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飲み会の席、「自分は裏切った」という気持ちが今も消えない、と話してくださった尊敬する人からの紹介本。なぜこの本を薦められたのかがよく分かりました。そして、あの告白の意味もおぼろげに。
政治不在をいわれる日本にも確かにあった政治の季節、60年安保闘争の頃のお話。登場人物はみな東大在籍者を中心とするエリートばかり。彼ら彼女らが、生きるということに真摯に向き合い苦悩します。ただ、皆が一様に狭隘な心持ちで、独り善がりな自己挿話と偏執的な価値観に基づく独白(主に手紙の形で)を展開するため、共感からは程遠い感想を持ちました。時代の特殊性と言ってしまえばそれまでですが、彼ら彼女らのように生きることの意味を窮屈に突き詰めるのではなく、生きることそのものに価値を見て命を全うする。わたしはそんな人生を望みます。
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頭でっかちが主人公。これは作者にも言えることかもしれない。まわりの人間が2人も自殺しているのにそれが全く主人公の精神に反映されず、理解という言葉で片付けられてしまうのは、今の時代でさえ不自然。そして怠惰に続く物語にうんざり。最後の2章を活かして短くまとまれば、芥川賞受賞の青春未熟者小説としてうなずけるのに。同時収録の作品は描写が丁寧でおもろかった。
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何と言っても佐野の遺書である。
信じた筈の主義主張を裏切ってしまった時、或いは信じた理想が誤っていた時、もう一歩踏み込んで「信じる」と云う行為をしてしまった時、私は過去に対してどう「落とし前をつけ」れば良いだろうか? の筋で読むと、参考の一つにもなろうか。
これに対する曾根の評「佐野は主観に溺れていた」「桃色の幻想か、黒い壁のどちらかで、……現実とは、何の関係もないもの」は果たして妥当だろうか。「健全な/自然な悟性」の存在を認めず、ただ「悟性A」「悟性B」「悟性C」…があるに過ぎない、と云う見地からすれば、主観に溺れると云うよりも、別の悟性がある事から目を逸らしてしまったのが間違いだったのだろうか。
相対主義を貫くと云う方針は見えた所で、過去とどう決着をつけるかの答えは見付かりそうにない。それこそ「本当の自分を探しに行く」節子の様に。
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「人は生きたということに満足すべきなのだ。人は、自分の世代から抜け出ようと試みることさえできるのだから。」
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「自殺する勇気がなければ、死ぬまでは生きていく他はない。」
節子が自殺を選ばなかったことは一つの救いのように思える。
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高校生の頃に感動して読んだ記憶があり、期待して再読してみた。
しかし今読むと、チョ~理屈っぽい恋愛小説としか思えないなぁ。
年取ったせい?
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六全協以後の虚無感の漂う時代の中で自らのアイデンティティーに揺れる若者達を描いた1964年の芥川賞受賞作。予想に反して私小説的な要素が強い作品だったけど、地下潜行を契機に自虐的な観念に迫られてついに自ら命を絶った学生の挿話は心を打った。
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芥川賞受賞作家。ゲーテに関する著書翻訳で有名な柴田翔。
灯台文学部英文選考の大学院生である主人公。主人公の婚約者節子は、結婚によって新しい生の意味を得ようとする。
そんな二人の暗中模索する話。
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にくいにくい、最後のひとことに何も言えなくさせられてしまう。
庄司薫にも共通する、「少年いかに生くべきか」というテーマだとおもって間違いはないのだろう。大戦後ひと段落した日本にあってこそのぐにゃぐにゃした思いに突き動かされてというものなのだろうか、学生運動時代の青年たちの在り方というのは(あまりにも浅学)。
もちろん私はこういうテーマが大好きなのだけど、
どこかいまいち、おじさまの女性蔑視発言にもぶちっときてしまったのでもう無理です。受けとりかたが間違っていたのならごめんなさいとしか言えない。
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1964年上半期芥川賞受賞作。全体のスタイル、そこから受ける感慨は鷗外の『舞姫』を想起させる。すなわち、すべてが終ったところからほろ苦く青春が回想される構図が。時間の彼方にあるものは、やはりそれだけでロマネスクである。あるいは、太宰の『晩年』を想わせもする。この小説が執筆された時、作家は29歳であったが、小説内世界においても、また作家自身の諦念においても、若々しさよりは、それを過ぎてしまった感覚が濃密だからだ。そして、六全協の敗北感よりも、むしろより個的な中での世代的連帯と共感とを回想しているかのようだ。
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広島で読了。
昭和39年(1964年)の芥川賞受賞作。
不朽の名作とまでは私は思わないけど、夢中になって読み進めてしまう、作者の構成がうまいんだろうな。
でも、こういう本を真面目に語っちゃうような人間にはなりたくないもんだ。痛々しくてうざったくて、ちゃぶ台ひっくり返したくなる感じがある。基本、面白いんだけど。胸をつくような言葉も幾つもあったし、冒頭の古本屋のシーンも、古書をきっかけに謎がつながっていくような展開も、最後の節子の別れの手紙も。小説として優秀なんだろうな。
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60年から70年代の若者のバイブルとなった本のようだけれど、当時の若者たちは、こんなに理屈っぽいというか、何々せねばならない!的な発想の人たちばかりだったのだろうか。。
ただ、力強さは感じた。当時の若者たちの一部は、この本に描かれているように、自分たちの手で日本を変えようと思っていたのだろう。そして、それがブームになっていったのだろう。
そのブームが去ったとき、最近のあまレス症候群のように生きる生きがい的なものがなくなってしまい、何を信じて生きていけば良いのか分からなくなり、自殺をしてしまう人もたしかにいたのだろう。
当時の若者たちの力強さともろさが垣間見える本だと思った。
共産党第6回全国協議会以後の左翼学生たちの生き方というのは、なかなかこんな世界があったのかと、想像するのが難しいけれど、こういう歴史的事実があったというのは大変勉強になりました。
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【本の内容】
1955年、共産党第6回全国協議会の決定で山村工作隊は解体されることとなった。
私たちはいったい何を信じたらいいのだろうか―「六全協」のあとの虚無感の漂う時代の中で、出会い、別れ、闘争、裏切り、死を経験しながらも懸命に生きる男女を描き、60~70年代の若者のバイブルとなった青春文学の傑作。
[ 目次 ]
[ POP ]
1950年代後半、「政治の季節」を迎えた東大キャンパス。
武装闘争路線を放棄した日本共産党の方針転換に挫折した学生たちの青春群像が描かれる。
といっても、今の若者の多くはピンとこないかも。
著者が自らの経験をもとに発表した本書は64年の芥川賞を受け、「青春のバイブル」といわれた。
仲間への裏切りを苦に自殺する佐野。
主人公の文夫は闘争にも恋にも溺れることがなく、そんな自分をひそかに誇っている。
文夫の婚約者、節子は次第に二人の関係に疑問を持ち始める。
挿入された佐野と節子の長い、長い「手紙」に引き込まれる。
幼く純粋すぎるかもしれない。
が、漠然とした空虚を、焦りを、何とか言葉にして伝えようとする懸命さがまぶしい。
芥川賞受賞時にドイツ留学中だった著者は、母校に戻りドイツ文学者として教壇に立ちながら、小説を書き続けた。
文夫は、節子は、その後をどう生きたのだろう。
60年安保という“祭り”のあと、学生たちはヘルメットを脱いだ。
日本は高度経済成長を迎えていた。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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大学で自殺した女の子。睡眠薬をぽりぽり食べながら、速達で手紙を書いてたけど、どうやって出したんだろう。
その辺を、何回も読み返したけど、分からなかった。
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本書と作者の存在を知ったのは、今から40数年前、高校生の時でした。
その当時と「時代が違う」ということですね。