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みんなのレビュー14件

みんなの評価4.0

評価内訳

14 件中 1 件~ 14 件を表示

紙の本

労作です。こんな会社があったんだ、って思います。いや、それだけではなく今も昔とは違うけれど、残っている。埋もれる、っていうことはこういうことなんだな、戦争の影響は当然、こんなところにもあったんだな、と色々勉強にもなりました。

2012/01/16 22:09

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

まず、ヤマナカってなんだ、って思います。サブタイトルの「東洋の至宝を欧米に売った美術商」がなくて「ハウス・オブ・ヤマナカ」だけだったら、最近、鹿島茂のパリ娼婦の館、シリーズに嵌っている私としては、これもまたその手のお店の一つで「東洋の美女を欧米に売った館」ではないか、なんて思ったことでしょう。もしそうだとしたら、私はこの本に手を出すことはなかった。

確かに朽木ゆり子の本は読んでいます。フェルメール本を一冊。楽しみはしたけれど、何をおいても朽木を追いかけさせるほどの力はなかった。まして「ハウス・オブ・ヤマナカ」、全く知りません。そう、私はこの二十年ばかり、色々な画廊を覗きこんだり、画商さんと話をしたり、美術館にも出入りをし、画家さんと食事をしたりすることもあります。でも、そのどこからも「ヤマナカ」という名前は出てきませんでした。

そう、冒頭で朽木がいうように、ヤマナカ、こと山中商会はその輝かしい歴史にもかかわらず、現在では殆ど忘れ去られた存在なのです。といっても、知る人は知る。特に欧米の名のあるコレクターや美術館であれば、直接その名を知ることはなくても、美術品の購入記録のどこかにその名前を刻みつけているに違いない、そういう存在です。その歴史を、日本にある資料以上に海外にあるさまざまな記録から見事に描き出した労作がこの本『ハウス・オブ・ヤマナカ 東洋の至宝を欧米に売った美術商』です。

同族会社である山中商会がニューヨークに最初の店を出したのは、明治二七年(一八九四)のことですが、朽木は単純にそこから筆を起こすようなことはしません。序章 琳派屏風の謎、はちょっとミステリタッチの雰囲気を漂わせながら、NYのメトロポリタン美術館が所蔵する「渓流花木図屏風」(六曲一双)入手の経緯から始まります。これを美術館に収めたのが海外でヤマナカ&カンパニーという名称で知られた山中商会。

とはいえ、メトがその時入手したのは左隻のみ。そして右隻は後にH・O・ハヴマイヤー・コレクションとして寄贈され、左右一組のものとして一体化されます。実は、謎はこのルートにあるのではありません。実は、ヤマナカがハヴマイヤーのために落札したのが、もともとメトロポリタン美術館に収めた「渓流花木図屏風」の左隻だったという記録があるのです。では、なぜそれがメトにあり、そうでない右隻がハヴマイヤーのところにあったのか、そうこれがミステリ。

あとは、アメリカの店を構えた山中が、時の日本美術ブームにのって言い顧客を得、アメリカはもとよりロンドンにも店を構える、そして日本美術が一段落すれば、売るものを中国のものを中心とした東洋美術に切り替え、順調に経営規模を拡大していく様子が、アメリカの美術館やコレクターである富豪たちの購入控えなどから浮かび上がってきます。

そして、見えてくるのは山中商会の手堅い販売と、そして気持ちの良いような商品の調達です。とはいえ、今であれば許されないような埋蔵物や美術品の海外持ち出しが大目に見られていた時代のこと。視点を変えれば、あこぎ、と受け取られかねないこともあるかもしれませんが、朽木の立場はあくまで告発ではなく、そのような商行為で美術品を、それに相応しい価格で収めていった真面目な美術商の姿です。

しかし、その順調な発展に影を落としたのが世界恐慌であり、幕引きを始めたのが満州事変、そして止めを刺したのが太平洋戦争です。といって、ここでも朽木の筆はアメリカの非情を暴くことには費やされません。山中商会を悲劇の主人公に仕立てることもしません。アメリカの店が抱えていた商品を、アメリカ政府の監督のもとで販売し、従業員たちに給料を支払いながら店を畳んでいく、その様子を極めて中立的な立場で描いていきます。

これは、よくある立身出世譚でもなければ、アジアで美術品を集める冒険譚でも、ましてアメリカの陰謀譚でもありません。一つの企業の消長を、その内部の記録というよりは外部の記録から描いた、極めて良質のドキュメンタリです。だから、ノンフィクション書籍であるにも関わらず、巻末にかなりの量の注がついています。これは、あとがきで朽木が述べるように、あとに続く人々が原典に当たることができるようにという配慮からのものです。

朽木が山中商会のことを知ったのが2000年、ほぼ同時期にフーリア美術館のアーカイヴに美術品購入記録があることを知り、いろいろ想を温めながら研究を始め、そしてこの本を書くうえで不可欠な敵国資産管理局の年次報告書を入手したのが2007年、まさに10年をかけた労作です。鹿島茂のパリ風俗にかんする書物を抜きに、20世紀のフランスを語ることができないように、朽木のこの本無くして山中商会、そして東洋美術が海外の美術館などに収まっていった話は語れないだろう、そういう本です。本当に御苦労さまでした。最後はデータの羅列。

カバー表写真は
山中商会ニューヨーク店正面
表紙写真 
山中商会ニューヨーク店1階
扉写真
山中商会が扱った美術品
写真:全て株式会社山中商会提供

装幀は新潮社装幀室

目次を写せば

序章 琳派屏風の謎
第一部 古美術商、大阪から世界へ

第一章 「世界の山中」はなぜ消えたか
第二章 アメリカの美術ブームと日本美術品
第三章 ニューヨーク進出
第四章 ニューヨークからボストンへ

第二部 「世界の山中」の繁栄

第五章 ロンドン支店開設へ
第六章 フリーアと美術商たち
第七章 日本美術から中国美術へ
第八章 ロックフェラー家と五番街進出
第九章 華やかな二〇年代、そして世界恐慌へ
第十章 戦争直前の文化外交と定次郎の死

第三部 山中商会の「解体」

第十一章 関税法違反捜査とロンドン支店の閉鎖
第十二章 日米開戦直前の決定
第十三章 開戦、財務省ライセンス下の営業
第十四章 敵国資産管理人局による清算作業
第十五章 閉店と最後の競売
第十六章 第二次世界大戦後の山中商会
終章 如来座像頭部


資料と参考文献

あとがき

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