紙の本
太宰デビュー作
2018/05/04 22:24
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
太宰のデビュー作だからとかなり期待して読み始めたのだが、かなり苦しかった。若いからか気負いが先行していてあまり興味を惹かれないばかりか不快な部分が多かった。その時の自分の方にも原因があったかもしれないが、これはいずれコンディションの良い時に読み返すべきか。しかし夜が暗いからこそ、その後の夜明けがより輝かしいのかもしれない。
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『死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色の細かい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。』
ここから全ては始まった。
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ふわ〜、やっと読み終わった。
晩年(葉、思い出、魚服記、列車、地球図、猿ヶ島、雀こ、道化の華、猿面冠者、逆行、彼は昔の彼ならず、ロマネスク、玩具、陰火、めくら草紙)、ダス・ゲマイネ、雌に就いて、虚構の春収録。
彼は昔の彼ならずと雌に就いてが好きかな。
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今さら説明しなくても誰もが知っている太宰治の第一創作集。「葉」、「思い出」、「魚服記」、「列車」、「地球図」、「猿ヶ島」、「雀こ」、「道化の華」、「猿面冠者」、「逆行」、「彼は昔の彼ならず」、「ロマネスク」、「玩具」、「陰火」、「めくら草紙」の短編15編から成っており、大半は太宰が23〜24歳の頃に書かれた作品です。
多彩な実験的手法のオンパレードで、デビュー作にして、その後の太宰作品のエッセンシャルがつまりまくっています。
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誰が何と言おうと、僕は太宰が好きだ。
「葉」の文章センスは誰も真似できないよ。
自分の弱い部分、嫌いな部分をえぐりだされたあと、癒しを頂ける。
荒療治だけど、効く。
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やっぱり、太宰がいちばん愛おしくてたまらないのです。しばらくのあいだ彼から離れていても、ちょっと読みたくなってまたページをめくると、途端にその世界に引き戻されてしまう。「葉」や「道化の華」を読むと、趣味とはいえ小説を書いている身としては、彼の気持ちが痛いほどわかって、胸が苦しくなる。ほんとうに小説を愛していたのだろうなあ。個人的には、「逆行」が芥川賞を取らなかったことは、逆によかったのではと思います。
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「私はこの短篇集一冊のために、十箇年を棒に振つた。まる十箇年、市民と同じさはやかな朝めしを食はなかつた。(中略)私はこの本一冊を創るためにのみ生まれた。」
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太宰治はもう本当に有名な作家で、それこそ毎年夏になると『斜陽』とかが読書鑑賞文の課題図書になるくらい有名な訳です。
太宰治の話題となると、やっぱり『斜陽』とか『人間失格』とかの、「俺はもう駄目だーっ」的な作品がピックアップされる傾向が強いような気がします。
けど、太宰の本当に魅力的な作品は、「俺はもう駄目だーっ」、けどこんな世界の中でも君はキラキラしてる!感にあふれていると思うんです。
この本の中にある『十二月八日』とか最高だと思います。
ようするに、世界に絶望しているのか?自分自身に絶望しているのか?で世界観はまったく違うものになると思うんです。
そして、太宰は決して世界自体には絶望していなかったんじゃないか?と、思います。
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やっとこさ購入した太宰治全集。晩年から始まる暗い太宰のオンパレード。理解しがたい作品も多数あったが、やっぱり買って良かったと思える。迷っている人はぜひ購入すべし。特に「雌について」は素晴らしく鳥肌が立ったなあ。現実の友達とぜひ語り合いたいものである。希望に沿う友人、求む。
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★3.5 「魚服記」「地球図」「道化の華」「彼は昔の彼ならず」「ロマネスク」
全集の一番最初に「晩年」がくるとは。
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読書力読書7冊目。
ちくま文庫の全集、太宰治です。全10巻。芥川同様、いろいろな本も読みながら、ゆっくり読んでいきます。
1巻の収録作品は以下。
晩年
葉
思い出
魚服記
列車
地球図
猿ヶ島
雀こ
道化の華
猿面冠者
逆行
彼は昔の彼ならず
ロマネスク
玩具
陰火
めくら草子
ダス・ゲマイネ
雌について
虚構の春
狂言の神
本書も発表順に収録されていますが、最初の『晩年』(「葉」から「めくら草子」までの15篇)は第一創作集であるため、初版本の編成順のまま収録したそうです。
おもしろく読んだのは、「道化の華」、「彼は昔の彼ならず」、「ロマネスク」、「ダス・ゲマイネ」、「狂言の神」でした。
太宰治の作品は、かつて国語の教科書に載っていたものに授業で触れた程度で、ほとんど自主的に読んだことはなかったように思います。正直、読んでもよくわからなかった。なんか暗いし、文章がいつも唐突で、全然ピンと来なかった。でも今回読んでみたら、まったく暗く感じなかったし、えも言われぬ哀愁に、これでもかと打ちのめされました。またしても、芥川同様、大人になった今、読んで良かったとつくづく思います。私の、太宰治の読みどきは、間違いなく今だったのだと確信しています。
ちょうどいい言葉が見つからなくてもどかしいのですが、一言一句、惹きつけられます。どのページをパッと開いてみても、文字の並びが美しく、何度でも読みたくなる。漢字とひらがなの割合が絶妙なんですよね。文学とはことばの芸術作品なのだと、実感しました。
どれも小説ではあるものの、すべて太宰自身のことが描かれているようにしか思えませんでした。本書を一冊読んだくらいで太宰を語る気なんてさらさらないけれど、本書を読んで感じたのは、太宰治というと死のイメージが強かったのですが、実はものすごく生きたかった人なのではないか、めちゃくちゃ全力で生きていた人だったのではないか、だからこそ人一倍苦しかったのではないか、ということでした。
読んでいると、すごく危うい感じがします。ふらふらと、今にも足を踏み外しそうに歩いているけど、なんとか道の上に踏みとどまっているような、危なくて目が離せない感じ。この放っておけない危うさこそが太宰の魅力なのかな、と思ったりもしました。
これからどんな太宰に会えるのか、2巻以降を読んでいくのが楽しみです。
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『 晩年 』より
『葉』
作品にはならなかった断片メモ。
特に好きだった箇所を引用する。
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。(P11)
「死ねば一番いいのだ。いや、僕だけじゃない。少くとも社会の進歩にマイナスの働きをなしている奴等は全部、死ねばいいのだ。それとも君、マイナスの者でもなんでも人はすべて死んではならぬという科学的な何か理由があるのかね。」
「笑ってはいけない。だって君、そうじゃないか。祖先を祭るために生きていなければならないとか、人類の文化を完成させなければならないとか、そんなたいへんな倫理的な義務としてしか僕たちは今まで教えられていないのだ。なんの科学的な説明も与えられていないのだ。そんなら僕たちマイナスの人間は皆、死んだほうがいいのだ。死ぬとゼロだよ。」
「馬鹿! 何を言っていやがる。どだい、君、虫が好すぎるぞ。それは成る程、君も僕もぜんぜん生産にあずかっていない人間だ。それだからとて、決してマイナスの生活はしていないと思うのだ。」(P19)
満月の宵。光っては崩れ、うねっては崩れ、逆巻き、のた打つ浪のなかで互いに離れまいとつないだ手を苦しまぎれに俺が故意と振り切ったとき女は忽ち浪に呑まれて、たかく名を呼んだ。俺の名ではなかった。(P21)
「よもやそんなことはあるまい、あるまいけれど、な、わしの銅像をたてるとき、右の足を半歩だけ前へだし、ゆったりとそりみにして、左の手はチョッキの中へ、右の手は書き損じの原稿をにぎりつぶし、そうして首をつけぬこと。いやいや、なんの意味もない。雀の糞を鼻のあたまに浴びるなど、わしはいやなのだ。そうして台石には、こう刻んでおくれ。ここに男がいる。生れて、死んだ。一生を、書き損じの原稿を破ることに使った。」(P21)
『思い出』
空想と現実の間で、思春期特有の自意識過剰さが浮き彫りになっている。
それが恥ずかしくて、読みながら顔を覆いたくなる感じがした。
みよへの想いがつのった主人公は、「みよから告白できるようにこうしよう」とか「みよと結婚したら……」「みよはもう自分のものになったな」とか考えているが、側から見たら全く”脈なし”で、自分の妄想だけがどんどん先に行っているのが酸っぱい気持ちになった。
『魚服記』
物語からはごうごうと落ちる滝の音しかせず、ずっと静かな感じがしていた。
スワと父親だけのひっそりとした生活が滲み出るようだ。
虚しいような寂しいような感じがする不思議なラストが好き。
明確な言葉が書いてあるわけではないが、スワも父親も死んでしまったのだろうと思った。
『列車』
テツさんが上京してきたと言いに来た汐田の様子が、己の自尊心を満足させるためのものだと思って見てみると、大変痛々しい。
主人公が面倒事にわざわざ首を突っ込んでしまう様子がありありと思い浮かんだ。
テツさんを見送る時の間が持たない気まずさに共感し、居心地の悪さをリアルに感じたのが良かった。
『地球図』
“ロオマン”の人、ヨワン・バッティスタ・シロオテが、キリスト教伝道のために日本にやって来たことを描いている。
彼は日本の風俗と言葉を三年かけて勉強し、色んな苦労をして日本に向かったが、努力の報われなさに虚しくなった。
いじめられ、折檻され、牢で死んだのに、墓標として植えられた榎が「ヨワン榎」として大木となったのは、皮肉のようで悲しかった。
『猿ヶ島』
好きな作品。
記憶を無くして、真っさらな状態で読んでみたい作品の一つ。
情景描写も魅力的だが、静かに交わされるふたりの会話と、最後に「逃げる。」と決意してからの流れが特に好き。
『雀こ』
「井伏鱒二へ。津軽の言葉で。」と添えられている作品。
津軽弁で綴られているため、私にはなんとなくしか話が掴めない。
それでも、無邪気な子どもの遊び(はないちもんめ)の中にある残酷さや、昔噺(むがしこ)の響きから物悲しさを感じた。
『道化の華』
物語が進む中で時々「作者」が顔を出し、書くことへの苦悩をこぼしていく少し変わった作品。
大庭葉蔵・飛騨・小菅の三人は、誰一人として本当の気持ちを言っていないように見えた。
三人とも必死に本音を隠して、その場の空気のために笑ったり戯けたりしている。
絶妙なバランスで保たれている「その場」を崩さないようにしているのが、なんとも人間臭くて良かった。
「作者」が顔を出すことによって、まるで小説の口述筆記を聞いているような気持ちにもなる。
「作者」は物語の進行について色々と言っているが、その言葉が本音かどうか分からないけれど、道化を演じる彼らを見つめる目には嘘はない気がした。
『猿面冠者』
耳が痛くなるような作品。
書かないうちは、自分の可能性を信じ、どんな傑作でも書けそうな気がしている。
そんな男の思考は、小説を書くことだけでなく、全てのことに共通していると思う。
手をつけないうちは何でも妄想できるし、気持ち良くなれる。
少しでもやってみると、その難しさが分かり、自分の力の無さを実感する。
そういうことが、現代の我々にもあると思う。
男が書いた小説の主人公が、男自身とリンクしているのがなんとも言えないおかしさを醸し出していた。
『逆行』
『蝶蝶』『盗賊』『決闘』『くろんぼ』の4編からなる短編。
死ぬ間際から、大学時代、高等学校時代、小学校時代と、時を遡って物語が綴られていく。
冒頭の「老人ではなかった。二十五歳を越しただけであった。けれどもやはり老人であった。」という部分は、『人間失格』を思い起こさせた。
自意識過剰で、自分を良く見せようとポーズを取るが、周りには相手にされず結局失敗してしまう……。
そんな姿がどの話にも共通していた。
妄想と現実の間に溝があって、苦々しい気持ちになった。
『彼は昔の彼ならず』
会うたびに変化している青扇という男。
話すこと、喋り方、仕草、その全てのどれが本当なのか分からなくなり、どれも嘘のように聞こえる。
「青扇の豹変ぶり」を期待していると青扇が察して、変化するよう努力しているのでは……と語り手が思い悩む様子が良かった。
「あれこれと考えれば考えるほど青扇と僕との体臭がからまり、反射し合っているようで」という言い回しが好きだった。
最後のほうで、ふっと夢から覚めたような感じがした。
青扇は変化を繰り返していたが、それはどれも青扇自身であり、その日ごとに見え方が変わっていただけだったのだろう。
私たちも、そういう面があると思う。
どのような関わり方をするかで、色んな一面が見え隠れする。
語り手は青扇について様々なことを言っているが、結局のところ、語り手と青扇はとてもよく似ている。
好きな作品だった。
『ロマネスク』
・仙術太郎
生まれた頃から誰かと関わろうとすることがなく、体を動かすよりも物思いに耽ったり考えたりすることのほうが好きな太郎。
村の人たちは彼を「なまけもの」「阿呆様」などと呼び、当初は期待をしていた父親ですら諦めるようになっていた。
太郎自身はそれを気にする様子もなく、それで構わなかったのかもしれないが、誰も味方がおらず親しい者もいないまま村を出て行ったのは、なんだか寂しく感じた。
・喧嘩次郎兵衛
喧嘩の強い人間になりたいという気持ちだけで何年も一人で修行する次郎兵衛の姿は、荒々しさよりも用心深さを感じ、自信がないようにも見えた。
自分から喧嘩をふっかけようという考えが全くないところに、性格が出ていると思う。
ずっと努力していたことが思わぬところで悲劇を呼んでしまうことになり、虚しい気持ちになった。
・嘘の三郎
人間万事嘘は誠。
自身が書いた作のこの言葉が、三郎の皮膚にべったりとくっついていく。
嘘のない生活をしようと思っても、全てが嘘に思えて迷走するところが好きだった。
ラストで、それまで語られていた三人が邂逅する展開も良かった。
三郎はきっとこれからも嘘を吐き続けるのだろうと思うが、その姿は滑稽でもあり、哀しくもあった。
『玩具』
『玩具』という題の小説を書こうとしている主人公が、読者に語りかけるようにして物語は進んでいく。
後半は創作の断片メモのような、短い文章がいくつか並べられている。
冒頭の部分が好きで、この小説を読んでみたいという気持ちになった。
「どうにかなる。どうにかなろうと一日一日を迎えてそのまま送っていって暮しているのであるが、それでも、なんとしても、どうにもならなくなってしまう場合がある。そんな場合になってしまうと、私は糸の切れた紙凧のようにふわふわ生家へ吹きもどされる。普段着のまま帽子もかぶらず東京から二百里はなれた生家の玄関へ懐手して静かにはいるのである。」(P298)
『陰火』
『誕生』『紙の鶴』『水車』『尼』の4編からなる作品。
特に『紙の鶴』で、妻の告白を聞いた語り手が、その事実を思い出さないように努めている場面が良かった。
何かを考えたり用事を作ったりしてみても、ちょっと隙間があると考えてしまう。
その焦りが直に伝わってきた。
『尼』に出てくる尼は、『誕生』の中で「彼」が結婚した女なのではと思っ��。
『紙の鶴』では夫である男の気持ちを、『水車』では女が関係を持ってしまった男の気持ちを表し、そして『尼』では尼となった女(妻)が登場したのだと思った。
尼が語った蟹の話では、自分と前の夫とのことを思い出していたのではないか。
私はそう想像した。
ラストの如来様のシーンは、どうにもおかしくて笑ってしまった。
不思議な読み心地だった。
『めくら草紙』
口述筆記をしていた太宰の様子が思い浮かんだ。
エッセイと小説の間のような、本当にこういうことがあったのかも、と思わせられる作品だった。
《『晩年』ここまで》
『ダス・ゲマイネ』
登場人物たちの中に太宰自身を感じ、とても興味深く面白かった。
「太宰治」が登場するシーンが好きだった。
「どう在るか」ということに悩みぐちゃぐちゃとしている様は滑稽にも見えるが、ひと匙の虚しさを感じてしまう作品だった。
『雌について』
どんな女がいいかという話を、テンポの良い会話で進めていく。
途中、「じたばたして来たな。」という返しに笑っていたら、最後にハッとさせられた。
これは「このような女がいたなら、死なずにすむのだが」という胸の奥を探り合っている話だったのだと、序盤の一行を思い出して苦しくなった。
『虚構の春』
太宰治宛ての手紙で構成されている。
手紙の内容から、太宰治の輪郭が見えてくるようで面白かった。
この文章を太宰はどんな顔で書いていたんだろう……と感じるような、辛辣なものもあった。
「吉田潔」の名で山岸外史、「深沼太郎(深沢太郎)」の名で佐藤春夫が登場しているとのこと。
『狂言の神』
「今は亡き、畏友、笠井一について書きしるす。」
から始まる。
笠井のプロフィールは太宰のものだなぁと読み進めていたら、途中から太宰自身が顔を出し始めた。
『ぶんぶん言って疾進してゆく、自動車の奥隅で、あっ、あっと声を放って泣いていた。今は亡き、畏友、笠井一もへったくれもなし。ことごとく、私、太宰治ひとりの身のうえである。いまにいたって、よけいの道具だてはせぬことだ。私は、あした死ぬるのである。はじめに意図して置いたところだけは、それでも、言って知らせてあげよう。私は、日本の或る老大家の文体をそっくりそのまま借りて来て、私、太宰治を語らせてやろうと企てた。自己喪失症とやらの私には、他人の口を借りなければ、われに就いて、一言一句も語れなかった。たち拠らば大樹の陰、たとえば鷗外、森林太郎、かれの年少の友、笠井一なる夭折の作家の人となりを語り、そうして、その縊死のあとさきに就いて書きしるす。その老大家の手記こそは、この「狂言の神」という一篇の小説に仕上るしくみになっていたのに、ああ、もはやどうでもよくなった。』
(P473)
感情が制御できずにバラバラと崩れていったように見えるが、全て太宰の計算のようにも見える。
どこが本質でどこが演技なのか、境目が分からない。
作品の中に自分を入れ込むのが上手いなぁと思う。
死にたくてたまらず、江の島から鎌倉まで彷徨う場面が良かった。
「こういうふうに死��たい」という思いと、迷い揺れ動く感情が、心に染み込んでくるようだった。
とても好きな作品だった。
◇
久しぶりに再読して、太宰治は人間の恥ずかしい姿、みっともない姿を、こんなにもリアルにいきいきと描くことができるんだなと改めて感じた。
格好つけてもつけきれないかなしさ、というものが感じられて良かった。
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印象に残った言葉たち
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きようと思った。(葉 p.11)
安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。(葉 p.28)
私は、すべてに就いて満足し切れなかったから、いつも空虚なあがきをしていた。私には十重二十重の仮面がへばりついていたので、どれがどんなに悲しいのか、見極めをつけることができなかったのである。そしてとうとう私は或るわびしいはけ口を見つけたのだ。創作であった。ここにはたくさんの同類がいて、みんな私と同じように此のわけのわからぬおののきを見つめているように思われたのである。作家になろう、作家になろう、と私はひそかに願望した。(思い出 p.57)
感想
まず、第一巻を読み終えた感想として、太宰治は自分を切り売りして小説を執筆しているという印象を受けた。自分の自殺未遂事件、友人、師匠、読者からの手紙、家庭、生い立ちをすべて小説にぶつけている。なので、その時々の太宰治の生の感情を味わうことができる。
しかし、如何せん内容が暗い。人が死んだり、破滅願望が見えてきたりする。ぶっ続けで太宰治全集だけ読んでいると、死の世界に引きづり込まれそうな感じがする。ちょっと、危ない気がするので間に生に対する明るい小説、ビジネス書などを挟んで二巻以降も読んでいこうと思う。