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「人は生きたということに満足すべきなのだ。人は、自分の世代から抜け出ようと試みることさえできるのだから。」
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「自殺する勇気がなければ、死ぬまでは生きていく他はない。」
節子が自殺を選ばなかったことは一つの救いのように思える。
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高校生の頃に感動して読んだ記憶があり、期待して再読してみた。
しかし今読むと、チョ~理屈っぽい恋愛小説としか思えないなぁ。
年取ったせい?
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六全協以後の虚無感の漂う時代の中で自らのアイデンティティーに揺れる若者達を描いた1964年の芥川賞受賞作。予想に反して私小説的な要素が強い作品だったけど、地下潜行を契機に自虐的な観念に迫られてついに自ら命を絶った学生の挿話は心を打った。
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芥川賞受賞作家。ゲーテに関する著書翻訳で有名な柴田翔。
灯台文学部英文選考の大学院生である主人公。主人公の婚約者節子は、結婚によって新しい生の意味を得ようとする。
そんな二人の暗中模索する話。
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にくいにくい、最後のひとことに何も言えなくさせられてしまう。
庄司薫にも共通する、「少年いかに生くべきか」というテーマだとおもって間違いはないのだろう。大戦後ひと段落した日本にあってこそのぐにゃぐにゃした思いに突き動かされてというものなのだろうか、学生運動時代の青年たちの在り方というのは(あまりにも浅学)。
もちろん私はこういうテーマが大好きなのだけど、
どこかいまいち、おじさまの女性蔑視発言にもぶちっときてしまったのでもう無理です。受けとりかたが間違っていたのならごめんなさいとしか言えない。
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1964年上半期芥川賞受賞作。全体のスタイル、そこから受ける感慨は鷗外の『舞姫』を想起させる。すなわち、すべてが終ったところからほろ苦く青春が回想される構図が。時間の彼方にあるものは、やはりそれだけでロマネスクである。あるいは、太宰の『晩年』を想わせもする。この小説が執筆された時、作家は29歳であったが、小説内世界においても、また作家自身の諦念においても、若々しさよりは、それを過ぎてしまった感覚が濃密だからだ。そして、六全協の敗北感よりも、むしろより個的な中での世代的連帯と共感とを回想しているかのようだ。
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広島で読了。
昭和39年(1964年)の芥川賞受賞作。
不朽の名作とまでは私は思わないけど、夢中になって読み進めてしまう、作者の構成がうまいんだろうな。
でも、こういう本を真面目に語っちゃうような人間にはなりたくないもんだ。痛々しくてうざったくて、ちゃぶ台ひっくり返したくなる感じがある。基本、面白いんだけど。胸をつくような言葉も幾つもあったし、冒頭の古本屋のシーンも、古書をきっかけに謎がつながっていくような展開も、最後の節子の別れの手紙も。小説として優秀なんだろうな。
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60年から70年代の若者のバイブルとなった本のようだけれど、当時の若者たちは、こんなに理屈っぽいというか、何々せねばならない!的な発想の人たちばかりだったのだろうか。。
ただ、力強さは感じた。当時の若者たちの一部は、この本に描かれているように、自分たちの手で日本を変えようと思っていたのだろう。そして、それがブームになっていったのだろう。
そのブームが去ったとき、最近のあまレス症候群のように生きる生きがい的なものがなくなってしまい、何を信じて生きていけば良いのか分からなくなり、自殺をしてしまう人もたしかにいたのだろう。
当時の若者たちの力強さともろさが垣間見える本だと思った。
共産党第6回全国協議会以後の左翼学生たちの生き方というのは、なかなかこんな世界があったのかと、想像するのが難しいけれど、こういう歴史的事実があったというのは大変勉強になりました。
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【本の内容】
1955年、共産党第6回全国協議会の決定で山村工作隊は解体されることとなった。
私たちはいったい何を信じたらいいのだろうか―「六全協」のあとの虚無感の漂う時代の中で、出会い、別れ、闘争、裏切り、死を経験しながらも懸命に生きる男女を描き、60~70年代の若者のバイブルとなった青春文学の傑作。
[ 目次 ]
[ POP ]
1950年代後半、「政治の季節」を迎えた東大キャンパス。
武装闘争路線を放棄した日本共産党の方針転換に挫折した学生たちの青春群像が描かれる。
といっても、今の若者の多くはピンとこないかも。
著者が自らの経験をもとに発表した本書は64年の芥川賞を受け、「青春のバイブル」といわれた。
仲間への裏切りを苦に自殺する佐野。
主人公の文夫は闘争にも恋にも溺れることがなく、そんな自分をひそかに誇っている。
文夫の婚約者、節子は次第に二人の関係に疑問を持ち始める。
挿入された佐野と節子の長い、長い「手紙」に引き込まれる。
幼く純粋すぎるかもしれない。
が、漠然とした空虚を、焦りを、何とか言葉にして伝えようとする懸命さがまぶしい。
芥川賞受賞時にドイツ留学中だった著者は、母校に戻りドイツ文学者として教壇に立ちながら、小説を書き続けた。
文夫は、節子は、その後をどう生きたのだろう。
60年安保という“祭り”のあと、学生たちはヘルメットを脱いだ。
日本は高度経済成長を迎えていた。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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大学で自殺した女の子。睡眠薬をぽりぽり食べながら、速達で手紙を書いてたけど、どうやって出したんだろう。
その辺を、何回も読み返したけど、分からなかった。
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本書と作者の存在を知ったのは、今から40数年前、高校生の時でした。
その当時と「時代が違う」ということですね。
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青春ブンガク
かかった時間150分
表題作は、1964年の芥川賞作品。
60年代に学生運動が起こり、終焉する中で、さまざまな形で時代にとらわれ、また逃れようとした若者たちの物語。
語り手の大橋文夫は、英文科の修士2回生。女子大に通う従妹の節子と婚約中で、自身の空虚への諦念をかかえながらも、穏やかな幸福のままに一生を送ろうとしている。
ある日大橋は、ほぼ新刊のまま古本屋に並ぶH文学全集にとらわれる。アルバイトの少ない報酬でその全集を手に入れた大橋だが、その所有者だった佐野という男の生と死をきっかけに、大橋自身、そして彼の周囲の人々の、学生運動に熱をあげた、世代的な空虚やそこからの抵抗、諦念などが語られる。
……という内容。
この作品は、大学時代に講義だけ受けた先生が、自分の中で衝撃だった(表現は違う)一冊、ということで書名を挙げた作品である。ずっと気になっていたが、あれから10年以上の時を経て、ようやく読む機会を得た。
しかし、率直に、10代のころ、せめて20代の前半に読むべき作品だったと思う。生の意味に対する切望というか、自己と社会の関係のしかたについての矜持、いいかげんに思える他者とのかかわりと表裏をなす真摯さなど、強烈な自意識に支えられた登場人物の言葉は、今の自分が読んでもある程度の理解はできるが、あのころ、自分の、まだ柔らかく、世界についてのさまざまなことに飢えていた自分の魂でなぞるべき言葉だった。その意味では、一部の作品には、はじめに「出会う」べき適切な時期があり、それを逃したことが多少悔やまれる(ここで「多少」と思ってしまうのも、まあ老いたということでしょう)。
描かれていた登場人物が全員エリートなので、このように強烈な自我を当時のすべての人がもっていたとは限らないにせよ、広く若者に支持された作品だということで、やはり「学生運動世代」の特性はあるのだと思う。このような生き方に、一定、憧れもし、他方で苦しそうだとも思う。今の若者も、もちろん、違う形で苦悩しているんだろうけど。
表題作のほか「ロクタル管の話」という短編小説も収録されていて、自己の純粋さへの礼賛と、それを失ったことへの寂しさが描かれていてよかった。
けっして読みやすい作品ではないが、読んでよかった。そして、やはり、これを血肉にするような読み方ができる時期を過ぎてしまったことは、少し寂しい。
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学生運動が盛んな時期に大学生活を過ごす高学歴男女の恋愛その他を巡る気持ちの変遷を描く。
学生運動に失望して自ら命を絶つ者等の描写があり、当時の若者の繊細な気持ちが良く伝わってくる。全体として何かぼんやりとした夢のような、遠い過去のような世界観。
過去のエリート階級の若者はこのような気分を持っていたのかとうっすらと垣間見ることができる作品。
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誰のどんなススメで読もうとしたか忘れた。
見城徹の『読書という荒野』あたりで取り上げられていたろうか。時代的に、団塊の世代から自分の親父の世代が青春時代に読んだ作品だろう。
なんの前情報もなく読みはじめ、最初は、私小説どころか、著者の青春回顧録と思った。「大橋」という名前が出てきても、「あぁ、本名は”大橋”なのか」と思っていた。それほど、現実感のある話だった。まだ自分が生まれる前の時代の話なのに、近年の作品よりもリアリティに満ちていたのが不思議だ。
おそらく、時代の空気感、若者としての感性が、今どきの作家の作品よりも自分には近いからなのだろうなあ。
そして、読後感は、当時の芥川賞作品は力作だ、という素直な想い。読者のレベルも高く、求める内容も深かった。それに応えるべく作家も筆を揮ったに違いない。
今の芥川賞作品を云々言うつもりもないけど、作家もひとつの職業だ。求められない作品を書いても売れない。ならば、その時代の読者の求めに応じた作品になっていくのはしかたないこと。作家のレベル、作品の方向性は、読者にも責任があるなと(自戒を込めつつ)しみじみ感じた。
当時(自分が二十歳前後の頃)、読むこともできた作品だった。あの頃、読んでいたらどう感じたろうか。 いや、むしろ、今、二十歳前後の息子世代が読んだら、どんな感想を持つのだろうか。
時代が変わっても、人の悩み、青春の蹉跌感は変わらないもの、なんて話も聞くが、いやいや違うんじゃなかろうか。
確かめようがないが、息子に訊いてみたい気がする。間もなく、息子21歳の誕生日。この本をプレゼントしてみるかな?!(笑)