがちですが、
実際のところ、罪を犯すのはごく一部の人であって、
それは精神病を患う人が捕まったときに、「精神病患者は危険である」というレッテルを貼るのと同じくらい
馬鹿げたことであるのだと思います。

居場所がないというのは、誰にとっても恐怖です。
この事件の場合も、社会に出る前、出た後の彼は、常に孤立しています。
性格ゆえという言葉では括れないほどに不器用で、それは障害のサポートという観点からも不十分であり、
なにより孤立は、いとも簡単に犯罪を生んでしまうのです。

ただのショッキングな事件から、私たちは学ばねばならないことがたくさんあるのではないでしょうか。
彼はもういませんが、なにも半世紀にひとり出てくるような特別な人間ではないのです。
偏った知識も恐ろしいですが、無関心を決め込むことは、再び彼のような犯罪者を生むことに繋がりかねません。

最後の章は、「では、どうすればいいのか」とまとめられています。
発達障害をもつ大人たちの会への取材もされています。

殺人犯の生い立ちや事件をたどるだけの本にはなっていないことに、とても好感を持ちました。
そこから何ができるのか、何をしなければならなかったのかを、少しずつ手繰り寄せて行く作業は、
専門家が標してくれた道を辿ってでも、社会を構成する私たちがやらねばならないのだろうと、強く強く感じました。

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紙の本ノルウェイの森 上

2009/08/31 15:06

本に救われたことは、幾度となくあるけれど

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ついに映画化、そしてキャストが決まったとのニュースに、複雑な心境の方も多いと思います。
村上春樹をベストセラー作家にしたこの小説が、世に出て20余年。
我が家には単行本と文庫本の両方があるのですが、まさに擦り切れるまで読んだのは文庫のほうで、
もちろん手軽さもあるのですが、文庫化された後のほうが、圧倒的に読む回数が増えたことも意味しています。

いまさらという気がしないでもないですが、未読の方のために。
大学進学のため上京して寮生活を送る、主人公ワタナベ。
亡くした親友の彼女だった‘直子’と、大学の同級生‘緑’。
ちょうど、ワタナベの上京前と上京後を映し出すような存在のふたりです。

生命力あふれる魅力的な緑。
一方で、どんどん精神を病んでいく直子。
おそらく二股などという言葉を意識もせず、どちらにも強く惹かれていくワタナベ。

魅力的な人物がたくさん出てきます。
そして、たくさんの死に直面します。
発売当時、興味本位でおかしな取り上げ方をされ続けた性描写もあります。
こうして筋立てだけをあげると、あまりにもあっさりしていますが、
じつのところたくさんのことが詰まっている物語です。
ひとつひとつのエピソードもかなり濃厚で、小説としてもじゅうぶん楽しめます。

私にとって村上春樹の小説は、読み返すたびに新しい発見があり、
ときには物語の解釈さえも変わってしまうものも、めずらしくはありません。
その中で『ノルウェイの森』は、
読むたびに感情移入の仕方が変わるという、少し変則的なものにあたる気がします。

自分の中にある「ワタナベ」「直子」「緑」的なもの。
読み返すたびに、いちばん近しく感じる人物が違っていて、
以前は理解できなかった感情がするすると頭に入ってきたり、胸をしめつけたりもします。

村上春樹の最高作ではないのかもしれないし、
私が繰り返し読むのも『ノルウェイの森』だけではありません。

それでも、読むたびに激しい感情の揺れを突きつけられるのは、この物語がもっとも多い。
揺さぶられ、何かを突きつけられ、そのくせ物語の細部を心から楽しんでいるのです。
若いうちにそんな小説に出会えたことが、どれほどの喜びで、同時に救いになったことか。

そう、私はこの物語に、幾度となく救われたのだと思います。

何かについて悩んでいるときも、そうでないときも、
いつも私は登場人物の誰かに、心を重ね合わせていました。
答えが書かれているわけでは、もちろんありません。
物語を楽しむのと同時に、自分の存在の危うさを見つめ直す作業を、
無意識のうちにしていたのだと、今になって気づきました。

そうやって10代、20代を過ごし、そういえば最近手に取っていないことを、
映画化のニュースで、ふと思い出しました。
今、私は物語の中の誰かと、しっくりくるのでしょうか。
それは、ずっと遠い存在であったレイコさんでしょうか。
それとも、年齢を超えて、今でもワタナベや直子、緑に、自分を重ねてしまうのでしょうか。

そんなふうに考え始めると、また手に取らずにはいられなくなります。
幸い、この物語は幾度読んでも飽きません。

じつはこれ、恋愛小説として読んだ記憶があまりなく、
村上春樹の作品の中では、圧倒的に読みやすいと思います。

「春樹ってちょっと苦手……。でも、気になるんだよね」というとき、よかったら手に取ってみてください。
もしかしたら、お気に召すかもしれません。

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紙の本ママはテンパリスト 1

2009/05/20 14:04

ごっちゃん登場!

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

育児ものというのは、私にとって微妙な位置にあります。
子供特有の意外な行動&言動はおもしろくて気になるけれど、
そこに説教や我が子自慢が匂ってくると、もうダメ……。

「育児」というフィルターがかかると、感覚が麻痺するのか、
書くほうも、さじ加減が狂っているのではと思わされることがしばしば。
けれど、それがまた受け入れられるのですね、世間的には。
なので、大きな声ではなかなか言えないのです、こういうことを。

その点、この作品はかなり私好み。
子供の意外性や個性豊かなところは大好き、
でもそこを冷静にツッコむ目線が欲しいなという人向けです。

著者の息子、ごっちゃん。
かなり強烈なキャラクターです。
ごっちゃんの絵そのものがふてぶてしい。
あまりにふてぶてしくて、まずその外見にやられました。

2歳を過ぎても、まだお母さんのおっぱいを欲しがるごっちゃんは、
どうも母乳を飲みたいという意識だけではなく、乳を「エロいもの」と認識しているようで。
このままではいけないとおっぱい卒業作戦を練る母、東村アキコ。
抵抗するごっちゃんも、いい勝負しています。

言葉が増えるとともに、浅はかな嘘をつくことも覚えていきます。
大人から見たらあまりにもバレバレな嘘をつくごっちゃんの表情は、最高にキュートです。

とどめがファッションセンス。
東村アキコの他の作品を見ていても、服装のこと考えるの好きなんだろうなと思うのですが、
ごっちゃんが好むのは、アキバ系(著者・談)。
忸怩たる思いで、それにつきあっているのが笑えます。

著者が我が子を本当に可愛く思っていることは伝わってくるし、
普段は親バカな部分もたくさんあるのでしょう。
しかし作品そのものは、冷静な観察とギャグに徹する筆運びで、
私のようなひねくれ者が、安心して楽しめるようになっています。

テンパってばかりの子育て、まだ続きがあるようです。
可愛い部分をクローズアップした育児モノは、
対象の子供が3歳を超えると、いくぶんトーンダウンするように思うのですが
(幼児性の可愛さが主だからでしょうか)、
ごっちゃんの場合、言葉が達者になるのが楽しみでしかたありません。

今から思春期のごっちゃんに興味津々。
親戚のオバチャンみたいになっています。

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紙の本小さいおうち

2010/07/08 01:47

ある女中の、青春の輝きと後悔

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この作品が、今回の直木賞候補のひとつだと知りました。
直木賞そのものを胡散臭く思っているので、中島京子がそれを受賞しようとしまいと、
正直なところ、どっちでもいいように思っていました。

けれど、直木賞を受賞するというのは、作家に経済的な革命が起こることらしいので、
今後もたくさんの人に読んでもらいたい人が選ばれるほうが、
まだ気持ちの収まりもつくというものです。
受賞しないかなと、読み終わった今は期待してしまいます。

主人公のタキは、10をいくつか過ぎた頃から女中奉公をしていました。
そのタキが、戦前、戦中の東京で奉公した先の、ある家族の物語です。

旦那さま、奥さま、奥さまの連れ子である少年、そして女中のタキ。
終の棲家にしたいと思えるほどの家で、熱心に誠実に務め、幸せな時を過ごします。

その回顧録めいたものから窺えるのは、戦争の影が落とす暗い影などではなく、
タキの家事の手腕、奉公先の家族の様子がほとんどで、
戦争を書物や映画でのみ知る甥の息子(大学生)に、不可思議な印象しか与えません。
実際に生活をしていた人たちの目には、日々のことばかりが映っているのですね。
家族の会話、食べもの、会社の景気、秘め事。

ただの老人の思い出話だと思いきや、背負ったものの大きさ、人とのふれあいなど、
ページが進むにつれ、どうにも涙がとまらなくなってしまいました。
淡々とした文章で書き綴られているにもかかわらず、です。

戦時中というのは、この物語の中のエッセンスのひとつでしかなく、
普遍的なものを描いているからこそ、なんでもない描写に胸が締めつけられるのかもしれません。

タキが愛した家、そこに住む人、自分の青春、そして後悔。
それらを順に追う作業が、ときに苦しく、ときに愛おしく思えました。

装丁も装画も、とてもステキなのですが、この絵にも意味があるようです。
最後の章で、タキが伝えられなかったことのいくつかが、
甥の息子の手であきらかになっていく仕掛けです。

人が墓場まで持っていく想いというのは、案外多いのかもしれません。
幾度となく、誰かに打ち明けたくなりながらも、
そうやって黙して生きた人たちの、とてもあたたかで、少し悲しい物語です。

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紙の本悪の教典 上

2010/09/21 22:26

人の感情を理解できない怪物が、教職についたら

14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

かなりの厚みで上下巻。
けれど、一気に読み切ってしまいました。
後半、加速度的におもしろくなるのは当然として(不謹慎ですが、スピード感という意味で)、
不穏な空気を孕みながらの、静かな前半部分も読ませます。

とある私立高校で、2年生のクラスを受け持つ蓮実。
ハスミンの愛称で親しまれ、女子生徒を中心に絶大な人気を誇る中堅教師です。
かなり熱心で、生徒たちに慕われるのも理解できるなというエピソードが散りばめられています。

慕われて当然なのです。
彼は、そうやって担任のクラスを、自分の王国に仕立て上げようとしているのですから。
彼の頭にあるのは、性欲と自己保身と生徒の掌握であり、
中身を知れば知るほど、不気味さは増していきます。
それでも魅力的な顔がちらつき、17歳なら騙されてしまうかもしれないと思ってしまうほどで、
そういう計算には、非常に長けています。

蓮実という男の過去が挟まれながら、物語は進みます。
IQの高さと冷酷さで、とんでもない人生を送ってきた彼ですが、
どうやら快楽殺人者とは違うようで、
たいていの場合、その場を切り抜けるため、
もしくは自分の存在を脅かす邪魔者を消すために、その手を血に染めます。

他人に共感できないという彼の姿が、エピソードを重ねることでしっかり伝わってきました。
丁寧だなと思ったのは、IQの高さを設定に盛り込んでおきながら、
安易に天才というパターンに逃げていないところでしょうか。
頭の回転は速いし、用意周到。
しかし、日常生活で、思うようにいかないことがあるのは当然で、
彼にとっての小さなアクシデントは尽きません。
それらをクリアしていくことで、ますます彼の明晰さや精神力の強さが印象付けられます。

一方、生徒たちの姿は、後半になって俄然生きてきます。
蓮実をこころよく思わない生徒も、もちろんいます。

殺人を、リスクの高い解決法だとしか考えない怪物は、おそらく救いようがないのだと思います。
しかし一方で、本人さえも気づいていない人間らしさも垣間見え、
救われない怪物を、怖れると同時に憐れんでしまいました。

けっして気持ちの良いばかりの着地ではありませんが、
ピカレスクロマンとしては、こうであってほしいというタイプの結末も私好みでした。

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サイバラの強さと優しさ

14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者が、波乱万丈な人生を生きてきたのは周知の事実で、
特にお金で苦労したというのも、ぼんやりとは知っていました。

彼女いわく「なまぬるい展開やご都合主義のハッピーエンドで」人の心は動かせないせいか、
大人向けの本ではないのに、赤裸々に「カネ」について語られています。

貧困と暴力の関係、それらによって居場所がなくなってしまう子供たち。
そしてなにより恐ろしい、負の連鎖。

実際、貧困から抜け出そうとするのは、思っている以上にむずかしい。
最下位からどうやって這い上がるか、ただの理想論などではなく、
彼女自身の経験を惜しみなく披露してくれます。

サービス精神のなせる業か、どんづまりの状況でも淡々と語られ、けっして説教にならないのが素晴らしい。

人生を語らせたら、大人というのはどう意識していても、
年若い相手に、余計なひと言を加えてしまいがちです。
下手をすると不幸自慢が匂う可能性もあるような状況で、
彼女が与えてくれるのは、こちらが反発も卑屈さも味わう必要のない、
頭にも心にもスルスルと入ってくる言葉でした。

ほとんどゼロから始まって、自力で這い上がり、あぶく銭について考え、
大金を失い、それでもしっかり生きていられるのは、
彼女が「カネ」の必要性、怖さともに知り抜いているからなのでしょう。

子供向けというのもあるのでしょうが、あくまでも語り口はやさしく、
といって絵空事に逃げてなどはいません。
事実から浮かび上がる問題点を指摘し、それを回避(もしくは解決)するための手段を講じ、
その視点は世界の貧困へも移っていきます。

とても平易な言葉でつづられたメッセージに、気がついたら涙が溢れていました。

「お金には、そうやって家族を、嵐から守ってあげる力もあるんだよ。
いざというとき、大切な誰かを安心な場所にいさせてあげたい。
そう思うなら、働きなさい。働いて、お金を稼ぎなさい。そうして強くなりなさい。
それが大人になるっていうことなんだと思う。」

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紙の本春にして君を離れ

2009/05/03 23:43

主観と客観の大きなズレが生む恐怖

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

推理小説ではない、クリスティー作品です。
ところが並みの殺人事件よりも恐ろしい。
一人の平凡な主婦の独白が、次から次へと恐怖を提供してくれます。

結婚して遠方に住む娘の見舞いに出掛けたジョーン。
母親としての役目を無事に終えた充実感を胸に、帰路へつきます。

鉄道宿泊所の食堂で、学友の女性とばったり顔を合わせるのですが、
若さを保ち、品の良い弁護士夫人である自分とは対照的に、
落ち着きのない薄汚れた中年女になった友人の姿。
幸せになる努力もしないで、好き勝手に生きてきた彼女の自堕落さを、
憐みつつも、ジョーンは優越感にひたります。

その後、思うように運ばない陸路での旅で時間を持て余すジョーンは、
この学友の言葉に導かれるように、愛する夫や子供たちとの会話を、
じっくりと思い返すことになってしまいます。

いわゆる「何を言っても、聞く耳を持たない人」というのがいますが、
じつはジョーンがそうなのです。
それがどう家庭に、生き方に影響しているのか、薄皮を剥ぐように少しずつあきらかになっていきます。

彼女の回想は、かなりはっきりと客観的事実をこちらに伝えてくれます。
ここまで気づいているのなら、なぜ自分の家庭が順風満帆だと思えるのか、逆に不思議でたまらないくらいに。

そこにこの物語の、本当の恐ろしさがあると思うのです。
同じ事実を前にしたときの、ジョーンとそれ以外の人たち(読者も含む)のとらえ方のあまりの違い。

主婦として懸命に働き、家族のことに心を砕いて努力を怠らないで生きてきたと言い切るジョーン。
しかし彼女は、いちばん大切であるはずの「目の前の事実を受け入れる」ということに対して、
恐ろしいほどに怠惰だったのです。

ジョーンが、そして彼女に不満を持ちながらも逃げるか諦めるかしてやり過ごしてきた家族が、
気の毒ではなく恐ろしく感じる、そういう物語だと思います。

殺人も命を脅かす出来事も起こらないのに、終始ゾクゾクして一気に読んでしまいました。
ジョーンに救いはあるのか、未読ならばぜひ確かめてみてください。

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紙の本エデン

2010/05/06 09:53

彼はこのまま楽園にいられるのか(著者のイメージがガラリと変わった作品)

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

大藪春彦賞を受賞、本屋大賞の2位にも選ばれた『サクリファイス』の続編にあたります。
日本ではマイナーな、自転車ロードレースの世界に身を置く人たちの物語。
ツール・ド・フランスくらいしか知らない私が、文句なしに楽しめたので、
前作に続き、自転車に詳しくなくても支障はなさそうです。

私にとっての近藤史恵の作品は、軽いものを読みたいときに手に取る本で、
失礼ながら、カタルシスなんてものには無縁でした。
読書の楽しみとしては、もちろんそれで充分だったのですが、
それだけに、いつもの調子で読み始めた『サクリファイス』で、
著者に対する見方もガラッと変わったことを覚えています。
この人、こんな引き出しもあったんだ……と。

それは、自転車ロードレースの世界という引き出しを持っていたことにではなく、
生身の人間の苦悩や駆け引きを、息遣いまで感じるようなものが描ける人だったんだという驚きでした。

『サクリファイス』が刊行されたとき、密度の濃い話なのに、小説そのものはかなり短めだなと思いました。
不満なのではなく、感心したのです。
マイナースポーツなうえ、かなり複雑な競技であるらしいのに、
その説明が過不足なく、こちらの興味を惹きつけたままストーリー展開もこなす。
描く人によっては、グダグダになってしまいそうなものを、ミステリに仕立て、
しかも何度も胸を詰まらせるような物語にしてしまっていたのですから。

主人公である白石誓は、スペインのチームを経て、今回フランスのチームの一員として、
ツール・ド・フランスへの出場を控えています。
3週間の長丁場を戦い抜くあいだに、さまざまな問題が噴出します。

スポンサー撤退(チーム解散の危機)、それに伴う来季の身の振り方、
チーム内の不協和音、フランスの大型新人との出会い、ドラッグ疑惑。

心身ともにタフで、しかも戦略を練り、咄嗟の判断をとれるようになって、ようやく一人前の世界。
淡々と描かれる3週間あまりの主人公の生活が、退屈どころではなく、疲労と匂いまで伝わってくるようでした。

可能ならば、『サクリファイス』を読んでから、こちらを手に取ることをオススメします。
というのも、自転車ロードレースの中での役割分担や、その意義について、
そして主人公がどれだけのものを背負って海外のチームにいるのかなど、
前作が頭に入っているのとそうでないのとでは、まったく違ってくると思うのです。
ちなみに、『サクリファイス』のほうは、すでに文庫化されていて安価でもあります。

サクリファイス(犠牲)に、エデン(楽園)。
簡潔ながら、怖ろしいほどに的確なタイトルだなあと思わずにはいられません。
大きな(そしてたくさんの)犠牲の上に成り立ち、苦しみながら、それでも足を踏み入れたい楽園。
多くのプロスポーツがそうなのでしょうが、自転車ロードレースの過酷さを知った今、
タイトルの重みまでもが、読む前とは違ってくるような気がしました。

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紙の本みその本みその料理

2009/09/01 22:32

お味噌? 好きだけど……

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「おみおつけ」という言葉を耳にすることも少なくなりました。
パン食が増えただけでなく、夕飯に味噌汁のない食卓は、案外多いのかもしれません。

じつは我が家がそうです。
もちろん味噌は常備していますが、冷蔵庫の場所をふさぐという理由でせいぜい2種類。
家族も気まぐれに過ぎて、「美味しい、美味しい」とおかわりをするときもあれば、
「あ、今日はいいや、いらない」と汁物を拒む日もあったり。
これでは、毎日律儀に作る気になんぞなりません。

でもやはり美味しいおみおつけに口をつけ、ホッとする瞬間というのは、かなりの幸せを感じます。

多くの日本人の例にもれず、私も大豆食品が大好きです。
豆腐なら毎日でも食べられるし、味噌汁だって豆腐となめこの組み合わせがお気に入り。
醤油は料理に欠かせないし、大豆を煮込んだものは大好物。

この本は、明治37年生まれの浜子さんが遺した出版物に、娘の芳子さんがひと加えしたものです。
ほとんどがお母様である浜子さんの記述なのですが、品があり、といって気取らない描写なのですね
(おみおつけを気取って語られても困るのですが)。

味噌のこと、味噌を使った料理、その周辺について、やわらかな言葉で綴られています。
現在の機能性重視、手抜き万歳というレシピ(もちろんそれはそれでありだと思う)にはない、
のんびりした雰囲気が、味噌という素材を、さらに魅力的なものに感じさせます。

特に最初のページにある、浜子さんの学生時代であろう朝の風景は、読んでいてとても心地がいい。
山の手の家で、化粧部屋に用意されたくせ直しの熱いお湯(髪の寝癖のことですね)の描写に、
かつお節をかく音、すり鉢で味噌をする音、味噌汁の香りが重なるのですが、
読みながら「今すぐ、お味噌汁を食べたい! 炊きたてのご飯で!」と興奮してしまいました。

それからです。
毎夕の食卓に、誰に言われるでもなく、おみおつけが並ぶようになったのは。

汁物がなくても平気という家族なので、
毎度毎度では、食べる方も作るのも負担かなと思ったのですが、
丁寧にあくを取り、(あたりまえですが)煮たてず、おかずを粗食気味にしてみたら、
喜ばれることが多くなったような気がします。
少なくとも、「今日はいらない」と言われる日がないことに、びっくりです。

特に味に進歩があったとも思えないのですが、なんとなく一汁を義務と考えていた頃より、作るときの姿勢が違うような気がします。
そもそも、作ることを負担に感じなくなったような……。

たかが味噌汁、されどです。
食べてもらえるかわからない汁物を作る手間を、別の副菜にまわしていたときには、
大豆好きと言ったところで、こんなに丁寧には作っていなかったのかもしれません。

シンプルな装丁、心地の良い文章、日々役立つ情報(しかも一年を通して)。
味噌中心とはいえ、なかなか重宝する1冊でした。

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いよいよ、大きく動き出しました

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中学生でプロの棋士になった、主人公の桐山零。
幼い頃に事故で家族を失ったあと、引き取ってくれた家で彼は、
「将棋が強いかどうか」でしか、養父の愛情を量ることができませんでした。

居場所を求めて将棋の勉強を続け、その家の子供たち(義理の姉弟)の激しい妬みも買います。
彼にとって将棋は、まず生きるための手段で(居場所と存在意義の確保)、
惜しみない努力で勝ち取ったプロへの最短の道も、結局は彼を幸せにすることはできません。

家を出て高校へ通い始めた彼は、
「独立すれば大人になれる、大人になれば泣かずにすむ」と思っていたようです。
プロ棋士になれたところで、それほどの孤独を抱えた高校生が幸せなはずがありません。

ひょんなことから知り合った川本家の3姉妹が、ときに気遣い、ときにマイペースに、
ひとり暮らしの彼を慰めてくれます。
あたたかい3姉妹に救われるように、ほんの少しずつ彼の生活も変化していくのでした。

川本姉妹との出会いや、零の生い立ち、
彼にとっての将棋を指すことの意味などが中心に描かれていた1、2巻を経て、
今回、いろいろな方面で物語が動き始めました。
ちらっとしか見えなかった登場人物たちの顔が詳しく描かれ始め、一気に面白くなっています。

特に棋士たち。
今までは零の対局の相手として描かれることがほとんどだったのですが、今回は盛り沢山。
さまざまなクラスのプロ棋士の、複雑な思いに触れることにもなります。

彼らから見た零は、強いとは言ってもまだまだ若く、圧倒的に経験値が足りない。
ゆえに読者は、これからの彼の伸びしろを想像することができるのでした。
ただの孤独な天才の苦悩を描くだけの物語ではないことを窺わせます。

個人的には、お気に入りのスミス先輩の対局の1日が描かれていたことが嬉しく、
なぜスミスと呼ばれているのかも、ぼんやりとわかりニヤニヤしてしまいました。

前作『ハチミツとクローバー』でも存分に発揮された、食べ物や雑貨などの細々した絵に、
川本家の日常が、温かく彩られています。
ちゃぶ台に並ぶよく知る料理や、食べ終わったあとの食器など、
ついひとつひとつ見入ってしまう細かさと可愛らしさ。
一方で、男のひとり暮らしらしい、スミス先輩の豪快でちょっと行儀の悪い朝食風景
(これがまた色っぽく見えるのだけれど)。

もちろん棋士たちの喜び、苦悩、成長と同時に、勝負のハイライトなども描かれているのですが、
最近、長年の夢だった将棋をかじり始めた私には、これもまたおもしろい。
紙面を目で追っていただけの駒の動きにも興味がわき、その意味を考え、
素人ながら、これまでの倍は楽しんでいます。

先崎学氏のコラムも充実していて、将棋を知らない人にも、とてもわかりやすく書かれています。
大きく動き始めた3巻で、より続きが楽しみになりました。
『3月のライオン』というタイトル、意味深でいいですね。

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