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電子書籍

尊氏・義満・義教の真実を問い直す。

2015/08/24 23:55

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:historian - この投稿者のレビュー一覧を見る

日本史ではあまり注目されることの少ない室町時代。確か大河ドラマになったのも2回ぐらいだろうか。しかし、そんな時代にもやはり日本人とは何かを知るネタは隠れている。足利尊氏が長期安定政権を築けなかったわけ。名作・太平記はなぜ書かれたのか。三代・義満は皇位を乗っ取ろうとしていた?現代にも通用する教訓が引き出される。
そして、ほとんどの日本人は知らないであろう6代将軍・足利義教。しかし、彼こそが織田信長の先駆者とも言うべき画期的な政策を次々に成し遂げた、剛腕で理想的な君主でもあった。彼の目指した物と最終的に暗殺された理由を読み解くことで、日本人が代々抱える深刻な問題をひもとける。

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幕府と南北朝の覇権争い

2020/02/23 15:51

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:だい - この投稿者のレビュー一覧を見る

□足利尊氏対後醍醐天皇

鎌倉陥落後の反乱を制圧したのは尊氏であった
そのまま尊氏は、鎌倉で新たな幕府を開設もできた

後醍醐天皇は、それをさせない為に上洛を命令
尊氏の切れ者の弟直義が制止しなければ、軟禁されていたと思われる

義貞を箱根で破り、その勢いで京に上るが、正成に惨敗する
九州で兵を整え挙兵し、正成と湊川で激突、勝利する

後醍醐天皇は比叡山に籠り和議を結ぶが、ニセの神器を渡し、吉野で南朝を樹立することになる

□太平記

全40巻のうち22巻が欠けている

第一部 1巻~11巻
    後醍醐即位から鎌倉幕府滅亡まで

第二部 12巻~21巻
    建武の新政から後醍醐の死まで

第三部 23巻~40巻
    楠木正行(正成の子)の戦死から
    足利義満の将軍就任まで

太平記のテーマ
最も大切なのは徳であり、君主はこれを体として国を治め忠臣もこの道理に従う
もしも徳がなければ必ず滅びる

21巻までは、このテーマに見事に対応している
その思想は「朱子学」である

欠徳の王(後醍醐天皇)は、いかに忠臣義士に支えられようと滅ぶ
ただ、その中で真の忠臣(楠木正成)が光輝く

楠木正成、新田義貞、後醍醐天皇は、無念の死を遂げ怨霊になった
原・太平記(22巻)の終章を削除し、怨霊鎮魂思想による続・太平記を書いた

□足利尊氏対足利直義

後醍醐天皇は、日本を真の意味での天皇中心の中央集権国家にしようとした
足利尊氏は、鎌倉時代以来培われた幕府政治という統治方式で日本を建て直そうとした

尊氏は統率力がなく室町幕府をひとつにまとめられなかった
南北朝に分裂させたのは後醍醐だが、後醍醐の死後半世紀ほど戦乱の巷に落とし入れたのは尊氏である

尊氏の直義は、政略には長じているが戦争がうまい人ではなかった

直義は王朝の権威を維持し、それにより秩序と平和を回復するという立場であった
直義は南朝に降伏し、死に体だった南朝を復活させた

□足利義満の野望

足利義満は11歳で三代将軍となった
日本史上最大の怪物政治家であり、天皇になろうとした将軍である

南北朝の合一は、義満の日本政治史上最大の功績である
譲国の儀式をもって南朝から三種の神器を取り返した

この時代の天皇家は神聖なる権威が底値になっていた
義満は息子の義嗣を天皇にして、天皇家の乗っ取りを謀った

まず、幼い後小松天皇から公家の人事権を天皇家から奪った
次に、十数ヵ所の門跡寺院に自分の子弟を送り込み、天皇家の寺院利権を手に入れた
また、明に朝貢し日本国王となった

金閣寺は寺ではなく、義満にとっては大内裏であった
金閣寺は、一階法水院(寝殿造)・二階潮音洞(武家造)・三階究竟頂(中国禅宗仏殿造)であり、公家社会・武家社会というカーストの上に立つ最上位の王者であることを具体化した建物である

義満は、朝廷勢力により暗殺された

□恐怖の大魔王 足利義教

義満の野望の後継者はいなかった
足利氏が突出した地位を得ることを他の武家は望まなかった

4代将軍義持は後継者を指名せずに死んだ
そのため5代将軍は4人の後継者候補からくじ引きで選ばれた

選ばれたのは青蓮院義円(義教)である
義教は乱世を鎮める為、権力を集中させ将軍直属の兵力を養成した

九州を制圧し、比叡山延暦寺を焼き打ち制圧した
更に鎌倉府制圧も成し遂げ、関東の反幕府勢力の一掃に成功した

義教は、配下の大名赤松氏に殺された

足利義教こそ、織田信長の師匠というべき人物であり、信長の行ったことは義教のパクリである
生き様・死に方もそっくりである

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2005/01/24 20:23

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