幸せになりたがらない人たち
2004/01/21 10:51
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投稿者:ぬきた ぽんこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「おかあさん、シンデレラは結婚も出来るぐらい大人なのになんで家を出て自立しようとしないで、家でいじめられているの?」
小学生の低学年の子どもに言われて、私は笑ってしまった。
今の時代だったら、こんな話はおかしい。たしかに、好きでいじめられているようにしか思えない。
思えば、ほんのウン十年前、私が小学生の頃は、不幸な主人公のマンガがとても多かった。私は、うちの子のような事は考えず、いじわるな脇役に憤りながら(煽りながら?)ひたすら主人公に同情していた。だって、不幸でも、美人だし、才能あるし、素敵な男の人には思われてるもん。
本書に出てくる人たちは不幸になりたがるというより、幸せから逃げている。だから、日常の小さな不幸を見逃さずに、見つけたらひたすらそれにすがって、大きくしていく。しあわせより、不幸の方が認識しやすいものかもしれませんねえ。
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投稿者:よんひゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
40ページほど読んだところで、これは「カス」つかんだかな、といういやな予感がした。幸いなことに「カス」というほどひどくはなかった。全体におもしろい断片はたくさんあるのだが、このことについてもうちょっと考えたいな、と思ったとたんに別の話になってしまう。あとがきでご本人も「自分の関心のおもむくままに綴った結果が本書」と言っているが、いろいろ食い散らかしているものの、うわっつらをなでただけ、という印象である。
たくさんのケースを並べているが、最後に持ってくる結論が「○○と思える」式で、根拠の部分が薄く、唐突な感じを受ける。文章に「自分では文章がうまいと思っている素人」っぽい臭みがあるのも、評価を下げているかも。
まあ、あまりけなしてばかりもなんなので、興味深い断片を少し引用してみる。
わたしたちの心の内部と周囲の世界とは決して対立した存在ではない。互いに溶けあっているくせに、対峙しているかのように見えているだけである。(P25)
さきほどわたしは、被害者意識は常に「敵」を求めてやまない、と述べた。敵ないし悪玉を想定することで物事は一気に単純明快となり、被害を受けている「ワタシ」は正当化され、しかも労わられ特別扱いされる存在と化す。人によっては、被害者意識によってはじめてアイデンティティーに目覚めることが可能となる。(P70)
世の中には実にたくさんの言葉がある筈なのに、まさに「ぴったり」といった言葉はなかなかみつかるものではない。そうなると、せめて「いくぶんピントは外れるのだけど、まあ似たような」言葉を流用して我慢するしかない。いつも我慢していると精神的に耐えきれなくなるので、人間とはふしぎなモノで次第に適応していく。つまり、既成の言葉に感じ方や思考のほうを微妙に迎合させていくのである。(P110)
しかし、少なくとも精神科医として様々な不幸に置かれている人びとを見てきた経験からは、「面倒だから現状のままがいちばん気が楽。不幸なりに、この不幸はもはや馴れ親しんだ不幸であり、未知の状況と新たに向き合うことの精神的負担に比べたらよほどマシ」といった発想は、思った以上に世の習いといえそうなのである。(P121)
別に精神科医じゃなくても、ちょっと鋭い人ならこのくらいの洞察は持っているかもしれないが。
それにしても、自分が扱っている患者を見て「自分にもこういうところがあるなあ」とたびたび感じるとしたら、精神科医というのは憂鬱な職業である。
ロマンティシズムの破産
2000/07/31 03:12
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投稿者:hikaru - この投稿者のレビュー一覧を見る
なぜか、自虐的な立場に陥ってしまう人たちがいる。それらの人たちは、そうすればはっきり不幸な目に遭うと分かっているのに、そちらを選択してしまうのである。
本書の主張を乱暴に要約するならば、「彼ら」は、将来現れるかもしれない未知の危険性をおそれているのである。しかし、彼らは具現化しない危険性を待ち続ける状態に耐えられるほど強くない。そのため、とりあえず目先に存在している不幸とそのまま慣れ親しんでしまったり、場合によっては、あえて、目先の不幸を選択してしまうという戦略をとるのである。
これは、周囲から見ればあきらかに非合理的だ。しかし、本人にしてみれば、とりあえず具体的な不幸があるので、未知の不幸が軽減されたような気になり、安心できるらしい。「人間は何も欲しないよりも、まだしも、「無」を欲する」というニーチェの箴言が思い出される。
また、この「小さな不幸」には、劇的な雰囲気が伴うことが多い。要するに、「何もない」状態に耐えられないので、何か、ドラマティックな味付けが欲しくなるというわけである。
この行為は、株式売買などで行われる「損切り」を想像させる。株価が下落して売れば損をする状態であるにもかかわらず、損失を確定させるためにあえて売ってしまうという行為である。しかし彼らの行動は、そこまでクリアな論理に基づいているわけではない。どちらかといえば、明確な論理や表現が欠けているため、しばしば魔術的思考とでもいうべき妄想や固定観念に陥っている場合が多い。
文学論的に考えるなら、これはロマンティシズムの破産ということができるだろう。現実の社会には、いわばポストモダン的な、乾いた意味空間が広がっている。「物語」を求めようにも、すがることのできる大枠が存在しない。しかし、大半の人間にはそのような物語が必要なのである。
こういった「弱い」人間が、その空虚感に何らかの形で触れてしまった結果の例が、ここに示されているといえるだろう。
筆者は、都立松沢病院の医長である。
我々自身が心のどこかに隠し持っている衝動を容赦なく認識させられる本
2000/11/09 11:59
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投稿者:松沢呉一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分の指を切り取っていく薬物中毒患者、熊の檻の中に飛び込んで自殺した主婦、自分は重病に違いないとの思い込みから逃れられない心気症患者。不幸になりたがる人々の奇妙な振る舞いを、著者が診た実例や新聞記事などから拾い上げ、その行動の説明を試みる。
理論書のような堅苦しいものでなく、軽い筆致で描かれているだけにイヤーな気持ちにさせられる。特殊な人々の類い稀な行動では決してなく、我々自身が常に心のどこかに隠し持っている衝動であることを容赦なく認識させられてしまうからだ。
大事な会議の席で、突然机の上に座ってウンコしたらどうなるだろうと想像してゾーッとすることがありませんか。我々はこのような衝動を辛うじて抑え、治りが悪くなるとわかりつつカサブタをはいでしまう程度で済ませている。この本を読むことで衝動を抑えられなくなり、カサブタのみならず皮膚をすべてはいでしまう人が出そうなのが心配だ。
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ずっと、読んでみたかった人の本。いや別に読もうと思えばすぐに読めたんだけど、なんとなく避けてたかもしれない。でも、今回読んでみて思っていた以上に読みやすくて、分かりやすくていい本だった。精神科医の著書というのは沢山あると思うが、最近はこういう、あまり偉そうに語らない人が流行っているのだろーか、とか穿った見方をしてしまうあたしであるが、どうか。
普段、何気なく行動している先々で、案外沢山変な人がいる。いろんな人が居て、ちょっと関心を持って観察してみると、本当に見ていて飽きない。人間を観察している、なんてちょっと嫌らしいというか、なんか感じ悪いような気もするが、しかし人間観察ほど興味深い事は無いと思っている。電車の中や道中で、変わった人を発見する事なんて、たやすい。でも、その変わった人当人は意外と自分が変わっている、ということに気付いていない場合が多く、同じようにその、「変わっている」ぶりを理解できない人も、驚くほどいる。というか、人ってあまりにも他人に感心がないのだなぁ、とつくづく思うのだ。本当に、全然見ていないのだ。
この著者はそういった、「ちょっとなんか変」な空気を敏感に感じ取りやすい人のようで、それはもちろん、精神科医という特殊な職業をお持ちでいらっしゃるのが大きいかもしれないが、しかしそれがプライベートな生活の中にも随時感じているようである。その、「ちょっとなんか変」というウマく説明が出来ない、不自然な人、違和感を感じる行動、そういったことが、平然と行われている日常という世界を精神科医の視点で書き上げた一冊であるのだが、その視点がとても自分とリンクしていて面白かった。あたしもそういう不愉快な違和感を感じるような人に出会うと、最初は腹が立ったりイライラしたりさせられるのだが、落ち着いてその行動を考えてみると、不思議でちょっと笑ってしまうというか、馬鹿げているというか、本書で言うところの「人間臭さ」を垣間見てしまったんだ、と思ってくる。ただ、このエピソードは別に「不幸になりたがる人」の話ではないので、序章に過ぎないのだ。
不幸になりたがる人のなかに、「心気症」という症状を起こす人が居て、それは自分は別に病気でも何でもないのに、勝手に自分は酷い病気である、と勘違いして、というか完全に思いこんで信じて疑わないような状態になる人のことである。そうなってしまうと、「あなたは大丈夫」といっても、本人は信じようとしないし、むしろ、病気を否定されたくないのでは、とさえ思える。ようするに、このように自分は病気である、と思いこもうとするという行為には、なにかもっと大きな不幸を避けようとする意識が働いている、と著者は考えたわけだ。彼らは「ほんのちょっとした不幸」という状態を続けさせることで、精神的に安定感を得ている。また、「事故傾性」という言葉があって、なぜか事故に巻き込まれやすいタイプの人というのが、いるというのだ。あたしは会ったことはないが、似たようなタイプに、リストカッターが挙げられるのではないかな、と勝手に思った。あと、気をつけようと緊張するあまりに失敗したりする人とかも、いる。そーいう人って言うのは、不幸の先取りをする人とか不幸を指向するする人、という風に表現されているが、それは確かにあるなと思う。不幸であるということが、もう、その人の個性というか、不幸でなければその人ではない、というくらいにまで幸の薄さが個性になってしまっている人。あと、そういう人間だと思いこんでいる人、もしくは思いこみたい人。いるいるいる〜〜・・・と、おもわず納得してしまった。
他にも、分かっているのに汚言を吐く、という症状が出る人がいる。発作的に「してはいけないこと」をしてしまう人がいる。ここで、人間というのは、常に自分にとって安全で得になるように振る舞うとは限らない、と書いている。魔が差す、という言葉に表れている通り、駄目だと知っているのにやってしまったり、止めようと思っているのにやってしまう、言ってしまう。そういうマイナスの方向に動こうとする欲求というのが、人間には備わっているのだという。
しかし「不幸になりたがる」というベクトルの精神は、本当に不幸になってしまうために起こるのではなく、実はもっと大きな不幸を避けるために、小さな不幸で回避しようとしている現れである、と指摘してある。不幸中の幸い、とか、そういう事なんだと思う。また、自分が不幸であるという事を利用して、自己正当化させる、という方法がある。それをここでは「被害者意識依存症」と書いているが、まぁ、しかし、この言葉ほど適切なモノはないのではないかと思う。最近の「不幸自慢」っぷり「被害者意識」っぷりには、目に余るモノがあるとは思わないだろうか。犯罪というのは、この「被害者意識」が起こしていると言っても過言ではないのだから、最近急速に増えているのも、当然の流れなのかも知れない。
被害者意識というのは、その状況に陥ることで、強引に自分が楽になる方法を手にする事が出来る、という。一つは「敵」であり、もうひとつは「特権」である。「敵」というのは、つまり、自己正当化させるための手っ取り早い手段として、「仮想敵」を作り出すことだ。当然のことながら、自分が被害者であるのだから、相手は加害者であり、敵である。無理にでも敵を作り出さないと、そもそも被害者意識なんてモノは思い込みや自分の不平不満の産物だったりするので、自分に跳ね返ってきてしまう。それを避けるために、とにかく都合の良い敵をでっち上げるしかないわけだ。
それは近年急増中の「アダルトチルドレン」だとか「多重人格」なんかに見られるような、過去の記憶から敵を作りだして責任転嫁を試みる術だ。
もう一つの「特権」だが、それはもう、自分が被害者で弱者であるということを利用して、守られ保護される立場になってしまう、という、いわば逃げ口実だ。しかも、被害者意識を持つというのは、なかなか恍惚な状況でもあるという。アルコールなんかと同じように依存しやすいのだ。つましい幸せなどを得るよりも、あえて被害者意識を堪能することを選ぶ人間が世の中にはいっぱいいるんだそうだ。
たしかに、たしかに自ら不幸を指向しているな。ま、本書では他にもあっちゃこっちゃで、そういう病気もどきの変な人の話が出てきているいて、さすが現場の人、と感じる指摘が多々ある。例えば「むかつく」���か「キレる」といった言葉が流行ると、そうした言葉の連鎖が形作る方へ安易に流し込まれてしまう。目新しい言葉によって、今まで漠然としていた気持ちに形が与えられ、それどころか広く認知されたような錯覚すら生じる。
本来なら、それを恥じるべき事であるにもかかわらず、言葉として形作られたがために、憚らなくなっていってしまうという。
現状が不幸だと、不平不満を述べているにもかかわらず、それを自らの意志で行動で変化させようとしない人がいる。人は基本的に現状を大きく変化させることを望まない傾向にあり、不満を持ちつつも現状維持することを選んで不幸になっている人が沢山いるのだ。面白いなと思ったのは、そういう心理をここでは「面倒くさい」で、済ませているところだ。それは不幸であ状況を変化させるために何か行動する、というのがただただ、億劫なのだ。端から見たら、そんなことをするほうが変ではないのか、と思うことを呆気なく選んでしまう。それがある意味では病気でもある。
まぁ、分かっていても止められない、という事は誰にでもあるし、自己防衛のための被害者意識を持つというのも、別に間違っていないのかもしれない。しかし、なんというか、それはちょっと、情けないっつーか、恥ずかしくはないのか?と、問いつめたくはなる。
もう一つ、精神科の先生として、良いことが書いてあった。多重人格や記憶喪失、憑依など、普通の人では起こりえない劇的な症状というのは周囲への自己アピールでしかない。派手であることに価値があり、とにかく関心を集めたいだけである。それはもう、子供、というか未熟な人格構造だからこそ表せる大胆な自己主張であり、心の深層に問いつめたりというような洞察はない。また、精神分裂病の症状として現れる幻覚や幻聴、妄想の類はどれも底が浅く月並みだという。ありきたりで面白くもないのだ。しかも大抵薬が効いて、症状は治まるのだという。なんか、いや、これが病気なんだ、といわれてしまったら、そうですか、としか言いようがないわけであるが、しかしなんか馬鹿みたいだ。まさに、人間臭い情けなさがある。「イタイ」としか言いようがない。なんとなく、それも可愛らしくすら感じてしまう。
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これは選択する方向性が誤っているのではないか、というような事例が載っている。それによって不幸な道を歩んでしまうと言う…。人間の思考の繋ぎ方によってはこのような自虐試行や破滅願望というやっかいな行動選択をしてしまうのであろう。その思考の解釈に惹かれたが、思ったよりも詳細ではなかった。
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この本には世間にまぎれこんでしまったちょっと「グロテスク」な感覚、あるいはそれをもった人についての著者の考えが例を引いて述べられていて、いろいろな点でたいへん興味深かったです。扱う範囲はたぶん狂気とか精神病なんだけど、著者の書き方からまったく病的なものと境界にあるものとの見極めをだいぶ丁寧にやっているような印象を受けるので、けっこう説得力があるのですよ。個人的には文学への言説―「月並みなドラマチックなものがもたらす『判りやすさ』」が、グロテスクへの傾向がしばしば面倒くささとか呆気なさによるものと説明した上で、読者と作者の馴れ合いだという指摘に、はっとしました。それで「自虐指向と破滅願望」というサブタイトルが適切なのかというと、ちょっと迷ってしまう。
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色んな人と楽しく人生を過ごしていくための参考書。入門編。
的に使えるかどうかはともかく、
面白かった。わりと。
異議、違和感を唱えたいポイントは沢山あれど。
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幸福(普通とか標準の意味で)に生きることができない人もけっこういるとおもいます。他人に自慢するものが不幸しかないどん底に垣間みる人の心。
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評論?かなあ。こういうテーマはけっこう好きなんだけど、この先生えらい毒舌だな。なだいなだなんかに比べると、患者にずいぶんシンクロしてる気がする。だから妙な不安感とか不愉快さがあるんだろうけど。精神医学は奥が深い。
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著者の狙い通り、グロテスクな読後感。
「狂気にはなれず、健康にはならず、われらは神経症」 byロラン・バルト
・・・関係ないか。
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この本は比較的面白く読めました。ちょっとブルーな症例(熊に自分の腸を食べさせる自殺例)とかもありまたが(死)。
生まれついて不幸な人間についての考察が面白かった。そう考えることもできるなぁ・・・とか。かなり身近な例と照らし合わせて共感してしまった(死)。
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かなり特殊な事例を並べている本です。グロテスクな内容も多め。
医師が書いた本、という感じが全くしませんでした。
副題に「自虐嗜好」や「破滅願望」といった言葉が見えますが、それらのメカニズムを解明する、といった類の作品ではありません。それを期待して読んだので、少しがっかりしてしまいました。
珍しい話が好きな方には楽しめる一冊でしょう。
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精神病患者や、一般的な「奇人・変人」と呼ばれる人、また「普通の人」のことまで、色々な人や事例がコレクションされている。
非常にわかりやすい(砕けた)文で書かれている。
精神科医が書いているだけあって、患者例が多く興味をそそられる。
また他の本からの引用も豊富に書いてあり、そちらも読みたくなった。
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[ 内容 ]
虎に喰われたかったのに熊に喰われて昇天してしまった主婦、葬式代がないからとアパートの床下に妻の遺体を埋めた夫、電動式自動遥拝器を作ってただひたすら「供養」する男などなど―世の中にはときどき、不幸や悲惨さを自分から選びとっているとしか思えない人たちがいる。
しかし彼らは、この過酷な人生を生きてゆくために、奇妙なロジックを考えだし、不幸を先取りしなければ生きてゆけなくなった人たちなのだ。
あなたの隣の困った人たち、それはもしかしたら私たち自身の姿なのかもしれない…。
[ 目次 ]
第1章 理解しかねる隣人たち(不自然な人たち ああ、そうですか 大晦日の電車 ほか)
第2章 奇妙な発想・奇矯な振る舞い(幸運の法則 運勢曲線 不幸の先取りについて ほか)
第3章 悲惨の悦楽・不幸の安らぎ(熊に喰われる 虎と熊 二十六時間の誘拐 ほか)
第4章 グロテスクな人びと(変人たち 狂気予備軍 供養する男 ほか)
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