投稿元:
レビューを見る
生と死についての話から仲人選びについてなど、色々盛り込んであるエッセー集。真剣に考えさせられる内容もあれば、「ぷっ」と吹き出してしまうものも。おもしろいです!
投稿元:
レビューを見る
本当に眠れない時に買いました。笑。
遠藤周作の考え方は好きです。
ためになりました。
この著者のエッセイは非常にユーモアがあって読みやすいです。
投稿元:
レビューを見る
遠藤周作の随筆。本当に眠れない夜に読みました。そしてほのぼのとした気持ちになれて眠りにつけたのでそんな力がある本だと思います。ユングの話に興味を持ちました。
投稿元:
レビューを見る
なかなか良かったです.こういう年がかなり上の男の人のエッセイって,考え方が合わないものもあるけど,これはそうでもなく良かった.
投稿元:
レビューを見る
一度読んでいるのに覚えていないものだな。と、思いながら読んでいたら、一度読んだ本の内容を忘れているのは老人のボケだと書いてあった。そうなの?本当に〜?
投稿元:
レビューを見る
・女性がかっている
・空港、駅など足の速いお店、
大型店・インショップで売れています
・これからの季節、時代にピッタリ らしい
投稿元:
レビューを見る
面白かったのは、超能力の話。頭の中に森が浮かび、動物に話しかけると回答を教えてくれるというのが良い。面白いエピソードもあったが、忘れてしまった。
投稿元:
レビューを見る
尾篭な話で恐縮ですが、トイレでちびちびと約1カ月掛けて読了。
肩のこらない本。でも、色々考えさせられることもあって、まさに厠書にふさわしい本でした。
どうもなんだか、今日は眠りたくない。
なぜなのか良く分からないけど。
そんな夜はきっと誰にもある。
そして
なんだか眠れない夜。というのも、きっと誰にもある。
遠藤の、あちこちに書いたエッセイや随想をまとめた1冊。
全体は「生と死について考える」「東京について考える」「自分と他人と動物について考える」「趣味と興味について考える」の4章で構成。
冒頭、末期がん患者へのインタビューを重ねてきたキューブラー・ロスというアメリカの女医を紹介した遠藤は、彼女が末期がんの子供たちに向かってこんな声を掛けていると紹介する。
(前略)
癌に侵された子供たちに、
「ぼくたち、どうなるの?」ときかれると、ロス博士は
「あなたはサナギのカラをここに残して、あの世で蝶になるのよ」
(後略)
「読む 観る 食べる」
幼くして、死に直面する魂が、この一言で救われたと信じたい。
戦後の文壇のワンシーンを写しているのが「神田の裏通りで…」という一文。
著書「スキャンダル」のサイン会後の話というから、これは1986年のこと。
遠藤はそのサイン会の後に神田の古本屋街をぶらぶら歩き、40年前、大学生のころ入り浸ったある酒場のことを回想する。それは「ランボオ」という酒場だ。
出入りしていたのは武田泰淳、梅崎春生、椎名麟蔵など第一次戦後派の作家たち。
当時、遠藤は大学三年生で、まだ映画の世界に進みたいと考えていた時期だという。
あこがれのまなざしで見た店内には椎名や埴谷雄がテーブルを囲んでいて、一人の男が窓際に風呂敷づつみをおいて寝そべっていたという。それが遠藤の愛読していた『蝮のすゑ』の作者の武田泰淳だったという。
そんな作家たちの間を給仕してまわっていたのは後にたけだの妻になる百合子だった。
店に通ううち、そうした作家と面識を持つようになった遠藤は、例えば武田には「一生、とりくんでも飽きぬような世界の大作家を勉強しなさい」と教えられたという。
いやすごい顔ぶれだ。でも、そのほとんどは、今は忘れられた作家たち。というか遠藤周作ですら、既に忘れられた存在だと言っていい。時間というものは、本当に残酷だ。
1986年には「ランボオ」は既に「M」という喫茶店になっている。この後の遠藤の描写は時間がたっていくことの寂しさや切なさをよく表現している。
「扉を押してなかに入る。昔とおなじ広さ。インテリアは変わっているが窓の位置もそのままだ。二人の客が本を読み、雑誌を読んでいる。天井も壁もおそらくあの時のままではないだろうか。
私は隅の席で珈琲をのみなが���、四十年前のこの場所での光景を心に蘇らせた。あちこちで聞こえてくる文学論、笑い声、焼酎の瓶。
ローマやロンドンに行くと、芸術家の集まり場所だったキャフェが、それを記念して書いたプレートを壁にはって市の名所になっている。しかし、日本ではそういう習慣はない。だからこのM…という店の人たちも、二人の客も、この空間のなかで日本の戦後文学が作られたことを知らないだろう。」
ある場所には、たくさんの時間が積み重なっている。私たちは、なかなかそれに気付かない。例えば、私がかつて住んだアパート。そこで私は新婚生活を送り、初めての子供が生まれ、日曜の朝には、家族三人で海を眺めながらベランダで食事をした。
歴史に残るようなことではない。ささいな出来事や人々の暮らし。誰もが、今居る場所に思い出を重ねているし、その場所には以前いた誰かの思い出が潜んでいる。そう感じさせるエッセイだった。
投稿元:
レビューを見る
書きたいことを書いている。奔放でいいなぁ。
ボケは得なのだそうだ。何度か観たビデオも忘れていれば、初めてのようにワクワクして観ることができる・・・確かに。
そう考えるのも悪くない。
投稿元:
レビューを見る
ちょこちょこ気が向いた時に読み進め中。
遠藤氏がキリスト教信者の方なので、たまに出てくる考え方が祈りと似通っていると思う。
私個人的には、キリスト教を勉強していた身なので、なかなか面白い。
しかし宗教的な話はあまりなく、遠藤氏個人がいろいろなことについて徒然と話している、というエッセイ的な本。
今のところ最初の方の生死や病気のあたりしか読んでないけど、また読み終えたら追記したい。
投稿元:
レビューを見る
我が敬愛する狐狸庵先生!いいですね♪
24年前に週刊誌に連載されていたコラムがエッセイとして文庫化されたものですが狐狸庵先生独自のタッチで普遍的なテーマをユーモラスに書かれており今読んでも読み応えがあります。また中に面白い著書の紹介が散りばめられており手帳に書き留めました、古書店めぐりの楽しみも増えました。
題名どうり眠れない夜によい一冊でした。
読後感=面白くて眠れない・・・
投稿元:
レビューを見る
冒頭,考えられるところが多かった。説教臭い?と感じてしまうところもあったけど,それだけの人だからだなぁと思う。
投稿元:
レビューを見る
読んでて思わずにやりとする。
自分の視点を変えるためにも、たまにはこういうエッセイを読むのもいいかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
名所や旧跡とは他人から教えられて行く場所ではない、自分で見つけるものだと私は思っている。誰もが出かけるような名所やみんなが知っているよつな旧跡はたいてい俗化しきっている。しかし、自分の好奇心が発見した名所や旧跡は、有馬セミナリオや「ランボオ」の跡のように、まだその面影をかすかに残しているものだ。
投稿元:
レビューを見る
地に足が着いている感じの人のエッセイが好きだ。
私が勝手にそういう本を読みたいときに選んでいる作家さんが
須賀敦子さん、城山三郎さん、司馬遼太郎さん、谷川俊太郎さんなどだが、
遠藤周作さんもそのひとりだ。
日々感じたこと・考えたことを綴っている文章だけれど、
そのまましっかりと一日一日を感じながら歩いていけばいいんだ、
と言われているようで安心する。
眠れぬ夜に、読みながら時を感じてみるのも良いと思う。