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ここまで不愉快な男を描いた、っていうのはある意味評価してもいいんでしょうが、読後の悪さを拭えないっていうのは、結局失敗なんじゃあないか、わたしはそう思うんですね
2006/08/19 23:18
3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
あさのあつこ『弥勒の月』(光文社2006)
出版情報を見逃していたせいで、書店に入ってもその本の存在に気付かない、なんていうことが偶にあります。特に境界線上にある作品はそうですね。例えば椎名誠『アメンボ号の冒険』は、完全に内容は児童書なのに、大人が子供時代を回想したと、ただそれだけで大人の本の書架に。
逆に、佐々木マキの絵本は、大人が読んでも楽しめるのに児童書のコーナーにしかありません。じゃあ、あさのあつこの本はどこか?っていうことになります。児童書から出てきた作家が、大人向けの小説を書き始める、そういったときに受け手のほうにも心構えがないと、見落とすんですね、これが。森絵都にかんしては、上手く拾ってきたつもりですが、あさのに関してはミスりました、はい。
で、やけに日本画風の装幀は、多田和博。時代小説である、という内容と、タイトルを意識したんでしょうが、ちょっと渋すぎかな、これじゃあ、なにより、著者のイメージじゃあないよな、なんて思います。ブックデザインは、内容だけではなく作家を思い浮かべさせる必要もあるんだな、なんて脱線したりして・・・
このお話の主人公は、読む限りは、北定町廻り同心、木暮信次郎ではなくて、主人を見守る岡引の伊佐治じゃあないか、そんな風に思います。本所尾上町で小料理屋をやっている伊佐治は20歳の時、信次郎の父、木暮右衛門から手札を貰い、それから二十年以上を尾上町の親分として活躍しています。
その右衛門が亡くなって、もう10年近くの歳月が流れました。で、今の主人、同心の木暮信次郎というのが実に嫌な奴です。はっきり言って武士の、というか人間の風上にも置けない、権力を傘に来て正義面をし、見込み捜査をする警察官僚、それの時代小説版です。
で、その苛めの対象になったのが、妻を喪った森下町の小間物問屋、遠野屋の主人・清之介です。川に飛び込んで死んだとされるおかみ、おりんの死に納得の行かない清之介は、妻の死は飛込みではない、と調べなおしを信次郎に頼み込むのですが、その態度が気に食わない、とばかり信次郎は遠野屋を敵視し、殆ど横暴としか言いようのない取調べをします。
ま、ここらへんは戦前の憲兵、或いは特高、戦後すぐに赤狩りをやった公安を思い起こせばいい、とまあ書いたものの、それを知っている人は殆どいないので、生徒の言うことを信じない高校あたりの教頭を想像してもらえばいいかもしれません。ほら、いるでしょ、あたまっから「お前が悪い」と決め付けてエラソーにふんぞり返っている奴。しかもそれが若造と来た日にゃ・・・
全体は八章構成で、タイトルだけを書いておけば、
第一章 闇の月
第二章 朧の月
第三章 欠けの月
第四章 酷の月
第五章 偽の月
第六章 乱の月
第七章 陰の月
第八章 終の月
となっています。第三章のすわりの悪いこと、何とかならんかにゃ、なんて思いますね、こうしてみると。初出ですが「小説宝石」2005年11月号掲載作品に加筆修正ものだそうです。そうか、単行本一冊文一挙掲載か、光文社も太っ腹よなあ、のう、上州屋・・・なんてね。
で、読後感なんですが、悪いです。信次郎を悪く書きすぎちゃいました。ここまで書いてしまうと、伊佐治が、「実際はいい旦那なんだ」なんて言おうが、事件が無事に解決しようが、取り戻しようがありません。大体、人情というものが感じられないんですね。生活感もないし。
同じ時代小説初挑戦でも、池永陽『雲を斬る』と読み比べれば、その読後の爽快感の差に愕然とするはずです。ちょっと捻った人物造形が、マッチしなかった好例、と書いておきましょう。むしろ、出だしのイメージがホラーになるか、と思わせていましたが、そのまま走ったほうがうまくいったかも・・・