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商品説明
【芥川賞(158(2017下半期))】【新潮新人賞(第49回)】チェンナイ生活三か月半にして、百年に一度の洪水に遭遇した私。綴られなかった手紙、眺められなかった風景、話されなかったことば…。洪水の泥から百年の記憶が蘇る−。魔術的でリアルな新文学。『新潮』掲載を単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】
百年に一度の大洪水の泥から、無数の百年の記憶が蘇る!大阪生まれインド発、けったいな荒唐無稽。芥川賞受賞の魔術的でリアルな新文学!
私はチェンナイ生活三か月半にして、百年に一度の洪水に遭遇した。
橋の下に逆巻く川の流れの泥から百年の記憶が蘇る! かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。話されなかったことば、濡れなかった雨、ふれられなかった唇が、百年泥だ。
流れゆくのは――あったかもしれない人生、群れみだれる人びと……
【本の内容】
著者紹介
石井 遊佳
- 略歴
- 〈石井遊佳〉1963年大阪府生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程満期退学。日本語教師。インド在住。「百年泥」で新潮新人賞、芥川龍之介賞を受賞。
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紙の本
インドって?
2018/08/02 21:54
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:玉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ずいぶん昔、知人がインドへ行った。その時もらったインドのお札をずーっと授業で使っている。不思議な小さな穴が二つ開いている。なぜ?インドに関する有名な本もいくつか読んだ。インドで考えたこと、わしもインドで考えた、などなど。勝手に思い込んでいたインドの実像。それを今回くつがえされた。どこまで、ホントかわからない。でも、目の前にインドが見えた。こんななの?イメージを作らされた。巧みな文章だった。すごいぜ。
紙の本
百年泥
2022/01/06 21:42
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
男に自分名義で借金され、その返済の為に南インドで日本語教師として働く女性が主人公。学期の終わりに数十年に一度の大洪水が起き、翌日町には百年にわたって川底に積もっていた大量の泥が残される。泥はかき集められ、町の人々はその中から自分の記憶に関する物や人を引きずり出し、「ありえたかもしれない現実」に浸る。そこから主人公の記憶にまつわるものも引きずり出され、主人公の過去も振り返られる。
「言葉」に関する主人公の子ども時代と家庭、クラスメート、そして日本語教師としての現代。主人公は南インドの現地の言葉が話せないのだが、大洪水の翌日はなぜか周囲の話が分かってしまう。これらの意味するところがまだ分かっていないが、ここから考えていくのが楽しみになる一冊。
紙の本
SFとリアルの融合
2019/02/28 23:36
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:千那 - この投稿者のレビュー一覧を見る
泥が全てを運んできて、そして全てを沈ませ隠す。ファンタジーとリアルを織り交ぜ
た作品。「私の母親が人魚だった」というのがなかなか気に入った。読み手を選ぶだ
ろうとは思う。
紙の本
2017年度芥川賞受賞作
2018/05/20 06:34
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
日常と非日常が違和感なく溶け込んでいるインドの風景が味わい深かったです。大地に沁み込んだ人間の記憶が解放されていくシーンが圧巻でした。
紙の本
インドのチェンナイは、ぐるぐると渦巻く混沌とした町だった。
2018/11/19 18:26
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たけぞう - この投稿者のレビュー一覧を見る
芥川賞受賞時、インド在住というプロフィールの衝撃が強すぎて
外国人系の作家さんかと勝手に思ってしまいました。
ぜんぜん違っていて、インドで日本語教師をしている人と
いうだけでした。
大阪の生まれで、たまたま仕事でそこにいるだけなのに、
人間の意識とは恐ろしいものです。
勝手に特殊性と結びつけようとしてしまいました。
とはいえ、百年泥は著者が三年前に住み始めたチェンナイでの
生活に根ざしたデビュー作なので、日本人にとっては非日常的な
舞台ではあるのです。
著者自身も、42歳から三年間インドのヴァラナシに夫婦で
住んでいたり、47歳からネパールのカトマンズで
日本語教師をしていたりなど南アジアに明るい人のようです。
チェンナイ生活三カ月半で、百年に一度の洪水に見舞われた私。
アダイヤール川のよどみが橋の上でうず高く盛りあがり、
異臭を放ち始めています。洪水三日目、会社に向かうべく
アパートから踏み出すことにします。
泥まみれのごみの山を通り抜け、アダイヤール川にかかる
橋を渡ると会社です。
橋に向かうにつれ、子ども連れのサリーの女、杖をつく老人、
肩を組んだ三人組の男など次から次へと人が湧いてきます。
百年に一度の洪水を見ようと橋を目指す人たち。
洪水という大惨事なのに悲壮感はかけらもなく、野次馬根性で
ギトギトした雰囲気です。橋の下に見える泥水は、
清らかな川とはまるで違う、すべてを呑みこむ濁流です。
橋の上では泥を左右に寄せて車道を確保しています。
そして泥の中からは、何十年も行方不明だった人たちが
眠りから覚めたように救出されるのです。
不思議な光景を、すぽんと現実的に書くことで、
インドの混沌とした空気感が伝わります。
なんでもありで、猥雑な中にある秩序めいた何かは、
人間世界のうねりそのものにも思えます。
こんな所でも人は生活しているのだという感覚で、
生命力のたくましさが伝わってきます。
南アジアのすえた臭いがかげる作品です。