「隣りのアボリジニ」は「隣りのニッポンジン」。人間性の共通部分が見えてくる。
2010/11/02 20:10
14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「精霊の守り人」から始まるシリーズや「獣の奏者」シリーズなど、素晴らしいファンタジーの書き手である著者の背景を窺わせる、異民族の交流の話である。
著者は文化人類学の研究者。本書は著者が初めてボランティア教師としてオーストラリアに行き、アボリジニの人たちと出会ったところから始まる。
白人がオーストラリアに移住するようになり、アボリジニはそれまでとは異質の文明にさらされた。長い時間を経て都会になじんでしまったが、白人とはやはり違う文化を残しているのだけれども、もう昔には戻れないという人々が彼らの中には大勢いる。そんな人々と直接知り合う中で、「文化」や「人間」について著者が考えたこと。その中にはこれまでの著作を読んで「そうか!」と気づかされたことにつながるものがたくさんあった。こういった確固とした基礎の考えが、著者のファンタジーの深さ、濃さになるのだろう。
聞き取りをすると、同じ事象が人により違った形で記憶され、語られることがあったこと。これは「精霊の守り人」では「伝説は征服者の都合のよいように書き換えられるばかりか、敗者の自尊心で変えられることもある」という言葉になっていく。現実の世界でも、戦争の体験が語られる中には、それぞれの状況で記憶が変わってしまったもの、変えてしまったものもあるだろう。「誰が書いた歴史なのか」といった「歴史とは何か」という問題でもあるのだ。
アボリジニの変遷を著者はつづっているのだが、たかだか百年ぐらいでは人間の根本的な行動パターンは変わらないということを再確認したような気持ちになってくる話も多い。例えば、ある程度の生活が保障されても希望がもてないと、家に寄り付かず、刹那主義的に騒いで暮らす若者が出てくること。家に帰らず、繁華街で夜を過ごす日本の若者にもどこか同じ共通したところがあるのではないだろうか。
アボリジニにも幾つかの異なる集団がある。アボリジニというのは、彼ら自身、白人が入ってくることで獲得した概念である」とあるところでは、それまでは「国といえば自分の藩」であった人々が黒船が外交を迫ってきたことにより「日本人」という概念で考え始めたことと似ている。似ている。同じ人間の認識、行為としての共通なのかもしれない。
漫然と読めば、ここに登場するアボリジニの人たちを「可哀想な境遇」「難しい環境」と、「遠くのお話」で済ますことも出来る。しかし私たちにも共通する「人間性」の部分がみえてしまうと、問題は私たち自身のものに感じられてくる。
「隣りのアボリジニ」は「隣りのニッポンジン」でもあるのだろう。変わらない「人間性」があるからこそ、「歴史は繰りかえす」ことにもなるのかも。
本書は2005、ちくまプリマーブックスで刊行された。今度文庫になったことで、より広い範囲の人々に読まれることになると思うし、それだけの内容の本であると思う。文庫になることにはさらなるおまけの楽しみもある。著者が執筆当時を回想したり、反省をしたりして書いた「文庫本へのあとがき」もその一つ。解説を誰が書いているのかも味を添える。本書の解説は池上彰さん。どんな説明を書かれているのかだけでも、文庫本を手に取りたくなってくる。
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これを読むまで、アボリジニ=草原で暮らす人々というイメージでした。
本書は、そうではなく、都市生活に混じって暮らすアボリジニ達の暮らしに焦点をあてています。ステレオタイプな考えや知識にとらわれていることは、きっと自分が思うよりたくさんあるのだろう、と気づかせてくれる本でした。
非常に勉強になりました。
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この前に読んだ本が、これから日本語(日本文化)が亡びるであろう事を憂いた本でしたが、こちらは現在進行形で亡びの道を歩んでいる、そして既にその一部は亡びてしまった言語・文化についての本。
そしてこの本は、旅行会社の宣伝に登場するような昔からの伝統文化を守っている人々ではなく、白人達と同じ町に暮らす人々を描いたものでした。
非常に興味深く読みました。
まず、“アボリジニ”という言葉が英語の“原住民”という意味の単語から出来た言葉だったという事にとても驚きました。
彼らはそれぞれ250以上もの(方言を含めると600程になるそうです)全く言葉の違う集団であったのに、それを、例えば顔の見分けが付かないからといって、日本人と韓国人を同じ民族だと一括りにしてしまったような、乱暴な言葉だったそうです。
それがだんだん、アボリジニの人々自身が、白人に対して、自分達は言葉が違っても同じ先住民仲間だという自称としても使われるようになったとの事。
彼らと日本人を簡単に重ねる事など本当は出来ないのですが、私は読んでいてどうしても、白人の町に暮らす彼らと、私達の生活が似ているように感じて仕方ありませんでした。
またそれとは逆に、今の白人の若い人たちがアボリジニに対して抱く気持ちが、日本人が中国人・韓国人に対して抱いている気持ちに本当に似ているとも思いました。
さらっと読み終わってしまいましたが、まだまだ書き切れない程、そして上手く言葉にはならないような事も色々と考えさせられました。
でも更に、この3倍も4倍ものボリュームで読みたい本でした。
この本は10年前に書かれたものですが、その後の10年で、町に住み白人達と一緒に暮らしている彼らの生活に、何か変化はあったのでしょうか。
著者は今は作家業の方が忙しく、フィールドワークにはもう殆ど出ていないそうですが、もっともっと、文化人類学者としての著作も発表してくれたらと、強く願います。
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「守り人シリーズ」や「獣の奏者」シリーズでお馴染みの上橋さんの、オーストラリア・アボリジニについての本です。エッセイ風な書き方なのでとても読みやすかったです。
内容紹介を、表紙裏から転載します。
『独自の生活様式と思想を持ち、過酷な自然の中で生きる「大自然の民」アボリジニ。しかしそんなイメージとは裏腹に、マイノリティとして町に暮らすアボリジニもまた多くいる。伝統文化を失い、白人と同じように暮らしながら、なおアボリジニのイメージに翻弄されて生きる人々。彼らの過去と現在を生き生きと描く、作家上橋菜穂子の、研究者としての姿が見える本。池上彰のよく分かる解説付き。』
アボリジニ研究で西オーストラリアに行っていたと言うと、「アボリジニの研究なら、本物がいるところに行かなくちゃ、北の方とか砂漠とか」とタクシーの運転手さんに言われてしまう上橋さん。本物って何?
実は上橋さんもはじめにアボリジニ研究をしようと思った動機は、「本物の」アボリジニのイメージに惹かれたためでした。
でも1990年当時、日本ではほとんどアボリジニの情報がなく伝手もなかった上橋さんは、海外で日本のことを教える民間プロジェクトに参加してオーストラリアに行きました。どこへ派遣されるか賭けみたいなもの。そして派遣された西オーストラリアの小さな町ジェラルトンで出会った混血の(タクシー運転手が言うところの本物でない)アボリジニたちが、上橋さんを変えたのです。
読みながらいろいろなことを考えたので、本書の内容から少し外れてしまうかもしれませんが思ったことを書きます。
人類は世界中に広がったけれど、大雑把に分けると二つの文化があったのではないかなあ。土地を所有する人たちと、土地を所有しない人たち。
もちろん土地を所有する人たちもずっとそこに居続けないこともあるけど、自分の住む土地を自分のものだと思い、管理しようとする。
土地を所有しない人たちは、そもそも土地を自分のものにするという考えが浮かばない。どうやったら自分の物に出来るっていうんだ?
世界が広くて人類がぽつぽつと離れて暮らしていれば、それぞれ軋轢なく暮らせるけど、もしその二つの勢力が出会ったら・・・。土地を所有する文化の方が勝つようです。だって、土地を所有する発想がない人たちがまごまごしている間に、既成事実を積み上げた土地所有派がその土地に居座ってしまうのですから。
日本ではおそらく縄文と弥生の文化交代がそれだったのでしょう。北海道で新政府とアイヌ民族との間で起きたことは、オーストラリアとそっくりだと思いました。
アメリカでのインディアンと白人の衝突もそうだなと思って読んでいたら、驚くことが書いてありました。
シッドおじさんが亡くなり、ローラが400キロも離れたシッドおじさんの属する場所まで、おじさんを埋葬しに行った話です。シッドおじさんはそれを望まなかったし、ローラもやりたくなかったのにそうせざるを得ない状況に追い込まれて。
最近読んだアメリカ開拓時代の小説(小説だけど事実をもとにしている)に、出てきた話にそういうのがあったのです。白人が開拓している森で、そりにおじいさんの遺体を乗せ、ある場所を探してさまよっているおばあさんと男の子のインディアン。おじいさんが生まれた場所に葬るために。探している二人はそこに行ったことがなかったのに、言い伝えられた言葉通りの場所を探していました。白人も協力して探し当てることが出来ましたが。
インディアンも土地を所有しない文化でした。そして白人に負けました。土地は所有しないけれど、逆に生まれた土地に縛られる文化なのか!オーストラリアとアメリカで、しかも時代も違うのに同じような発想で行動している人たちがいたことにびっくりしました。
昨年の春、そのものずばり「オーストラリア」という題の映画を見ました。ニコール・キッドマン主演で、かなり大々的に宣伝したのにどうやらあまりヒットしなかったのですが。私は、壮大なわりにパッとしない映画だったな、しかも日本軍のこと史実と違う・・・、全体としては悪くはなかったけどという感想を持ちました。
だけど、この本を先に読んでたらもっと違う見方ができたと思います。(日本軍のことはまあ置いといて・・・)アボリジニのことで、いろいろ思い当たるの。アボリジニについては、かなりきちんと詰めていた映画だったのだろうと、この本を読んだ今ならそう思えます。
つくづく、知識がないと受け取れるはずのものが受け取れないんだ!と思いました。
たぶん上橋さんの小説がヒットしたおかげで(ヒットしてますよね~)、この本が文庫化されたのかな?
そう思うと嬉しいです。
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この本はアボリジニについて書かれた本ですが、いわゆるステレオタイプのアボリジニではなく、白人社会の中で、白人とともに暮らす人間味溢れるアボリジニの姿が描かれています。
文化も言葉も独自のものが薄れて生きながらも、力強く生きている姿は在日コリアンと重なる部分も多く、心強く感じます。
世界のマイノリティの存在や先住民の問題にも興味がわきます。
考えさせられる本ですが、とっても読みやすかったのでおすすめです★
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実は現代思想の入門書にもなっている。(勿論「アボリジニ」はそんなもののために存在しているわけではないが) 中学入試でここから出題しても良いのではないだろうか。
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2004年横浜のSF大会で、上橋さんが嬉嬉としてアボリジニのフィールドワークを語っていた理由がこの本を読んで理解できた。アボリジニに起こったことは、いまの日本の国内でもひそやかに進行していると思うな。
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「異文化交流」「異文化共存」。 あまりにも手垢にまみれた感のあるこの言葉。 それぞれの言葉が持つスローガンは高尚なものだと思うし、決してそれらを否定するものではないけれど、その実現となると絶望的なまでに多くの問題を孕むものなんだなぁ・・・・ということを改めて再認識しました。 極論すれば異文化が共存するために必要なことは「侵略なしの相互不干渉」しかないのではないか・・・・と。 だいたいにおいて「農耕民族」と「狩猟採集民族」が同じ道義で生きているはずはないし、「土地を所有する」という考え方がある民族と「土地はみんなのもので個人に属すものではない」という考え方がある民族が同じフィールドに立てば摩擦が起こるのは必至なわけで・・・・・。
(中略)
はっきりしていることは、文化が違う者同士が接触する際に、決してそこには誰もが納得する「絶対的な優劣」は存在しないということを自覚するべきであるということだけなんだと思うんですよ。 例えば文化的な生活を営む私たち先進国の人間は、とかく原始的な生活を送っている人たちを「歴史の発展から取り残された可愛そうな人たち」とか「ある種のノスタルジーを感じさせる貴重な(稀有な)人たち」と考えがちだけど、それは自分の物差しだけで物事を見ているちっちゃな考え方だし、彼らからすれば余計なお世話なんだということをきちんと自覚すべきなんだと思います。
でも悲しいことに人類はその歴史の中でこのことに関して無自覚な行動を繰り返してきたし、その結果として今も尚世界のあちらこちらに「民族問題」「人種問題」を抱え続けています。 そしてそれを何とか解決しようとする善意の活動であってさえもその多くは「上から目線」で解決策を模索しようとしているような気がしないでもありません。
(全文はブログにて)
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うーむ。
著者は典型的な女性の文化人類学者に感じるのは、わたしの見方がステレオタイプすぎるだろうか?
文化人類学者として、オーストラリアの先住民アボリジニを研究する著者。
読後、特にためになるような情報を得ることはなかったが、読者にそのような感想を抱かせるのが目的であれば、それは達成されているようだ。
日本にいる先住民(アイヌや琉球の民族)についての考えも聞いてみたいものだ。
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白人社会とアボリジニとしての生活の間に生きる人々の話。同じアボリジニといっても白人社会の中で文化が失われつつも生きる人々、アボリジニの文化を大切に生きる人々と様々で決して一括りにしてはいけない。そして差別されてきた歴史と今の残るものを正負両方の側から共に描かれています。実情を知ると自分がいかに無知であるか分かってしまうから辛いです。でもだからといって知らないままでよかったなんて思いはしないし、したくもありません。辛い生活の中でも明るく生きる人々がいることを忘れてはいけないと思いました。
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上橋菜穂子らしい、丁寧で誠実な民族誌。彼女の小説が、例えファンタジーであってもリアルな理由がわかる。人を見る目が暖かく鋭い。陳列棚や画面の向こう側ではなく、こちら側として描かれている。
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「精霊の守り人」「獣の奏者」シリーズでファンタジー作家として有名な上橋菜穂子さんは、文化人類学者としての顔も持っています。隣のアボリジニは学者としての上橋さんの著作で、西オーストラリアで小学校の教師として教えながら行った1990年頃からのフィールドワークをまとめたもの。独特の生活様式と思想を持つオーストタリアの先住民族アボリジニの過去と現在が、「隣」で生活する普通の人々を通して生き生きと描かれています。
オーストラリアの歴史や多文化主義を知る上でも、上橋菜穂子さんのファンタジーを構成する要素を知る上でも、興味深い一冊です。
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「守り人」シリーズの上橋さんが文化人類学者とは知っていましたが、そのお仕事ぶりを描かれた本があったとは知りませんでした!守り人シリーズとちがって、ハードでシリアスな現代のアボリジニの生活。しかもこの新版の文庫の解説はなぜか池上彰さんです!
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〈守り人シリーズ〉や『獣の奏者』で知られる著者の文化人類学者としての仕事。
「大自然の民」というイメージとは裏腹に、マイノリティとして町に暮らすアボリジニ。
一緒に生活して関係を作りながら、インタビューを重ね、彼らの声を引き出していく。
混血を繰り返し都市の生活に順応しながらも、白人とは違った親戚づきあいや世界観を持っている彼ら。差別を受けてきた歴史、それは悲惨そのものであるのだが、分離や保護といった政策には功罪両面があることも否めない。現実はこんなにも曖昧で複雑だ!「気高い大自然の民」あるいは「飲んだくれて暴れるならず者」といったステレオタイプにはまらないよう、ひとりひとりの歴史と生活を丁寧に描こうとする誠実さに感銘を受ける。
彼女が構築するファンタジー世界は緻密な設定と歴史観に裏打ちされていると感じるが、そのルーツがどこにあるのか、この本を読むと感じることができる。
上橋ファンタジーのファンにはぜひおすすめしたい一冊。
これを読んでから小説をまた読みたい。
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「「あたり前のこと」の下に「あたり前を成り立たせていること」を見る経験の積み重ねなしには、新鮮な物語を書くことはできません。そして、これを知る作業こそ、人類学の最も基本的な作業なのだと私は思っています。」
久々の読了本は上橋さんの文化人類学者としての記録。
数々の心躍るファンタシーの世界を紡ぎ出す上橋さんの根っこの部分を垣間見れた気がした。
また、研究書チックかと思ったけれど、かなり読みやすいエッセイに近いものだった。
その中に、アボリジニへの差別、生活、更には平等とは何かという部分まで含まれているのだからとても深い。
アボリジニという言葉は知っていてもその掴み切れない実態の一片を見せてもらえた。
やはり異文化は興味深いなぁ。
【11/6読了・初読・私の本】