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俗耳に入りやすい,野次に近い英語教育誹謗の書
2011/04/23 02:27
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:BCKT - この投稿者のレビュー一覧を見る
第1部 英和辞典批判
__第1章 一対一対応という幻想
__第2章 英和辞典はGlorified Wordbook
第2部 「学校英語=人工言語」論
__第3章 乗っ取られた英語の音
__第4章 句、構文、文法の一対一対応
__第5章 受験英語の栄光と悲惨
__第6章 学校英語という名の人工言語
第3部 英語学習の未来
__第7章 学校英語よ、さらば
__第8章 あたらしい出発
付録 演習編
著者は1945年生まれ。出生地と出身大学は不明。大学院は一橋(社会学部博士課程中退)。英米児童文学・英語教育専攻。電気通信大学准教授。2011年,大学HP確認時点で準教授のまま(情報工学科計算機応用学)。ということは,66歳で准教授ということだ。各地の准教授定年者とこの著者が違うのは,英語教育多読教信者たちの心をがっちり掴んだことだ。『教室で読む英語100万語 多読授業のすすめ』,『さよなら英文法!多読が育てる英語力』,『ミステリではじめる英語100万語』,『快読100万語!ペーパーバックへの道』など,著書はバカ売れした。本書は,著者が48歳の時,1993年発売の単行本の文庫化。HP:http://tadoku.org/
結論から言えば,本書は,俗耳に入りやすい,野次に近い英語教育誹謗の書にすぎない(理性的な「批判」-一知半解の「批評」-狂乱的な「誹謗」)。本書を私が取りあげる価値があると感じたのは二点ある。第一は,多読推奨大学研究者として名をはせた著者の作品であること。第二は,辞書の改訂がお為ごかしにすぎないことをきちんと指摘している事実による(第1部)。華々しい改訂版の発売とその謳い文句は学年度末くらいから喧しいが,旧版と比べてみても,それほどの改訂が行われたとは(辞書編纂者には申し訳ないが)言い難いのが通例だ。この点で,酒井の見解に同意する。しかし,この点への批判は山岡洋一『英単語のあぶない常識』のほうが鋭角の説得力がある。
「俗耳に入りやすい」というのは,辞書における単語と訳語の一対一対応をめぐる誹謗にある。“語義と訳語の区別が付いていない!”という言い回しはたしかに魅力的だが,コアイメージでつかむ英単語みたいな発想(たとえば,「“on”という前置詞は「のうえに」(という訳語)ではなく,“接触”(という語義・イメージ)があるんですよ」的説明)は,13歳の純正日本人には把握が難しいと思う。そもそも,母語を非母語と照らし合わせて初めて理解できるのだから(これを言語的架橋=翻訳=理解という),とりあえずは一対一対応で初戦を突破することは市井の民には常道のはずだ。この対応を崩すには,初心者のレベルを脱却する必要がある。
「野次に近い」というのは,学校英語誹謗に関するものだ。その第一の理由として,本書単行本が出た93年時点で,著者は森一郎『試験にでる英単語』(初版1967年)と駿台文庫『基本文例700選』(同1968年)を叩いて満足している。バブルがはじけた後で東京オリンピックのことを持ちだしているのだ。卑怯じゃなかろうか? 第二に,英語教員のくせに,あろうことか文法事項の削減を提言している。stop ~ingとstop to不定詞なんか分けて覚える必要はない!と言いきっている(220頁)。バカか。第三にこの著者が巧妙なところは,現役の英語教員の英語力を不問に付していることだ。文科省が英語教員にはせいぜい英検2級を取ってくれ的御発令を数年前にしたはず。ということは,実態は3級がせいぜいということだろう。このことを著者が知らないはずがない。潜在的な賛同者の手を噛んではいけない,犬ならば。第四に,本書70ページくらいからの「乗っ取られた英語の音」でカタカナ表記の愚を指摘しながら,同書「演習編」290ページあたりではカタカナで英語音を表記している。おいおい,これって矛盾って言わないのか?
大学研究者にしては文章が緩いよなぁという印象は,著者が66歳で准教授だという事実によって裏付けられたような気がする。彼はハードな文章から遠ざかっているはずだ。つくづく私は残酷な書評者だと思う。結論的評価が途中で見えてきたはずなのに,時間をかけて読了してボコボコに貶している。ああ,神よ,罪深き私を許したまえ。
(1662字)
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多読指導で有名な酒井先生の初期の本。全体的な内容が多少古くなったような感じがするが、(特に「学校英語」については、2003年に改正された学習指導要領を見ても「実践的コミュニケーション」が前面に押し出されていることや、それに見合った指導を展開している先生も少なくないので、著者の当時の見解が現代の実態と全く一致するわけではない感じがする。)それでも学校文法や受験英語の弊害や多読・多聴の方法論の話は参考になる部分が多い。
本書は、「学校英語=人工言語」となっているメカニズムを、英和辞典批判、学校文法批判等を通して分析し、多読・多聴の方法など、それに代わる新しい学習法を提示している。全体的に分かりやすい書き方で、特に方法論の解説は役に立つ部分もあるし、多読をやってみようという気にさせてくれるが、最後の「演習編」は紙幅の都合もあるのだろうが、少し不親切、というか無責任な感じもする。「演習編」は映画「スピード」とTIMEの記事でその実践法を紹介しているが、それらは全ての結果(答え)が分かった先生だからこそできるやり方であって、初心者は、例えばどんな映画を選べばよいか、どんな台詞を聞き取ってまねすれば良いか(つまりあらかじめ英語の台詞が分かっていないといけない。今ならDVDで英語字幕を出せるから良いが)、どの部分が読めれば記事の面白さが理解できるのか、といった肝心な点がよく分からない。映画には方言やスラングもあるし、必ずしもトピックセンテンスを読むだけで記事全体の面白さが味わえるわけでもないし、少し納得できない部分がある。映画や記事を楽しもうとする姿勢には賛同するが、おれならこんな読み方はかえってフラストレーションが溜まってしまいそうだ。
上記の斎藤先生とは真っ向から対立するような方法論を展開している。リーディングに興味のある人は読み比べてみるのも面白いかもしれない。
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最初の2/3は、学校英語、受験英語に対する批判。英和辞書における訳語、ニュアンスの違いや、文章から独立して短文のみを扱うことの危険性、型にはめようとする文法等を問題として挙げていた。
後ろでは、どのように学習すれば良いかを挙げており、とにかく英語を聞くこと、聴きながらシャドーイングすることを良いとしていた。また、多読も必要とのことで、簡単な文章から良いとしていた。
カタカナ英語に対する批判もしていて、アルファベットからカタカナにしたレモネードよりも、音をカタカナにしたラムネの方が実際の音に近いので、通じるとしている。
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今年こそ使える英語を身に付けたい
POINT
“1対1対応”重視の英和辞典には間違いが多い
学校英語は受験用に作られた人工言語と心得よ
実践的な英語習得への第一歩は浴びるように読んで聴く
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著者は、うちの学校にもよく来てくれる先生。
うちの「英語教育」の考え方がよくわかる本だぞ。英語をもっと使えるようになりたいという人はぜひ読んでください。
著者の先生は、しょっちゅう学校に来るので、直接質問もできるぞ。
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日本人が英語を話せない理由がいくつも挙げられているが、それは非常に的を射ていると思われる。その主軸にあるのが、「一対一対応」なるものである。headの意味は頭で統一する。しかし、頭と言っても、英語のheadは顔も含みうるのである、場合によっては。eveningにしたって、夕方と訳すが、実際は夕方から就寝するまでの時間帯がeveningにあたるので、夕方よりもむしろ夜の方が長いわけである。といったように、英語と日本語ではそもそも言葉が表す「範囲」が異なるのに無理やりそれを対応させようとした結果、ズレが生じる。これは、発音にも該当する。実際には、英語と日本語の発音で同じものなどないのだが、それをaやi:は一緒だといったように一対一対応をさせようとする結果、おかしくなる。それくらいなら聞こえるままにひたすら発音練習をしてゆけばよい。要するに人によって音の聞こえ方なんて異なるのだから、「自分にはこう聞こえるものがaである」といったように練習を積んだ方がネイティブをききとる、あるいは、ネイティブと会話するには近道なのである。さらに、この一対一対応をつくりあげるシステムとして、「英和辞典」などがあげられる。さらには、受験英語や入試英語は生徒が間違いやすい部分に焦点を絞るために、実用性からは限りなく離れていくこととなる。早い話、関係代名詞などなくとも会話が可能である。
特に、
The boy who is tall is Bob.
The tall boy is Bob. といった二文があれば上は意味不明であろう、なにゆえ、こういった言い回しがされるべきなのか?日本語で妙に角ばった言い回しをするとおかしく感じるだろう。ただ、我々は、英語に関してその感覚を持てないのである。それも問題である。
※その1
「レモネード」→「ラムネ」 「エ」→「ア」
「ガレー船」→「ゲラ」 「ア」→「エ」
「トラック」→「トロッコ」 「ア」→「オ」
「フック」→「ホック」 「ウ」→「オ」
「チケット」→「テケツ」 「イ」→「エ」
「マシーン」→「ミシン」 「ア」→「イ」
といったように、聞こえる、という法則があるようです。
※その2「マクドナルドの法則:強い音節が弱い音節を飲み込む」などがある。
「McDonald's」→「ムダノス」にきこえる。
※その3母音が非常にあいまいなどの特徴も見受けられる。
※その4
What are you going to do tonight? 「ワデガナドゥーダナイ?」
What do you want to do tonight? 「ワデワナドゥーダナイ?」と、きこえる。
※その5冠詞
■英語 ■仏語
単数 複数 単数 複数
不定冠詞 a なし un,une des
定冠詞 the the le,la les
といったように、英語は、不定冠詞に複数形がないし、定冠詞は、単数複数一緒なので少しつかみにくい。
ちなみに、日本人の英語例文の作り方は、知っている文法を元に創作的に作ってしまう。だから、ネイティブではほぼ使わないようなものや、あるいは意味がずれているのにそれと気づかずに使ってしまう。だから、���かしな例文ばかりが並ぶ。それも、孤立した例文である。本来は文脈を元に理解されるべきであるのに、我々は文脈を元にした理解を怠っているので、どうしても孤立した文が出来上がり、文脈を無視した表現などが多用されてしまう。それは、我々の英語教育が文法中心であり、文法を元にした精読中心であり、よって触れる文量が圧倒的に少ないことも、我々が生きた英語を持ちいれない原因であると、著者は述べる。我々は、時間をかけて客観的に分析する力は養えても、ネイティブのように生きた英語を使いこなす練習を欠いている、のである。よって、話せるわけがない、というのである。
※その6
■日本語 ■英語
近くのもの→これ 近くのものや人→これ
中間のもの→それ 近くないものや人→あれ
遠くのもの→あれ
英語には、中間的なものがないので、それ、という概念は実はない。it=それ、というのは、日本人が無理やり一対一対応させた結果できたものであり、itをそれ、と訳す必要はない。とはいえ、それ以外の適語がないのも実情であろう。
※その7
How about tea?:これは、何か飲みましょうという文脈で、それなら、「お茶はどうですか?」という意味合い。
How about some tea?:これは、そういった文脈なしで、「お茶でもどうですか?」と勧める際に用いる。
※その8
不定詞の用法や、現在完了の意味わけなどといったものは、文脈で判断すればよい。また、三単現のsなど付け忘れたところでどうだっていい。
さて、著者が英語学習のために提案している手法は3つ。
1つ目は多読である。高校生1年生なら、中学1年生くらい。3年戻れ、そうすれば、すらすら読める=多読可能、ということである。また、知らない単語は1ページに3つまで、というのも重要。この二つの条件を満たせばすらすら読める、という次第なのである。これによって、ひたすら足りない量をこなしていく。
2つ目は精読である。精読といっても、60%の精読である。全体の文意だけとられる。とりあえず、パラグラフの一分目さえつかめればあとは次にいってよい、それで全体の意味さえつかめれば大丈夫、ということである。つまり、精読しながらも多読をこなせ、という要求なのである。3つ目は、シャドウイングである。映画を見ながら、きこえてくるのとまったく同じ形で、セリフと同時に英語を唱える、という練習である。ネイティブと同じスピードで同じ呼吸で同じ発音ができえれば(それが不可能だとしてもそれに限りなく近づければ)、会話も自然とできるようになるだろう、というわけである。
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少々古くなってはいるが、受験英語の構造的欠陥を指摘した点、やはり出色であった。伊藤和夫、森一郎的受験英語が日本人の英語能力にいささかの寄与もなし得なかったことは何度繰り返されてもいいと思う。
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日本の英語教育は、人工言語のお勉強とキッパリ断言。
言葉は、文化が生み出したもの。文化が違う国の言葉と自国語は1対1対応の言葉や発音はありえない。
身につけるためには、とにかくシャワーを浴びるように英語を聞き、読むことを繰り返すこと。
訳さずにそのまま意味がわかるようにする。そのためには全部わかる必要はない。
60%わかればよいと思って乱読すること。
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先日読んだ『快読100万語!ペーパーバックへの道』に共感したため、同著者のこちらを読んでみました。
いや、なかなか舌鋒鋭いです。日本の学校英語、なかんずく受験英語批判。そしてその指摘のほとんどに「確かに」と頷かされます。日本で教えられている英語は「人工言語」。では、本来の英語を身につけていくためにはどうすれば良いか…
すでに『快読〜』の方にその方法論は書かれていますが、こちらはその「理屈編」というべき内容でした。私は著者の方法論に共感します。
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学校英語・受験英語のおかしさを具体的に指摘した本です。
著者の主張自体はけっして珍しいものではなく、むしろ聞き飽きているといっていいくらいなのですが、英和辞典の硬直した訳語や、森一郎の『試験に出る英単語』(青春出版社)、伊藤和夫と鈴木長十の『基本英文700選』(駿台文庫)などから多くの例を引きながら、その問題点を明らかにしているところなどは、単純に勉強になりました。
ただ正直なところ、受験英語に対する批判のトーンがやや強すぎるのではないかとも感じます。確かに、英語と日本語との間に硬直した一対一対応が成り立っているかのような理解には問題があるのでしょうが、学校英語・受験英語も初歩の段階においては役に立っているのではないかと思うのですが。ただのハシゴにすぎないと割り切れば、それなりに有益だと考えます。